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秋田児童連続殺害事件、二審判決の量刑理由

2009年3月25日20時56分

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 ●秋田児童連続殺害事件で、仙台高裁秋田支部が示した判決理由要旨での量刑理由の部分

 ア 本件各犯行は、幼い児童2人、それも近所の顔見知りの子と我が子を1月と少しの間に連続して殺害した事件であって、結果は重大であり、もとより、被害児童らには一片の落ち度もなく、被告人を友達の母として、あるいは母そのものとして信頼し慕っていたのに、こともあろうに手にかけるという極めて凶暴かつ卑劣な犯行であることは論をまたない。被告人の刑事責任が誠に重大であることは明らかであって、死刑の選択も考慮に入れて、永山事件判決以来の死刑の選択の適否に関して示されてきた最高裁判所の判決・決定例、また、類似事件において示された下級審裁判所の判決例なども十分参考にしながら、被告人の量刑について検討する必要がある。

 イ そこで、前記の事実関係から、被告人の刑事責任が重大であることを示す事情を要約摘示すれば、アで挙げた事情のほか、次の通りである。

 豪憲殺害・死体遺棄の犯行については、その犯行態様に照らしても、殺人の犯行は、抵抗もできない豪憲の頸部を確実に死亡が確認できるまで執拗(しつよう)に力いっぱい締め続けるという強い殺意に基づく犯行であって、冷酷・非道というほかなく、死体遺棄の犯行は、その豪憲の遺体を川岸の市道脇に投棄して遺棄するという、これまた残忍なものであって、現に豪憲の遺体は無残な姿で発見されるに至っている。また、被告人が豪憲殺害・死体遺棄を犯すに至った動機・目的は、前記のとおり、先に犯した彩香殺害事件の犯人として自分が疑われるのを避けるためと認められるのであり、自分の保身のためなら他人の生命を奪うのもちゅうちょしないという、誠に自己中心的で非人間的な犯行であって、もとより、経緯や動機に酌量の余地を見いだすことはできない。

 被害者豪憲は突如このような仕打ちに遭い、恐怖と苦悶(くもん)のうちに生命を奪われて、わずか7歳でその生涯を閉じさせられたものであって、その無念の程は到底言葉で言い尽くせないほどである。

 愛情込めて育ててきた我が子を、このような形で奪われた豪憲の両親の悲嘆、悲しみ、苦しみも筆舌に尽くしがたい。豪憲の父親及び母親はいずれも当審においてこの悲痛な気持ちを述べている。

 また、豪憲の兄弟や祖父母らの悲しみも大きく、その処罰感情が厳しいのも当然である上、豪憲の兄弟らについては、このような犯行がその心の成長に及ぼす影響も懸念される。

 前記のような、被告人の豪憲殺害・死体遺棄の犯行後の態度も甚だ良くない。

 彩香殺害の犯行も、被告人は、これまで親として不適切な養育をしてきた挙げ句、自分の苦境の原因が何の罪もない我が子であるとの思いにとらわれるようになり、当時のストレスの蓄積の影響もあって、彩香のささいな言動にいら立ちを爆発させて彩香にいなくなってもらいたいとの思いから殺害を思い立って実行したものであり、動機はもちろん、経緯においても責められるべきところは多く、犯行態様も、母親を疑うことなく信じて言われるままに橋の欄干に登って座った彩香が恐怖を感じて被告人に抱きつこうとしてきたところ、冷酷・非道にも、彩香の体を手で振り払うようにして押して川に落下させるというもので、最後まで慕っていた母親に裏切られて死の底に突き落とされていった彩香の無念ははかりしれない。

 彩香はわずか9歳であってこれからの未来をほかならぬ母親の手で奪われたものであり、かつ、前記のとおり不遇な環境にもかかわらず、けなげに、明るく振る舞っていた物であることを考えると、ただただ哀れである。彩香の父は被告人のことを許せない、極刑を望むとしており、彩香の祖父(被告人の父)も生前同様の意見であった。人一倍彩香のことをかわいがっていた祖母(被告人の母)の悲しみが大きかったことも十分うかがえる。これら彩香の親族らの心情も十分理解できる。

 本件各犯行が地域住民に与えた衝撃・恐怖も大きく、この点も量刑上軽視できない。

 被告人は被害児童2人及び豪憲の両親らに対する謝罪と反省を述べてはいるが、不十分なものであることも否定できない。豪憲側に対する慰謝の措置も講じられていない。

 ウ 他方で前記の事実関係から、被告人に有利な方向で考えられる事情についてみると、次のとおりである。

 彩香殺害は、前記のとおりの閉塞感等(もちろん、これについても身勝手な面が多いが)から、場当たり的、短絡的に犯したものであり、その点で幾分考慮の余地があるといえなくもない。被告人の彩香に対する養育状況は劣悪であったといわざるを得ないが、被告人が彩香の養育について悩んでいたことも事実であり、彩香殺害当日などの行動をみても、ふだん虐待を続けていたとまでは到底いえず、また、常に彩香の死を強く願っていたものともいえない。

