「延長戦ってか?」
追ってくる六機の鎧を見て俺は呟いた。
俺を捕まえるために数少ない新型を持ち出したらしい。
さすがに正規軍でも使われている新型とあってスピードが出るらしく、どんどん追いついてくる。
操縦桿を引いて上昇し、高度で振り切ろうとしたが、相手はプロである。
俺の上昇に合わせて相手も上昇し、高空に先回りしていく。
「チッ、駄目か」
高度で振り切ることは諦める。
雲に紛れて撒くことも考えたが、近くに手頃な雲はない。
見渡すと遠くに巨大な積乱雲が見えたが、どう考えても辿り着くまでに追いつかれるし、そもそも積乱雲の中を飛ぶなどもってのほかだ。
積乱雲なんて中に入るどころか、近付くだけで雷に打たれるか、乱気流で揉みくちゃにされるか──どっちにしたって無事では済まない空の超危険地帯なのだから。
「結局応戦するしかないってことかよ」
翼を操作して鎧を反転させる。
直後、追ってくる鎧の一機がパイルバンカーのような武器を発砲した。
放たれた杭──というか、ジャベリンと言った方がいいか──のような武器はミサイルのようにこちらを追尾してくる。
何のこれしき、いくら誘導兵器でも空間ごと捻じ曲げてしまえば当たりはしない──と思っていた俺は甘かった。
ジャベリンは逸れていく直前でいきなり爆発したのだ。
至近距離での爆発の衝撃で鎧は大きく揺れる。
「きゃああっ!」
膝の上に乗るティナが悲鳴を上げて一瞬強く抱きついてきた。
思わずドキッとするが、それどころではない。
機体のあちこちにジャベリンの破片が突き刺さって深刻なダメージを受けている。
右腕の肘から先が動かせなくなり、バイザーにヒビが入ったのか視界が幾条もの線で遮られている。
「クソッ!盲点だった!」
炸裂兵器は鏡花水月でも防げないと今になって気付かされた。
銃弾なら通り道に当たる空間──弾道の周りのチューブ状の空間と言えばイメージできるだろうか──を捻じ曲げて逸らしていたのだが、炸裂兵器にそれは通用しない。
炸裂すれば全方向に爆風と破片が飛び散るからだ。
防ごうと思えば破片の一つ一つに至るまで逸らすか、爆発の加害半径に入る前から逸らすかしか思いつかないが、そのどちらも俺には不可能だ。
無数に、しかもランダムに撒き散らされる破片の軌道を全部把握して、その周囲の空間を捻じ曲げて逸らすなんてキャパオーバーもいい所である。
そして俺が空間を捻じ曲げられる範囲はせいぜい半径二メートル程度。その範囲を出てしまうと捻じ曲げることも
自身の周囲全てをカバーするように空間を捻じ曲げれば多分防げるだろうが、そんな捻じ曲げ方は俺にはできない。できたとしても俺の方が何も見えなくなるだろう。相手の攻撃は通さないが、光も俺に届く前に逸れていってしまい、俺の視界は真っ暗闇になってしまう。
鏡花水月の思わぬ弱点に動揺する俺だが、幸いなことにあのパイルバンカーは再装填に時間がかかるらしく、撃ってきた奴は後ろに下がった。
これで少しは対策を考える猶予ができたが、代わりに前に出た五機の鎧が次々に発砲してくる。
放たれるのは炸裂効果を持った赤い魔弾。直撃すれば大抵の鎧を一撃で撃墜する。
「殺しにかかって来てやがる──」
複数方向から飛んでくる魔弾を躱しながら俺は毒づいた。
必死で回避機動を行うが、プロの鎧乗りからすれば拙いのだろう。何発もの魔弾が命中コースを走ってくる。
それを片っ端から鏡花水月で逸らすが、キリがない。
俺の鎧には武器がないため、反撃は絶望的。となると振り切るしかないが、この鎧は小回りこそ飛び抜けて利くが、速度はそれほど高くない。
