俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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騎士アーヴリル

 令嬢の専属使用人と思しき獣人の少女に見つかった潜入部隊は何食わぬ顔でやり過ごそうとしたが──失敗した。

 

「貴方たち、見かけない顔ですね。──何者ですか?」

 

 強い口調で誰何してきた獣人の少女に対し、潜入部隊の隊長は即座に排除を決断した。

 

「我々は──」

 

 隊長がそう呟くと同時に部下が一瞬で風魔法の刃を生成し、少女目掛けて放つ。

 見てから回避することなど不可能な距離から放たれた必殺の一撃──それはしかし、少女の後ろから飛んできた風の塊によって阻まれてしまう。

 風の塊は少女を壁際へと吹き飛ばし、旋風に変わって彼女を守る結界となった。

 

「無事か!?」

 

 風の塊を放ったのは二十歳かそこらの若い女だった。

 彼女の腕には風魔法の魔法陣が浮かんでいる。

 ファイアブランド家の寄子あたりの娘だろうか──どうやらそれなりに鍛えているらしく、魔力量もかなりのものと見えた。

 

 正面から打ち合っても簡単には倒せそうにない。

 ならば──

 

「──ランス様?」

「喋れるならいい!早く誰かに伝えろ。侵入者だ!」

 

 直後、後方を見張っていた殿の二人が女の頭部目掛けて氷の矢弾を放つ。

 自分たちを警戒して後方への警戒が疎かになっている──そう思っていたが、獣人の少女が気付いて女を突き飛ばして救った。

 不意打ちは失敗した。

 

「貴様ら──何者だ!」

 

 大声で問うてくる彼女の意図が番兵を呼ぶことにあるのは明らかだった。

 思い切り叫ばないのは、叫ぶのに意識を傾けたその隙に距離を詰められて殺されると理解しているからだろう。

 

 ここで悠長に戦っていても相手の思う壺──隊長はそう判断し、殿の二人に女と獣人の少女の相手を任せ、残りで任務を続行することにした。

 ただし、方針は第二プランに変更する。

 侵入を気取られた以上、隠密行動は続けられない。

 こうなっては強硬策しかない。領主、テレンス・フォウ・ファイアブランドとその家族を拉致して人質にし、件の機密書類を身代金に要求する。

 まずは適当な番兵を捕まえて領主一家の居場所を聞き出す必要がある。

 

 隊長の誤算は予定していたよりも多くの番兵──一個分隊と鉢合わせしてしまったことだった。

 素早く風魔法の刃で三人を屠ったが、残りの反撃でこちらも一人やられてしまった。

 物陰に隠れて風魔法で再び攻撃したが、番兵たちも魔法を使う相手との戦いを心得ているようで、柱の陰に身を隠して出てこず、銃身だけ出して断続的に発砲してくるだけだ。

 このまま膠着状態が続けばこちらがどんどん不利になる。

 隊長は移動を命じようとしたが、銃声を聞きつけたほかの番兵たちが次々に集まってきた。

 

 もはやここまでかと思った隊長だったが、不意に集まってきた番兵たちが二人倒れた。

 見ると、倒れた番兵たちの背中には見覚えのある氷の矢弾が突き刺さっている。

 

(片付けて追いついてきたか。でかした!)

 

 すかさず風魔法の刃を放って挟撃する。

 後ろから氷の矢弾、前から風の刃に襲われた番兵の一隊は為す術なく全員倒れ、逃げ道が開いた。

 

「行くぞ!」

 

 隊長はそう言って煙幕弾を取り出して放り投げた。

 潜入部隊は発生した煙に紛れて移動を開始する。ついでに倒れた番兵の中からまだ息がある者を一人情報源として確保するのは忘れない。

 

 番兵たちを倒したのはやはり残してきた二人だった。

 結局女と獣人の少女を仕留めるには至らなかったようだが、侵入を番兵たちに気取られた以上、問題ではない。

 全員合流した潜入部隊は幻術を巧みに使って追跡を欺きながら速やかにその場を離れる。

 

 

◇◇◇

 

 

「下からだ!」

 

 番兵たちの悲鳴を聞いたアーヴリルは急いで階段を降りて悲鳴が聞こえてくる方向へと向かった。

 

 番兵たちではあの風の刃と氷の矢弾を使う相手には分が悪い。だが、風魔法が使える自分が加勢すれば、協力して侵入者たちを撃退できる。

 そう思って駆けつけたアーヴリルだったが、駆けつけた先には既に煙幕弾によるものと思しき白煙が充満し、侵入者たちの姿は見当たらなかった。

 

