9月1日の新学期初日。
大勢のマグルが行き交うキングズ・クロス駅の中にミラベルはいた。
白いカッターシャツの襟に青いネクタイを巻き、その上にはベスト。
古風なボックスプリーツのスカートから覗く太ももを隠すのは白いニーソックスだ。
肩には黒いローブを、袖を通さずまるでマントのように羽織っており、どういう原理か支える物もないのにピッタリと肩に張り付いていた。
いくら風でなびこうともミラベルの肩から離れようとしないそのローブを何人かの人々が不思議そうに見る。
(……ふむ、この辺りか)
新品の制服に身を包んでいるミラベルは手元の紙と周囲の景色を確認する。
行き先は『キングス・クロス駅の9と3/4番線』。
そして現在彼女が立っている場所は9番線と10番線の間にある柵の前であり、目的地に間違いなく到着している事を確信させてくれた。
ホグワーツ行き、9と3/4番線……勿論そんな中途半端なプラットホームなどどこにも存在しない。
だがそれはあくまでマグル基準で話した場合の事だ。魔法使いならば戸惑う事などないだろう。
ミラベルは荷物を背負ったまま迷うことなく柵に向かって歩き、そして次の瞬間には『9・3/4』と書かれた鉄のアーチを潜っていた。
その先には紅色の蒸気機関車が停車しており、ホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』と書いてある。
様々な色の猫が足元を縫うように歩き、あちこちでフクロウがホーホーと鳴いているが、これは生徒達が連れ込んだペットだろう。
至る場所で制服を着込んだ生徒と親らしき人物が言葉を交わし、あるいは入学の不安を語り合っている。
余談だがミラベルの両親であるベレスフォード夫妻はここに来ていない。
娘の出発をただ見送る為だけに仕事を空けるなどナンセンスだと彼らは考えていたし、何よりミラベル自身が見送り不要と伝えておいたからだ。
その代わりに彼女の忠実な従者である屋敷妖精のホルガーが側に控えていた。
隠蔽の魔法を使って同行し、一言も喋らない事でここまでマグルに見付からず付いてきたのだ。
「それではお嬢様、お気を付けて」
「貴様はサボりすぎないようにな……“時”が来るまではベレスフォードに忠誠を誓っているように見せておけ」
「それは勿論……抜かりなく」
ホルガーはミラベル一人に仕える屋敷妖精だ。
だがその事をベレスフォード夫妻には教えていない。依然変わりなくベレスフォードに忠誠を誓っているフリをさせ、屋敷で働かせているのだ。
といってもその仕事内容は以前と違い、暇を見付けてはサボるという手抜きぶりだが夫妻が気付く様子はない。誰よりも働いてばかりの屋敷妖精は、他の誰よりも手の抜き方を心得ているという事だ。
ホルガーに持たせていた残りの荷物を受け取ると、そのままミラベルは振り返ることもせずに汽車に乗り込み、ホルガーも不満一つ漏らす事なく姿くらましの魔法で消え去った。
そのまま彼女は列車の後ろの方へ歩いていくと5両目で開いてる席を見付け、そこに座り込む。
出来るなら一番後ろがよかったが残念ながら最後尾はすでに満員だ。
やがて汽車が発進し、窓の外の風景が流れていく。
駅がすぐに見えなくなり、辺り一面の畑が眼を楽しませたが、やがてミラベルはそれに飽きて鞄を開いた。
そして中から最近購入した小説を引っ張り出し、暇潰し代わりにパラパラと読むが、10ページ程度読み進めた所ですぐに飽きて本を閉じる。
(チッ、全部読んでしまったのは失敗だったな。一度読んだ本など暇潰しにもならん)
教科書や参考書の類は全て購入した日から今日までの間に読破してしまっている。
しかも具合のいいこの脳味噌は一度見た物ならば完全に覚えてしまうという一種の瞬間記憶能力まで有していた為、復習すら必要としない。
これは長所でもあったが、娯楽という面で見れば完全に短所であった。
何せどんなに心躍る物語や小説であろうとも一度読めばその内容を詳細まで完全に覚えてしまうのだ。
つまり一度見た物語は二度と楽しめないわけである。
小説や映画を見るのが好きなミラベルにとって、この能力は地味に邪魔なものであった。
仕方なく本を鞄に戻しているとノックが聞こえ、コンパートメントの扉が開いた。
「そ、その……ここ、空いてないかな? 他はどこも一杯で……」
入ってきたのはぽっちゃりした丸顔の、背の低い少年だ。
何かオドオドしており、視線も定まらない。いくら初めての魔法学校とはいえ、着く前から緊張しすぎだ。
ミラベルは小さく溜息をつくと空いている席を指差し、そのまま無言で腕を組んで窓の外に目をやる。
とりあえずこのやる事のない退屈な時間は風景を楽しむ事でやり過ごそうと考えたのだ。
「あ、ありがとう……」
お礼を言いながらおずおずと少年が座るが、ミラベルは答えない。
正直この少年には興味の欠片も湧かないからだ。
少年も誰かと話すのは苦手なのかそれ以上何かを言う事はなく、黙りこくってしまう。
