俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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投資

 エステルが空賊討伐から帰った日の夕方。

 

 埠頭には捕えられた空賊たちが集められていた。全員が全員、絶望の表情を浮かべている。

 

 両手を後ろ手に縛られたまま冷たい地面に座らされた彼らを前にして、セルカは口を開く。

 

「さて、まずはここにいる貴方たちに賛辞を送らせてもらいます」

 

 呆気に取られる空賊たちの表情を楽しんでから、セルカはつらつらと空賊たちを称える。

 

「我が軍が本気で殲滅するつもりで行った攻撃を生き延びた強運、勝てないと分かると頭を袋叩きにして降伏を選んだ判断力。実に素晴らしい。ただ罪人として始末するには惜しい資質です」

 

 セルカは満面の笑みで拍手をするが、空賊たちは誰も嬉しそうな様子を見せなかった。

 彼らの頭を占めていたのは「この女は何を言っているんだ?」という混乱と、「何なんだこの女、絶対ヤベェ奴だ」という恐怖だった。

 確かに笑顔を浮かべてはいるが、その笑顔が怖い。まるで人でないものが人の皮を被ってなりすましているかのような異質な感じがして気持ち悪い。

 

 冷や汗を浮かべる空賊たちにセルカは提案を持ちかける。

 

「そこで、その資質に免じて貴方たちにチャンスを差し上げます。我々の役に立つというのであれば、助けましょう。拒否するなら、この場で死刑を執行します」

 

 周囲の兵士たちが空賊たちに向ける視線が鋭くなる。

 今にも撃ちたくて仕方がないという表情だ。

 

「お、お役に立ちます」

「何でもしますから、助けてください!」

「俺もです!どうかお慈悲を!」

 

 空賊たちが口々に懇願するのを見て、セルカは満足げに頷き──指を二本立てて言った。

 

「では貴方たちには二つ選択肢があります。生きて役に立つか、死んで役に立つか。さあ、選んでください」

 

 空賊たちが迷わず次々に生きて役に立ちたいと叫んだが、一人の空賊は直感でそれが罠だと悟った。

 彼は空賊団で一隻の飛行船を預かる船長であり、その仕事柄、言葉の裏を読むこと、相手の真意を見抜くことには自信があった。

 

(何だこの二択──生きて役に立ちますと言質取りたいだけじゃねーか。い、一体どうやって、どんな風に役立てられるんだ?まさか──死んで役に立つ方がまだマシって思えるような酷い目に遭わされるんじゃ──)

 

 答えを躊躇っていると、それに気付いたセルカが彼の前にやって来た。

 

「貴方はどちらにするのですか?」

 

 そう問いかけるセルカは笑みを浮かべてはいたが、その目には光がなかった。完全に自分たちを人間ではなく、いつでも踏み潰せる瀕死のゴキブリのように思っている目だ。

 

(ま、まずい!どうする!?どちらでもない第三の道を──第三の道って何だよ!駄目だ駄目だ!そんなこと言ったら何をされるか──)

 

 必死で頭を回してこの場を切り抜ける方法を考える彼だったが、そんなものは全く思い浮かばない。

 周りを武装した兵士たちに囲まれ、両手も縛られている状況で、そんな都合の良い逃げ道などあるわけがなかった。

 

 だが──

 

(はっ!そ、そうだ。ここはまず質問で返して情報を──)

 

 絶体絶命のピンチで思いがけず天啓のような閃きを得た彼は、それで何とか起死回生に向けて布石を打とうと試みる。

 

「い、生きて役に立つ場合、どのように役立てられるので──」

「生きて役に立つか、死んで役に立つか、どっちがいい?あと五秒ね。四、三──」

(うわああああああああああああああああああああ!!)

 

 食い気味に先ほどと同じ無慈悲な二択を迫られ、更に拳銃を顎の下に突き付けられた彼は一瞬で絶望に叩き落とされる。

 今にも鼻と鼻が触れ合いそうな至近距離から光のない血のような赤い瞳に射竦められ──彼はとうとう観念した。

 

(もう駄目だ!どう足掻いても地獄だ!なら──ならせめて、生きて──生きてこの方のお顔を見ていられる方に──)

 

 そして彼は絞り出すような声で返答を口にする。

 

「い、生きて──生きて役に、立ちたい、です」

 

 拳銃が離れ、彼は咳き込む。

 

「よろしい」

 

 セルカは拳銃をホルスターに戻した。

 

