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はてなキーワード: 人生設計とは

2023-11-22

42歳にもなって今後の人生設計も言えないなんて恥ずかしくないのか

せめて1年以内の動きくらい言えるようになれよ

年齢を考えたら1年も2年もじっくり考える時間なんてないってわからないのか

2023-11-20

思考力の総量みたいなものを増やさないとそろそろヤバそう

正直言って今の生活キャパオーバーである職場ではやりとりする人はどういう人で、今どういう状況でどんな情報コミュニケーションを求めてるか考えないとならない。家に帰ったら帰ったで配偶者はどんな状況で何に困ってて、どんな家事をやらないとならないか考えないとならない。それらを考えるだけでも疲れるのに、目の前のことばかりやってて大局的に良い方向に進んでいるのか、キャリア懸念はないか子供は作るか、家はどうするか、老後の資金はどのように貯めるか、投資調子はどうか、考えて決めないとならない。

でもどれもこれも、考えないで済むかというとそんなことはないだろう。コミュニケーションを疎かにすると査定人間関係に悪影響がある懸念があるし、自分人生なので人生設計も重要だ。納得して決めないとならない。

思春期の頃にいつのまにか獲得していた「思考力」の全容量をやりくりしつつアラサーまでやってきたが、そろそろその容量を増やしていくようにしないと人生ままならなくなりそうな気がしている。

2023-11-15

anond:20231115234603

そうかな。底辺仕事って接客から需要として残るけど、

ホワイトカラーって事務からAIとダブってるし、ホワイトカラーで家持って子供いてってなると

給料ある前提で人生設計してるから首とんだら借金のみ残りそうだなって感じる。悲惨そうってのはそこ。

後クビは同時だと思うけどなあ。今はまだ使えないけどもうすぐ首切りが始まるなあって使いながら感じる。

業務効率であれば正社員は残るんだろうけど、効率じゃなくてそのうちなくなりそうだし。

anond:20231115105856

交際時に予め今後の人生設計について話し合うのは男女問わず相手への配慮として当然だが?

交際制限して相手時間を奪ってるわけだから相手人生設計配慮するのは相手がどの性別だろうが年齢だろうが当然やろ

何言ってんの?


最初から結婚は考えてないので、誰か他の人と浮気結婚も好きなようにしていいよ

って伝えてるなら別だけど

anond:20231114224626

元増田だけど、その中で結婚だけに執着する理由は主に2つかな。

①する人がマジョリティである

マイノリティ選択をするのはどうしても抵抗があるし、周りにマジョリティ側(結婚する側)の人間が多い事で「自分もその選択をすれば良かったのではないか」と考える機会が増える。

②進学や就職より人生に与える影響度が大きい

職業が決まるくらいである進学や就職比較して、プライベート面の人生設計を大きく変えうる結婚は影響度が非常に大きい。

anond:20231115031346

遺産どうのこうの言い出してる増田自身が親を遺産しか考えられない人だから何言っても響かないと思うぞ。

親の遺産を含めて人生設計してる人ってある種哀れだよね

2023-11-14

どうかんがえても親が死んで兄弟扶養義務が行く前に自殺するという人生設計しか見えてこないが

37歳芸人と19歳タレント結婚

成人年齢に達した大人結婚なんだから合法ではあるが

嫁が42歳のときに夫は還暦の60歳のお爺ちゃん

嫁が57歳でまだまだ現役のとき夫は75歳の後期高齢者って

若いから色々と先読みしながら人生設計しておかないと大変そうだなーって思った

そして、某三⚫︎美佳はそう云うの含めて諸々嫌になって離婚した(そして再婚した)んだろうなって思った

2023-11-08

ぽやぽやしながらボーっと生きてたからもうちょっと男女賃金格差とか生涯年収とか人生設計10代のうちから関心を払うべきだったなと思うanond:20231108171526

