「は?──え?待ってどういうこと!?」
自室で彼は頭を抱えていた。
原因は先程相棒に見せられた映像の内容である。
彼の知るシナリオによれば、今日の放課後こそが、主人公と攻略対象の最初の出会いの時だった。
エステルによって潰されるのではないかと危惧していたそのイベントは、少し違った経緯ではあれど、無事起こりそうに思えたのだが──
「誰だよあいつ」
彼の知らない人物の乱入により、主人公は攻略対象との最初の出会いを果たすことはなかった。
そればかりか、その人物は主人公を助けに入ったエステル共々追い払う形で裏庭に入り、攻略対象に接触したのである。
しかもそこから先の展開も彼の知るシナリオに酷似していた。
不機嫌だった攻略対象に声をかけて口論になり、平手打ちをかまして好感を抱かれる──事実上別の人物による出会いイベントの乗っ取りである。
オフリー家を倒したエステルに続き、出会いイベントを乗っ取る人物まで出現──何がどうなっているのか。
『照合結果出ました。彼女はマリエ・フォウ・ラーファン。子爵家の出身ですね。マスターや攻略対象たちと同様、上級クラスの新入生です。彼女はマスターの言う乙女ゲームに登場するのですか?』
相棒の質問に彼はかぶりを振る。
「いや、そんなはずはない。ノートにも──やっぱりないし」
記憶にも、秘密のノートにも【マリエ・フォウ・ラーファン】などという名前はなかった。
『また存在しないはずの人物によるイレギュラーですか』
「そういうことになるな」
問題はマリエという女子が何を考えて出会いイベントを乗っ取ったのかということだ。
相棒が記録した映像には音声も含まれているが、自分と同じ存在──あの乙女ゲーを知っている者であると断定できる発言はなかった。
ただ、それでも普通でないのは確かだ。
まともな思考をしていたら人気者の男子に抜け駆けで近づき、口論の末平手打ちするなどという愚行には走らないはずだ。
それに主人公が平民であることではなく、その人の良さを嫌いと言ったのも違和感がある。
「取り敢えず、あのマリエって女子について調べてくれ。もしかしたら俺と同じかもしれない」
『彼女も"転生者"である、と?また一つ妄言が増えましたね』
相棒が溜息でも吐くかのようにそっぽを向く。
「うるさい。普通に考えて子爵家出の身で王子様に平手打ちなんかかますわけないだろ」
『それを言うなら平民の身で王太子に平手打ちをするという主人公はどうなのですか?彼女の方がもっとあり得ないのでは?』
「──主人公様のはもう見られないから確かめようがないな。でもマリエが主人公じゃないのは確かだ」
『マスターの思い違いである可能性の方が高いと思いますがね。では、調査を開始しましょう』
相棒は周囲の景色に溶け込み、部屋を出て行く。
◇◇◇
陽が暮れて空が黒に近い紺色に染まった頃。
俺はティナとオリヴィアを連れて制服姿のまま王都へと繰り出していた。
SPのような黒いスーツ姿のティナを加えれば、周囲には護衛役のついた貴族令嬢の二人組に見える。
これで変に絡まれたりナンパされたりする心配はない。
目指すは歓楽街の大衆向けな店だ。
オリヴィアが食べる方だと言うので、釣られて俺もガッツリ食べたい気分である。
高級レストランも良いが、たまにはお手頃価格でボリュームのある庶民向けのも食べてみたい。
どこかに手頃な店がないか、通りを歩きながら探している。
夜の王都は無数の電灯でかなり明るい。
周辺の複数のダンジョンから豊富に産出する魔石をエネルギー源とした電力網が整備されているのだ。
こういうのを見るとファイアブランド領なんてまだまだだと思い知らされるな。
これだけの近代都市を築き上げるのに一体何年かかったのやら。
「すごいですね。こんなにお店がたくさん──」
オリヴィアは広がる街並みと明かりにひたすら圧倒されていた。
あちこちよそ見ばかりして本当に危なっかしい奴である。
