2020年6月5日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
チベット暦で釈尊の降誕・成道・涅槃にご縁のあるサカダワの満月の今日、ダライ・ラマ法王は、法王公邸に用意された座り心地のよさそうな椅子に着座されると、ナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論頌』の最終偈を唱えられて、今日のオンライン法話会を始められた。
慈悲の心に基づいて
すべての誤った見解を断つために
聖なる教えを説き示された
ゴータマ・ブッダに礼拝いたします
「この偈が私たちに教示しているのは、智慧を培うことにより、真実を誤って捉えている無知という煩悩を克服するべきである、ということです」
チャンドラキールティ(月称)もまた、『入中論』の中でこのように述べている。
声聞、独覚たちは仏陀より生じる
仏陀は菩薩たちから生まれる
慈悲心と不二の智慧と菩提心が
勝利者仏陀の息子たち(菩薩)の因である(第1発心「歓喜」第1偈)
「慈悲の心を育むことが仏陀の教えを引き継ぐ最良の方法であり、仏陀が私たちに向けられた思いやりへの恩返しとなります。ですから、慈悲の心を持って空の理解を深めていくことが重要です」
「今日は多くの方々がそれぞれ異なる場所で、仏陀と仏陀の悟りを祝われていることでしょう。今から私たちは一緒に菩提心を生起していきますが、今日は、私があなた方のために何かを唱え、私が唱えたことを皆さんに復唱していただくようなことはしません。私は一人の比丘ですが、それ以外は、私は皆さんと同じひとりの人間なのです。ですから皆さんもそのような気持ちで、全員一緒に菩提心を生起していきましょう」
「では、自分の目の前に仏陀釈迦牟尼のお姿をありありと観想してください。そして釈尊の周りには、ナーガールジュナやナーランダー僧院の17人の成就者たちのような、仏陀の教義を維持する偉大な継承者たちが取り囲んでおられます。私たちは今でもなお、その偉大なる方々が記された解説書を保持し、それらを読み、そこに書かれたことに基づいて体験を得ることができます。その方々に向けて私たちがすべき根本的な供養とは、彼らの著作を読み、偉大な方々が述べている意味を分析して、その理解を自分の中で統合させることです。また、慈悲の顕現である観音菩薩、智慧の顕現である文殊菩薩、利他の実践の顕現であるターラー菩薩などが、弥勒菩薩や地蔵菩薩と共に、あなたの目の前におられると観想します」
ここで法王は、ジェ・ツォンカパの『縁起讃』から次の偈を引用された。
その師(仏陀)に従って出家して
勝利者の教えを少なからず学び
瑜伽行に精進する比丘である〔私は〕
その大仙(仏陀)をこのように尊敬いたします(第53偈)
法王は大型モニターの画面に映っている信者たちに向かって、法王と一緒に礼拝、供養、懺悔をはじめとする七支供養を唱え、仏陀に礼拝するようにと促された。そして、慈悲の心を動機として釈尊ご自身が菩提心を生起され、空と縁起について悟り、三阿僧祇劫にわたって功徳を積んでこられたことを想起された。仏陀は6年間の苦行をされたが、それは法王のすぐ後ろに安置されている「断食する仏陀」を再現した像によって、その様子が鮮明に表されていることを法王は述べられた。
「釈尊が悟りの境地に至られたこの吉祥なる記念すべき日に、皆さんと一緒にここで菩提心を起こすことはよいことだと私は考えました。次の20年位は私もここで参加したいと思っていますが、南インドの僧院にいる僧侶たちには、これを毎年恒例の行事にしてもらいたいと考えています」
それから法王は、自分と他者の目的を共に達成するためには、菩提心を育む必要があると述べられて、次のように語られた。
「私たちが皆、自分を大切にしたいと考えていることは言わずとも知れたことですが、そうであるならば、賢い利己主義を実践するべきです。そして、もし私たちが他者に対して優しく接することができるなら、自分も幸せな気持ちになり、周りには多くの友人が集うことでしょう。しかし、もし他者を疑いの目で見るならば、その人たちは私たちのことを信頼してはくれないでしょう。お金や権力を持っている人は魅力的に見えるかもしれませんが、利他の精神で他者に接するならば、それよりもずっと効果があります。菩薩戒の偈にもあるように、もしすべての有情を自らの客人として大切に迎えるならば、彼らをもてなすための何かを持ち合わせていなければなりません」
シャーンティデーヴァは『入菩薩行論』の中で次のように諭されている。
この世のいかなる幸せも
他者の幸せを願うことから生じる
この世のいかなる苦しみも