「くそっ!間に合わなかったか」

 

 毒づいて風魔法で煙を霧散させたアーヴリルは惨状を目にして戦慄する。

 

 首を落とされた者、急所に氷の矢弾が突き刺さった者はまだマシな方だった。

 風の刃に手足を落とされたり、太い血管まで切り裂かれて大量出血を起こしたり、急所を外れた氷の矢弾が刺さった箇所を凍らせて抜けなくなったり、刺さった氷を抜こうとして手が接着されてしまったり──重傷を負って苦痛に呻いている者が多くいた。

 どうやら侵入者たちと交戦して一方的に蹂躙されてしまったらしい。

 

「あ、貴女は──」

「エステル様の御客人?」

 

 急に煙が晴れたことで物陰に隠れていた番兵たちが戸惑いながらも姿を現した。

 

「アーヴリル・ランスだ。先ほど侵入者を見つけて戦いになったが、逃げられた。ここに来たようだが、奴らはどこに?」

 

 問いかけるアーヴリルに番兵たちは悔しげに俯いて応える。

 

「分かりません。先ほどまで膠着状態だったのですが──煙幕を使われて、逃げられました」

「おそらく、第四分隊を突破して西翼屋に向かったものと思われますが──」

「見当は付きません。奴らどうやら隠密のプロのようで」

 

 番兵たちの答えから闇雲に追っても無駄だと判断したアーヴリルは、侵入者の追跡を一旦諦めて番兵たちの手当てを優先することにした。

 

「負傷者の手当てが先だな。無事な者は手を貸せ!それと、お前たち二人は早く医者を呼んでこい!」

 

 アーヴリルの指示で番兵たちが動き始める。

 名指しされた二人の番兵が街まで医者を呼びに行くためにエアバイクの格納庫に向かい、残りはライフルを下ろして仲間の手当てを始めた。

 

 アーヴリルは負傷者の重傷度を一人一人観察して手当ての優先順位を決めていく。

 アーヴリル含め、この場にいる誰も治療魔法は使えないため、治療魔法でなければ助からないような重傷者は後回しにするしかなかった。

 

 一通り指示を出し終えたアーヴリルは手の回らない負傷者の手当てに取り掛かる。

 その隣に大きな赤い箱がゴトッと音を立てて置かれた。

 

「これを!」

 

 ティナが箱を開けて中から包帯と消毒・気付用の酒瓶を取り出した。

 どうやら彼女はアーヴリルが番兵たちの所に駆け付けていた間に、救護所に救急箱を取りに行っていたらしい。

 

「でかした。支えろ!」

 

 大腿部に風の刃による裂傷を負った番兵の脚を高く上げながら止血処置をするのは一人では難しかったため、ティナに脚を支えるよう要求する。

 

 ティナが素早く番兵の脚を肩に担ぐと、アーヴリルは酒瓶を開けて中身を口に含み、傷口に噴き掛ける。

 そして大腿部に止血帯を巻き、棒で捻ってきつく締め上げる。

 持っていた懐中時計を見て時間を確認し、止血帯を緩める時間を計算してから次の負傷者のところへ向かう。

 

 医者が到着したのはそれから十分ほど経ってからだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 負傷者の手当てが一段落し、後を医者に任せたアーヴリルはティナと共に番兵たちに事情聴取に呼ばれた。

 

 案内された部屋の真ん中にシートが敷かれ、その上に番兵たちに射殺された侵入者の遺体が置かれている。

 

「侵入者と交戦したと聞きました。この顔に見覚えは?」

 

 番兵たちを束ねる騎士【アンガス・ティレット】が二人に問いかける。

 

「確かにいました。私が見た時はほかに仲間が十人ほど」

 

 ティナが侵入者の顔を確認して頷いた。

 

「私も見ました。風魔法の使い手です」

 

 アーヴリルも侵入者の顔に見覚えがあった。

 たしか、ティナに振り向きざまに風の刃を投げつけた奴だ。

 腕に魔法陣が浮かんだのを見て咄嗟に旋風結界魔法を使ったのはただの直感だったが、正直よく間に合ったと思う。

 発動速度といい、隠密性といい、威力といい、かなりの技量だった。

 

「交戦に至った経緯について詳しく聞かせて頂けますか?」

 

 ティレットが手帳を開いて質問してくる。

 

 アーヴリルがティナに目配せすると、ティナが話し始める。

 

