俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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長い夜が明けるとき

 メインディッシュが片付き、食後の紅茶が用意される頃には、裏取引と呼べるものが俺と王妃様とレッドグレイブ公爵との間で完成していた。

 

 宮廷工作にかかる費用を全てファイアブランド家が負担すること、またファイアブランド家が押さえているオフリー軍の飛行船や鎧、物資を含めた全てのオフリー家の資産についてファイアブランド家は所有権を放棄し、その処分に関しては王宮の決定に従うことを条件に、王妃様とレッドグレイブ公爵はオフリー伯爵訴追への全面協力を約束した。

 

 莫大な戦費と少なくない犠牲を払って、戦利品も賠償も得られず、それどころか更なる持ち出しをさせられる形だが、背に腹は代えられない。

 

「最後に一つ、訊いても構わないかな?」

 

 レッドグレイブ公爵が問いかけてくる。

 

「はい。何なりと」

「未来についてだ。君はオフリー伯爵家による軛を拒み、君自身とファイアブランド家の未来をその手に取り戻して、その先何を目指しているのかな?自らの命を危険に晒してまで守ったのだ、何か大きな夢や目的の類があったのではないのか?それを是非とも聞かせてもらいたいのだ」

 

 ──先日のアンジェリカみたいな質問だな。あれよりもう一段踏み込んできてはいるが。

 大きな夢や目的は確かにある。悪徳領主になって、領地から富を吸い上げて優雅に暮らしながら、暴政に苦しむ民を見て楽しむ、という夢が。その前段階として領地を豊かにし、領民の所得を向上させるという目的が。

 

 さて、どう言えばレッドグレイブ公爵は好印象を抱いてくれるだろうか。

 

 レッドグレイブ公爵のことをまだ深く理解したとは言えないが、彼が俺に肩入れする気になったのは俺が冒険によってお宝を手に入れた実績とその証明であるセルカを見たから、というのは間違いなさそうだ。

 血筋に宿った性か、先祖の偉業への誇りか、自らの力と勇気をもって道を切り開く者をこそ愛し、逆に汚い手を使ってのし上がり、大物貴族に取り入ってのさばる者への軽蔑を持っていると見える。

 

 ならばこちらも冒険者たる先祖のことを織り交ぜて、目的を夢として語れば──

 

「私は、先祖たちの願いを叶えたいのです」

「願い?」

「はい。北方の未開の地を拓き、我がファイアブランド家を興したアンブローズ。その後を継いで領地の発展に尽力し、なおかつ戦で武功も上げてファイアブランド家を子爵家にまで押し上げたロードリック。彼らと彼らを支えた者たちが世を去ってから、ファイアブランド家は凋落しました。慢性的な財政赤字、膨れ上がる債務、政治の腐敗、他家による侵略──誰もそれらに対して有効な手を打てず、長きに渡って富は外へ流出し続け、民は世代を重ねるごとに貧しくなる一方。近頃では深刻な物不足で店には品物が並ばず、闇市が栄える始末です。私はその状況を変えたい。かつて先祖たちが願ったであろう、強く豊かなファイアブランド領──貧困に苦しむことも戦禍に脅かされることもない、希望と誇りを胸に安心して暮らせる領地を、この私の手で作り上げたいのです」

 

 レッドグレイブ公爵は目を見開いて俺の顔をまじまじと見る。

 

「それはつまり──君自身が領主となって領地を再興に導きたい、と?」

「はい」

 

 その目をまっすぐ見つめ返して答える。

 

 レッドグレイブ公爵はしばらくこちらの腹を探るかのように俺の顔を見つめていたが、やがてふっと息を吐いて、言った。

 

「──娘から王妃様に向かって啖呵を切ったと聞いた時も驚いたが、こうして面と向かって話すと更に驚かされるな。私の前でそのようなことを言った者は初めてだよ。愉快だ。実に愉快だよ」

 

 そう言ってレッドグレイブ公爵はからからと笑う。

 

 ──娘?レッドグレイブ公爵の娘になんて会ったか?

