運動会に異変!?「ダンシング玉入れ」
あなたは、この「ハイテンション玉入れ」を知っているだろうか?
「♪チャ〜ン!チェッチェッコリ、チェッコリサ、リサンサマンガン、サンサマンガン、ホンマンチェッチェッ」
この記事の画像(25枚)玉入れだというのに、なぜか踊り出す子どもたち…ところが音楽が間奏に入った瞬間!!
先生:
それいけ〜!バンバン投げろ〜どんどん投げろ〜!もっと投げろ〜!
猛烈に玉入れ開始!しかし、間奏が止むと…
「♪チェッチェッコリ チェッコリサ〜」
と再びダンスが始まる。
こうして、歌の部分は「ダンス」、間奏で「玉入れ」を繰り返す「ハイブリッド玉入れ」が、猛烈な勢いで全国を席巻しているらしい…
子どもの運動会で、初めて見た親たちからは驚きや困惑の声も…
「これはノーベル賞ものだ!」
「いつからこんなことに?」
「どこから始まったの?」
そこで、Mr.サンデー取材班が10月14日、東京のとある小学校の運動会を訪ねてみると、チェッコリ玉入れダンスを確かにやっていた。
一体、なぜ、こうした玉入れを採用したのか…?
品川区立戸越小学校 1年学年主任・山口祥子先生:
玉入れという競技は、(保護者に)背中を向けてずっと競技をしていて、後ろ姿だけが見えるっていう形なので。見てる人の方を向いて踊るっていうのを入れると、ニコニコして元気よく踊っている姿も一緒に合わせて見ていただけるので採用しました
確かに従来の「玉入れ」は自分の子どもがどこにいるのかさえわかりづらい。
そう考えると「玉入れ」の凄まじい進化版とも取れるが、では、一体、いつ、どこで、誰が始めたものなのか?
番組で全国の教育委員会などに片っ端から聞いてみると…
「ちょっと起源が分からないんですよね…」
「知る限りではないので…」
いきなり、調査は暗礁に乗り上げたかに見えた。
そもそも「玉入れ」は、昭和35年ごろの白黒フィルム映像が残っているほど古く、明治34年の文献にも「環状毬(まり)入れ」という名で載っているほど由緒正しい競技の一つだ。それが今や…
「♪カ〜モン ベイビー アメリカ〜」
DA PUMPの「U.S.A.」から「ジンギスカン」に「マルモリ体操」まで何でもアリの状況…
とは言え、SNSで、やたらと出てくるのは、やっぱりこの「チェ・チェッコリ」と踊るもの…
この曲、実はガーナの民謡で1957年にガールスカウトが海外から日本に持ち込み、2014年には「玉入れ用の曲」としてCD化までされている…
つまり、「ダンシング玉入れ」の源流は、この「チェッコリ玉入れ」だろうとリサーチを進めると…
【ルーツ検証】その1…東京学芸大学
教員などを育成する「東京学芸大学」にかつて、小学校の先生として「チェッコリ玉入れ」を指導していた人物がいるという。
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
当時のカセットがちょうど取ってあって…
再生してみると確かに、あの曲だ。
現在は、大学の副学長を務める鈴木氏が、古いアルバムを見せてくれた。
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
こんな感じでしたかね。恥ずかしい。ちょうど手を上げてるのが私です…
間違いなく、その現場にいたようだが、一体いつ頃の話なのか…?
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
これ2年生になった時のなんですけど、翌年ですね導入の。ということは2004年にやっているということか!
Mr.サンデー取材班:
あっ、 ダンシング玉入れって書いてあるんですね…で、チェッコリも…?
2004年と言うことはいきなり、19年も遡ってしまったが… やはり、この人物が発案者なのか?
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
私が作った人みたいな感じで言われることがあって、いやいやとんでもないです。僕じゃないです
聞けば鈴木氏の妻も元小学校の先生だという。ある休日に、妻が勤務する学校の運動会へ行ったところ…
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
見たときに、玉入れの概念が崩されるっていうか、「あ、これ考えた先生すごいな」っていうふうに思いました…
そこで、この玉入れを提案した先生に聞いてみたそうだが…
東京学芸大学・鈴木聡副学長:
(その先生も)やっぱりどこかの小学校だったか幼稚園だったかで見て、それで私と同じように「やってみよう」という感じで始まったというふうに言っていましたね…
結局、その時点で考案者はわからず仕舞い…
ルーツ検証は振り出しに戻る…
そこで原点に戻り、「チェッコリ玉入れ」というワードがグーグルで、どの地域で一番検索されているか調べてみると…
なんと、2位の神奈川県を引き離して、埼玉県が堂々の1位となっていることが分かった。
そこで、埼玉の小学校体育連盟に聞いてみると…
「同志会って言う昔からの勉強会がありまして、そこの方々の文献に載っていたような記憶があって…」
調べて見ると、「同志会」とは「学校体育研究同志会」の略で、よりよい体育の授業を目指す先生たちの集まりらしい。
【ルーツ検証】その2…学校体育研究同志会
さっそく「同志会」を訪ねて見ると、まさに、マット運動の授業づくりについて研究の真っ最中だった。
御年70才という全国常任委員の大貫さんに話を聞いてみると…
学校体育研究同志会 全国常任委員・大貫耕一さん:
ここの中にダンシング玉入れということが紹介されていました…
見せてくれたのは、2000年に同志会が発行していた「運動会」を100倍楽しくするというハウツー本。
大貫さんは著者の1人で、本の中に「玉入れバリエーション」として「チェッコリ玉入れ」の実践方法が記されている。
Mr.サンデー取材班:
「チェッコリ玉入れ」なり「ダンシング玉入れ」は見たんですか?
