元北朝鮮の秘密工作員 金賢姫はなぜ大韓航空機爆破事件を起こしたのか
115人の乗客を乗せた飛行機が爆破され、乗客全員が死亡した大韓航空機爆破事件から36年。飛行機を爆破した元北朝鮮秘密工作員・金賢姫と今年2月、番組スタッフはアポイントをとった。
彼女はなぜ残虐な犯行を行ったのか?本人への取材を交え、北朝鮮のテロ行為が世界的に知れ渡った大韓航空機爆破事件を再現ドラマで紹介した。
1981年、韓国・ソウルでの1988年のオリンピック開催が決まった。この決定は北朝鮮にとって許されないものだった。北朝鮮と韓国を北朝鮮主導のもと統一することが国家の最大の目標であったため、韓国が経済的に発展することは黙認できなかったのだ。
北朝鮮の軍の実権を握った金正日は、1983年、現在のミャンマーを訪問した当時の韓国大統領・全斗煥を暗殺するための爆破事件を起こした。大統領は難を逃れ、暗殺は失敗に終わり北朝鮮は新たな作戦を立て始めた。
1987年、ソウル五輪開催のおよそ1年前、秘密施設に金賢姫は呼ばれ作戦を告げられた。それは韓国の飛行機を落とすことだった。韓国の飛行機を爆破し多くの命を奪えば国際的に韓国は危険な国だと思われるだろうという恐ろしい作戦だった。
金賢姫は18歳で秘密工作員に任命。この時から本名を名乗れなくなり、キム・オクファに名前を改名。特定の人以外顔を見られるのを禁じられた。
爆弾を仕掛ける飛行機は11月28日。イラク・バグダッドからUAE・アブダビを経由して韓国・ソウルへ向かう大韓航空858便だという。金勝一工作員とともに蜂谷真一と蜂谷真由美の日本人親子に偽装し犯行を行うことになった。
課長から告げられた計画は「まずは平壌から、11月12日、午前の飛行機でモスクワへ向かいます。ここへは北朝鮮のパスポートで入ります。そして14日の朝にモスクワを発ち、同じく北朝鮮のパスポートでハンガリーのブダペストへ入ります。そして、ここから足取りの証拠を残さないため、日本人としてオーストリアのウィーンに入ってもらいます」「ウィーンからは一旦ベオグラードへ。そして、爆破実行の28日、イラク航空でバグダッドに入ります。そこで大韓航空858便に乗り、爆弾を仕掛け、経由地のアブダビで降りてください。ソウルへ向け飛び立った飛行機の爆破に成功したら、アブダビよりローマへ向かい、我々と合流し、平壌へ帰ります」という。
爆破にはラジオを使い、そこに当時のエックス線検査機にも反応しない強力な爆薬を入れて実行するという。課長は「この任務は、親愛なる指導者金正日同志が自ら命じられたものです。異議は許しません」と話した。さらに「今回は極めて重要な戦闘任務です。我々の正体が暴露されそうになった場合には、死をもって親愛なる指導者同士の権威と威信を保証しなければなりません」とタバコのフィルターに毒薬を仕込んだものを渡された。
「噛んだ瞬間に気化し、自然に体内に吸い込まれ即死するようになっています」といい、バレそうになったら自死を行うという指示だった。
予定では、モスクワで2泊しハンガリー・ブダペストに向かう。しかし、2日後に国際会議があるらしく、ブダペスト行きは満席でチケットがとれなかった。そのためその日の深夜便で向かうこととなった。午前4時、ブダペストに到着。
外交官車が金賢姫と金勝一の2人を乗せて国境へ向かい、パスポートを偽装した日本のものに差し替え日本人としてオーストリア・ウィーンに入国。ここから2人は日本人に偽装するため、日本語で話すことになる。チェ課長とチェ指導員は列車で入り、当時ユーゴスラビアのベオグラードで落ち合うことになった。
2人は2種類の航空券を買う。1つはウィーンからベオグラードに行き、バグダッドへ。そこで大韓航空858便に乗り、経由地のアブダビで降り、別の便でバーレーンへ行くチケット。実際にはバーレーンには行く予定がなかったが、足取りを消すための偽装工作だった。
翌日、2人は別の旅行会社で、本当に乗るつもりのアブダビからイタリア・ローマへ行くチケットを購入。
爆破決行まで5日。2人はウィーンを後にしベオグラードに入った。ここからバグダッドに飛び、大韓航空機に乗り継ぐという工程が始まる。
2人はベオグラードでも観光客を装い、爆破前日、ベオグラードのメトロポール・ホテルで爆破用のラジオとウイスキーを装った液体の爆薬の受け渡しが行われた。
11月28日、爆破用のラジオを手にしていた金賢姫。しかし、空港女性検査員に電池を没収されてしまう。飛行機はバグダッド空港に到着。電池が手元に戻り、大韓航空機へ。ここでも検査員に「電池は機内に持ち込めません」と言われたが、金勝一が怒鳴りちらし電池を機内に持ち込むことに。