「私がお嬢様の部屋を掃除している最中に大人数で移動する足音が聞こえてきたんです。東翼屋の階段を一階から二階に上ってきていました。それで何かおかしいと思って、見に行ったんです。そして使用人の格好をした人たちを見つけたんですが──誰の顔にも見覚えがなかったもので、誰なのか尋ねたのですが──」

 

 ティナがアーヴリルの方を見てきたのでアーヴリルが説明を引き継ぐ。

 

「私はおそらくそのタイミングでティナを見つけました。その時、この男と他もう一人が風魔法を使おうとしていましたので、咄嗟に旋風結界魔法を最大威力で使用しました。発動がほぼ同時で、威力的にも拮抗状態でしたが、連中が放った風の刃を相殺することには成功しました」

「そこから交戦に突入したと?」

「そうです」

 

 ティレットは手帳にペンを走らせ、考え込む。

 

「ふむ──なるほど。第一発見から交戦までの経緯は分かりました。ではランス様、貴女はどのような経緯でその場に居合わせたのですか?」

「それが私にもよく分からないのです。夜明け前からずっと客室にいたのですが、突然正体不明の発光物が現れて──それを追っていったところ、ティナのところへ辿り着いたのです。信じ難い話ではありますが──現にティナを間一髪で助けられました」

「発光物──ですか?ふむ──確かに突飛ではありますが、微精霊を使い魔にして危険を察知させたり、対象を守らせる魔法も存在すると聞きます。可能性があるとすればエステル様がそのような魔法を使っていたか──いや、これは本人に直接訊くほかないか。失礼、では交戦時の状況を聞かせて頂きたい」

 

 事情聴取はそれから二十分ほど続いた。

 

 

 

「参ったな。奴ら思ったよりも手強そうだ」

 

 事情聴取を終えたティレットは溜息を吐いた。

 ティナとアーヴリルから聞いた限りでは敵は楽観的に見積もっても騎士レベルの実力と極めて高い隠密能力を持つ集団だ。精鋭とはいえ、殆どの者が一般兵の域を出ない番兵部隊では分が悪い。

 実際先程の戦闘で二個分隊分がやられてしまっており、他にも行方不明の番兵が何人か出ている。

 下手に探し回ってまた鉢合わせでもすれば、また多くの犠牲が出てしまうだろうし、それで仕留められる確証もない。

 まずは相手の正体を明らかにするのが先だ。

 

「どうだ?何か手掛かりは?」

「駄目ですね。所属が分かるようなものは何も」

 

 侵入者の遺体を調べていたティレットの部下がかぶりを振った。

 

 身体が異様によく鍛えられ、衣服のあちこちに暗器が仕込まれ、自決用と思しき毒薬まで持っているが、服装は屋敷の使用人のものであり、所属が分かるものを一つも身に着けていない──ということはおそらく間者だ。

 そんなものがいきなり屋敷に現れた理由といえば、一つしか思いつかない。

 その仮説はティレットよりも先に部下が口にした。

 

「あくまで推測ですが、おそらく例の証拠を奪取もしくは隠滅するためにオフリー家が送り込んできた隠密部隊でしょう。侵入のタイミングとこれほどの事前準備ができたことからすると、少なくとも数日前から領内に潜伏していたものと思われます」

 

 部下の言葉にティレットが考え込む。

 

「やはり奴らはまだこの屋敷の中に潜んでいる可能性が高いな。厄介だぞ。屋敷の中に隠れる場所は沢山ある。我々ではとても手が足りん。軍の地上部隊、できれば風魔法が使える者を応援に寄越してもらいたいところだが──」

「地上軍が人手を回してくれるかは微妙ですね。外縁(水際)作戦に備えて全兵力を外縁部の陣地に集結させています」

 

 渋面になるティレットだが、この際やれることは全てやろうと速やかに部下に命令を下した。

 

「それでも要請するしかあるまい。我々だけでは奴らを狩れない以上、下手には動けん。まずは領主様とご家族の安全を確保する。避難はどうなっている?」

「は、現在領主様の私室に避難されています」

「よし、【特番分隊】を呼べ。ご一家をこの屋敷から脱出させる。御客人と専属使用人もだ」

「了解です」

 

 部下が部屋を出て行くと、ティレットは別室に移らせていたアーヴリルとティナのもとへ向かう。

 

 

 

 扉が開いて、先程事情聴取してきたティレットが入ってくる。

 

