書評
『こころは内臓である スキゾフレニアを腑分けする』(講談社)
形式を与えてはならない
べつに奇を衒(てら)った表題ではない。著者は広辞苑を引用する。「禽獣(きんじゅう)などの臓腑(ぞうふ)のすがたを見て、コル(凝)またはココルといったのが語源か。転じて、人間の内臓の通称となり、更に精神の意味に進んだ」。著者の愛読書は中野重治の『むらぎも』だったという。むらぎもは心の枕詞。副題は「スキゾフレニアを腑分けする」。現在は統合失調症と表現することになっているが、著者はそれが気に入らない。だからスキゾフレニア。さらに内臓だから腑分け。
著者は生涯をかけて、スキゾフレニアつまり統合失調症の患者さんを診療してきた。現在もそれを続けている。半分は公立病院勤務、半分は私立病院。ゆえにどちらも知っているという。公立では千葉県精神科医療センターを「精神科救急」専門の病院として日本で初めて立ち上げ、院長を務めた。
この病気は難病で、だれでも罹患(りかん)する可能性がある。かといって原因不明だから、予防のしようがない。しばしば難治で、治療には長い時間が必要となる。しかし長期入院は治療的に有害である。だから救急、つまり早期治療が大切である。著者は薬物治療の草分けでもある。しかも心は人が人であることの根源と見なされてきた。その障害は洋の東西を問わず社会的偏見と結びつきやすい。
「精神医学は医者の仕事をしてきたか?」という著者の疑問の背景には、こうした長年の事情がある。こうすればアッという間に治ります。そういう手軽な解答がない。現代人がいちばん苦手とする分野であろう。対応に努力・辛抱・根性が必要なのである。コンピュータに相談したって、答えは出ませんわ。
内容は十章に分かれている。ただし論理的、系統的に配列されているわけではない。そこにもこの病の特徴が出ているというべきであろう。実際に患者さんの相手をして、反応を観察し、そこからボチボチ考えて行くしかない。そう思ったら、これは博物学の領域だなあと感じた。つまり現代科学が置いてけ堀にした分野である。
患者さんとのやり取りで、著者の実体験が記されている部分がじつに興味深い。そこから浮かび上がってくるのは時間のズレ、同じ現在を生きていないこと、さらには運動と思考の停止である。患者さんの心の世界にいったい何が起こっているのか、それが少しずつ見えてくる。第七章は「身の内にうごめくもの、その否認」と題されている。
打倒すべきものが目に見え耳に聞こえているうちは、たいしたことではない。私の患者たちにとっての禁止はもう少し深刻な事態で、心の中にあるものに『形式を与えてはならない』ということのように思える。形式を与えてはならないのは、心の中に棲(す)む得体(えたい)の知れないものに対してであろう。
これを読んで、私はほとんど「背筋が寒くなる」のを覚えた。まさにそういうことなのである。病者ではなく、健常者についていうなら、ここにこそ創造の秘密が隠されているというべきか。
心の病と天才の創造性の間には深い関係がある。それは多くの人が気づいてきたことである。スキゾフレニアは時に高貴な病と見なされることもある。それはヒトの生き方と倫理の根本と関わる禁忌、「心に潜む得体の知れないものに形式を与えるか否か」に関わるからであろう。