「全員、生きて役に立ちたいとのことで承りました。ではこれから貴方たちにはこの島の北部で資源採掘に従事して頂きます。略奪しか能がなく、人を食い散らかして生きてきた貴方たちですが、これからは世のため人のために尽くす意義ある仕事をして生きていけます。良かったですね。労働環境についてはご心配なく。衣食住はきちんと保障致します。冬は少々寒いですが、暖を取るための薪には不自由しませんのでご安心を」

 

 この時、生きられるという希望に輝いていた空賊たちの顔から一気に光が消えた。

 

 

◇◇◇

 

 

 空賊討伐から戻った翌日、俺はとある人物を執務室に呼び出した。

 

 時間通りに扉がノックされ、そいつの声が聞こえてきた。

 

「エステル様。コーネリアスでございます」

「来たか。入れ」

「失礼します」

 

 ティナが開けた扉から入ってきたのはモノクルを掛けた学者風の中年男性である。

 名前は【コーネリアス・フレッカー】という。職業は商人兼電気技師兼発明家という一風変わったもの。

 発明家というと少々胡散臭く感じるが、実際にこいつは成果を上げている。

 

「してエステル様、()()()()の方はいかがでしたか?」

 

 単刀直入に質問してくるコーネリアスに俺は満面の笑みで答える。

 

「大成功だ。すぐにでも全艦分の生産に入りたいくらいだよ」

「おお!神よ!ようやく──ようやく証明できた。私の理論、私の戦術が──何と感謝してよいか」

 

 何かの信徒のごとく歓喜の涙を浮かべて祈りのポーズを取るコーネリアスこそ、ヴァルキリーに搭載された方位盤と射撃盤の製作者であり、それらを使った射撃システムの考案者である。

 

 何でも、昔空賊に襲われて応戦虚しく敗れ、身ぐるみ剥がれたことがあって、それがきっかけで考えついたらしい。

 そして商売で稼いだ資金を投じて自分で作った試作品を正規軍や他の貴族家に持っていって売り込むも、どこでも相手にされず、失意の中にいたところ、空賊と手を組んでいたオフリー家を倒したファイアブランド家のことを知って、売り込みに来た。

 それが去年のことだ。

 

 艦隊指揮官や艦長たちは疑っていたが、俺は連中の反対を押し切ってその試作品を買い上げ、更にコーネリアスをその場でスカウトした。

 契約内容は彼をファイアブランド軍の技巧部門──整備、改修、部品製造を行う部署だ──に顧問として迎え入れること、彼の発明した射撃システムをまず一隻の軍艦に試験的に実装し、その結果が良好であれば専用の研究所と更なる改良発展型の開発資金を用意することだった。

 

 空賊討伐でのヴァルキリーの活躍を見ると、改めて良い買い物をしたと思う。

 こいつを門前払いした正規軍や貴族家は先見の明がなかったな。

 

「約束通りお前には研究所と追加の研究予算をやろう。他にも必要なものがあれば遠慮なく言え」

「おお、ありがとうございます。エステル様。このコーネリアス、一日でも早く成果を上げるべく、粉骨砕身努力致します!」

「まあそう焦らず気長にやれば。変に急いで失敗されたら困るし」

 

 ついでに言うと、あまりにも高性能なものを作られたらますます戦場で俺の出番がなくなる気がする。

 

 そんな俺の内心も知らずにコーネリアスは歓喜に震えていた。

 

「もったいないお言葉!ご期待は裏切りません!」

 

 潤んだ目で見つめてくるコーネリアスに俺は若干引いた。

 これが美女にされるのであれば嬉しいが、中年の男にやられても何も感じない。いや、むしろ──ちょっと気持ち悪い。

 

「なら早速取り掛れよ。段取りについては技巧部門の連中に聞けば分かるから」

 

 そう言ってコーネリアスに退室を促すと、喜び勇んで飛び出していった。

 単純な奴は扱いやすくて助かる。

 

 そしてコーネリアスと入れ違いに入ってきたのはセルカだ。

 

「お疲れ様。良いお知らせを持ってきたわ」

「何だ?」

「捕虜たちが全員労働力提供に同意したわ。資源開発に新たに八十六人追加よ。」

「けっこう多いな」

 

 空賊討伐の事後処理は部下に任せていたので、そんなに捕虜がいたと聞いて少し意外だった。

 

「ええ。おかげで更に開発が加速できそうよ。あとこれ、預かった報告書よ」

 

 セルカが差し出してきた報告書を読んでみると、今回追加した八十六人の配属と支給品等の手配について、そして資源開発全体の進捗状況が記されていた。

 

