その情報を聞いた時、一瞬彼は耳を疑った。
「オフリー伯爵家が、なくなった?ってどういうことだよそれ!」
「え、どうしたんだ急に大きな声出して」
思わず持っていた鍬を取り落として叫んだ彼に、その情報の発信元である彼の父親は怪訝な顔を向ける。
「あ──ごめん。伯爵家なんて大きな家が潰されたって聞いてびっくりしちゃって」
謝罪し、取り落とした鍬を拾い上げる彼に父親が詳しい話を聞かせる。
「そうか。何でも空賊と連んで辺境の子爵家に戦争を仕掛けたらしい。でもその子爵家は攻めてきたオフリー家の軍を打ち破ったそうだ」
「子爵家が、伯爵家を?」
「よほど強い軍隊を持っていたんだろうな。オフリーの軍に攻められる前に大きな空賊団に領地を襲われたらしいが、これもあっさり倒したんだと。で、その空賊の飛行船からオフリー家と連んでいた証拠が見つかって、オフリー家取り潰しに繋がったってわけだ」
「へ、へぇ──凄いなその子爵家。何て家なの?」
喉を引き攣らせながらも、感心したふりをしてその子爵家の名を尋ねる。
「ファイアブランド。ファイアブランド子爵家だ」
その夜、彼はベッドの下から古ぼけたノートを取り出し、部屋の隅でこっそりと開いた。
彼がこの世界に
手燭の明かりを頼りに読み進めていくが、【ファイアブランド】なる家名は見当たらなかった。
どの
となると、考えられる可能性は三つ。
当時このノートを書いた自分が存在を忘れていたか、フィクションと現実の違いというやつか、あるいは自分と同じ存在なのか。
どうであるにせよ、ファイアブランド子爵家の存在は看過できるものではない。
やがて訪れる破滅からこの世界を救う者が大きく成長を遂げる重要なイベントが、始まる前からなくなった。
それがもたらす影響はどんなものになるか、想像もつかない。下手をすればそれこそ彼の知る破滅の未来が現実のものとなってしまうかもしれない。
とにかくファイアブランド子爵家について情報が欲しい。
だがどうやって調べたものか──彼の暮らす領地には本土や他領の情報はあまり入ってこない。情報源は付き合いのある他の貴族家か、定期船でやって来る商人くらい。
能動的に情報を得ようとすると人を送るしかないが、そんな金はない。
自分で調べに行こうにも、移動のための飛行船や行った先での宿泊の手配、信頼できる情報源の確保、そしてそれらにかかる費用の工面に当てがない。
正確に言うとあるにはあるが、彼はまだ十二歳である。知っていたところで活かせず、手に負えないことの方が多かった。
それでも、何とかできることはないかと考えて──そして無理だと悟った。
説明できないこと、話しても到底信じてもらえないようなことを根拠に領地を飛び出すなど、できるわけがなかった。
それをやれば家族に迷惑がかかる。ただでさえ苦しい立場なのが更に酷くなる。
それに行って調べて、それでどうするというのか。
ファイアブランド家に
頭がおかしい奴と思われて摘み出されるのが関の山、下手をすれば無礼討ちにされかねない。
──やめよう。
どうせモブの自分にできることなんて高が知れている。
それに
彼はノートをしまって、明かりを消した。
──後に彼はこの時動かなかったことを後悔することになる。
あの時アレを手に入れていれば、こんなことせずに済んだのに──と。
◇◇◇
三年後。
麗らかな春の陽射しとは対照的に彼の心は重く沈んでいた。
一つは今彼がいる学園の寮に漂う空気である。
辺りを見渡せば、亜人種の奴隷を引き連れた女子たちや、大勢で連んで我が物顔にのし歩く上級貴族の子息たちが目に入る。
実家の規模や権力がそのまま校内でのカーストに直結し、扱いにも明確な差が出る──そんな場所に来てしまったのだと嫌でも実感させられる。
二つは同級生として入学してくることが判明しているファイアブランド子爵家の長女の存在だ。
彼女については調べていたが、その調査結果は俄かには信じ難い内容だった。