手を繋いでいなかったら、すぐに迷子になるか人にぶつかっているだろう。
そう、今手を繋いでいるのはそういう事態を防ぐためであって、他意はない。
──でもオリヴィアの手の柔らかさは思わず意識してしまう。
十年以上剣を振り続けてあちこち皮が分厚くなって硬くなった俺の手とは違う、柔らかくて吸い付いてくるような瑞々しい肌をした女らしい手。
若さのせいか、ティナの手ともまた違う未知の感触である。
鼓動が速くなってくるのを自覚した俺は意識を逸らすために、目を凝らして少し遠くの店を探す。
すると、前世から知っているものが描かれた看板に目が留まった。
「ハンバーガーか」
丸いパンに肉と葉物野菜とチーズが挟まったものが描かれた看板を掲げる店は随分と混み合っているようだ。
つまりそれだけ人気店だということである。
「オリヴィア、いい店を見つけたぞ」
指差して教えてやると、オリヴィアは目を輝かせる。
「あれ何でしょう?初めて見ます!」
「決まりだな。食いに行こうぜ」
「はい!」
人混みを掻き分けてその店に辿り着くと、店員がすぐに席を確保して案内してくれた。
店の外には大勢並んでいたが、貴族ということで優先してもらえたようだ。貴族制度万歳だな。
オリヴィアは申し訳なさそうにしていたが、俺は悠々と彼女の手を引いて案内された席に座る。
店員に手渡された分厚いメニューを開くと、何種類ものパンと具材の名前が所狭しと書かれていた。
「さてと。どれにするかな~?」
前世のファーストフード店のハンバーガーと違って、自分で材料の組み合わせを指定できるのはワクワクするな。
「すごい沢山──どれを選べばいいか分からなくなっちゃいます」
オリヴィアがメニューの多さに目を丸くしている。
「そういう時はな──」
俺は店員を呼んだ。
「お、お決まりでしょうか?」
やってきた小柄な女性店員は緊張を隠せない様子だった。
なんでこんな店に貴族様がいるの?とでも言いたげだ。
「お任せで二つ頼む。一番美味いのを出せよ。ビッグサイズでだ」
「え?は、はい!」
内容は丸投げにしておきながら、クオリティは最高を求める無茶振り。
前世の職場でよくやられたが、やる側になってみると実に楽しい。
「あ、それと私はビールもだ。ティナ、お前はどうする?」
「私はフィッシュサンドを。クラシックで」
「はいただいま!」
店員は急いで注文を書き留めて離れていく。
程なく、串で固定された高さ二十センチはありそうな巨大ハンバーガーが運ばれてきた。
肉汁がたっぷり詰まっていそうな極厚の肉、豪快に丸いのを上下真っ二つに切ったらしいチーズ、良い具合に黄身が溢れ出した目玉焼き。
それらを挟むパンも分厚く、ものものしく黒光りしている。
「お、お待たせしました。当店自慢の食べ応え抜群スペシャルビッグクラシックでございます」
予想を超える大きさに俺たちは揃って生唾を呑み込む。
「す、すごいですね。こんな大きなサンドイッチ初めて見ました」
オリヴィアは巨大ハンバーガーに完全に気圧されていた。
その横でティナも目を丸くしている。
俺も多分同じ顔をしているだろう。
さすがにこれはちょっと予想を超えている。
前世でも見たことがないサイズだ。
だが、お任せでと注文した手前、退くことはできない。
「やってくれたじゃないか。店の自慢だというなら、きっちり応えてやらないとな」
そう言って俺は巨大ハンバーガーにナイフを入れる。
大き過ぎて手掴みで食べるなど無理である。
そして切り分けたバーガーをフォークで口に運ぶと、たちまち肉の旨味とチーズのまろやかさ、野菜の爽やかさとパンのさっくりした食感が混じり合って広がる。
前世で食べたどんなハンバーガーよりも美味かった。
たっぷりハンバーガーの味を堪能した後はジョッキに入ったビールで喉を潤す。
うん、最高だ。
オリヴィアも俺のやり方を見てハンバーガーにナイフを入れるが、やはり慣れていないのか切り分けたところがボロボロと崩れてしまう。