 資源調査の結果、ファイアブランド領北部の森林地帯にレアメタルの鉱脈があることが分かり、去年の夏から採掘が始まっている。

 報告書によると採掘量は順調に伸びており、その伸び率は計画をやや上回っているとのことだ。

 森の木を切り倒して、その木で小屋を作り、夜はその小屋で薪を燃やして寒さを凌ぎ、そして毎日何時間もひたすらツルハシを振るう過酷な採掘作業を一身に引き受けてくれる空賊たちのおかげだな。

 

「順調なら何よりだ。しっかり働かせろよ」

「もちろん。今回の分も期待していいと思うわ。皆従順だったから」

 

 セルカがソファーで伸びをしながら言う。

 八十六人もの哀れな捕虜たちを地獄の強制労働に叩き込んでおいてこのリラックスぶりである。こいつも大概悪に染まってきているな。

 

「そうか。お疲れさん。ちょっとお茶でも飲んでいけよ。サイラスに淹れさせるから」

「やった!」

 

 そのくせ、美味いお茶とお菓子に子供みたいに喜ぶあどけなさも見せる。

 本当に面白い奴だ。

 

 狂信者じみた奴と話した後には良い癒しだ、と思いながら俺はサイラスを呼んだ。

 

 

 

「ね、そういえば制服が届いたんですってね」

 

 お茶を飲み終えたセルカが唐突に話題を振ってくる。

 

「ああ──まあな。まだ着てはいないけど」

「えーもったいないわね。ちょっと着てみてよ」

 

 期待に満ちた眼差しで俺の方を見てくるセルカ。尻尾があったら犬みたいにぶんぶん振っていそうだ。

 

「いや俺の制服姿とか見てどうするんだよ」

「だって見てみたいんだもの。きっとすっごく可愛いわ。ね?ね?」

 

 不味い。背中がむず痒くなってくる。

 もう「可愛い」なんて色んな奴に言われまくって慣れてきているが、こんな風に間近で目を輝かせて言われると何とも言えない変な気持ちになる。

 

「お、煽てたって無駄だぞ。俺は着せ替え人形じゃねーからな」

「えーいいじゃない。見せて減るものでもないでしょう?ここには私とティナだけなんだから」

 

 それはそうだが──駄目だ駄目だ。押し切られて言うことを聞いてしまっては悪徳領主としての威厳が損なわれる。

 いやでもこいつ相手に威厳なんてあったか?普段から甘えっ放しだし──

 

 言葉に詰まっていると、黙っていたティナが口を開く。

 

「お嬢様。ここは素直に着用なさっては?」

「──え?」

 

 思いがけない言葉に俺は一瞬呆然となった。

 

「ですから、学園に行かれる前に一度は試着された方がよろしいかと存じます。どこか不具合があれば出発までに直さないといけませんし」

 

 もっともらしいことを言うティナだが、その目にセルカと同じ輝きが宿っているのが分かってしまった。

 そんなに俺の制服姿が見たいのかお前ら。今見なくたって学園に通うようになったら毎日見られるだろうに。

 

 だが、実際試着は必要なことではあるから反論できない。

 何だか手の平で転がされているような気がするが、下手に意地を張ってヘソを曲げられても厄介だな。他の連中ならともかくこの二人には。

 

「──まぁティナがそう言うなら」

 

 渋々了承すると、二人の顔がぱぁっと明るくなる。

 

「はい!では直ちに用意致しますね」

 

 ティナが凄い勢いで制服を取りに執務室を飛び出していった。

 駆け出したのではなく、いつも通りに礼儀正しく一礼して扉を開け、そっと閉めて出ていった。ただその一連の動作が動画の早送りのようだった。

 ──ちょっと怖かったぞ。

 

 と思ったら、また扉が開き、カバーの付いたハンガーを持ったティナが入ってくる。

 

「どうぞ。お召し替えください。私たちは外に出ておりますので。終わりましたらお声掛けください」

 

 そう言ってセルカと共に執務室を出ていくティナ。

 

 取り残された俺は独り呟いた。

 

「またあいつの知らない一面を見てしまったな」

 

 ティナがアクロイド男爵領でしつこくナンパしてきた野郎に対して怒鳴りつけて手を振り払ったことを思い出す。

 普段はおっとりほんわかした雰囲気だが、稀に違う一面を見せる──それがティナだと久しぶりに実感した。

 今回のは──たぶん下の子を玩具にする姉のようなお茶目な一面が出たのだろう。実際俺のことを妹みたいに思っていると冒険の時言っていたし。

 

「妹ね──もう背丈だって追い抜いているんだけどな」

 

 着ていた仕事着を脱いで鏡で自分の身体を見てみると、そこには百七十センチ近い長身の女性が映っている。

 