 生じたその疑問はすぐに一つの仮説に辿り着く。

 

 俺が王妃様に声を荒げたところを見ていた者は王妃様と侍女のアンジェリカ、それと護衛数人だけだ。

 ならばアンジェリカがレッドグレイブ公爵の娘だろう。

 

 王妃様は彼女が俺と同い年だと言った。

 ならばきっと、彼女と俺は学園でも同級生になるのだろう。

 ここでこのような形で知り合ったことはいずれ役立つかもしれない。人脈というやつはあらゆる場面で重宝するからな。

 学園に行ったら彼女とは仲良くやるとしよう。

 

「恐れ入ります。その節は大変失礼致しました」

 

 王妃様への改めての謝罪、それによるアンジェリカとレッドグレイブ公爵の心証アップの意味も込めて頭を下げる。

 

「それはもういいと言ったでしょう?その話はここで終わり。いいわね」

 

 王妃様が少し慌てた様子で止めに入る。

 

 頭を上げると、レッドグレイブ公爵が微笑みを浮かべて言った。

 

「またいつか──君とこうしてテーブルを囲んで愉快な話をする時が来るような気がするよ」

 

 

 

 会食が終わり、俺はアンジェリカに付き添われて部屋へと戻った。

 

 すぐに机に向かい、トレバーとアリージェントへの手紙を書く。

 トレバーと親父の身柄は王妃様とレッドグレイブ公爵が保護することになったため、二人には王宮まで来てもらわなければならない。

 

 書き上げた手紙をセルカに託して、俺はソファーに腰を下ろした。

 

 あとは良い知らせを待つだけだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 王都中心市街地の高級ホテル。

 

 その地下の下水道に仮面の騎士とファイアブランド軍の兵士たちの姿があった。

 夜間に下水道を通ってホテル内部に入り込み、テレンスを救出するという作戦に従い、下水道を進んできたのだ。

 

 ランタンを掲げた仮面の騎士が通路の行き止まりになっている鉄格子の扉の前で立ち止まって地図を覗き込む。

 

「ふむ。ここで間違いないな」

 

 そう呟いて地図をしまうと、仮面の騎士は剣を抜いて扉の錠前を一太刀で破壊した。

 

「よし、入るぞ」

 

 仮面の騎士が顎で示した扉の先へ兵士たちが足を踏み入れる。

 

 そして背負っていた荷物を下ろし、中から背広と革靴を取り出して身なりを変え始める。

 

 ものの数分で兵士から宿泊客へと変装を完了したファイアブランド軍は仮面の騎士に続いて昇降口も突破すると、二名を脱出路確保のために残し、目的の部屋を目指して通路を足早に進む。

 

 

 

 そこは外から見ると何の変哲もないただの部屋だった。

 

 だが実際には音を外に漏らさない工夫が何重にも施された特別な部屋であり、中で行われていることを外から窺い知ることはできない。

 

 その部屋で椅子に縛り付けられたテレンスは憔悴し切っていた。

 オフリー伯爵の部下たちによる連日の()()()()()にも、オフリー伯爵直々の懐柔にも屈さず、テレンスは黙秘し続けたのである。

 護衛二人は殺され、自分はここに捕まったが、エステルは逃げ延びており、彼らも行方を掴めずにいることを知った時から、テレンスは何の情報も漏らすまいと決めた。

  

 エステルならば自分がいなくとも何か方法を見つけて上手くやるだろうという確信があった。

 今自分を捕らえているオフリー伯爵やその手先共が何だというのか。エステルの方が余程恐ろしい。

 ファイアブランド家にとって不利な情報など吐こうものならどんな報復をしてくるか分かったものではない。

 

 視線をちらりと上げると、さっきまで尋問を行なっていた者たちが煙草を吸いながらトランプに興じていた。

 この窓一つない殺風景な部屋で、一向に口を割らないテレンス相手に尋問を続けるのにも飽きたらしい。

 