十二歳の時にオフリー伯爵家に嫁がされそうになって、家出する形で冒険に出て財宝を手に入れ、帰還後すぐに家の実権を当主から簒奪してオフリー伯爵家と戦争をし、それに勝利した。戦争が終わった後は事実上の当主となり、領地の立て直しと更なる発展に尽力している。そして学園卒業後には正式にファイアブランド子爵家の当主となることが内定済み。
そんな彼女が同級生としてこの学園に入学してきている。その動向からは目が離せず、必要とあらば介入も考えなくてはならない──物語に関わることなく、遠巻きに眺めながら穏やかに学園生活を送ることができるかは怪しい。
今後学園において難しい立ち回りを強いられることを予感して、彼は気分が沈んでいた。
だが、今更逃げ出すことはできない。
溜息を吐きながらも自分の部屋へと移動し、荷解きを始める。
『到着したのならさっさと解放して欲しいですね』
鞄の中から聞こえてきた声に彼は忘れていたことに気付き、鞄を開ける。
中から出てきたのは灰色の金属質な質感と赤い一つ目を持った球体だ。
「あ〜、悪い。忘れてた」
『──さすがはマスターです。称賛に値する記憶力ですね』
彼の適当な謝罪に球体が皮肉で返す。
球体はその見た目から分かる通り、人工知能を備えた機械であるが、生きた人間のような自我を持ち、更には皮肉屋という特徴的な性格までも形成していた。
そんな球体は彼をマスターと呼び、常に側に付き従っているが、主従関係というよりは相棒と言った方が適切だった。
球体が放った皮肉を聞き流して彼は球体に問いかける。
「それで、船旅はどうだった?」
『私の本体の方があらゆる面で優れていますね。船旅に感想はありません。魔法技術に関しては驚くしかありませんが、科学で再現可能レベルです。──魔法技術に関しては今後も調査を続けます』
淡々としつつもどこかムキになっているようにも感じられる球体の答えに彼はふっと笑う。
「素直じゃない人工知能だな。ツンデレか?」
『おや?私に女性としての役割を求めているので?残念ですが、私には性別の概念がありませんのでマスターの気持ちには応えられませんね』
その返しに彼は無言で球体を中指で弾いた。
距離を取った球体から目を離して荷解きを再開すると、扉がノックされる。
彼が先輩たちに連れて行かれたのは学園の外にある洒落た居酒屋だった。
「え〜、今年も同じ立場の新入生を迎えられ、誠に嬉しく思うわけでして──とにかく、乾杯!」
男爵家の跡取りである上級生が歓迎の挨拶をし、全員でジョッキを掲げて乾杯して、新入生歓迎会が始まる。
彼も隣に座っていた同級生と自己紹介を交わし、更にやって来た上級生も交えて自分たちの身の上話や学園生活や結婚相手探しについての話でひとしきり盛り上がる。
そして話題は今年入ってくる二人の人物についてに移る。
「特待生ですか?普通クラスですよね?」
「上級クラスだよ。王太子殿下が入学するのに面倒だよね。その女子、平民でなんの伝もないって聞いているけど──実際はどうか分からないからね。皆気になっているの。何か分かったら教えてくれる?」
上級生からの答えに驚く同級生たちに対して、彼は同調して驚くふりをしつつも落ち着いていた。
彼は彼女を知っている。彼女の容姿も、血筋に隠された秘密も、やがて訪れる運命も。
「それともう一人。ファイアブランド子爵家の長女の子が来ているね。ほら、三年前にオフリー伯爵家と戦争をして取り潰しに追い込んだ」
「あ、そういえば三年くらい前に聞きました。その戦争の時にかなり大きな空賊団を倒して、神殿の宝を見つけたって。あの家の子が──」
「でも、その家結構黒い噂も聞こえてきてましたよね。火船の刑の話とか、聞いた時は寒気がしました」
「ああ俺も聞いた。降伏してきた相手によくそこまでやるなって。そんな家の子が来ているって──なんか気が重いよな」
火船の刑──降伏したオフリー軍の兵士たちを飛行船に閉じ込めて火を放つという凄惨な方法で処刑したという噂は、数あるファイアブランド家に関する噂の中でも一際強烈なもので、それ故に同級生たちの間でも記憶に残っていた。
だが、彼は思わずその噂を否定する。
「いや、あれはデマだって聞いたぞ?戦闘中に炎系の魔法攻撃をしたのとごっちゃになっていて、実際には捕虜は解放されたらしい」