鎧は飛行機と違ってちょこまか動き回ってもあまりスピードが落ちないため、機動で引き離すのも難しい。
どうすれば連中を振り切れるか必死に考える俺だが、鎧の操縦と魔弾を逸らすのに精一杯で思考がおぼつかない。
だが、不意にティナが名案を思いついた。
「お嬢様、さっき──格納庫の時のように敵に打ち返せませんか?」
「それだ!」
俺自身がさっき番兵たちに麻痺系の魔弾を打ち返して返り討ちにしたばかりではないか。なんでもっと早く思い付かなかったんだろう。
そうと決まれば、狙うはあのパイルバンカー持ち。
回避機動をやめて鎧をまっすぐ飛ばす。
空中戦では単調な動きは自殺行為だが、照準安定のためには仕方がない。
チャンスだと思ったのか、魔弾を撃ってきていた五機の鎧がタイミングを合わせて一斉に撃ってきた。
狙う位置を少しずつずらし、目標がどの方向に逃げてもヒットするように撃つのは洗練されたやり方だが、今回は俺の方に利する。
放たれた五発の魔弾のうち四発は無視し、命中コースを辿る一発に集中する。
鏡花水月の照準をパイルバンカー持ちの鎧に合わせ、魔弾が俺に命中する寸前に発動。
逸れた魔弾はぐるりとUターンして見事に目標の持つパイルバンカーに直撃した。
ジャベリンが誘爆したのか、魔弾炸裂の直後に更に大きな爆発が起こる。
相手の鎧から動揺が伝わってくる。
だがパイルバンカーを持っていた鎧は一応生きていた。咄嗟にパイルバンカーを手放したようだ。
だが両腕を吹き飛ばされており、そのまま戦線離脱していった。
取り敢えず厄介なのは排除できた。
これで残りはライフル装備の五機。
だが俺の方も鏡花水月を連発して、魔力の使い過ぎで無視できない疲れが出始めた。
鏡花水月のもう一つの弱点は魔力消費が極めて大きいことだ。
実戦でどれだけ保つのかこれまでは想像するしかなかったが、思ったより限界は早いようだ。
加えて俺の身体はまだ十二歳であり、使える魔力の量で大人に水を開けられている。
このままでは相手より先に俺が息切れしてしまう。
捕まったらよくて監禁──いや、考えるならそんな恐怖を煽る妄想じゃなくて打開策だ!
俺が必死で打開策を考えている間に残りの五機は散開したかと思うと、三機がスピードを上げて突進してきた。
格闘戦に持ち込まれたら一気に不利になる。
反撃手段がないことを歯痒く思いつつ、俺は回避機動を取る。
だが、忌々しいことに相手の方が一枚上手だった。
正面から突っ込んでくる三機に気を取られた隙に両脇から二機が襲いかかってきたのだ。
翼に掴みかかってきたのを振り払おうとしたが、逆効果だった。
両腕を掴まれて関節を固められてしまう。
満足に身動きが取れなくなった俺は、そのまま突っ込んできた三機にも掴みかかられ、両脚も固められてしまう。
「クソッ!放せ!放せよこの野郎!」
必死で手足を動かして抵抗したが、抜け出すことはできない。
正面に組みついた一機がハッチをこじ開けてくる。
『諦めるんですな。エステル様』
蔑みを含んだ声が聞こえてきた。
その声を聞いた時、あの時の悔しさを思い出した。
──今まで不幸だった貴方には幸せな第二の人生が待っています。復讐は諦めなさい──
──諦めろ?諦めろだと?
俺は一体何度、いくつ諦めれば良いっていうんだ!?
前世で俺を裏切った元妻と、その元妻を誑かした間男と、横領の罪を俺に擦り付けやがった糞上司への復讐を諦めるというこの上ない屈辱を血涙を流して受け入れて、そしてこの世界に転生して──そして今度は三十路の気持ち悪いメタボ野郎に嫁がされて、産みたくもない子供を産まされる運命を受け入れろ、だと?