「二枚チェンジ」

「あああ!それじゃツーペア壊れますよ!」

「うっせ。俺は自分の勘を信じんだよ」

「あ!さてはハートのフラッシュ狙いですか!」

「ふん、違うな。まだまだだぜお前ら」

「お、スペードの五です」

「あ、これ決まりましたね」

 

 周りの声を無視してリーダー格と思しき狐目の男が涼しい顔でカードを引く。

 

「ストレート。俺の勝ちだな」

「「「えええっ!?」」」

 

 狐目の男が繰り出した手に周囲の部下たちが驚く。

 

「え、どうして三枚じゃなくて二枚チェンジを?」

「あン?ツーペア崩して二枚チェンジすりゃストレートとフラッシュ両方狙えたんだよ。賭け事ってのはおつむの使い方だ」

「「「おお──」」」

「ま、そんなことはどうでもいい。さっさとお前の──」

 

 狐目の男がニヤニヤ笑って約束の賭け金をせしめようと対戦相手に手を差し出した瞬間──飛んできた部屋の扉が対戦相手を直撃して吹っ飛ばした。

 

 何が起こったのか分からず呆気に取られる彼らに背広姿の男たちが次々に襲い掛かり、ナイフや剣を突き立てて仕留めていく。

 

「当たりだな。奴らも間抜けなことをしたものだ」

 

 仮面を着けた白スーツの男がその様子を見て呟くのを見て、狐目の男は襲い掛かってきた集団の正体を察した。

 

「馬鹿な。なぜここが──」

 

 言い終わらないうちに仮面の男が目の前に迫ってくる。

 

 すんでのところで懐に忍ばせていた短剣を抜き、首を狙った斬撃を受け止める。

 予想以上に重い一撃で短剣を持つ手が痺れる。

 

「ほう、この仮面の騎士の一撃を初見で防ぐとはなかなかやるではないか」

 

 素早く距離を取った狐目の男に、仮面の騎士と名乗った男はそう言い放った。

 仮面の下の口元には余裕綽々の笑みを浮かんている。

 

 一瞬で勝てないと悟った狐目の男は壁に向かって走る。

 

 直後に銃声が聞こえ、拳銃弾が自分の身体を貫いたのが分かった。

 それにも構わず狐目の男は壁にある非常ベルのボタンへと走り、拳を思い切り叩きつけた。

 

 ノッカーがベルを乱打し、けたたましい音がホテルに響き渡るのを聞いて、狐目の男は役目を果たしたとばかりに倒れた。

 

「人を呼ばれたか。テレンス殿を担げ!さっさとここから出るぞ」

 

 仮面の騎士が素早く指示を出し、見覚えのある顔がテレンスの方へ駆け寄ってくる。

 確か連れてきていた陸戦隊の小隊長の一人だ。助けが来たのだとテレンスは理解する。

 

「テレンス様!分かりますか?」

 

 呼びかけてくる小隊長にテレンスは頷いて返す。

 

「よし。意識はありますね。もう大丈夫です。俺は右を持つ。お前は左だ!」

「了解!」

 

 小隊長と兵士の一人がテレンスの身体を起こし、二人がかりで抱え上げた。

 部屋を出るテレンスは満足に動かない口を動かして小隊長に問いかける。

 

「エステルは──あいつはどうしている?」

「ご安心を。エステル様は王宮にて保護されております」

「王宮──だと?」

「はい。何でも──あの仮面の騎士という方のご厚意だそうで」

 

 小隊長が見やった先に視線を移すと、先頭に立って進む白スーツに仮面の男がいた。

 

 あの男がエステルを王宮に?一体何者なのかという疑問は当然湧いたが、それを口に出す気力などテレンスにはもはやなかった。

 救出されて、エステルも無事だと聞いて緊張の糸が切れたのか、急激に眠気が襲ってくる。

 

 意識が落ちる寸前、仮面の男がこちらを振り向くのが見えた。

 彼の姿にどこか見覚えがあるような気がしたが、どこで見たのかは分からなかった。

 

 

 

