極めて優雅で、上層階級的な
物腰と喋り方、言葉遣い。
まるでそのうち鹿鳴館での舞
踏会にでもお呼ばれしそうだ。
四輪でも庶民がとても買えな
い、維持できない高級西欧車
を何台も持っていそうな階層
の方々の二輪車談義。
レポーターは二輪四輪のその
道の方なので、単なる金持ち
成金趣味ではなく、二輪の本
質的な楽しみを押さえて品良
く語る。
今回招かれたゲストもとても
「お上品」である。
トークセッションでも、二輪
の楽しみについて、本質的な
ところを突いてはいるのであ
るが、何だかとても違和感が
ある。
それは何かと探った。
それは、私も二輪が好きで乗る
人間ではあるが、「経済的な
余裕があるから二輪に乗れる」
という現実的なカタチをこの
方々はさらに純化させて、「富
裕層にしか味わえない世界」に
立って二輪を語っている事が
見えた時に一つの答えが出た。
この方々の立ち位置は、富裕層
のそれではあるのだが、私のあ
たりの一般的二輪乗りも実は
この人たちと同じ位置にあるの
ではという疑問が生じるのであ
る。
つまり、平和な時代のプチブル
的な立ち位置を享受する事によ
り、初めてモーターサイクルに
触れられる、という。
これ、本当にそれでいいのか、
という思いが私はどうにも払拭
できない。
この動画に登場した、ロールス
ロイスに普通に乗れるような
階層ではない人々が現在モーター
サイクルを日本では楽しんでは
いるが、それは生活必需品とし
ての四輪車のような立ち位置と
は大きく異なる。
それは、本当のモーターリゼー
ションの発達した社会とはいえ
ないのでは、と私は思うのだ。
極言すれば、自転車のように
国民にモーターサイクルが普及
してこそ、二輪は本当の意味で
モーターリゼーション、車社会
の一員となれるのでは、と。
お金持ちだけしか所有できない、
富裕層の道楽趣味としてしか
二輪が提供されされない。
それはら、根本的な部分で歪ん
でいるのでは、と思えるのであ
る。
社会の成熟度としても。
アラブの石油王が灰皿が汚れた
からと車を買い替える、金で
出来た軍用銃を誇る、という
ようなパターンがモータービー
クルにあっていいのか、という
疑念が私にはある。
数百億円する高級クルーザー
が富裕層の趣味で乗られるの
と同列に二輪車があっていい
のだろうか、という。
最近、あるファッションブラ
ンドが1台数千万円するビリ
ヤードテーブルを作った。
実にくだらない事だと私は感
じる。