公明党が“国交大臣”を絶対に手放さないのはなぜか 元幹部は「田中角栄と竹下登の政治手法が原点。次は上田勇で決まりか」

デイリー新潮8/28(月)11:00

公明党が“国交大臣”を絶対に手放さないのはなぜか 元幹部は「田中角栄と竹下登の政治手法が原点。次は上田勇で決まりか」

公明党の山口那津男代表

 かれこれ20年以上、自民党と公明党は連立政権を組んでいる。かつては、久本雅美や柴田理恵など大物タレントが「集票マシーン」として機能していたが、現在は学会員の高齢化などもあり組織力が弱体化。こうした集票力の低下などを背景に、選挙協力を巡って両者の不満が表面化するなど、不協和音が目立つ。おまけに新たな“火種”が生まれつつある。複数のメディアが「国土交通大臣のポストを巡り自公が対立している」と報じているのだ。

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 代表的な記事を2つ、見出しだけご紹介しておこう。朝日新聞DIGITALは7月19日、「公明指定席の国交相、奪回論 自民不満、巨大官庁のポスト譲り10年超」との記事を配信した。

 時事通信も8月11日、「自民に『国交相』奪還論 内閣改造、公明と新たな火種」の記事を配信した。

 自公連立政権が誕生したのは1999年10月。この時は公明党の続訓弘氏(92)が総務庁長官として入閣した。

 公明党の議員が務めた国交相のポストだけ見ると、2004年には北側一雄氏(70)、続く06年には冬柴鉄三氏(1936〜2011)が就任した。

 民主党政権を挟み、12年には太田昭宏氏(77)、15年には石井啓一氏(65)、19年には赤羽一嘉氏(65)、そして21年には現職の斉藤鉄夫氏(71)が入閣し、公明党の国会議員が4人連続して国交相となった。担当記者が言う。

「国土交通省は全国の公共事業を差配する巨大官庁です。自民党は伝統的に建設・運輸業界が重要な票田でした。ところが近年、公明党の議員が国交相のポストを独占しているため、業界や国交省に対する自民党の影響力が低下しています。これに自民党の一部議員は危機感を持ち、ポストの奪還に執念を燃やしています。一方の公明党も“国交相権益”を手放すつもりは毛頭なく、両党の本格的な対立に発展する可能性も指摘されています」

山口発言の真意

 冒頭で触れた朝日新聞DIGITALの記事は、昨年8月に岸田文雄首相(66)と公明党の山口那津男党代表(71)の間に起きた《水面下の動き》を伝えている。

《山口那津男代表が岸田文雄首相に「斉藤鉄夫国交相の継続をお願いします」と伝えたところ、首相は「承りました」と答えた後、こう続けた。「一つよろしいですか。国交相を公明に長く譲っていて、党内の国交族も十分に育っていません。国交相を自民にしてはダメでしょうか」》

《山口氏は「私たちは一つの閣僚ポストしか要求していない。国民生活を支える上でも国交相をお願いします」と押し返したが、自民内の不満はくすぶり続けている》

 政治学者など専門家の間では「公明党の議席数を考えれば、本来なら閣僚ポストは2つ獲得できる」との指摘もある。そのため山口氏の発言は「2つではなく1つだけでいいから、国交相のポストは死守したい」というメッセージとも読める。なぜそこまでこだわるのか、学会元幹部に訊いた。

「山口さんの『一つの閣僚ポストしか要求していない』の発言ですが、少し割り引いて考える必要があるでしょう。確かに大臣ポストは1つですが、これまで公明党は副大臣と政務官のポストを相当数、確保してきたからです。自公連立政権が始まった際、『公明党には若い議員が多く、与党の仕事にも慣れていない』という両党の共通認識があり、公明党に副大臣と政務官のポストを優先配分することになりました。それから20年以上が経ち、公明党も相当な経験を積んできました。今後も国交相という重要ポストを独占したいのなら、副大臣や政務官の数を減らすぐらい譲歩しないと、自民党の不満は燻り続けると思います」

 ここで副大臣と政務官の数を確認しておこう。公明党は昨年8月、公式サイトに「公明党から3副大臣」との記事を掲載した。これによると第2次岸田改造内閣では、3人の議員が復興、財務、厚生労働、内閣府の副大臣に、3人の議員が文部科学、農林水産、経済産業、復興、内閣府の政務官に就任。人数よりポストの数が多いのは兼務があるからだ。

人件費問題

「公明党が国交相のポストにこだわるのは選挙に有利だからです。国政だけでなく地方自治体の選挙でも威力を発揮します。国交省は地方の公共事業も差配するので、公明党の地方議員が選挙協力を求めて建設会社を回る際、『ご存知の通り、ウチは国交相を出しています』と言えば効果は絶大です。こちらから行かなくても、公明党の地方議員にゴマをすりに来る建設業者もいます。これは公明党の地盤強化に大きく寄与しているのです」(同・元幹部)