「テレンス様!意識が!」

「落ち着け!気絶なさっただけだ。あまり揺らすなよ」

 

 意識を失ったテレンスを抱えて、通路を元来た方向へと引き返すファイアブランド軍だったが、無情にも行く先から多数の足音が聞こえてくる。

 

「止まれ!」

 

 ホテルの警備員の格好をした男たちが行く手に現れ、拳銃を向けてくる。

 

 だが──

 

「テレンス殿を守れ!」

 

 仮面の騎士がそう叫んで、警備員たち目掛けて突進する。

 

 警備員たちが次々に発砲するが、弾丸は仮面の騎士の前や後ろを掠めるだけで当たらない。

 そのまま仮面の騎士は警備員たちに肉薄し、次々に斬り伏せていく。

 

 内懐に飛び込まれた警備員たちは接近戦用の武器を取り出す暇もなく、一瞬で三人が倒されたが、それ以上は続かなかった。

 四人目が斬撃を見切って躱し、短剣を抜いて仮面の騎士に切りつけた。

 

「ぐっ!」

 

 短剣の鋒が肩を掠め、呻き声を上げる仮面の騎士だったが、即座に床からの斬り上げを繰り出し、相手の短剣を持つ手を切断した。

 

 四人目の警備員が倒れたが、直後に三人の警備員が飛びかかってきて、仮面の騎士は重みに膝をついた。

 

「騎士殿!」

 

 ファイアブランド軍の兵士たちが加勢しようと駆け寄ってくるが、仮面の騎士はそれを拒絶した。

 

「構わず行け!」

 

 そして魔法で肉体を強化し、覆い被さっていた三人の警備員を力ずくで投げ飛ばした。

 

 投げ飛ばされた警備員たちの一人に喉元への刺突をお見舞いし、直後に手首を掴まれ、剣を落とされる。

 

「ッ!馬鹿力め」

 

 毒づいて、仮面の騎士は手首を握り潰されそうな痛みに耐えて腕を振り抜き、手首を掴んでいた警備員を残ったもう一人の警備員目掛けて思い切り投げ飛ばした。

 

 仮面の騎士が警備員三人と取っ組み合っている隙にファイアブランド軍の兵士たちは下水道へと逃げていった。

 

 その姿が通路の奥に消えるのを視界の隅に捉えた仮面の騎士は満足げに笑い、剣を拾い上げて投げ飛ばした二人の警備員の意識を刈り取った。

 

 そして呼吸を整え、近づいてくる新たな脅威に向き直る。

 

「ふぅ、やれやれ。結局貧乏くじを引くのは私というわけか」

 

 最初に現れた警備員は全員倒したが、新たに十人以上の警備員が現れていた。

 否、警備員に扮したオフリー家の手先だと、仮面の騎士は直感で気付いていた。

 

「戦力の逐次投入とは頂けないな。まあそれはいいとして、この先は立入禁止だ。入りたいなら私を倒してからにすることだな」

 

 仮面の騎士の言葉に警備員たちが武器を構える。

 

 再び銃声がホテルの地下に響き渡る。

 

 

◇◇◇

 

 

「これは──」

 

 地下に広がる惨状を見てウェザビーは絶句した。

 

 今朝まで秘密の部屋には捕えられていたテレンス・フォウ・ファイアブランドと見張り兼尋問役の部下たちがいたはずだが──部下たちは全員惨殺されており、テレンスの姿はない。

 そして階段から秘密の部屋にかけての通路には警備員たちの死体が無数に転がっていた。

 

「馬鹿共が。カードなどに現を抜かして魂を抜かれよって」

 

 死体を調べていた隻眼の男が吐き捨てる。

 敵対組織との駆け引きや抗争、それに伴う裏切りや暗殺が日常的に行われる犯罪組織でそれなりの地位に就いていて、常に身の安全に気を遣っている彼からすればあり得ない失態だった。

 

「これは──敵襲、なのか?」

 

 ウェザビーの問いかけに隻眼の男が答える。

 