だけの人生だった

ぽやぽやしながらボーっと生きてたからもうちょっと男女賃金格差とか生涯年収とか人生設計10代のうちから関心を払うべきだったなと思う

2023-10-31

anond:20231031020228

それが過剰供給を防止してデビュー後の職業寿命を長く保たせてるなら人生設計がたてやすくていいことなのでは。

デビューできなくても普通に自分ユーチューバーでもする手もあるし。

過剰供給気味といえば芸人さんも30代でキャンパーユーチューバーになったりしてんじゃないのしらんけど

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-20

毎日仕事に行って帰ってお酒飲んでゲームして寝てまた朝起きて、

こんな毎日で一生終わるんだろうか?って思う。

人生設計とかの目的も何もないし、もちろん単身だし、

かといって何をやりたいと言うこともない。

夢も希望もない、

ただただ生きていて何も意義を見出せていない感じ、

漠然とした危機感はあるけど、

実際何をして良いのか分からない

将来なんてない、

ただただ日々を一瞬の娯楽通して生きているだけ。

こんな感じでしか生きていられない。

かと言って何をしたい!とかってのもない。

日々嬉しくも悲しくも怒ったり喜怒哀楽もない。

無味無臭というかそんな毎日

とにかく漠然とした不安しかないが

何をしたらいいのか分からない。

大半の人がこんな感じで生きているんだろうか?

2023-10-14

anond:20231014085925

地方出身地元就職しようとすると、医者公務員しかまともな人生設計できないよ

首都圏に出てきて家持ち娘と結婚するか

不法入国外国人と発想が似てくるな

2023-10-13

anond:20231011214836

脳が雑にできてるやつらは単純でいいな。

たとえば

女性賃金が低い理由育児によって発生

育児ではなく出産だし、出産自体ではなく出産するという見込みな。

雇用する側は、女性出産キャリアが断絶する見込みがあるので、男性にするような期待をかけず、その結果としての賃金格差生まれる。

また、女性自身の側でも、将来そうしたことが見込まれるので男性ほどガチガチキャリア投資せず、それがさらなる格差を生む。

育児が原因なら、保育園なりシッターなり祖父母ヘルプがあればいいじゃねえかということになるが、それでは格差は埋まらない。

出産自体が原因なら、生まない女性には差がつかないということになるが、それでも格差は埋まらない。

女性が生む計画自体人生設計から外せば差は埋まるかというと、雇用者側の見込みにも格差を生む原因があるので、それでも格差は残る。

そんな当たり前の研究結果でノーベル賞を取れるのかというやつらもいるが、数ある可能性の中で統計データ実証された格差の原因がこれだ、ということに意義がある。

そういうことを全部すっ飛ばし適当つまみ食いして参照するだけの雑な脳味噌の連中は、ほんと、簡単世界に生きていて羨ましい。

2023-10-03

anond:20231003191212

晩婚化が進んでいる(正確には10代~20代前半と30前後の2極化+40前の結婚増)とはいえ子育て考えたら

30までに結婚して子供産んで、小学生卒業が40前半、大学入学が50前ってのが、現実的人生設計よなあ。(二人目以降考えるなら+2歳~5歳)

授業参観に50代で出るのしんどいっつーの

子供要らない人はまた別。そういう人が増えて晩婚化が進んでいるともいえるのかもしれない

2023-10-01

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

2023-09-30

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

2023-09-26

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

2023-09-11

いまさらだけど推しドーピング世界の敵になった話をする

今更だけど推しドーピング炎上した話をする。

2022年ロシアウクライナ侵攻直前のオリンピックドーピング疑惑世界の敵になったカミラ・ワリエワが私の推しだった。

多種の四回転ジャンプを難なくこなし、なおかつそれが難しいということすら理解のできないたおやかさで着氷する。それはあたかも高難易度ジャンプすらバレエ振り付けひとつのようで、優雅スムーズフリーレッグや手先まで極めて丁寧な演技をする推しは、誰にも勝てないと他の選手や他の選手ファン震撼させるという意味で「絶望」と呼ばれていた。

彼女にはすげえ身体能力で軽々ジャンプを飛べる以前に、幼い頃から体に染み込んだバレエ素養がある。だから例えば彼女20代後半まで頑張れたら、あるいは女性羽生結弦のようになるのではないかとワクワクしていた。