 豪憲殺害・死体遺棄の犯行は前記のとおり誠に身勝手で酌量の余地のみじんもないものであるが、前記のとおり、被告人の社会あるいは地域住民らに対する過激な攻撃性、反感が爆発した無差別殺人型の児童虐待であるとみることができないことはもとより、嫉妬心や憎たらしいという気持ちから上記の過激な攻撃性や反感が発露したものとみるのも相当でない。

 また、豪憲殺害・死体遺棄の犯行も場当たり的な面が強く、用意周到な計画的犯行とみることはできない。

 そして、本件各犯行は、前記のとおり連続児童殺人事件というべきものであるが、その発端は、上記のような彩香に対する殺人事件に始まっており、豪憲殺害・死体遺棄事件は、被告人が彩香殺害の発覚を恐れて犯したもので、いずれの犯行も利欲的な目的の手段として敢行されたものではない。

 本件各犯行をみれば、被告人に反社会的かつ凶暴な人格傾向が否定できないことは明らかであるが、これまでの社会生活において、被告人にはそのような性格傾向は明らかには認められず、前科・前歴もなかったことからして、被告人の反社会的かつ凶暴な犯罪傾向が将来とも全く抜き難いものとまではいえない。

 また、被告人の反省が十分に深まっていっていないことは前記のとおりであるが、多分に能力的な面が影響していることがうかがわれ、反省へ向けての意欲は認められないではない。

 エ 原判決は、彩香殺害の犯行が基本的に前記同様の罪質、態様の犯行であること、豪憲殺害・死体遺棄の犯行が自己の身勝手な動機に基づき強固な犯意による犯行であることなどを指摘し、前記当審判断と同様の結果の重大性はもとより地域住民に与えた影響の重大さ等も勘案の上、また、被告人の本件各犯行後の情状も良くないこと等も考慮の上、被告人に対しては死刑を選択することも十分考えられるところではあるが、彩香殺害の犯行に幾分なりとも考慮の余地があること、豪憲殺害・死体遺棄の犯行が計画的犯行とまでは言えないことなどをも総合考慮し、結局、死刑の選択にはなおちゅうちょを覚えざるをえないとして、被告人を無期懲役に処したものである。

 なお、原判決は、彩香殺害後の被告人の供述する健忘についての判断に不相当なところがあり、これと、被告人の供述を誤って信用して、前記の通り、豪憲殺害・死体遺棄の動機・目的を豪憲に対する嫉妬心等と子供を被害者とする事件を起こして警察に対して彩香の事件についての捜査を促すこと等にあったとする誤った認定をし、これを基に量刑の理由を説示している部分があり、これらの部分については賛同できない。

 オ これまでの説明で明らかなように、弁護人の控訴理由のように被告人を有期懲役刑に処さなかった原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは到底いえない。

 カ 検察官の控訴理由については、確かに、本件の被害者は小学生の児童2人であって、各殺害が1カ月余の間に連続して敢行されたものであり、この点は、死刑を相当とする方向に働く重要な量刑因子であるが、本件犯行の罪質、動機は、いずれも身代金目的誘拐、保険金目的、強盗・強姦目的、等のような利欲的目的を伴うものではなく、犯行の態様(殊に殺害の手段方法の執拗性・残虐性)については、これまでに最高裁判所において死刑相当とされた事案と対比すると、著しく執拗・残虐な部類に当たるとはいえず、また、本件は、いずれも確定的な殺意に基づく殺害であるが、彩香に対する殺害は前記のような背景を抱えつつも成り行きからとっさに生じた殺意に基づくものであるということができ、豪憲に対する殺害・死体遺棄は計画的犯行とまではいえず、豪憲の殺害動機が被告人の過激な攻撃性を基礎にした無差別殺人や同攻撃性の発露であると見るのは相当でない。すなわち、これら犯行の罪質、動機、態様を上記の結果の重大性とも併せて総合的に勘案すれば、本件については、これまでに最高裁において死刑相当とされた事案と対比してみたときに、必ずしもそれらの事案と同等、あるいはそれ以上の事案であるということはできない。検察官が同種事案として引用する裁判例に照らしても本件が当然に死刑を選択すべき事案であるとは必ずしもいえない。

 キ 以上の検討のもと、死刑は、その生命を持って償うもっとも峻厳な刑罰であり、その選択に当たって慎重な態度が要求されることは当然であり、諸般の事情を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも真に極刑がやむを得ないと認められる場合に限って、これを選択すべきものというべきであることを考えると、被告人を極刑に処することなく無期懲役に処した原判決の量刑判断が結論として誤っているとまではいえない(前記の通り、誤った認定・判断をもとに相当でない説示をしている部分を修正して検討しても同様である。)。被告人を無期懲役に処した原判決の量刑が軽きに失して不当であるとまではいえない。

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