「それは間違いないでしょう。わざわざこんなことするのはファイアブランドの連中しかいませんよ。使われた得物からするとやったのは大人。まあ大方連中が王都に来る時連れてきた兵隊の仕業でしょうな。あるいは我々の同業か傭兵でも雇ったか」

「──信じられん。なぜここに奴がいると分かったのだ?」

「知りませんよ。よっぽど鼻の利く犬でもいたのではないですか。それよりこれからどうなさるのです?当主はゲロる前に攫われて、娘も古参家臣も見つからず。内通者も潰された。かなりよろしくない状況ですよ」

 

 隻眼の男の問いかけにウェザビーは癇癪玉を爆発させた。

 

「何を他人事のように!あれからたったの二日だぞ!二日で捕らえた当主に逃げられて、情報は引き出せず、書類は回収できていないんだぞ!しかも部下をこんなに殺されて──あ"あ"あ"あ"!」

 

 声を荒げて床を踏みつけるウェザビーに対して隻眼の男は冷ややかな目を向ける。

 

「喚いたところで何にもならんでしょう。ファイアブランドの目と耳と鼻は我々の想像を超えて鋭かった。もはや我らの出る幕はございますまい。王宮のご友人を頼られた方がよろしいかと。それとも、残ったお仲間と一緒に奴らの軍艦に殴り込みでもかけますかな?」

 

 隻眼の男が言わんするところをウェザビーは察した。

 救出されたテレンスが運び込まれた先は港に停泊しているファイアブランド家の軍艦である可能性が高い。

 そこに乾坤一擲の襲撃をかけるか、王宮への書類持ち込みを阻止することは諦めて政治工作で握り潰せることに望みを託すか。

 もはやそれくらいしか取れる手がないと、彼は言っている。

 

 ウェザビーとてその他の手は思いつかない。

 だが、どちらを取ってもその先に良い結果が得られるとは思えなかった。

 

 前者はあまりにリスクが大きい。

 

 見張りについていたファミリーの手の者の情報で位置は分かっているが、その後その者は行方不明になっている。

 隠れていた見張りにすぐに気付いて抹殺するほど警戒している相手に襲撃などかけたところで成功する可能性は低いし、失敗すればこちらに不利な材料を追加で与えることになる。

 

 それに隻眼の男の口ぶりからしてファミリーは協力しないだろう。

 度重なる失敗でファミリーからの信頼が揺らぎ始めているのをウェザビーは感じていた。

 

 では後者はというと──当てにはできない。

 

 既に派兵の失敗でもともと薄氷だった信頼は失われている。

 宮廷工作への協力を取り付けようと方々を当たったが、どこも態度は消極的だった。

 

 派閥の領袖である侯爵に至ってはウェザビーを支援したことをなかったことにしようとしている。

 ファイアブランド家の関係者を捕えるために一定範囲内の魔法の発動を不可能する魔装具を提供した事実はない。侯爵はそう言ってきた。

 それはとりもなおさず、侯爵はオフリー家の行いは一切関知していない、全てオフリー家による軽挙妄動である、という立場を取るつもりであることを意味した。

 

 尤も、侯爵が魔装具を送ってきた事実は本当に存在しなかった(送り主:案内人(仮称))のだが、ウェザビーにはそれを確かめる術はなかった。

 

 とまれ、もはや頼れるところはない。

 

 ──どうすればいい?

 

 ウェザビーは僅か数日で追い詰められていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 アリージェントの隣の桟橋に王宮の紋章が描かれた小型船が接舷する。

 

 その小型船に乗せられるのはテレンスとトレバー、オフィーリアとニールだ。

 

「お気を付けて」

「ご安心を。必ず無事にお連れ致します」

 

 レックスと小型船の船長が敬礼を交わす。

 

「待ったぁぁぁあああ!!」

 

 そこに大声で割り込んでくるのは──

 

「私を忘れないでもらおうか」

 

 仮面の騎士だった。

 白いスーツは返り血で汚れ、所々切り裂かれていたが、目立った負傷はないようだ。

 