「え?そうなのか?」
「どこから聞いたのそれ?」
「あぁ──ちょっとした伝があってな」
彼は慌てて適当に追及をはぐらかす。
別にファイアブランド家やその娘を庇おうとしたわけではない。
ただ悪質なデマを同級生が何の疑いもなく信じているというのは気分がよろしくなかっただけだ。
「まあ、実際のところがどうであれ、悪評が既に広まっているという事実は変わりない。女子たちの評判も考えると、近づくには難ありと言わざるを得ないね」
上級生の言葉に彼は口を噤む。
この場で反論したところで意味はない。それに誰も近づかないのならむしろ好都合でさえある。
他の第三者の目や耳があると、彼女がまた何か
そんな彼の内心は誰にも知られることなく、歓迎会は進む。
◇◇◇
やはり世の中は財力がものを言うな。
案内された寮の部屋で、俺はにんまりと笑っていた。
多額の寄付金を納めたおかげか、俺の部屋は女子寮の中でもグレードが上の部屋だった。
広くて、調度品も豪華で、備え付けの風呂まであり、まるで高級ホテルにでも来たかのように錯覚する。
本来なら伯爵家以上の女子に当てがわれるそんな部屋を、子爵家出身の俺が使えてしまう──いきなりの超好待遇である。
荷解きもそこそこにベッドにダイブしてみると、かつてないほど寝心地が良かった。
実家で使っていたベッドはもちろんのこと、王宮の客室で寝ていたのよりも上等な品である。
「う〜ん、ふかふかだな」
しばらく寝転がってベッドを堪能していたが、荷解きをしていたティナが呼んでくる。
「お嬢様、着いたんですからセルカさんに連絡を取りませんと」
「あ〜そうだった」
ベッドにしばしの別れを告げて、持ってきたトランクを開ける。
中には通信機が仕込まれていて、いつでもどこでも無線通信を行うことができる。
それだけなら別にそう珍しいものでもないが、セルカによって改造が施されており、性能は桁違いに向上している。
何せ、この王都とファイアブランド領との間でクリアな無線通信ができるのだ。しかもご丁寧に通話内容の暗号化までされている。
大気中の魔素と電子技術の貧弱さのせいで長距離無線通信ができないこの世界ではまさにオーパーツと言ってもいい。
受話器を手に取り、ダイヤルを合わせて発信する。
発信先は三年前に滞在拠点にしていた屋敷。そこにセルカが同じ通信機を持って滞在している。
現在は屋敷は俺のものになっている。
オフィーリアや他の使用人たちはオフリー家への内通を理由に追い出した。
それ以来、王都での情報収集拠点として活用している。
すぐに聞き慣れた声が聞こえてきた。
『はーい。聞こえる?寮に着いたかしら?』
「ああ。さっきな。凄く豪華な部屋だ」
『そうなの?それは見てみたいわね。ちょっと視界を覗いていいかしら?』
「ああ」
セルカがしばらく静かになり、そして感嘆の声を漏らす。
『本当だ。宮殿の中って言われても信じられちゃうわね』
「だろ?賄賂の効果は絶大だったな」
少しずつ首を動かして、視界を共有しているセルカに部屋の様子を見せてやる。
『ん。もういいわよ。ありがとう』
視界の共有が終わったらしいので、通信機に向き直り、セルカの方の状況を尋ねてみる。
「そっちの方はどうだ?」
『貴女の部屋に比べたら地味だけど居心地は良いわよ。専属使用人の部屋って客室よりも良い部屋なのね』
「よかったな。アーヴリルはどうしてる?」
『客室にいるわよ。あの娘ったら客室使うの遠慮しちゃって、説得するのちょっと大変だったわ』
「そうか。あいつらしいな」
今後セルカとアーヴリルは王都の屋敷で生活することになる。
専属使用人であり、俺の持ち物として扱われるティナと違って、セルカとアーヴリルは学園に入れない。
だが、二人には何かあった時のために近くにいてもらいたいのでそこに置くことにした。
ひとまず住み心地には問題なさそうで安心だ。
「見た感じ問題なく通じるな」
『ええ。私たちの間はね。後で実家にも通じるかどうか確認してね』
「ああ。さすがお前だな。良いものを作ってくれた」