「ランス様、でしたね?」

「はい」

「貴女とそちらの専属使用人も領主様と共に屋敷から脱出して頂きます。これ以上客人である貴女を危険に晒すわけには参りません」

 

 ティレットの申し出はアーヴリルには承諾しかねるものだった。

 

「いえ、私にも侵入者排除を手伝わせてください。私は魔法が使えます。あの者たちの相手をするに当たっては魔法が使える者が一人でも多くいた方がいいでしょう」

 

 食い下がるアーヴリルにティレットはかぶりを振る。

 

「いいえ。ファイアブランド家に仇なす輩への対処は我らファイアブランド家の軍人の職務です。身分や能力がどうであれ、貴女は客人であってファイアブランド家の戦闘員ではありません。そんな貴女を我々は既に敵襲に巻き込んでしまった。この上戦いに駆り出すなどあってはならぬことでございます。騎士としてそこは譲れません。どうかご理解頂きたい」

 

 そう言うティレットの目は真剣だった。

 彼を翻意させることは無理だとアーヴリルは悟った。

 

「──分かりました」

「こちらへ。案内致します」

 

 ティレットの指示で番兵たちがやってきてアーヴリルとティナを部屋から連れ出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 縛られた番兵の大腿部にナイフが突き立てられる。

 番兵は痛みに悲鳴を上げるが、その声はどこにも届かない。

 音を遮蔽する特殊な仕様のシールドが周囲を覆っていた。

 

「言葉、分かるか?」

 

 ナイフを突き立てた犯人──潜入部隊の隊長は男に冷たく問いかける。

 

「習うまでもないよな?ガキの頃から喋ってんだからさ。でも俺たちは習ったよ。いや、習わなきゃいけなかった。それと一緒に──」

 

 突き立てられたナイフが引き抜かれ、肉を切り裂いて血を噴き出させる。

 付着した血を布で拭き取りながら、隊長は酷薄に笑う。

 

「お前みたいな奴に口を割らせる方法もたっぷり習ったよ」

 

 屋敷の一室で隊長は捕らえた番兵を尋問していた。

 ただ、思ったよりも忠誠心があるようで中々口を割らなかったため、少々手荒にやらなければならなかった。

 

「なあ、いい加減に教えてくれねえか?雇い主お抱えの軍の奴らが乗り込んでくる前に俺たちの手で目的のものを手に入れねえと、俺たちも困るんだよ。領主の家族の居場所はどこだ?」

「誰が!お前らに最初から勝ち目なんてあるか!」

「──強情だな」

 

 隊長は目を細めると、叫ぶ番兵の手を踏みつけた。

 指の骨が砕かれ、番兵は再び悲鳴を上げる。

 

「安心しろ。喋れなくなるくらいにはしないから。ただ、痛いだけさ」

 

 そして再び番兵の手が踏みつけられ、指の骨が砕かれる。

 

 

 

 その光景を見る案内人は苛立っていた。

 

「全く、何をちんたらと。あの二人を殺せるチャンスを勝手に放り出しやがって」

 

 あの時全員でティナとアーヴリルを殺せと隊長に呼びかけたにも関わらず、隊長は思い通りに動かなかった。

 精神力の強い人間はこれだから嫌いだ。

 足先で床を小刻みに踏み鳴らしながら映像を呼び出し、ティナとアーヴリルの様子を見る。

 

「おや?これは──」

 

 見ると二人は領主一家と共に番兵たちに連れられて屋敷の外に通じる隠し通路へと入っていくところだった。

 隠し通路の入口が閉じられると、本棚が横に動いて入口を覆い隠した。

 

「なるほど。利口な奴らだ。だが逃しはしない」

 

 案内人が腕を潜入部隊の方に向けると、掌から黒い煙が発生して隊長へと忍び寄る。

 

 

 

「ん?」

 

 隊長は不意に妙な頭痛に襲われた。

 何かが頭の中に流れ込んでくる。

 それは誰のものかも分からない不気味な声だった。

 

『お前たちの目標の場所を教えてやる。このまま任務に失敗して死にたくなければ言う通りにしろ』

 

 そして隊長の目の前に黒い煙を纏った人影が出現する。

 

「誰だ!」

 

 隊長は武器を構えたが、ふと違和感に気付く。

 部下たちが()()()()()()()()。それどころか、呼吸さえもしていなかった。

 

「貴様は一体──何をした?」

 

 人影はその問いかけには答えず、掌を隊長の方に向けた。

 発生した黒い煙の奔流が隊長を包み込み、視界を奪ったかと思えば、どこか知らない場所の光景を見せる。

 

(これは──?)