そのとき私の推しはまだ15歳、リンクでは皆を容赦なく絶望させていても、エテリチームの妹みたいな可愛い少女だった。アジア系少数民族の血を引く顔立ちは日本人好みのする愛らしさで、チームの先輩がおみやげに買ってきた日本アニメぬいぐるみをずっと大事にしている、そんな子だった。

ドーピングのことを知っていたかと問われれば、「NO」。

でも薄々は気づいていたような気がする。推しリンクメイトがいいサプリを知ってから調子がいいのという発言をして周囲が血相を変えたりしたことはある。

それでもドーピングのことが報じられたときに耳を疑ったのは、どこかでエテリコーチは本当はい先生であってほしいという願望があったからだと思う。

推しグルーミングされているときファンもまたグルーミングされているのだ。

実を言うとこの件のずっと前から、エテリコーチはスケートファン嫌われ者だった。彼女師事するロシア選手が好きな私たちも、エテリの指導方針のことは快く思ってなかった。ドーピング陰謀論交じりの疑惑にすぎなかったが、児童虐待しか思えないウェイトコントロールが横行していることはみんな知っていた。選手本人がどれだけ私は頑張っているかの自慢として、ほとんど空気しか食ってないような食事内容を暴露しているので。

でも水で太る体質なので水さえも制限されているというインタビューにざわめいた後に、まともに食っているチームメイトがいて「揚げ物を制限されちゃった」とかい比較的まともそうな制限の話をしているのを見ると「なんだー。それぞれの体質や性格に合わせて厳しい制限される子もいるだけで、自分コントロールできる子はちゃんと食べてるんだね」と思っちゃったりする。

エテリはスケートのことしか考えてない使い捨てだという愚痴ツイートの後に、エテリコーチは選手に常々「私たちスケートをしていない人生のほうが長いんだからよく人生設計と健康を考えて」と言い聞かせているほっこり話が流れてきて「なんだー」と思っちゃったりする。

頑張る推し肯定すればするほど虐待に加担しているなんて、そんな事実に耐えられるほど、普通メンタルは強くないのだ。コーチ陣と仲良しの写真記事を見ればやっぱり「厳しいけど個々に合わせた指導をしてくれる名コーチ」「お母さんみたいな人」という言葉を信じてしま自分がいる。そのソースを集めてきてしま自分がいる。

1kg体重が増えればバランスが崩れて今までできていたことができなくなる競技だ。やりすぎだが必要ではある、という気持ちもあった。1kg増えるだけでできないとか、そもそも四回転ジャンプが飛べなければいけないということ自体呪いだとは言えるだろうが、その「たかだかジャンプ」のために15年生きてきている人間を前になんでそんな残酷なことが言えるのかという感情もあった。

ちなみに私自身の立場としてはドーピングには強く反対していて、はっきりとドーピング反対とエテリチームへの批判を何度もツイートしているし、そういうツイートにたくさんいいねを押した。RTした。それはあたりまえ。

でも、そうしていると、どこからか極端な意見が流れてくる。

児童保護観点とか、医学上の観点とか、まっとうな意見ばかり支持していたいけど、そればかりじゃない。もともとロシア女子アンチだった人とか、なんとなく男子トップ選手を超える身体能力を持つ女子選手実在することが気に入らない人とか、とにかくロシアという国を馬鹿にして日本すごいということが言いたい人とかが、あることないこと言ってくる。そもそもロシアスケート推しているお前らには芸術スケート鑑賞のセンスがないとまで言われる、オリンピックしかフィギュアスケートを見ない人に。ジュニアから見てきた15歳の女の子に向かって、炎上している女になら何を言ってもいいと思っている人たちのセクハラまがいの発言画像貼りが投げかけられるのもつらかった。ドーピング検査がシロだから何の問題もなく出場してるはずの他の選手まで、女子筋肉じゃないか筋肉増強剤だとかいやいやむしろ実は女じゃないんじゃないのとかまで悪口を叩かれた。

果てはスケート有識者ですロシア有識者ですという人までが酷い陰謀論記事を書き始め、それが良心拡散していく。例えば「ロシアスポーツ選手は貧しい少数民族から人身売買同様にモスクワに出されてきて家族は逆らえない」みたいなやつとか、当時の採点基準でなんにも問題がないスコアを出してきて「ロシアには採点の忖度があってやたら高得点選手は真っ黒」とか言い出すやつとか。