必死で散らばった具材をフォークに突き刺して回収するオリヴィアの姿は、いじらしくてちょっと面白かった。
そしてもはやハンバーガーの体を為していないぐちゃぐちゃになった具材の寄せ集めにぱくついて、幸せそうな笑顔を浮かべる。
「美味しいです!」
「だろ?」
そのまま俺とオリヴィアの二人で競うようにナイフを入れて巨大ハンバーガーを堪能していると、周りが俺たちを驚きと好奇心の入り混じった目で見てくる。
貴族令嬢がこんな下町の大衆店に来るだけでも珍しいのに、男でも食べ切るのが難しそうな巨大ハンバーガーをガツガツ食っているのが信じられないのだろう。
それは仕方ないし、俺も咎めはしないが、まるでフードファイトでもしているような気分である。
そして俺たちが巨大ハンバーガーを平らげると、店中から歓声が上がる。
「凄えな!お嬢ちゃんたち!」
「俺たちも完食したことないのに!胃袋どうなってんですか?」
「おいおい失礼だろ。きっと燃えて魔力に変わるんだよ」
「マジか!凄え!」
「いやあ快挙ですぜこれは!」
酔っ払って勝手に盛り上がる客たちにオリヴィアがあたふたしている。
顔を赤くして可愛い反応をしているが、あの巨大ハンバーガーをさほど苦しむ様子もなく平らげるとは、こいつ本当にとんでもない大食いだな。
ハンバーガーのサイズに続いて、また一つ予想を超えられた。
「食べる方って本当だったんだな」
「あっ!うぅ──美味しすぎてつい──」
赤くなった顔を更に赤くして茹で蛸のようになったオリヴィアが口元を隠して俯く。
「おいおい恥ずかしがるなよ。快挙らしいぜ。もっと堂々として、手でも振ってやれよ」
そう言って、俺は手本を見せてやろうと周りの客たちに向かってサムズアップしてやる。
また一際大きな歓声が上がり、それを見たオリヴィアもおずおずと小さく手を振った。
その仕草が客の男共には刺さったらしく、歓声に混じって「聖女様だ!」とか「いいや女神様だろ!」とか、挙げ句の果てには「結婚してください!」といった台詞まで混じり出す。
まあ冗談だろうが、オリヴィアは平民故かそれを真に受けて困惑していた。
それを見かねたティナがパンパンと手を打って黙らせる。
「は〜い!皆さんお静かに~!あんまりお嬢様方を困らせないでください!」
ノリが良さそうに言っているが、その笑顔にはどこか凄みがある。
ティナの一声で客たちは騒ぎをやめて、口々に称賛の言葉を口にしつつ席に戻っていく。
そして気分良く会計に移ろうとしたところで──外で悲鳴が上がったのが聞こえた。
◇◇◇
「あ〜腹減ったなあ」
そうぼやきながらフラフラと歓楽街を歩く男がいた。
衣服はあちこち擦り切れ、泥と垢で汚れてボロボロで、髪も髭も爪も伸びっ放し。
もう何日もロクに食べておらず、空腹で身体に力が入らず、意識もだいぶ鈍っていた。
薄汚い浮浪者のような格好で彷徨っているその男の名は【ニコラ】。
かつてエステルに剣術を教えていた師匠である。
だが、そのエステルの異常な成長ぶりに恐怖して、逃げ出してからはロクな仕事にありつけず、当てどなくあちこちの街を彷徨っていた。
ファイアブランド家で稼いだ金はとうに底を突き、腰に提げていた剣も売ってしまった。
そして同じように職と住処を求める貧民たちに混じってキャラバンをヒッチハイクし、王都へとやって来たのだが、やはり仕事は見つからず、僅かな手持ちもすぐに尽きた。
にも関わらず、歓楽街に来てしまうあたり、駄目な男である。
「誰か、酒を奢ってくれねェかな~」
そう呟いた直後、近くからゲラゲラと笑う声が聞こえてくる。
ぼんやりとしたまま声の聞こえてくる方を見るが、どうにも焦点が合わず、目を細めてしまう。
それが間違いだった。
彼らの一人と目が合ってしまう。
「おい、テメェ、今睨んだよな?」
目を細めて睨みつけてくる強面の男の姿に、ニコラは己の過ちを悟る。
(げっ!不味い!)