時折ミラベルの方へチラチラ視線を向けて何かを話そうとはするものの、ミラベル自身が放つ近寄りがたいオーラがそれを許さない。
そうして(少年にとって)居心地の悪い時間がしばらく続き、時計が12時半を指した頃、通路でガチャガチャという耳障りな音が響いた。
コンパートメントが開き、えくぼの老婆が顔を覗かせる。
「車内販売よ。何かいりませんか?」
もう昼食時か。そう思い、ミラベルはカートに目を向ける。
バーティー・ボッツの百味ビーンズ(ミラベルはこれが死ぬ程嫌いだ)に蛙チョコレート、かぼちゃパイ、大鍋ケーキなど、お菓子が大半を占めていて胃に悪そうだ。
だが小腹が空いているのも事実。とりあえず飲み物とパイを買っておくのが妥当だろう。
「かぼちゃパイとかぼちゃジュース、蛙チョコレート」
「はい、毎度~」
代金の銀貨を渡し、パイの包みを破ってからかぶり付く。
まずは食感。柔らかな、それでいてサクサクとしたパイ生地を歯で噛み締め、その下のカボチャと一緒に噛み切って口内へと入れる。
咀嚼してみれば濃いかぼちゃの味とバターの香りが口で混ざり合い、ほどよく舌を刺激した。
次にカボチャジュースの入ったビンを取り、蓋を開けてから飲み込む。
するとこれまたカボチャの甘みが口の中に広がり、ほどよい冷たさが暑さを忘れさせてくれた。
しかも、ただミキサーにかけただけのカボチャジュースではない。汽車内の子供達が飲みやすくする為にリンゴジュースを加えているらしく、甘みの中にわずかな酸味を感じ取る事が出来る。
(……ジュースとパイでかぼちゃがダブったのは失敗だったか。
なるほど、この車内販売はジュースで十分なのだな)
最後に蛙チョコレートを手に取り、包みを解いて噛み砕く。
見た目こそゲテモノ丸出しな蛙チョコレートだが、その外見に反して中身は普通のチョコレートだ。
甘いチョコの味が口の中に広がり、心を落ち着かせる。
(蛙チョコレートは正解だな……かぼちゃ尽くしの中で実に爽やかな存在だ)
やや甘味に偏った昼食だったが、まあそれなりに満足出来た。
ナプキンで口元を拭い、心地よい余韻に浸っていた彼女だったが、それをブチ壊すかのように少年がソワソワしだした。
鞄の中や座席の下をしきりに確認し、涙目であちこちを探し回る姿は鬱陶しい事この上ない。
やがて彼は意を決したように涙声交じりでミラベルへと声をかけた。
「あ、あの……僕のヒキガエルを見なかった?」
「知るか」
ペットの管理すらこいつは出来ないのか。
そう呆れながら冷たく返し、窓の外に眼を向ける。
この少年がペットを無くそうがそれで困ろうが自分の知った事ではない。たかが蛙一匹管理出来ないこの小僧が悪いのだ。
彼は「ごめん」とだけ呟くとしゃくりあげながら通路へと出て行き、蛙を探し始めた。
(……到着まではまだかかりそうだな……)
読み終えていない小説の一冊でも持って来るべきだったか。
そんな事を考えながらミラベルは目を閉じ、まどろみの中に身を委ねる。
暇を潰す方法がないのなら寝てしまうのが一番楽な選択だ。
だがそうして夢の世界に入ろうとしている彼女を邪魔するようにコンパートメントがまた開けられた。
「ねえ、ここにヒキガエル戻ってない?」
先程の少年ではない。同学年の少女だ。
フサフサ……というよりはボサボサした栗色の髪は手入れされていないのかあちこちがはねており、正直鬱陶しい。
顔立ちは悪くないがいまいちパッとせず、前歯が少し長くてリスのようだ。
素材は悪くない……いや、むしろかなりいい部類だろうが全く磨いていないせいで非常に残念な事になっている少女。それがミラベルが彼女を見た第一印象であった。
「……貴様は?」
「私、ハーマイオニー・グレンジャー。ホグワーツの新入生よ。
ところで魔法界のペットって色々いて驚かされるわよね。
私がペットを飼うなら断然フクロウね、だって手紙を運んでくれてとっても便利なんだもの。
私の家族に魔法族は誰もいないからフクロウが手紙を配達するって知った時は凄いびっくりしたわ。
手紙がうちに来たときも魔法学校の白いフクロウが手紙を運んできてくれたのよ。それを見て私、魔法学校に憧れて絶対に行きたいと思ったの。だってとっても素敵なんだもの。
あ、そうだ。貴女の名前は?」
「…………」
彼女……ハーマイオニーと名乗った少女は一気にこれだけの事を無呼吸で言ってのけた。
流石のミラベルもこれには少し唖然としたが、彼女の名を記憶と照らし合わせてなるほど、と思う。
これがハリー・ポッターのヒロイン、ハーマイオニーか。
マグル生まれでありながら誰よりも勤勉で高い成績を維持する秀才。
そして実はハリー達の関わる事件の大半で、真っ先に答えに辿り着いている存在でもある。
ハリーなど彼女が切り開いてくれた道を後から歩いているだけに過ぎない。
そういう意味ではハリーよりも優秀な存在と言えるだろう。なかなか大した少女ではないか。
「ミラベル・ベレスフォードだ」
「そう、よろしくねミラベル。ところで話を戻すけどここにヒキガエル来てない?