推しがそんなデマ侮辱されているのが嫌で訂正しようとすると、ドーピング擁護派のほうにカウントされる。なんだこれ。ポジショントーク気持ちよくなってんじゃねーよオッエー。

ちょうどエテリチームの他の選手ドーピング検査スルーしようとした話が聞こえてきたこともあり、ジャニーズ報道とそれにまつわる意見を見てたら、なんかあのドーピング事件お気持ち長文を書いて吐き出したくなったのでした。

きっとジャニオタさんの中にはあのときの私みたいな気持ちになっている人もいるんでしょう。

反発するジャニオタさんにそんなに推しが見たいのか自分欲望優先なのかという言葉が投げかけられているけど、私の身の回りジャニーズ好きな人ジャニー会社対応に憤ってない人はいないです。

ただただ推しファンにかけられたグルーミングに苦しんで、これ幸いと推しに投げかけられるデマセクハラに苦しんでおられるんじゃないでしょうか。

でも駄目だ、ああい児童虐待システムになってるところって解体しないと終わらないんだよ。ジャニーとかエテリとかだけ消えても。

あの次のシーズン、暗い怒りと挑発の表情でメディア批判プログラムを滑ったカミラワリエワの目を忘れない。あれをまんまと国内プロパガンダに利用したロシアを許せない。あちら側に行ってしまった推しと画面越しに目が合って、その瞬間の焦げつくような怒りと絶望をどう言い表したらいいのだろう。

私の推し搾取していたのは国だけど、ジャニーズ企業なんだからなんとかなるでしょ。解体されてほしい。

ただ、CM降板企業ちゃんとこれはタレントに対してではなく「ジャニーズ事務所という組織」に対する抗議なんだと表明して不採用にしたほうがいいと思うな。

だらだらとお気持ち長文、読んでいただきありがとうございました。

2023-09-06

同級生出会わない方法

地域レベルで引っ越す

よくある地方都市場合、そこで就職しても田舎村社会によって同じ人しか会わない可能しかない

このため別の地方都市移住する必要はあるが、同じ地域でも効果は薄いため、地域レベルで移る必要がある(隣の地域でも薄くなるので、1つ地域を跨いでおくとより出会可能性は無いだろう)

今居る地域移る地域の目安備考
九州中部地方より北東近畿地方でも和歌山奈良福井あたりでも可能性はある
四国中部地方より北東
中国中部地方より北東
近畿東北地方北海道ぐらいOSAKAのせい
中部九州沖縄地方北海道JR東海東海道新幹線中央新幹線確率が上がってしまっている
関東中国四国九州沖縄地方中部でもJR東日本のせいで出会可能性がある
東北中部地方より南西
北海道中部地方より南西

東京大阪などの巨大都市移住しても出会うことは少ないが、これは統計学的に人数の分母がおかしいだけで、またそれだけ分子(同じ地域から移住してくる同級生)も居ることは留意すること

本当に出会いたくないのであれば、そうした巨大都市も避けて別の地方都市へ移動する、というのが最適と言える

なお島や本気の山奥の場合だと、そもそも本土などに上陸するのが大変という場所もあるため、そのあたりのコストパフォーマンスとも検討すること

Enemyの情報を入手する

自分人生妨害された同級生、つまりはEnemy(敵)となる存在は、いつの時代も先に情報を入手するのが世界常識であるロシアウクライナも、アフガニスタンも、第二次世界大戦だってそう)

どう安全に手に入れるかはここで書いてしまうとその手法ブロックされるので各自で調べておくこと

このぐらいの調査ならググってもカスな状況にはならずに済むはずだゼ

情報を入手すれば自分がどのサービスやどの場所に行くべきか、行っちゃダメかがわかるはずだ

まりにも行けない場所が多すぎるのなら、前述の移住でそのリスクを大きく減らせばよい

警察相談しなくても、相手はそこまで追跡できるほどヒマじゃないゼ(ただしネットおもちゃになっている場合はどこでもWANTEDなのでまずはそれにならないようにする行動が必要だがナ)

そもそも

みんながみんなしてデリヘルを使うのかという疑問である

ましてや自分人生設計で同級生が躓きポイントになるかどうか、そしてそいつと遭遇しても本当に敵となるのかなどの検討からスタートすべきかもしれない

ま、そうやって考えても何も進まねぇから、ノーリスクカミカゼするのがこのニッポンなんだけどナ

2023-09-05

本当に人生FIREでええんか?

