関東大震災100年記念シンポジウム「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」
2023年 09月 04日
在日韓人歴史資料館主催のシンポジウムに参加しました。
はじめに館長李成市(リソンシ)さんが、怒り恨みではなく事実を共有することが今日のシンポジウムの目的、と語り、そのとおり冷静で客観的な報告が丁寧になされて素晴らしいシンポジウムになりました。
渡辺延志(わたなべのぶゆき)さんは当時の国際情勢や世論、新聞の傾向から虐殺の発生原因を長年研究していて、政府による虐殺扇動があったとは考えにくい、在郷軍人がなんとか虐殺を防ごうと奮闘した事実がある、横浜鶴見警察署長が数百人の中国朝鮮人を自警団による虐殺から守ったことなどを報告しました。そして渡辺さんは、なぜ人々が虐殺に走ったのかいまだにわからないとしています。
後藤周(ごとうあまね)さんは横浜での流言・虐殺を数十年にわたって調査してきました。横浜は件数、被殺者ともに全国最高でした。この日はコロナ感染のため急遽欠席されましたが後藤さんの資料を渡辺さんが代わりに説明しました。
大震災時、横浜は孤立し政府との連絡のみならず市域内の連絡体制も壊滅しました。そんななか1日の夜から2日にかけて同時多発的に随所で虐殺が発生しました。後藤さんは寿、石川、南吉田第二小学校に残されていた児童が書いた「震災作文」をすべて手作業で書き写して当時の実態に迫りました。虐殺を招いた流言は「朝鮮人が襲ってくる、武器を手に取れ、朝鮮人の殺害差支え無し」であり「井戸に毒を入れた」というものではなかったそうです。当時の小学生の多数が虐殺現場を目にしましたが、作文には「気の毒」「可哀そう」「酷い」といった感想が皆無だったそうです。
後半は李圭洙(イ・ギュス)さん、戸邉秀明さん、裵姈美(ペヨンミ)さん3人を加えてパネルディスカッション。渡辺さん、後藤さんからの報告をもとに虐殺の要因について意見交換がなされました。
会場には元館長姜徳相(カン・ドクサン)さんの収集した資料の一部が展示されていました。目に留まったのは雑誌「自警」、廃姓外骨「震災画報」、いずれもコピーでしたがじっくり読んでみたいと思っています。
2023年9月2日 韓国中央会館