 自民党が強いのは地方組織が盤石だからであり、立憲民主党が弱いのは地方組織が脆弱だからだとよく言われる。公明党は国交相のポストを手中に収めることで地方組織を強化しているわけだ。

「創価学会の人件費という問題も切実です。公明党の党勢も支持母体である学会の信者数も、共に減少しています。公明党の地方議員は『本来なら学会内で要職に就くべき人』であり、『地方議員として“出向”することで議員報酬を得ている』という側面があるのです。もし公明党の地方議員が選挙で負けてしまうと、学会の専従に戻す必要がある。今までゼロ円だった人件費を負担する必要が生じ、これは今の学会にとってはかなりの負担なのです」(同・元幹部)

 創価学会の人件費を抑えるため、公明党は地方自治体の選挙で勝利する必要がある。それもあって、国交相のポストは死守しなければならない──というわけだ。

言論出版妨害事件

「公明党は長期的な視野に立ち、国交相に相応しい政治家を育成してきました。例えば、元国交相の太田昭宏さんは京大の工学部土木工学を卒業。石井啓一さんも東大で土木工学を学び、当時の建設省に入省しました。現職の斉藤鉄夫さんは東工大から清水建設に入社しています。公明党が国交相のポストに狙いをつけたのは最近の話ではなく、70年代から『土木と建設こそ権力の源泉』と見抜き、着々と準備を進めてきたのです」(同・元幹部)

 1970年、創価学会と公明党を批判する書籍の出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」が発覚。一部の国会議員が、当時、創価学会の会長を務めていた池田大作氏(95)の国会での証人喚問を求めたこともあり、池田氏は「言論妨害の意図はなかった」との釈明に追われた。

 その上で池田氏は「学会と公明党は政教分離を徹底する」と発表し、自身も国政に挑戦することはないと断言した。

「それまで信者や党員は、池田さんが首相に就任するものだと信じて活動してきました。その道を池田さん自身が閉したことで、学会と党は方針を転換します。信者数をいたずらに増やすことをやめ、東大と京大というエリート大学生に狙いを定めました。京大では苦戦しましたが、東大では数百人の信者を獲得。この成果が、京大出身の太田さんや東大出身の石井さんが国交相に就任するという結果に結実したわけです」(同・元幹部)

田中派に学んだ公明党

 1972年から首相を務めた田中角栄氏(1918〜1993)は、就任当初、「今太閤」や「庶民宰相」と呼ばれて圧倒的な人気を誇った。その評価が一転したのは74年だった。

 この年、ジャーナリストの立花隆氏(1940〜2021)が「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を月刊文藝春秋に発表。世論は田中氏に対する評価を一変させ、「金権政治」に厳しい目を向けるようになった。

 公明党も野党として自民党の金権体質を批判した。ただし、攻撃一辺倒ではなく、秘かに“角栄流の政治手法”を分析し、自分たちのものにしようと研究していたという。

「今の国交省、つまり当時の運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁の利権を押さえていたのが角栄さんでした。さらに、農林水産省が管轄する農業土木も負けず劣らずの巨大な公共事業です。農道整備は道路族の利権に類似し、農業用水の整備のためダムを造ることもあります。こちらの利権は竹下登さん(1924〜2000)が独占していました。つまり、公明党は田中派の手法を学び、自公連立政権で再現したのです。田中派が自民党内で権力を失い、清和政策研究会(安倍派)が伸長していたことも追い風となりました」(同・元幹部)

次の大臣も決定済み

 先に公明党議員の副大臣と政務官の就任状況を紹介した。今度は農水省に限定し、歴代の副大臣と政務官の数を見てみよう。

 自公連立政権が誕生してから副大臣は2人、政務官は8人という具合だ。公明党が農水省に食い込んでいることは一目瞭然で、これは極めて興味深い。

 国交相に話を戻せば、何と公明党は斎藤氏の次に就任させる議員も決めているという。自民党には絶対に渡さないというわけだ。

「次は参議院議員の上田勇さん(65)でしょう。1993年の衆院選に旧神奈川1区から出馬し、以後、5回連続で当選。2009年に落選するも12年に国政に復帰。17年に再び落選すると、昨年の参院選に比例区から出馬して当選しました。上田さんは東大で農業工学を学び、農林水産省に入省。公共事業についても詳しく、公明党は国交相が充分に務まると考えているはずです。これほど準備を積み重ねている公明党に対し、自民党はポスト奪還のためどんな対抗策を繰り出すのか、多くの関係者が注視しています」(同・元幹部)

デイリー新潮編集部

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