古い木簡も無くはないようですが、一気に点数が増えるのは天武朝以降のようです。一方史書は日本書紀の記述から少なくとも推古朝にはあったようで、呉音の存在から木簡以前も漢字の一応の普及はあったと見られます(木簡大量出土より前に漢字の一応の普及がなければ、漢音は呉音にとって代わっていたはずです)。遣唐使(留学生)が文盲と考えられず、五経博士の渡来や仏教伝来で漢字の一応の普及があって、推古朝の史書になったはずですが(古事記が推古朝までなのは、推古朝の史書と関係があるはずです)、当時の史書が木簡に書かれていたはずはなく(出土しませんし)、最初から紙で書かれていたでしょう。中国では竹簡・木簡が先ですが、日本ではショートカットして、紙が早くに入ってきたでしょう(残り難いだけです)。交易なんかでは木簡を古くから使ったかもしれませんが、史書を木簡に記した時代は日本には無かったと思われます。
引用
hyena_no_papa
@hyena_no
返信先: @alsnovaさん
おはようございます。
>史書とかは大分後になって登場
そうでしょうね。大量の木簡の発見を見ても分かる通り、必要な文字情報は木簡に書かれていたようですね。魏帝から卑弥呼への詔書等はある種の紙でしょうが、、、木簡なら紙よりは遺存性が高いはずなのに、史書みたいなものは未知なんでしょう。