学校体育研究同志会 全国常任委員・大貫耕一さん:
見たっていうか、やりました
Mr.サンデー取材班:
それって何年?
学校体育研究同志会 全国常任委員・大貫耕一さん:
恐らく、1993年か94年だったと思いますけど、その時の1年生と一緒に、ダンシング玉入れなるものをやりました
そうなると、先ほどの鈴木先生の2004年より、さらに11年さかのぼり30年前にはチェッコリ玉入れが始まっていたことになる。
学校体育研究同志会 全国常任委員・大貫耕一さん:
見ている側からしたら、単に玉入れだけじゃないですか。玉入れでどっちが多いかなって、そこに目がいっているうち、子供が立ち上がって踊り始めるわけですから。もう大絶賛ですよね
では、大貫さんが発案者なのかと聞くと…
学校体育研究同志会 全国常任委員・大貫耕一さん:
どの方か分かりませんけれども、教師の中で発案があり、やってみようかという話になり。それがやってみたらすごくいいよね、ということになり広まっていったということではないかと思います…
結局、大貫さんも分からず仕舞いだった。
再び振り出しに戻る…
もはや、これまでかと思った時に、SNSで発見したのは…
「埼玉県川越市の某小学校は、1990年には間違いなくやってた。 ソースは俺、踊ったもん。」
1990年なら、これまの記録を3年さかのぼり33年前ということになる。
【ルーツ検証】その3…川越西小学校
そこで、投稿主の出身校だという川越市内の小学校に向かった。
埼玉県川越市立川越西小学校の寺内和広教頭が見せてくれたのは古い運動会のプログラム。
そこには…
Mr.サンデー取材班:
玉入れチェッコリって書いてありますね?
川越市立川越西小学校・寺内和広教頭:
そうですね
Mr.サンデー取材班:
で、これはいつなんですか?
川越市立川越西小学校・寺内和広教頭:
昭和62年かなというところです
Mr.サンデー取材班:
昭和62年というと…
川越市立川越西小学校・寺内和広教頭:
1987年…
なんと、1990年という先ほどの投稿より3年も古い1987年にまで遡ることができた。
Mr.サンデー取材班:
これダンスですね?チェチェッコリのあれですよね。チェッチェッコリのダンスの位置ですね
川越市立川越西小学校・寺内和広教頭:
南国風の腰みのじゃないですけど、そういった物をつけながら。膝に手を置いているので…
なぜ、腰みのを着けているのかはわからないが、そのポーズは確かにチェッコリ玉入れのソレだ。
そこで、私たちは、当時1年生の担任だった2人の先生に集まって貰った。
見せてくれたのは1987年当時の学級通信。
1987年当時川越西小学校勤務だった熊本美智子さん:
これがそのときの服装ですよ
1987年当時川越西小学校勤務だった小島満智子さん:
腰みのはゴムにすずらんテープをお渡しして、おうちで作ってもらった
確かに、あの写真はチェッコリ玉入れのものだという…
一体、なぜ、腰みのを着けていたのかと言えば…
1987年当時川越西小学校勤務だった小島満智子さん:
この曲がその…(レコード出す)
なんと、当時のレコードジャケットに「腰みの」を巻いたキャラクターが描かれていた。
では、なぜ、玉入れに音楽を使ったのか…?
1987年当時川越西小学校勤務だった小島満智子さん:
笛で(投げるのを)やめさせるのが、すごい大変なんですよね。運動会って賑やかですし、音楽もかかってますし、なかなか(投げるのを)やめられなくてズルしたことになっています
1987年当時川越西小学校勤務だった熊本美智子さん:
本当に笛とか、そういうものなしで、音楽が始まれば「チャチャ」って。普通の玉入れだとピーッって鳴っても、まだ投げてますよね?
なるほど!確かに従来の玉入れはいくら笛が鳴っても投げるのをやめず、厳しい言い方をすれば「不正の温床」だった。
しかも、1980年代と言えば第二次ベビーブームに生まれた赤ちゃんが揃って小学生になった時期…
少ない教員で、多くの子どもたちを楽しませながら言うことを聞いてもらうには持ってこいだったのかも知れない…
とは言え、この2人もまた考案したのは私たちではないといい…
学校にチェッコリ玉入れを持ち込んだのは、この人ではないかという当時の同僚を紹介してくれた。
川越西小学校の同僚・徳田悦子さん:
(カセットテープは)ここのを持ってきたと思うんですけど。(前任の)霞ヶ関西小学校のをダビングして
なんと、「川越西小学校」からほど近い「霞ヶ関西小学校」からテープをダビングしてチェッコリ玉入れを持ち込んだという…
【ルーツ検証】その4…霞ヶ関西小学校
そこで、その学校を訪ね、教頭先生が見せてくれたアルバムに衝撃の事実が!
Mr.サンデー取材班:
ああ!!これだ!
Mr.サンデー取材班:
超鳥肌たった。これだ!
霞ヶ関西小学校・佐々木教頭:
カゴを持っている前の方が6年で、後ろが1年生だと思いますよ
Mr.サンデー取材班:
これと同じような写真が川越西にあったんですよ
霞ヶ関西小学校・佐々木教頭:
ああ!!
カゴを持つ係の高学年の後ろには、玉を持った1年生。「腰みの」のをつけているのも全く同じだ。
第二次ベビーブームで生まれた子どもたちに「楽しさ」と「ルール」を教え、その、あまりの可愛いさゆえに定番化してしまった「チェッコリ玉入れ」…
そこには、当時の教師たちが子どもを思う、たぎるような理想が込められていた。
(「Mr.サンデー」10月29日放送より)