〔自分だけを大切にして〕自分の幸せを求めることから生じる(第8章129偈)
多くを語る必要がどこにあろう
凡夫は自利を求めて〔望まぬものをすべて得て〕
成就者(仏陀)は利他をなして〔すべてのすばらしきものを得る〕
この二者の違いを見よ(第8章129偈)
ここで法王は、発菩提心の誓願の偈を暗誦された。
仏陀・仏法・僧伽に
悟りに至るまで私は帰依いたします
私が積んだ布施行などの資糧によって
有情を利益するために仏陀となることができますように
すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの心髄に至るまで
常に私は帰依いたします
智慧と慈悲を持って精進し
有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる悟りのために菩提心を生起いたします
この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように
続いて法王は、菩薩戒授与の請願文を唱えられた。
私は三宝に帰依いたします
すべての罪をそれぞれ懺悔いたします
有情のなした善行を随喜いたします
仏陀の悟りを心に維持いたします
仏陀・仏法・僧伽〔の三宝)に
悟りに至るまで私は帰依いたします
自他の利益をよく成就するために
菩提心を生起いたします
最勝なる菩提心を生起したならば
一切有情を私の客人として
最勝なる菩薩行を喜んで実践いたします
有情を利益するために仏陀となることができますように
次に、法王は『入菩薩行論』の第3章から発菩提心の偈頌を繰り返された。
有情の〔すべての〕病を〔完全に〕
鎮める最高の薬もこれ(菩提心)である
輪廻の道をさまよう疲れ果てた有情に
休息を与える大樹もこれ(菩提心)である(第30偈)
〔輪廻をわたり行く〕一切有情を悪趣から
解放する橋〔も菩提心〕である
有情の煩悩〔による熱〕の苦しみを
取り除く心の月がのぼった(第31偈)
有情の〔心にある〕無知という白内障を拭い去る
偉大な太陽〔もまた菩提心〕である
正法というミルクを攪拌すると
バターという心髄(菩提心)が得られた(32偈)
輪廻の道を行く有情という旅人は
幸せという財産を求める者であり
これ(菩提心)は最高の幸せにとどまらせ
有情という大いなる旅人を満足させる(第33偈)
私は今日、すべての守護者たちの御前で
〔一切〕有情を如来の〔境地に導くため〕
〔一時的な目的である天人や阿修羅の〕幸せ〔を与えるため〕に一切有情を客人として招いた
それ故、天人、阿修羅なども喜んでくださいますように(第34偈)
それから法王は続けてこのように述べられた。
「私たちはいかに他者を利益することができるかを考える必要があります。私たちには皆仏性が備わっていますから、私たち全員が一切智の心を明らかにすることのできる素質を持っています。私たちが持っている光明の心は、ひとりの仏陀の光明の心と何の違いもありません。私たちの心を一時的に覆っている煩悩という汚れは、心の本質ではないのです。私たちが正しい見解を育んで修行に取り組めば、それらの煩悩を取り除くことができるのです」
「仏陀の教えは “二つの真理(二諦)”」を基盤として説かれており、ナーガールジュナは、その修行の概要となるマイトレーヤの『現観荘厳論』の教えを学ばれましたが、その教えは二諦の理解と、その二諦を基に理解することができる四聖諦が土台となっており、更にそれは、仏陀・仏法・僧伽という三宝に対する帰依に基づいています」
祈りはすべての宗教的伝統においてその役割を果たしていますが、それだけでは十分ではありません。仏教では修行のために自らの心も使います。すべてのチベット仏教の伝統では、上座部仏教、大乗、密教(タントラ)という完全に包括された教えを保持しており、その中で、密教では最も微細なレベルの心を修行の中で用いています」
ここで法王は、あるカダム派の成就者が残された偈を引用された。
「よいカルマを幾度か漕ぎ出すことにより、私は人間としての貴重な生を得ることができた。それを好機として使い、三悪趣の奈落の底に陥ることがありませんように」
「私たちは、このサカダワという好機に菩提心を育む儀式を行うことができました。釈尊が悟りを開かれ、大般涅槃を記念するこの日にこの儀式を執り行えたことは、私たちに修行をするための勇気を与えてくれます」
儀式は、「仏教繁栄のための祈願文」、「菩提道次第の祈願文」、「真実の言葉」、「ダライ・ラマ法王に捧げる長寿祈願文」、そして最後の廻向偈の読誦によって締めくくられた。
法王は合掌をされながらスクリーンに映し出されたひとりひとりと目を合わせ、シンプルに「ありがとう」と挨拶して退室された。