 それを見て小型船の船長が何とも言えない顔をする。

 

「はぁ──どうぞお乗りを」

 

 呆れた表情で乗船を促す船長をレックスは怪訝に思ったが、問い詰めることはしなかった。

 

「仮面の騎士殿。ご無事で良かった。貴殿には大いに助けられました。何もお返しができず心苦しいが、最大限の感謝を」

 

 レックスはそう言って帽子を脱いで仮面の騎士に頭を下げた。

 

 仮面の騎士は鷹揚に被りを振って答える。

 

「そう気負われなくともよろしい。私はこの王都の守護者。己の役目を果たしたに過ぎません。では、ごきげんよう」

 

 見事なお辞儀をした後さっとマントを翻し、レックスに背を向けて小型船に乗り込む仮面の騎士。

 その後ろ姿に向かってレックスは頭を下げ続けていた。

 

 

 

 王宮に向かって出発した小型船のブリッジで船長席に座ってくつろぐ仮面の騎士に、船長が呆れた目で問いかける。

 

「今度は一体どんな修羅場に首を突っ込まれたのですか?陛下」

「いや何、ちょいとばかり悪徳貴族に悪さをされている家のお姫様を助けようとしていただけさ」

「──よくご無事でしたね」

「普段ならタキシードの下に鎖帷子を着込むなんて無粋な真似はしないんだが──今回ばかりはそうも言っていられなかったよ」

 

 仮面の騎士がシャツのボタンを一つ外すと、隙間から銀色の金属が顔を覗かせる。

 

「そうですか。でも、戻ったらちゃんとフレッド殿のところへ行ってくださいね」

「あぁ──また小言を言われそうだな」

「自業自得です」

 

 ブリッジで行われたやりとりは誰にも聞かれることはなかった──はずだった。

 

『へぇ──いいこと聞いちゃった』

 

 仮面の騎士のすぐ後ろでセルカがこっそり呟いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 王宮の医務室に運び込まれた親父は宮廷医による手厚い治療を受けた。

 

 そのベッドの横で俺はトレバーと情報交換を行った。

 

「王妃様とレッドグレイブ公爵が協力を?」

「ああ。公爵が今訴追の準備を進めてくれている。近々王宮の調査団も派遣されるそうだ」

「そうでしたか。神殿には返事を濁されておりましたが、そのお二方が協力してくださるなら一安心ですな。よくぞ取り付けてくださいました」

「ふん、どうせ俺たちが有利だと分かったら知らん顔して一枚噛んでくるだろ。あの狸ジジイ(大神官)なら」

「失礼ですよ。エステル様」

 

 トレバーが嗜めてくるが、実際あの大神官は狸ジジイだろう。

 何十年も取り返せなかった聖なる首飾りをお返しし、空賊退治で得た戦利品を献上すると言っても協力を渋っていたし、トレバーからの要請にも返事を濁していたというなら──王宮中枢との橋渡しという依頼にちゃんと応えてくれていたかどうかも怪しいところだ。努力はした、でもその結果は──ってやつだ。

 結果的に仮面の騎士との出会いによって王妃様との面会が実現し、そこからレッドグレイブ公爵の協力を得られたからいいが。

 

「とにもかくにもこれでようやく終わりが見えてきたな」

「ええ。一時はどうなることかと思いましたが──やはり明けない夜はない、ということでしょうな」

「明ける前が一番暗い、も追加だな」

「ふむ、確かにそうですな」

 

 どちらからともなく窓の外を見る。

 

 雲の隙間から何条も光が差し込んでいて、今のファイアブランド家のようだと思った。

 

「ん──あれ?ここは──」

 

 ベッドから寝ぼけた声が聞こえてきた。

 

 見ると、親父が薄っすらと目を開けていた。

 

「テレンス様!」

 

 トレバーがすかさず呼びかける。

 

「──トレバー?」

「はい!トレバーです!」

「ああ──そうだ。軍が来て、助かったのか」

「はい!もう大丈夫です。ここは王宮です。我々は王宮に保護されました」

 