バグダッド発ソウル行きの大韓航空858便に搭乗。乗客は出稼ぎを終えて帰国する韓国人の労働者達ばかりだったという。午後11時45分、定刻にバグダッドを離陸し経由地のアブダビに到着。ソウルに向かう乗客も荷物を置いたまま一旦飛行機を降りる。
金賢姫は爆弾の入った紙袋を機内に残し、席を後にした。そして計画が大きく狂う事態に遭遇する。当時、国際線では乗り継ぎでも入管当局が記録する必要があるため航空職員がパスポートとチケットを預かっていたがそれを知らなかったのだ。
ローマへ行くつもりだったがローマ行きのチケットはここアブダビが出発地となっているため、バグダッドから乗ってきたチケットを出さざるを得なくなり、偽装のために買ったバーレーン行きのチケットを預けるしかなかった。
こうして工作員の2人はバーレーン行きの便に乗らざるをえなくなった。一方大韓航空858便ソウル行きは爆弾をのせたまま離陸し、爆破が起きた。
バーレーンに向かった2人は現地では日本人観光客を装いホテルへ宿泊。「飛行機の事故は捜査に時間がかかるから。私たちが平壌に戻ったころに騒ぎになるはずだ」と考えていたが、その予想に反して韓国・金浦空港では乗客の安否を気遣う家族たちが続々と詰めかけ混乱していた。
翌日、ローマ行きの飛行機がとれずもう1日バーレーンに滞在することになった金賢姫たち。韓国の捜査員は大韓航空を途中で降りた2人を捜査していた。連絡は韓国大使館に入り、宿泊先を調べられホテルの部屋の電話が鳴った。
韓国大使館のスタッフから電話があり部屋に入ってくるという。
会話は英語、韓国語、日本語を交えて行われた。「あなた達の乗っていた飛行機が行方不明になって墜落したようです。墜落したんですよ」と伝えられた。
バーレーン時間の午前3時。日本は朝を迎えていた。日本の外務省は蜂谷真由美のパスポートが偽造であることを確認していた。工作員2人の行動はすでに日本大使館員に見張られており、空港にはバーレーン秘密警察が配備されていた。
そして空港での出国審査でバーレーン秘密警察が2人を取り囲んだ。抵抗する意思も見せず、2人はそれに従い自決を覚悟したという。
金賢姫は当時のことを「職員が私のハンドバックを検査してその中にタバコがありましたけど、タバコまで回収しようとしたんです。それで取られたら自決できないから、その瞬間、私は先に噛んでしまったんですよね」と振り返る。金賢姫は「気を失った」中、一方金勝一はアンプルを粉々に噛み砕き即死した。
金賢姫は噛み砕くことが出来ず自決は失敗。その後、バーレーンの病院に搬送された金賢姫は意識が戻ると、言葉を発することもなく正体を隠した。韓国語・日本語・英語とさまざまな言語で捜査員が話しかけてくるが、どれにも反応せず無言を貫いた。金賢姫は中国人を装うことに決めたという。しかし、2人が服毒自殺に使ったものは別の北朝鮮の工作員から押収したものと一致。そして金賢姫はソウルへと移送された。
ソウル・南山にある地下取調室では、捜査官と口を閉ざす金賢姫との9日間に渡る心理戦が繰り広げられた。安企部は彼女を北朝鮮工作員だと確信していた。そして、反応する仕草を細かく観察した。
取り調べ8日目。捜査員たちは、金賢姫をソウルの街に連れ出した。
五輪を目前に控えたソウルの街は急激な都市化が進んでいた。金賢姫はその景色を見て愕然としたという。自分が北朝鮮で聞いていた韓国の姿とは全く違っており「私たちは騙されていた。嘘の情報だとすぐにわかりました」という。
そして捜査員から「韓国語で話そう」「君は組織のために正しいことをやったと思っただろう。でも、目を覚ます時だ」「まず名前だけでも教えてくれないかな?人と人が会ったら名前を名乗るのが礼儀だろ」と韓国語で話しかけられ、金賢姫はためらいながらも何年も封印していた本名を紙に書いた。「真実を知った限り、この事件を明らかにすることが亡くなった方とその家族への罪滅ぼしになると思いました」と振り返る。その後、裁判により死刑が確定。
しかし16日後、当時の韓国・盧泰愚大統領は「北朝鮮の暴力性と侵略的な考えを立証する生きた証人であり、国家利益に合致すると判断した」と判断し、被害者家族の大きな反発がある中、金賢姫を特別恩赦で釈放した。
日本では、拉致被害者との接点があった金賢姫の証言が北朝鮮による日本人拉致を認めるきっかけとなった。
今回、取材を受けた大きな理由は「歳月が過ぎてみんなも忘れてしまって、若者たちは事件に対してよく知らないんです。北朝鮮が犯したテロの歴史なんですけど、私が生きている限りは事件の真実を知らせなければいけないと思いました」と語った。北朝鮮は、今もテロの犯行を認めていないという。