というか貴女も一緒のコンパートメントなんだから探してあげなさいよ」
記憶にある通り威張った喋り方をする少女だ。
だが許してやろう、とミラベルは思った。彼女にはそういう話し方をする資格がある。
優秀な者はそれに見合う話し方をするべきだ、というのがミラベルの持論だ。
だからこそ彼女は全てを見下しきった話し方をするし、常に偉ぶっている。
これは「自分は他の誰よりも上にいる」という彼女の慢心の現れだ。
「自分で探させればいい。あの小僧自身の問題だ」
「何よ冷たいわね。同じコンパートメントなんだから探してあげればいいじゃない」
「面倒だ。蛙一匹すら見付けられない方が悪い」
無情に切り捨ててかぼちゃジュースをグイ、と飲む。
不味くはないが、この味の濃さはどうにも喉を潤すには適さない。
渇きを癒す為ならばやはりミネラルウォーターが一番だ。
「あ、そ! 見付ける事が出来ないんだ! だからそんな事言ってるんでしょ!」
「…………ほう?」
ミラベルは飲み終わったビンを置き、溜息をつく。
何とも安い挑発だ。だがこの少女は挑発ではなく本当にそう思いそうで困る。
初日から低く見られ、舐められるのはあまり好ましくない。
仕方ないか、と思いミラベルは胸ポケットの中の黒ネズミ、ピョートルを摘み出した。
「初仕事だピョートル。蛙を捕らえて私の前に連れて来い」
ネズミを通路に放ち、そのまま足を組んで不動の姿勢を取る。
それからわずか数十秒後、蛙をくわえたピョートルが帰還し、蛙をテーブルの上に放って(少年が「トレバー!」と叫んだ)ミラベルの組んだ足の上へと飛び乗った。
一仕事を終えて満足そうに胸を逸らす彼へと、好物であるチーズを与えて喉を撫でてやる。
ネズミがチーズを好む、というのは都市伝説のようなもので実際はあまり食べない、と言われているがそこは流石に魔法界の生物か。普通のネズミとは好みが異なるようだ。
「これがペットの使い方というものだ。逃げられるなど躾以前の問題だよ」
呆れたような視線をネビルへと向け、次に呆然としているハーマイオニーを見る。
どうやらこのやかましい小娘を黙らせる事には成功したようだ。
ミラベルは多少溜飲を下げ、再び窓の外へと意識を移した。
「そ、その、ありがとう」
少年の声が聞こえるが、無視して風景を楽しむ。
だがそこでまたしても出しゃばるのがハーマイオニーだ。
彼女は頬を膨らませて怒ったようにキーキー声で怒鳴る。
「ちょっと! お礼言われてるんだから返事くらいしたらどうなの!?」
「……貴様、お節介が過ぎるとよく言われないか?」
耳障りな声を聞きながら、呆れたようにミラベルが言う。
こういう性格だという事は知識で知っていたがなかなかどうして、実際話してみるとまた違う。
確かにこれでは孤立してしまうのも仕方なし、といったところだ。
だが我を通すというのは中々嫌いではない。
ミラベルは苦笑を浮かべ、ハーマイオニーへと目を向ける。
「ならば私も一つお節介を焼いておこうか。貴様はその髪と身だしなみをもう少しどうにかした方がいい。せっかくの素材が台無しだぞ?」
「お、大きなお世話よ!」
ククク、と含み笑いをし、ハーマイオニーの反応を楽しむ。
彼女は顔を真っ赤にして怒り、背を向けて出て行ってしまった。
その彼女の背を見送ってからミラベルは背もたれに寄りかかり、目を閉じる。
これからヴォルデモートが現れるまでの4年間、彼女とハリー・ポッター、そしてロナルド・ウィーズリーの3人は力を合わせ、様々な困難を打ち破って行く事だろう。
だが真に恐るべきは彼らを操っている存在、ダンブルドアである。
この4年間、力を蓄えるついでに彼らの動きを監視するのも悪くはない。
彼らをダンブルドアが操っている、という事は逆に言えばその動きからダンブルドアの心理や動きをある程度推測出来るからだ。
しかしハリーとハーマイオニーは可能ならば引き込んでおきたいとも思う。その場合は原作通りに動かすわけにはいかないが、そうすると当然ダンブルドアの次の手が読めなくなってしまう。
何とも難しい事だ。そう思い、ミラベルはまどろみの中に今度こそ身を委ねた。