 トレバーの説明を聞いて親父は安堵の溜息を吐いた。

 

「──そういえばエステルは?」

「ここにいるぞ」

 

 親父が俺を探し始めたので、近くに寄って顔を覗き込んだ。

 

「面会はどうなった?陛下には会えたのか?」

「いいや。でも王妃様には面会できた。その伝手でレッドグレイブ公爵を抱き込んで今オフリー伯爵を査問する準備を進めている」

「公爵を?」

 

 親父が目を見開き、難しい顔をする。

 

「仕方なかった。あの書類だけじゃ証拠能力が不充分だった。だから公爵に宮廷工作で協力してもらう必要があったんだ」

 

 説明すると、親父は項垂れたように目を閉じた。

 

 そして目を開いて懸念を口にする。

 

「借りが高くつかないといいがな」

「ふん、オフリー家に借りを作るよりはマシだ」

「──そうか」

 

 親父は言い合う気力もないのか、窓の方を向いてしまう。

 

 そこへ扉が開き、親父の治療を担当した宮廷医が入ってきた。

 

「おお、お目覚めですか」

「はい。フレッド殿の治療のおかげです。本当にありがとうございました」

 

 頭を下げるトレバーに宮廷医は謙遜する。

 

「いえ、テレンス殿の回復力あってこそですよ。それでは、少しお身体の様子を見ますよ」

 

 宮廷医が親父の服をはだけさせ、器具と魔法を使って診察する。

 親父の身体からは無数にあった傷跡が綺麗さっぱり消え失せていた。

 

「うむ。もう大丈夫そうですね」

 

 宮廷医がそう言って器具をしまい、今日一日は安静にするようにと言って退室していった。

 

 代わって入ってきたのは黒いマントを纏った男たちだ。

 

「法院の者です。早速ですが、貴方方から今回の件に関して詳しく話を聞かせて頂きたく存じます」

 

 査問会に向けての取調が始まったようだ。

 

「ええ。何なりとお尋ねください」

 

 ──そう返してから三時間ほど取調は続いた。

 

 しかもその日だけでは終わらず、彼らは連日来て、俺たちは毎回終わった頃にはヘトヘトだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 三週間後。

 

 査問会でオフリー伯爵家に下された判決は取り潰しだった。

 

 元々王宮やレッドグレイブ公爵派閥が集めていた断片的な情報に加え、今回俺が入手した証拠書類とオフリー家、ファイアブランド家の両家に派遣された調査団の報告が決定打となり、有罪が確定した形だ。

 尤も、実際には予想されていた敵対派閥による宮廷工作がなかったのが大きい。

 どうやらオフリー伯爵はとっくに派閥のお仲間から見限られていたらしい。

 

 対してこちらには王妃様と国王陛下にレッドグレイブ公爵の派閥、さらには神殿や中立派までもが加勢してきた。

 レッドグレイブ公爵の派閥がこちらに味方することが知れ渡るや、一緒にオフリー家を美味しく頂こうと首を突っ込んできたのだ。

 

 まるで血の匂いに群がる鮫のような貪欲さに思わず戦慄したね。

 

 とにもかくにもファイアブランド家はオフリー家に勝利した。

 オフリー伯爵家は当主及び跡取りは処刑、一族の者は平民の身分に落とされ、領地と財産は全て没収されることになった。

 遠目に見えたオフリー伯爵の絶望感に染まった顔を見て、前世の自分をチラッと思い出し──そして安堵感が湧き上がった。

 戦争になった時点でどちらかがこうなることは分かっていた。それが俺ではなかった──前世と同じような末路を辿らずに済んだ。むしろ俺の方が敵をその末路に追い込めた。

 

 勝利に漕ぎ着けられたのは協力してくれた人たちと──その人たちと出会わせてくれた案内人のおかげだな。何度か危機にも陥ったが、その度に助けてくれた。

 また感謝を送っておかないとな。

 