『ありがとう。そう言ってもらえると頑張った甲斐があるわ。それより聞いて?さっき通りで大道絵を見かけたんだけど、その絵、動いてたの。貴女にも見せたかったわ。兎の絵が石畳から浮かび上がってぴょんぴょん飛び跳ねて──』
セルカが三年ぶりの王都で目にした面白いことを楽しげに語り始める。
あ、この感じ、覚えがある。
時間を忘れて長話してしまうやつだ。電話には付き物だよな。
呆れつつも、携帯電話があった前世を思い出すやりとりにどこか懐かしさを覚えて、俺はセルカの話に付き合った。
──そのまま一時間以上も話し続けてティナに窘められてしまったのはご愛嬌である。
◇◇◇
入学式の日。
彼は欠伸を噛み殺しながら講堂へと足を運んだ。
「急ごう。早く行かないと入り口が混むよ」
友人となった同級生に急かされて、足を早める。混むのは御免だ。
その甲斐あって彼は殆ど待つことなく椅子に座ることができた。
「早起きは三文の徳ってやつかな。ちょっと違うか」
『ならば私に感謝して頂きたいですね。今朝起こしたのは私ですよ』
(腹の上に落っこちてきただけじゃねーか)
『最も効果的な起こし方を選択したまでです。以前アラームを鳴らした私を殴って二度寝したことを忘れていませんか?』
誰にも気取られることなく相棒といつものやり取りをしているうちに、周りの席はどんどん埋まっていく。
彼の知る入学式とは違い、席は学年ごとに分かれているだけで基本的には自由席だ。
舞台に近い最前列にカースト上位の女子たちが陣取り、その後ろに他の女子たちが争うように座っていく。
彼女たちの目当ては新入生代表として挨拶をする王太子殿下の姿を間近で見ることだろう。
彼が友人と共に座っているのは新入生エリアの後ろの方──席を巡って争いが起きることもなく、上級生エリアに近くもなく、その他大勢の中に埋没できる場所であり、多くの新入生たちが前の方へ向かって通り過ぎていく。
何気なく、通り過ぎていく彼ら彼女らの中に視線を彷徨わせていると──
「臭すぎ。鼻がもげるわ」
ほんの小さな呟きに等しいその悪態は喧騒を突き破ってやけにはっきり聞こえてきた。
その声に引き寄せられるように視線を動かした先に
洒落たハーフアップにした絹のような白銀の髪、内に秘めた気性の激しさを窺わせるつり目気味の青い瞳、女子の中では頭ひとつ抜けた高身長──そしてくるぶし近くまであるロング丈のスカートに、首元にはリボンではなくネクタイと、他の女子たちとは微妙に違う制服──その全てが、大勢の学生たちが集まるこの場所で、彼女の存在を際立たせていた。
そして彼は彼女こそが探していたファイアブランド子爵家の娘【エステル・フォウ・ファイアブランド】であると悟る。
外見的特徴が調査結果と一致することはもちろんのこと、纏っている雰囲気が明らかに尋常ではなかった。
今まで半信半疑だった彼女に関する調査結果も全てが真実であり、正しかったと、一目見ただけで納得できてしまった。
彼女は視線を動かしたかと思うと、彼の座っている席の方に向かって歩いてきた。
そして空いていた後方の一席に腰掛ける。
退屈そうに背もたれに寄りかかる姿ですら、溜息が漏れそうなほどに美しかった。
ただ──それは艶や色気や可愛さというのとは違う、よくできた彫像か人形でも見ているかのような、どこか空虚で冷たい感じがした。
彼女は何者なのか──疑問は深まるばかりだった。
「なんだ、もう相手を見つけたのか?お、綺麗な子だな。あの子が好みなのか?」
からかってくる友人の声もどこか遠く聞こえる。
「いや、そういうのじゃない。ただ──気になって」
「それ、好みってことじゃないのか?」
友人のツッコミに一瞬彼女から視線を外し、否定の意味を込めてかぶりを振った。
そして視線を彼女の方に戻した時──彼女と目が合った。
瞬間、喉元に剣を突きつけられたかのような感覚が走り、彼は慌てて視線を逸らした。
しくじった。失敗した。やらかした。目をつけられたかもしれない。
この後校舎裏かどこかに連行されて「何ジロジロ見ていやがった?」とか言われたりしないか?
