自称過激派の人たちへ

自分たちのしていることが誤ってると自覚しているにも関わらず、それを変えることができない人たち。その人たちがあたかもまともな素振りをして世の中で過ごしている怖さ。そして、それを指摘する側を悪意として認定する都合の良さ。僕は一部のダブル勢を好きになることができません。というより、嫌いです。

私は去年まで同じ理由で3年間くらいツイッターから離れていたので別に辞めることに躊躇はありません。こういうブログを気持ちが悪いと思うなら何か言ってくればいいと思います。
でも、どうしてこっち側が離れる選択を取るのが安定択になるのか、それが分からないのでこうして文章を書いています。それを変えることができるチャンスは何度もあったはずなのに変えようとしないなら、シングルなどから強い人たちに入ってきてもらってすべてを壊すしかないようにしか思えません。

面白いですよね。自分たちがまともなプレイヤーを「くだらない」と辞めさせているのにも関わらず、誇るものは自分や身内の強さでしかなくて、自分よりも強い人に発言してもらわないと耳を通らない都合の良さ。ポケモンでは相手の動きを決めつけ行動と見下しているにも関わらず、自分の立場は変えようとしない。そもそも、強さに文句を言っているのではなくポケモンを通じて露呈している人間性を指摘されているのに、どうして強さを盾に反証してくるのでしょう?いやいや、聞いてませんって。

簡単な成功体験に逃げてしまう、時間をかけても回り道をしてもしたいことが何もなく、得たいのはその先で得られる承認欲求だけというのは本質的には寂しい人のように思えます。まあ、生物的観点からは正しいんですかね?是非、ライオンとbo3で戦ってみることをお勧めします。

最後に、そういった人たちを取り囲む人たちが面白がって煽るように増長させているのはどういう価値観を持っているんでしょう。インターネットにおける攻撃は必ず成功してしまう魔法の行動です。現実世界であれば相手にされてないと理解できるにも関わらず、インターネットでは反応がないのを相手にされてないではなく、我慢していると解釈することができてしまうから話にならない。

仲間意識から生まれる第三者への悪意は、自分の仲間に対する信頼のなさから来ているのではないかと思うときがあります。誰かを信用することができるならば、人のことを好きになったことがあるならば、同じく人である相手を何も知らずに攻撃することはあるのでしょうか?他に何もないから、そこまでして護りたいものなのでしょうか?