 

 見えてきたのは暗い通路を進む一行。その中には見たことのある顔があった。

 ファイアブランド家現当主テレンス・フォウ・ファイアブランドと、その妾のマドライン・フォウ・ファイアブランド、そして息子のクライド・フォウ・ファイアブランド。

 人質に取ろうと狙っていた人物が全員揃っているが、彼らが進んでいる場所はどこなのか、これが分からない。

 不意に視点が前へ前へと進み始める。

 そして見えてきたのは──屋敷の外の小屋にある出口だった。

 

(隠し通路──脱出する気か!)

 

 思わず歯噛みする隊長の脳裏に声が響く。

 

『諦めるには早い。私の言う通りにすれば捕らえることはまだ可能だ』

 

 また別の光景が見えてきた。

 四人の番兵たちが馬車を用意している。場所は屋敷の離れの厩舎。

 どうやら馬車で領主たちを拾うつもりらしい。

 

『あの馬車を奪え。そして出口から出てきた奴らを掻っ攫うのだ》』

 

 声が響く度に頭痛が酷さを増していく。

 声の正体を考えることも、その声の主が伝えてくる情報を疑うこともままならない。

 今にも意識を手放してしまいそうだった。

 自分の意思が奪われていく。

 

『さあ、行け!』

 

 瞬時に頭痛が消える。

 

 隊長は光の消えた瞳で床に転がされた番兵を見下ろすと、その首を思い切り踏みつけた。  

 靴の踵が硬いものを砕く感触。一撃で番兵の命は頸椎と共に潰えた。

 

「隊長?」

 

 部下が怪訝な顔をする。

 尋問中だったのにいきなり殺してしまったのだから疑問はもっともだ。

 だが、あの番兵はもはや用済みだ。

 

「移動する。厩舎に向かい、馬車を奪う」

 

 そう言って隊長は部屋を出る。

 部下たちは訝しみつつも特に何か言うでもするでもなく、ついてきた。

 

 

◇◇◇

 

 

 厩舎で馬車を用意していた番兵たちは【特番分隊】と呼ばれるエリート部隊だった。

 領内から選りすぐった強者揃いの番兵の中から特に信頼できる者が領主直々に選抜され、緊急時に使う隠し通路の存在を知らされていた。

 領地が攻め落とされた時などの緊急時に領主一家の脱出を支援するためである。

 

 少なくとも騎士クラスの魔法の使い手が組織だって屋敷に侵入する、という想定し得る中で最悪の事態でも、彼らは忠実に職務を遂行した。

 分隊を二つに分けて一方が隠し通路を進む領主一家の護衛をし、もう一方が馬車を用意する。

 領主一家を隠し通路の出口で拾った後はファイアブランド軍の基地まで護送する手筈だ。

 侵入者がまだ屋敷の中に潜んでいる可能性が高く、番兵部隊だけで排除できる見込みもない以上、一刻も早く領主一家を避難させなければならない。

 どこかで聞き耳を立てているかもしれない侵入者たちに気取られないよう、全ての手順は特番分隊のみで行われなければならなかった。

 馬車の用意を四人だけでやるのは手間だったが、彼らは驚くほど短時間でやり遂げた。

 

 ──彼らに落ち度はなかった。

 ただ、相手が本来知りようのない情報を知っていただけだった。

 

「よし、行くぞお前──ら──」

 

 準備が完了して出発しようとしたまさにその時、四人の番兵たちは知覚する間もなく風の刃で首を刎ねられて死んだ。

 

 

 

 四人の番兵たちをあっさりと始末した潜入部隊は死体から服と装備を剥ぎ取り、手早く変装を済ませた。

 そして馬車に乗り込むと、隊長の指示する目的地に向かって屋敷を出ていった。

 

 去っていった彼らを犬のような形の淡い光が睨みつける。

 悔しげな唸り声を上げるが、すぐに為すべきことを為すために走り出していった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ねえ、どこに行くの?」

 

 マドラインに手を引かれるクライドが不安げな表情で質問する。

 

「軍の基地よ。そこに逃げるの」

 

 マドラインが険しい表情で短く答える。

 その答えにクライドは納得できかねるらしく、ぐずり始める。

 

「嫌だよ。ここ暗いよ。怖いよ。戻ろうよ」

「駄目!しっかり手を掴んでいて。お母さんがついてるから」

「で、でも──」

「駄目!」

 