逃げようとしたニコラだが、すぐに囲まれてしまった。
相手は四人。しかも全員見るからに質の悪そうな格好をしている。
「おいコラ。何逃げようとしてんだ?あぁ!?」
リーダーらしき男が凄んでくる。
ニコラは恐怖で肩を震わせて、必死で言い訳をする。
「い、いや睨んだわけではない。ただよく見えなかっただけで──」
だが、相手は取り合わなかった。
「いいや絶対睨んでたぞテメェ。喧嘩売っとんのかコラ!」
胸ぐらを掴まれたニコラは「ひっ」と悲鳴を漏らしたが、周囲には助けに来る者はいない。
むしろ変に絡まれないように遠巻きに見ながら離れていく。
「何とか言えやコラ!」
男の拳骨がニコラの頬を直撃し、周囲から悲鳴が上がる。
「だ、だから、睨んでないし、喧嘩なんて売ってないと言ってるだろう」
恐怖を堪えて言い返すが、それは彼らの神経を逆撫でしただけだった。
「言いたいことはそれだけか?これは痛い目見ねえと駄目みてぇだな」
「ちょ〜っとうちに顔出してもらおうか」
ニコラは蒼褪めて地面にへたり込んでしまう。
彼らに連れて行かれたら何をされるか、容易に想像がついたからだ。
良くて人身売買、下手をすれば──惨たらしく殺される。
そんなニコラに業を煮やした彼らはニコラの両腕を掴んで立たせようとしてくる。
ニコラは必死で立たされないよう踏ん張って抵抗しながら、必死で助けを求めようとするが、喉が引き攣って声にならなかった。
だが、内心では絶叫している。
(嫌あああ!こいつらマジだ!殺される!誰か!誰かぁぁぁあああ!誰でもいいから助けてえええ!!)
すると突然周囲がざわめき始める。
それにも構わず、彼らは抵抗するニコラの耳元で怒鳴ってきた。
「さっさと立てやオラ!」
「舐めた真似しやがって。ぶち殺すぞテメェ!」
その直後──
「誰が、誰を殺すって?」
──周囲の気温が一気に二十度ほど下がったような気がした。
なのに身体中から大量の汗が噴き出してくる。
聞き覚えのあるその声のしてきた方を見ると、そこにいたのはニコラがこの世で最も会いたくない人物だった。
(神様あああ!!そいつじゃない!そいつだけはやめてえええ!)
内心阿鼻叫喚のニコラを捕まえたまま、四人の男たちが振り向くと、学園の制服に身を包んだエステルが立っていた。
以前よりも背丈が伸びて顔立ちが大人びており、街を歩けば十人中九人くらいは振り返りそうな美人になっているが、その顔は怒りに満ちている。
「あ?何だあんた?」
「よく見りゃその制服、王立学園のじゃねえか。学園の貴族令嬢様がこんな下町で何してるんだ?」
男たちが怪訝な顔をするが、エステルは冷たい声で彼らに命令する。
「その方から離れてここから失せろ。今すぐにだ」
男たちはその命令に──従わなかった。
それどころか、顔を見合わせて一斉にゲラゲラと笑い出す。
「お嬢さん、慈悲の心は素晴らしいけどな、ここは俺たちの縄張りで、あんたの領地じゃねえんだわ。だからあんたに口出しされる謂れはねえ。引っ込んでな」
リーダーが嘲笑を浮かべながらエステルにここから去るように言った。
だが、エステルは怒気を一層強めて再度命令した。
「おいチンピラ。私は気が短い。さっさとその方を放せ。そして二度と絡むな。さもないとここで全員斬るぞ」
すると、男たちは笑みを消して懐から武器を取り出した。
「人の話は素直に聞けよガキが。俺たちを舐めやがったらどうなるか──」
拳銃を手にエステルを脅そうとしたリーダーだったが、その言葉は途中で途切れ──首がポトリと落ちた。
いつの間にかエステルの腕には見覚えのある魔法陣が浮かんでいた。
どうやら得意とする風魔法で不可視の刃を放ったらしい。
目にも留まらぬ速さで、まるで腕利きの暗殺者のように静かに鮮やかに首を刎ねるその技量に、ニコラは背筋が凍る。
(ひぃぃぃ!あいつ魔法の腕上げてやがる!)