FIRE界隈見てると、「ブラック企業に勤めていて、パワハラに耐えてるけどあと十数年我慢すれば億ってFIREするんだ!」みたいなのをよく見かける。

X(Twitter)での貯金節制界隈にも結構いるし、5chをROMっててもかなり見かける。

だけど、なんでそこに仕事を変えるという選択肢はないんだ?と思う。

転職だけじゃない。もっと広い意味人生を変えたっていい。

なぜ今後びた一文稼がない前提で人生設計するのか。

そして今一番若いこのときパワハラ上司で消耗しているのか。

◯億円あれば4%ルールで老後まで生きていける!という計算式はたしか合理的だけど、人生設計そのものは全く合理的でないと思う。

高頻度で見かけるパターン

上司パワハラが嫌
パワハラはないが、とにかく労働自体が嫌。
1億円あれば人生逃げ切れて安心

まり

行動できない言い訳貯金額・資産額に求め、人生を少し変える行動力勇気がない。貯金額をシコシコ貯めて溜飲を下げている。日々RPG経験値のように貯まっていく残高で自分が少し強くなったように錯覚して満足している。

おわりに

FI自体は悪くない。盤石な経済基盤の構築は人生自由度を高めてくれる。ただ、結局その先何がしたいかがかなり重要であって、それを考えると実は現時点で実現可能だったりする。

でもどうせやりたいことって、Xやインスタでフレンチコースを平日夜にアップして煽りたい、とかだから、どうしようもないな。

2023-09-02

大人趣味漫画で設定に対して出費が大きすぎると不安になる

まったりのんびりって顔で貯金残高一桁万円みたいなのされるのはハラハラしてしまうよって話。

クソ雑魚派遣社員みたいな設定なのに趣味に月5万10万使ってそうな漫画あるっしょ?

あれ見てて凄く不安になってくる。

君の社会的立場でそんなペースでお金使ったら病気になったとき貯金もないんじゃないかなって。

主人公お金沢山使わせたいなら「人生上手く行ってない会社員」っていう設定を手放して「学歴パンチホワイト大企業に入ったけど周りが凄すぎて仕事活躍はできないけど給料結構多めな人」ぐらいの感じにしたら?

アレもコレも主人公に詰め込みすぎて「金がないはずなのに趣味めっちゃ金使う破滅的な人生設計の人」みたいになってるの割りとみかける。

割り切って完全に貧乏キャラくーねるまるた(ド貧乏学生)、廣井きくり(酒クズ税金滞納))とかならもうそれでもいいんだけど、そういう描写もないキャラ金銭的な危機意識のなさが突然人生を後ろからさないか不安なっちゃう。

大人趣味漫画で設定に対して出費が大きすぎると不安になる

まったりのんびりって顔で貯金残高一桁万円みたいなのされるのはハラハラしてしまうよって話。

クソ雑魚フリーターの設定なのに趣味に月5万10万使ってそうな漫画あるっしょ?

あれ見てて凄く不安になってくる。

君の社会的立場でそんなペースでお金使ったら病気になったとき貯金もないんじゃないかなって。

主人公お金沢山使わせたいなら「人生上手く行ってない会社員」っていう設定を手放して「学歴パンチホワイト大企業に入ったけど周りが凄すぎて仕事活躍はできないけど給料結構多めな人」ぐらいの感じにしたら?

アレもコレも主人公に詰め込みすぎて「金がないはずなのに趣味めっちゃ金使う破滅的な人生設計の人」みたいになってるの割りとみかける。

割り切って完全に貧乏キャラくーねるまるた(ド貧乏学生)、廣井きくり(酒クズ税金滞納))とかならもうそれでもいいんだけど、そういう描写もないキャラ金銭的な危機意識のなさが突然人生を後ろからさないか不安なっちゃう。

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