 この二年半の間に怖いくらいに背が伸びていつしか周囲の男たちと遜色ない高身長を手に入れた。

 今やティナより頭半分ほどは高い。

 ──狐耳の分を除けばだが。

 

 やはり五歳の頃から面倒を見ているといつまで経っても妹みたいな存在のままなのだろうか。

 さながら親にとって子供は幾つになっても子供なように。

 

 それが少し、苦しい。

 ただ──それじゃあ俺はティナにどう思われたいのだろうか。

 

 答えが出ないまま制服に袖を通す。

 ストライプの入った白いシャツに赤いネクタイ、縁に白いラインと袖口に金色のラインをあしらった黒のブレザー、灰色のロングスカート。ちなみにスカートは通常より丈が長い特注品である。膝上丈で生脚が丸見えというのは抵抗感があった。

 さながら漫画で見た女番長みたいな格好だが、これはこれで悪徳領主を目指す俺には似つかわしいと思う。

 

「終わったぞ」

 

 言うや否や扉が開いて、ティナとセルカがまるで瞬間移動でもしてきたかのように部屋の中に現れる。

 

 二人して制服姿の俺に見惚れている。

 

「ど、どうだ?変な所とかないか?」

 

 着てみた感じでは特に違和感はないし、このままいけると思うが、一応訊いた。

 

 すると二人は一瞬顔を見合わせて──

 

「「写真、撮りましょう」」

 

 有無を言わさぬ圧を目に込めて言ってきた。

 

「え?ああ──うん?」

 

 なんで写真?

 

 その疑問を口にする前にセルカがどこからか小型のカメラを取り出した。古めかしい蛇腹式のやつだ。

 だがこの世界ではそんなものでも最新型である。

 ──いつ買ったんだ?

 

「はーい、ポーズ取って!」

「え?ポーズ?」

 

 セルカに促されるも、どうしたらいいのか分からずに右往左往する俺にティナが手を添えて、姿勢を変えてくる。

 

「このままじっとしていてくださいね。すぐ済みますから」

「いくわよ!」

 

 ティナが離れると、セルカがシャッターを切る。

 

 その後小一時間ほど俺は二人の褒め殺しに遭いながら写真を撮られ続けた。

 すぐ済むって言ってなかったか?とは突っ込める雰囲気ではなかった。

 

 ──美女二人に愛でられて威厳もへったくれもない、そんな学園入学まであと二週間弱の日だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 王宮。

 

 その一室で、密かに会談が行われていた。

 

「これをどう見るかな。ヴィンス」

 

 彼が差し出した書類を受け取って、レッドグレイブ公爵家当主ヴィンスは目を細めた。

 

「これはまた──随分と積み上げましたな。賂にしても巨額に過ぎます」

「ああ。学園の連中が頭を抱えていたよ。額もそうだが、相手は()()()()()()()()()()だからね」

 

 名の知れた空賊団の討伐、聖なる首飾りの発見、そしてオフリー伯爵家との戦争での勝利と輝かしい実績を上げ、最近では衰退していた領地も回復しつつある──そんなファイアブランド子爵家が常識はずれの巨額の寄付を行なった。

 学園の運営に関わる誰もがこの不可解な行動の意味を測りかねている。

 

 その話を聞きつけた彼がこうしてヴィンスを呼び出した理由は──

 

「やはりあの娘でしょうな。このようなことをするのは」

「それは間違いないだろうね。今のファイアブランド領を実質的に仕切っているのは間違いなくあの娘だ。この寄付も彼女の差し金と見ていいだろう。だからヴィンス、お前の意見を聞いてみたいのさ。彼女はどういう考えでこのようなことをしたと考える?」

 

 その行動を指示したと思しきエステルと面識があるのが自分の他にはヴィンスくらいしかいないからだった。

 もう一人いるにはいるが、下手に話すと捕まって仕事をさせられるので呼ばなかった。

 

 そのことを察してヴィンスは内心苛立ちを覚えつつも努めて冷静に答える。

 

「──おそらくは二重の意味があるのでしょうな。【約束】はきっちり果たせ、という我々へのメッセージと、教育環境への投資の」

「投資だと?」

「ファイアブランド領では三年前から莫大な投資が行われております。その中でも教育分野への投資は目を見張るものがあります。人材を育成し、彼らを使って新たな産業を興して経済状況の抜本的改善を図っているようですが、調べたところでは新たに自前の学校も用意し、領民にも教育を施していると」

「──ほう。それはまた大胆なことをしたものだな。やはり私の見立ては当たっていたようだ」

 