 マドラインの強い口調にクライドは黙り込んでしまう。その代わりに目を瞑ってぎゅっとマドラインの袖を掴んだ。

 

 ──怖がるのも無理はない、とアーヴリルは思う。

 いきなり有無を言わさず強引に屋敷から連れ出され、ランタンの灯りを頼りに暗く冷たい地下通路を歩かされているのだ。

 七歳の子供にそれに怯えるなという方が酷な話だ。

 自分もあのくらいの年だった頃は暗い所が苦手だった。

 

 

 

 先頭を進んでいた案内役の番兵が立ち止まった。

 

「ここです」

 

 番兵が通路の壁に固定された梯子を見上げて小声で言ってきた。 

 梯子は天井の丸いハッチへと続いている。

 

 番兵が梯子を上り、ハッチを押し上げると、通路に光が差し込んでくる。

 

「クリア」

 

 先頭の番兵が外に出て安全を確認し、手招きしてくる。

 

 まず子供のクライドが上り、次にマドライン、そしてアーヴリル、テレンス、ティナ、最後に殿の番兵たちが上り、通路を出た。

 

 通路を出た先は屋敷から離れたところにある石造りの小屋だ。

 一つしかない窓からは屋敷とそこへ通じる道が見える。

 

「じきに仲間が馬車で我々を拾いに来ます。来るまでこの中で待ちましょう。お前たちは周囲を警戒しろ」

「「「了解」」」

 

 三人の番兵たちが扉を開けて外に出ていった。

 小屋の中にはテレンスとマドラインとクライド、アーヴリルとティナ、そして特番分隊の隊長が残される。

 

「そろそろ説明してください。一体何がどうなっているのですか?」

 

 マドラインがテレンスと分隊長に問いかける。

 

 分隊長は話してもいいものかとテレンスの方を見る。

 テレンスが頷くと、分隊長はお耳を、と言ってマドラインに現在の状況を耳打ちする。

 それは子供であるクライドの耳に入らないための配慮だった。

 

「えっ?なぜそんな者たちが?」

「しっ、お静かに願います。確定したわけではありませんが、奴らの目的は見当が付いています。ここ数日の撫民宣伝の内容はご存知ですよね?」

「ええ──たしかオフリー伯爵家に屈してはならないと──」

「オフリー伯爵家は空賊と手を組んでおり、先日港を襲った空賊もオフリー伯爵家の差し金だった、とされていますが、あれは事実です。証拠も掴んでいます。その証拠をオフリー伯爵家は奪取もしくは抹消しようとしているのです」

「──排除はできないのですか?それが貴方たちの役目でしょうに」

「お恥ずかしい限りですが、我々だけでは歯が立ちません。地上軍の応援を待ち、屋敷の掃討を行う予定です」

 

 話し込む大人たちから取り残されたクライドは今にも泣き出しそうな顔でキョロキョロしていた。

 その仕草がどうにも放っておけず、アーヴリルは隣に座る。

 クライドはビクッと肩を震わせたが、アーヴリルは精一杯の笑顔で「大丈夫です」と言った。

 

「あの──あなたは?」

 

 恐る恐る訊いてくるクライドにアーヴリルは目線の高さを合わせて答える。

 

「私はエステル様──貴方のお姉さんの騎士です。だから、何があっても主君の弟君である貴方を守ります。だから大丈夫です」

「──お姉ちゃんの騎士?お姉ちゃんと一緒じゃないの?」

 

 中々鋭いところを突いてくるな、と思いつつもアーヴリルは言葉を紡ぐ。

 

「私は鎧に乗れませんから戦いには行けません。でも貴方を守ることはできます。そのために私はここにいます。だから安心してください。何かあっても絶対に私が守ります」

「本当に──大丈夫なの?」

「もちろんです」

 

 大きく頷くアーヴリルにクライドは若干表情を緩めるが、それでもまだどこか不安げだ。

 

 それを見たティナが助け舟を出した。

 

「ランス様はとても頼りになる方なんですよ。私も二度ほど助けて頂きました」

「──そうなの?」

「ええ。大丈夫です。私が保証しますよ」

 

 ティナの言葉にクライドはようやく笑顔を見せる。

 どうやらティナのことはそれなりに信頼しているらしい。

 

「馬車が来ました!仲間です!」

 

 外から番兵の声が聞こえてきた。

 

「ほら、もう大丈夫ですよ」

 

 アーヴリルがそう言った直後、馬のいななきと共に馬車が止まる音がする。

 

 そして────銃声が響く。




クライド君何気に初登場だった

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