風魔法一つでこれである。
一体今どれだけ強いのか、もはや想像することもできない。
ただ一つ確かなのは、関わってはいけない相手だということだけ。
逃げ出したいニコラだが、腰が抜けて動けない。
そしてニコラはとっくにエステルの間合いの中にいた。
(あ、俺──終わった)
ニコラは自分の人生が終わったと感じて、死の恐怖で頭が真っ白になり──力が抜けて無表情になる。
そんなニコラを残り三人の男たちは地面に放り出し、武器を構える。
「テメェよくもミンク・シンジケートに手ェ出しやがったな!貴族だろうとタダで済むとおも──」
言い終わる前に彼らの首が飛ぶ。
血が噴き出し、周囲で悲鳴が上がる。
あっさりと四人の男たちを全員屠ったエステルはニコラの方へと近づいてくる。
(へへ、ろくな人生じゃなかったな)
きっと自分の嘘を知ってエステルは怒っているはずだ。
このまま自分もあの四人の男たちと同じように殺されると思い、ニコラは覚悟を決めた。
自嘲からか、僅かに口角が上がってしまう。
そしてエステルは──ニコラの前に膝をついた。
「お久しぶりです。師匠!」
そう言ってエステルは頭を下げて礼をする。
それを見てニコラは変な笑いが出そうになる。
もはや恐怖で何が何やら訳が分からないまま、口だけが動いてエステルに言葉をかける。
「お久しぶりですね、エステル様。もう学園に通う年になられましたか──大きくなられましたな」
その姿は傍から見ると本物の剣の師匠のようだった。
先程までの薄汚れた無気力な流れ者の姿はそこにはなかった。
「は、はい!あれから休まず鍛錬を続け、師匠に追いつくために日々努力しています!」
「感心ですね。先程の魔法、以前見た時よりも上達していたのを感じました。頑張られたのですね」
「あ、ありがとうございます!」
エステルの顔が大輪の花のように明るくなるが、ニコラはその笑顔が恐ろしくてたまらない。
そして続く彼女の質問にニコラは震え上がる。
「ところで、師匠はここで暮らしているのですか?」
何と返せばいいのか──下手なことを言えば、エステルに自分の居場所を教えることになってしまう。
それは絶対に出来ない。
ニコラは空腹で霞む頭を必死で回して、この場を乗り切るためのハッタリを捻り出す。
「実は、旅をしています。身一つで、王国の各地を旅して回っているのです」
「旅、ですか?失礼ながらどうしてそのようなことを?武器の一つも持たずに──危険ではありませんか?」
ニコラは思った。
(金がないんだよ!剣ならもう売っちまったよ!って言えたら楽なのにぃぃぃ!!)
だが、ニコラはそれをおくびにも出さずに即興の言い訳をする。
「──新しい弟子を探しているのです」
するとエステルは笑顔で提案してくる。
「それでしたら、私の領地に師匠に相応しい道場を用意します。見込みのありそうな者も見つけて紹介しますので、そこで後進の育成に専念なさってください」
その提案にニコラは血の気が引いた。
エステルの近くにいれば、いずれ嘘が露呈してしまう可能性が高い。
そうなったら今度こそ命はないだろう。
「いえ。それには及びません。それでは駄目なのです」
「え?な、なぜでしょうか?」
エステルは「どうして駄目なんだ?」という顔をしている。
(うわあああああ!!天様神様聖女様ぁぁぁ!何か、何かお知恵を!上手い言い訳を考える知恵を付けてくださいいい!!)
