無粋な憶測と悪質な流言、残酷な世界に羽生結弦がいる。そんなときこそ、私たちがいる…佐賀公演、絶対みんなで成功させよう

日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

羽生結弦が世界の残酷の中にある、そのときこそ、私たちがいる  

 本稿の一部、当初は『RE_PRAY』についての最終章で書くつもりでした。

 でも「いま」だからこそ必要と思い、ここに綴ります。

 羽生結弦が世界の残酷の中にある、そのときこそ、私たちがいる。

 これまでも「残酷」はたくさんありました。競技時代のそれは、多くの羽生結弦と共にある人々にとって周知の事実でしょう。それでも羽生結弦という存在は乗り越え、栄光をつかみ、歴史をつくり、時代と共にありました。

 以前、私は書きました。(『幸福なのに、涙がでるのは何故だろう…羽生結弦入籍日報道に、どう向き合えばいいのか』)より)

「私たちの「幸福の王子」はどうやら町の人々から愛され、その厚志は称賛され、悪くて偉い人たちはとっちめられて、ツバメはずっと元気に王子の肩の上で歌い続ける」

 と。そしてこう締めくくりました。

「羽生結弦王子、ほんとうに、おめでとうございます」

と。

羽生結弦とふたたび一体となった、その最たる瞬間

 オスカー・ワイルド『幸福の王子』になぞらえた語りでしたが、自分の贅沢とか、見栄とか考えることなく、真正面からフィギュアスケートに対峙して、利他の行為を尽くす、だからこそ、ご自身の幸福を求めて、こうして入籍に至ったことは本当に嬉しいと同時に「ホッと」しましたとも書きました。

 その幸せの中の『RE_PRAY』でした。

 そこで、私たちは羽生結弦とともに一つになりました。

 ADO『私は最強』が流れる、羽生結弦のはじける笑顔とともに。

 多くの感動と驚愕、そして美の極地を披露した『RE_PRAY』でしたが、別の意味で、私はこの『私は最強』が流れる中でのフィナーレと羽生結弦、そしてさいたまスーパーアリーナの観客、もちろんライブビューイングの観客やCS放送の視聴者、観ることが叶わずに、それでも仕事や学び、自分の進むべき道にある人々もまた、羽生結弦とふたたび一体となった、その最たる瞬間が、この『私は最強』と羽生結弦の笑顔だったと、私は強く思うのです。

「みんなの夢は私の幸せ」「みんなの夢は私の願い

 本当に、幸せになれました。

 まして、歌詞が羽生結弦とシンクロします。

「みんなの夢は私の幸せ」

「みんなの夢は私の願い」

 この私=羽生結弦というシンクロ、本当に心が幸せになるのです。芸術的な意味が云々とかそうしたことではない素朴なあたたかさ、それこそ、「幸福なのに、涙がでるのは何故だろう」でしょうか。

 羽生結弦の道は決して独りじゃない、みんなが独りにはさせない、そうした羽生結弦と、世界中の観客との一体感がさいたまスーパーアリーナにありました。

「ユズルの夢はみんなの幸せ」

「ユズルの夢はみんなの願い」

 置き換えるとこうでしょうか。もちろん「みんな」を「私」にしてもかまいません。なぜなら『私は最強』はこのフレーズの繰り返しで締められているからです。

たくさんの「ありがとう」が羽生結弦と私たちだ

「アナタと最強」

 羽生結弦はそのみんな、みんなそれぞれに対して「アナタ」として、「(羽生結弦は)アナタと最強」でした。これには当然、こちらからも、

「ユズルと最強」

 となります。語呂がすっきりなので下の名前、ユズル呼びの呼び捨てでごめんなさい。でも、それくらいにフランクであたたかい時間だったのです。なんだろう、羽生結弦と共にあって、それぞれの人生をがんばって、それぞれの時代を生きて、それぞれに泣いて、笑って、愛して、そして恋して、そうした素朴な人間の幸福というものがあるということ、直接言わなくとも、羽生結弦という存在が教えてくれる。そのたくさんの「ありがとう」が羽生結弦と私たちだということ、残酷な世界で、あたたかくなれる。

 それなのに、肝心の羽生結弦は、残酷な世界のまま、だった。

無粋な憶測と悪質な流言、そうした残酷な世界にいま、羽生結弦がいる

 置き去りには、したくない。

 無粋な憶測と悪質な流言、そうした残酷な世界にいま、羽生結弦がいる。いや、ずっといたはず、それでも羽生結弦は、

「みんなの夢は私の幸せ」

「みんなの夢は私の願い」

 と、まっすぐに歩いてきた。私たちもついていった。それでも、羽生結弦という存在の一部は残酷な世界にあって、なのに羽生結弦は「いざ行かん最高峰」と見たことのない景色を見せてくれて、そのたびに笑ってくれた。

「怖くはない?」

「不安はない?」

 と自分を後回しで、それが羽生結弦。利他の人。

佐賀公演、絶対みんなで成功させてやる

 そうした人は、残酷な世界の餌食にされる。

 私たちができることはなんだろう、と考えます。端緒に声を上げる、これまで書いてきましたが、それは大切です。存分にやるべきです。許可が必要なのかとか、結婚相手を隠す必要があるのか理解できません、とするなら、それは戦争です。博愛や友愛はそれを摂受できる者同士の話であって、そうでない者には通用しません。理想はそうでも、現実に世界は残酷なのですから。

 そして私は思うのです。SAGAアリーナも絶対に「最強」にしたいと。羽生結弦が私たちの声で奮い立つように、そして今度は私たちの側から、叫びたい。悔しさと悲しみばかりの残酷な世界、でも私たちにはフィギュアスケートがあり、羽生結弦がいる。いつも私たちばかりがもらってばかり、だから歴史上の偉人でスーパースターの羽生結弦だけど、言いたい。

「大丈夫よ」

と。

 何度でも何度でも言いたい。

「ユズルと最強」

と。

 こうなったら佐賀公演、絶対みんなで成功させてやる。いままで以上の、最高のSAGAで歴史を作ってやる!

 ユズルの夢が私の心臓 ―― みなさん、心臓を、佐賀へ!

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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