「ふざけるな!!」
一言怒鳴りつけると、座席の横に積んでいたライフルを手に取り、相手の鎧のバイザーに狙いを付けて引き金を引いた。
『ぐっ!』
相手のバイザーにヒビが入り、パイロットが呻き声を上げる。
炸裂効果を持たせて殺傷力を上げた魔弾は鎧のバイザーにも有効だった。
すかさずティナもライフルを手に取ってヒビ割れた場所に撃ち込んだ。
魔弾はバイザーを貫通して頭部の内側で炸裂する。
『うあっ!』
視界を奪われた相手の鎧がハッチから手を離し、他の鎧がそいつに気を取られた隙に、俺は鎧の翼から一気に魔力を噴射させた。
急な回転に対応できず、両腕を押さえていた鎧が振り落とされる。
その機を逃さず、右脚を押さえていた鎧に右腕で肘打ちを喰らわせてバイザーを破壊する。
自由になった右脚で左脚を押さえていた鎧に踵落としをお見舞いし、頭部を叩き潰したついでに左腕を伸ばして背中に背負っていた剣を奪い取った。
正直賭けだったが、上手くいった。ここからは反撃できる武器を得た俺のターンだ。
こじ開けられたハッチを閉じ、加速して距離を取ると、無事な二機の鎧が追ってくる。
飛び道具では逸らされると学習したらしく、武器を剣に変えている。
正直疲労困憊だったが、もう一度鏡花水月を使う用意をする。
普通の剣戟だと相手に一日の長と数的有利があるので、確実に勝てる手で挑まなければならない。
二機の鎧はそれぞれ別方向から同時に襲いかかってきた。
辛うじて残っている数の有利を活かし、俺が受けようが逃げようが連携しながら追い詰めて仕留める戦術──だがそんな
魔力を振り絞り、一機目の鎧の進路上の空間を二機目の鎧に向けて捻じ曲げる。
一機目の鎧が俺目掛けて剣を振り下ろす直前、急に向きを変えて二機目の鎧に斬りかかったように見える。
『ぐあッ!な、何しやがる!?俺を殺す気か!』
『ち、違う!俺じゃない!な、何が起こったのかさっぱり──』
混乱する二機の鎧。
二機目の鎧は頭部を大きく斬られ、剣が胴体部にまで到達していた。
間違いなくコックピットの天井を突き破っているだろう。もう戦えない。
残るは一機だけだ。
『ダリル!後ろだ!』
斬られた方の鎧が警告し、ダリルと呼ばれた兵士が乗る鎧は相方に食い込んだ剣を抜くのを諦めて退避する。
しかし、落ちていく相方が自分の剣をダリルに投げた。
ダリルはその剣をキャッチし、俺の斬撃を防ぐ。
そのまま俺の剣をいなし、カウンターを放ってくるが、それがダリルの敗因になった。
伸びたダリルの鎧の腕を捕まえ、その肘を俺の鎧の肩に当てて一撃で圧し折る。
ニコラ師匠が教えてくれた体術だ。
武器と利き腕を失ったダリルの鎧がそれでもなお組みついてくるが、その背中にある重要機構に俺の剣が突き立てられる。
剣が刺さった箇所がバチバチ放電したかと思うと、大量の火花を散らし、ダリルの鎧は痙攣したような動きを見せる。
火花が消えると、ダリルの鎧は動かなくなった。
蹴飛ばして離れさせると、そのまま海へ落下していく。
『何がどうなって──』
落ちていく鎧からそんな声が聞こえたが最後までは聞き取れなかった。
戦いは終わった。
どっと疲れが襲ってくるが、それ以上の安堵と達成感が湧いてくる。
「やった──やった!」
「──本当に返り討ちにしちゃいましたね」
ティナが安堵したような、不安なような複雑な表情で呟く。
鎧五機に組みつかれてハッチをこじ開けられた時には俺に加勢してライフルで相手の鎧のバイザーを潰していたのに随分と弱気なものである。
ティナって強いのか弱いのかよく分からないんだよな。
だが、今日は彼女に色々と助けられた。
「ティナのおかげだな。さっきは助かったぞ」
操縦桿から片手を離し、ティナの頭を撫でてやる。
ちょっと嬉しそうに目を細めるティナ。だが彼女は俺よりもリアリストだった。
「それより、もう夜ですよ?どこかに降りるあてはあるんですか?」
今夜の野営地を訊いてきた。
──しまった。追いかけてくる鎧から必死で逃げ回っていたせいで位置を見失っていた!