 

 

 オフリー伯爵家とその関係者、傘下の商会の処分をめぐって騒がしくなっている王宮の一室で、二人の男がソファーに座って向かい合っていた。

 

「良いことをした後の酒は格別だな。ヴィンス」

 

 そう言って彼は酒を呷る。

 

「呑気なものですな。こちらはあちこち駆けずり回って大忙しでしたよ」

「奇遇だな。私もだよ。学園でダンジョンに挑んでいた時以来の全力疾走と剣戟の連続だった。いやぁ、実に大変だったなあ。かすり傷だったとはいえ、何箇所か負傷してフレッドにも泣かれたし」

「白々しいですね。普段からそれくらい必死で頑張って頂きたいのですが」

「うーん、考えておこう」

 

 皮肉をあっさり躱されたヴィンスは「ふん」と鼻を鳴らして、疑問に思っていたことをぶつける。

 

「しかし陛下、なぜファイアブランドの娘にあそこまで肩入れなさったのですか?提訴を受理して査問会を開くまではいいとして、その後も妙に気前が良かったように思いますが?」

 

 ヴィンスは彼が「今回の戦争で負った被害の補償」と称して、ファイアブランド領に押さえられていた飛行船や鎧、軍需物資をはじめ、オフリー家の資産を一部秘密裏にファイアブランド家に譲渡させたことを知っていた。

 

「なあに、天秤にかけたまでさ。あの娘とオフリー、どちらが残り、躍進するのが王国にとって得か。あの娘はきっといずれ大物になるぞ。あの目を見た時はっきり分かった」

 

 上機嫌に語る彼にヴィンスは疑いの言葉をぶつける。

 

「本当ですか?単に可愛らしい女の子に良い所を見せたかっただけでは?」

「まさか。国王たる私が私情でそんな決定をするわけにもいかないだろう。ただの投資だよ」

「前例のない当主交代をあっさり認めたのもそれだと?」

「無論だ。何事も最初があるものさ」

 

 彼の取ったもう一つの措置──それはエステル・フォウ・ファイアブランドを、学園卒業後に正式にファイアブランド家の当主として認めるというものだった。

 学園を卒業してすぐの、しかも女性を当主として認めるなど前例がない。

 しかし彼はそれをあっさりと認め、その決定は王宮の正式な決定となった。

 

「あの娘が何をして何者になっていくのか、この目でじっくりと見させてもらうとしよう」

 

 そう言って彼は新たに酒を注いだグラスを乾杯するかのように窓に向かって掲げた。

 

 

◇◇◇

 

 

 王都に来てから三ヶ月近くが経って、ファイアブランド領へと帰る日がやってきた。

 

 季節はすっかり冬になり、雪がしんしんと降っていた。

 今頃ファイアブランド領は雪と氷に閉ざされた極寒地獄と化しているだろう。

 

 桟橋には王宮から派遣されてきた護衛と──仮面の騎士が見送りに来ていた。

 

「久しぶりだね。お嬢さん。見ないうちに顔色が良くなったじゃないか」

「騎士様のおかげです。数々のご助力本当にありがとうございました」

「ふふ、よかった。見送りに来た甲斐があったよ。ここでお別れではあるが──風が吹いたらまた会おう」

「はい。必ず」

 

 別れの挨拶を交わし、アリージェントに乗り込むと、船室には行かずに甲板に立った。

 手すきの乗組員と共に登舷礼を行うためだ。

 

 アリージェントが離岸すると、甲板長が笛を吹いて「気を付け」を号令する。

 

 甲板上に乗組員が整列し、合図で一斉に姿勢を正して敬礼する。

 

 桟橋の護衛と仮面の騎士も敬礼を返してきた。

 

 彼らが見えなくなるまで、俺たちは登舷礼を続けていた。

 

 敬礼を解いた俺たちに艦長が言う。

 

「さあ、帰りましょう。我らが故郷へ」

「ああ」

 

 鷹揚に返事を返す。

 

 凱旋の時だ。


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