必死に祈るニコラの脳裏に一つの答えが過ぎる。
その答えを必死にニコラは言葉に紡ぐ。
「私が探しているのは我が流派を継ぐに相応しい資質を持つ弟子です。この広い世界にはどこに大いなる才能が眠っているか分かりません。それを見つけ出すには、私自ら足を運んで探し回り、私自身の目で見極めなくてはなりません。エステル様、貴女を弟子に見出した時がそうであったように。それを曲げるわけにはいきません」
「師匠──私が愚かでした。浅はかな発言、どうかお許しください」
エステルが深く首を垂れる。
(よ、よし。もう一押しだな。あとは間違ってもこいつが俺を探さないようにしないと──)
ニコラは微笑みを浮かべたままエステルに向かって言い放つ。
「エステル様。これは流派を継承する者の義務なのです。私の流派には、免許皆伝を得た者は少なくとも三人は弟子を育てなくてはならない、というしきたりがあります。エステル様もいずれは弟子を取り、育てなくてはなりません。これは、と思う者に己が中にある剣を託す。これは剣の道を進むに当たって重要な課題だと認識しなさい。弟子を育てることでまた違ったことが見え、新しい見地から自分を磨くことに繋がります。これも全て修行なのです」
それを聞いたエステルの目が泳ぐ。
「私が弟子を──できるでしょうか?」
先程とは打って変わって弱気なエステルに、ニコラはにっこり笑って肩に手を置いた。
「何を仰います。エステル様はもう立派な剣士です。きっと立派な後継者を育てられますよ。己を信じなさい」
「師匠──!はい、お──私、やってみます」
感極まったのか、エステルの目は潤んでいた。
だが、ついさっき悪党とはいえ、四人も無慈悲に首を刎ねて殺したばかりである。ニコラはちっとも嬉しくない。
(嘘に決まっているだろうが!だが、これで何とか乗り切れそうだな。いやでも金がないのは変わりない。これではどこにも行けないじゃないか!くそっ!どうすれば──)
悶々としていると、エステルが小切手とペンを取り出した。
「ですが、師匠がそのような格好でいるのを、弟子として見逃せません。少ないですが、私の方で路銀を用意させて頂きます。どうか、それだけはさせてください」
自ら進んでお金を用意してくれると言うエステルにニコラは内心ほくそ笑む。
「それはありがたい。大事に使わせて頂きます」
内心では「やった!これでここから逃げられる!」と叫ぶニコラだが、顔には微笑みを貼り付けたままだ。
そしてエステルは小切手に金額を記入していく。
異様に太い金属製のペンが小切手に押し当てられると、インクがペン先から染み出して数字が書かれていく。
(何だあのペン?インクに浸さずに書けるなんて──)
物珍しさに思わず見入ったニコラだったが、エステルが書き終わった小切手を差し出してきたので、受け取る。
そして血の気が引いた。
(え?何これ?桁が滅茶苦茶多いんだけど)
小切手に記された信じられない金額を目にして、ニコラは内心を隠すのに必死になる。
「これはまた──大金ですね」
「色々と稼いでいますからね。それを冒険者ギルドの金融部門の者に渡してください。それで受け取れますから」
そう言って、どこかの住所を記したメモを渡してくるエステルだが、直後に警戒した表情になる。
「騒ぎが大きくなりすぎましたね。じきに憲兵たちが来ます。この場は私に任せて、師匠は行ってください」
「かたじけない。エステル様もお元気で」
それっぽい台詞を最後に吐いて、ニコラはそそくさとその場から逃げ出す。
「はい、師匠」
見送るエステルは照れくさそうに笑っていた。
程なく、派手な軍服に身を包んだ憲兵たちがやって来て、エステルを拘束した。
そして──この事件はすぐに王都中を駆け巡り、そこかしこで影響を及ぼしていくこととなる。
どうでもいい?補足
この世界線のリオン君はエステルにビビっていたせいで入学式でマリエちゃんを見かけなかったのです