 ヴィンスの説を聞いた彼は驚きつつも楽しそうな顔をする。

 

「ともかく、彼女は教育を極めて重視しているということです。自分が学ぶ場ともなれば当然しっかりした環境を望んでいるでしょう。それが今回の莫大な寄付の目的かと。──本当かどうかは本人のみぞ知るところですが」

「なるほどね。ならばそういうことに()()()おこう。ご苦労だった。ヴィンス」

 

 会談が終わり、ヴィンスが出ていくと、彼は窓の外──エステルのいるであろう北の方角を見つめて呟いた。

 

「斜陽の地に輝く希望の星か──それとも破滅の凶星か」

 

 

◇◇◇

 

 

 学園入学まで一週間となり、王都に出立する日がやって来た。

 

 港には俺を見送るために大勢の民衆が詰めかけていた。皆口々に俺の名を叫んでいる。

 

 この三年間ボロボロだった領地を豊かにするために奔走してばかりで悪政を働く余裕もなかった。

 そしたらいつの間にか英雄扱いが常態化していた。オフリー伯爵家を倒した立役者という評価に加えて、領地の景気も回復させた名君との評価も確立されたというわけだ。

 

 ──お前らのその顔は覚えておくぞ。いずれ恐怖で歪ませてやる。

 

 そんなことを思いながら家族と別れの挨拶をしてタラップを上り、アリージェントに乗り込む。

 この艦で王都に行くのは二度目だ。

 

 アリージェントが発進すると、ファイアブランド軍の艦隊が観艦式のように並んで道を作っていた。

 

「友軍艦より旗旒信号。旅の無事を祈る、です」

「粋なことをしてくれる。返答旗を掲げろ」

 

 見張り員と艦長のやりとりを聞いて、周囲の艦のマストを見てみると、確かに同じ組み合わせの旗が全ての艦のマストに掲げられている。

 

 こういう派手な見送りをされるのは嫌いじゃない。

 悪徳領主たる者、無駄に豪華で洒落たことをするものだからな。

 

 友軍に背中を押されたようにアリージェントは船足を速め、浮島と艦隊が小さくなっていく。

 

 これでもうしばらくは帰ってこられない。

 

 しばしの別れだが、その間に大きく肥え太った領地になっていてくれよ。

 

 

◇◇◇

 

 

「時は来た!」

 

 桟橋の端で大仰に両腕を広げて叫ぶのは案内人だ。

 

 小さくなっていくアリージェントを睨みつけて、口元には笑みを浮かべる。

 

「お前が学園に行くこの時のため、お前の家の悪評をたっぷり垂れ流しておいた。精々孤立し、疎まれ、追い詰められるがいい」

 

 その言葉通り、案内人は王国中に広がるファイアブランド家の情報の中に悪質なデマを大量に混ぜ込んでいた。

 ただでさえ人を経るごとに噂には尾鰭がつくものだ。ましてや情報源がそれこそ人伝の噂や新聞くらいしかない世界である。ファイアブランド家を直接知らない多くの者たちに信じさせることなど容易かった。

 

 おかげで王宮や学園はともかく、多くの貴族たちや騎士たちはファイアブランド家がオフリー軍の捕虜を拷問の末虐殺しただの、聖なる首飾りをダシに神殿を強請っただの、政策に異を唱えた家臣や領民たちを家族ごと鉱山での強制労働に叩き込んだだの、血の繋がった親類までもオフリー家に呼応して反逆を企てたと言いがかりをつけて処刑しただのといった悪評を信じ込んでいた。

 当然その悪評を信じる者たちはファイアブランド家に嫌悪感を抱き、学園にそのファイアブランド家の娘がやって来ることを恐れている。ファイアブランドの娘と関わるなと息子や娘たちに言い聞かせている。

 

 そして事実を知る者たちもその悪評を積極的に正そうとはしていない。

 彼らも一枚岩ではなく、ファイアブランド家の台頭を快く思わない者たちがいる。

 

 だから、学園に行ってもエステルは学生たちの間で孤立し、迫害されるであろう──と案内人は確信している。

 もしそれに対して報復などしようものなら悪評が事実だったという認識が広まり、迫害が勢いを増すだけ。

 楽しみで仕方がない。

 

「これでお前も私の悪意に気が付くだろう。今までの感謝の分と、蒔いた種を芽も出ないうちからお前の使い魔に摘み取られた分、必ず復讐してやる。覚悟しておけ、エステル!」

 

 そう言って高笑いする案内人を背後から小さな光が見ていた。




マキマさんみたいなハイライトない目好き

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