冷や汗が玉のように噴き出してくる。
背中にまだ彼女の視線を感じる。でも、振り返ることはできなかった。
結局入学式が終わるまで彼はずっとビクビクしていた。
◇◇◇
講堂に入って、新入生の席に向かっていく途中で思わず悪態を吐いた。
入学式の会場である講堂には学園の全生徒が集まっていて──酷い臭いだった。
何百人といるであろう女子生徒たちの香水の臭いが混じり合って魔境と化していた。
ここまで来るともはや香水ではなく芳香剤ではないかと思う。
さっきまで桜に似た花が満開の並木道を歩いて良い気分だったというのに、全部台無しである。
だが、それでも出席しなければならない。
女子が座っていない席、香水の臭いが少しでもマシと思われる場所を探してそこに座った。
それでも誤差程度しか違わなかったけどな。
(あーあ、ティナに会いたい)
専属使用人は入学式の会場には入れないので、ティナは寮にいる。
今頃部屋を整えてくれている頃だろう。
部屋で働くティナに思いを馳せていると、何となく視線を感じた。
ここに来るまでにもちらほら感じた好奇心と羨望が混じったチラ見程度の視線とは違う、じっと観察されているかのような、あるいは睨まれているかのような強い視線だ。
──俺にガン飛ばすとは良い度胸だな。どこのどいつだ?
辺りを見回すとすぐにそれらしい奴が見つかった。
目が合う直前で視線を逸らされたが、間違いなく俺に強い視線を向けていた。
黒髪黒目の地味な容姿で、いかにも「モブ」といった感じの男子。
視線を逸らしたそいつは、隣に座っていた小麦色の肌をした男子に向かって薄ら笑いを浮かべてかぶりを振っていた。
何を言っていたかは分からなかったが、何となく貶されているような気がして思わず眉間に力が入る。
だが、卒業後に正式に領主として認められるかどうかが懸かっている学園生活の初っ端から喧嘩などするわけにはいかないので、振り向いたそいつに軽く圧をかけるだけに留めておいた。
それだけでビビって視線を逸らして、その後ずっと前の方に視線を固定していたのはちょっと面白かったな。
ただ、一瞬見えたそいつの顔にはどこか見覚えがあったような気がした。
──どこかで会ったことがあるのだろうか。
入学式が終わると新入生たちはそれぞれのクラスに分けられてホームルームに移る。
黒板の前に立つ教師が自己紹介した後空虚な訓示を垂れる。
国の次代を担う貴族となることを自覚し、日々切磋琢磨して己を高め、己の立場に相応しい振る舞いを心掛けて云々──欠伸が出そうである。
退屈しのぎにそれとなく周囲の顔ぶれを見てみる。
上級クラスで同い年ならこの教室にいるはずだ。公爵令嬢【アンジェリカ】が。
彼女とは是非とも仲良くやりたい。
オフリー家を追い落とす時に世話になったレッドグレイブ公爵の娘で、王太子殿下の婚約者。将来は王妃様だ。
見たところ性格的には生真面目で自分にも他人にも厳しいタイプ──はっきり言って俺とは真逆に近いが、せっかくできた貴重な縁だ。大事にした方がいいだろう。
視線を巡らせると、導かれるように特徴的な編み込んだ金髪が目に入った。
間違いない。三年前に王宮で見た時からだいぶ大人びた雰囲気になってはいるが、髪型と凜とした佇まいは変わっていないアンジェリカが最前列に座っていた。
周囲には取り巻きと思しき女子たちが座り、そこだけどこか雰囲気が違う。
──厄介だな。
あれだけ沢山の取り巻きが常に周りを固めていては話しかけることも難しそうだ。
かといって彼女のグループに入れてもらうというのも違う気がする。
仲良くやりたいと思っていたが、いきなり目論見が崩れてしまった。
──いや、諦めるのは早計だな。
学園生活はまだこれから始まるところだ。チャンスは巡ってくるだろう。
将来に向けて人脈を作っておきたいのは彼女の方も同じだろうからな。
そう思っていると、またしても視線を感じた。
この感じ──またアイツか。
ちょっと圧をかけただけでビビって目も合わせようとしないくせに後ろからまたジロジロ見ていやがる。
見惚れているという感じではなかったし、一体何なのだろうか。
ホームルームが終わったらちょっと問い詰めてやるか、と思ったが、ふと何か引っかかった。
後ろから見られている──アイツが俺を後ろから見ている──後ろから──一方的に──
そして俺は思い出す。あの妙な既視感の正体を。
アイツが俺を見ているように、俺はアイツを見ていたことがある。
冒険に出る前、案内人が見せてきた映像で。
その映像で見て、聞いたそいつの名前は──
「リオン、だったか」