マズい!これって完全に遭難してるじゃないか!
冷や汗がダラダラ出てくる俺を見てティナは察したらしい。
「お嬢様──その反応は──ないってことですか?」
恐る恐る訊いてくるティナから思わず目を逸らす。
「えええええええ!?迷っちゃったんですか!?」
涙目で縋り付いてくるティナ。
──どうしよう。
鎧は長くは浮いていられないので海の上に降りるわけにはいかない。
日が昇るまで飛び続けることもできない。間違いなく俺が寝落ちするか、魔力切れを起こして墜落してしまう。ティナに鎧は動かせないので、交代で操縦することもできない。
──いや待ってこれ詰んでないか?
「ん?」
ふと視界の隅で何か光ったような気がした。
鎧の頭を動かして周囲を見渡すと、小さな光が瞬いているのが見えた。星とは思えない。
「お嬢様?」
ティナが怪訝な顔をする。
彼女にも見えるようにハッチを開け、機体を光の方向へ向けた。
「ティナ、あの光が見えるか?」
ティナは目を凝らして俺の指差した先を見て──
「はい!それにあの光のところに小さな浮島があります!そこに降りられます!」
涙声で歓喜した。
「何だって?浮島?」
目を凝らしてみたが、俺には見えない。
「確かです。光に向かって飛んでください!」
「あ、ああ、分かった」
断言するティナに従って俺は鎧を飛ばす。
獣人って夜目利くんだな。普通の人間の目にしか見えないのに。
◇◇◇
予想に反して浮島に辿り着くまでに五分ほど掛かってしまった。
俺たちを導いてくれた光は淡く発光する鉱石が地表に露出していたものだったが、どうにも最初に見た光より輝きが弱い気がする。
弱目の懐中電灯かイルミネーションくらいの明るさには感じられたのに、実際に見てみると豆球よりも弱い光しか発していない。
更に不可解なことに、ティナはその光が犬のような形をしていたと言った。だが、光る鉱石はどこからどう見ても犬の形には見えない。
実に不思議だが、実際俺たちはこうして野営地を見つけられたので、そこまで気にすることもないだろう。
十分あれば歩いて一周できてしまいそうな小さな浮島だが、しっかりした地面があるだけでありがたい。
──もしかするとあの光は案内人の加護だったのかもしれないな。いや、きっとそうだ。感謝するぞ案内人。
心の中で感謝してから俺は野営の準備に取り掛かる。
浮島に人工物はなかったが、大きな木の根本に空洞があり、そこを一夜のねぐらにできそうだった。
風で飛ばされないためと、雨避けにするのを兼ねて鎧を空洞の入り口に駐機させ、ロープで木に繋いでおく。
周辺から木の枝を拾ってきて炎魔法で火を起こし、焚き火を作ると、ティナがウェストポーチから乾パンを出した。
味なんてそっちのけで腹を満たすことだけ考えたかのような簡易食を水で流し込む。
「それで、これからどこに行くんですか?」
ティナが訊いてくるので、地図とコンパスを見せてやる。
「これは?」
「前に手に入れたお宝の地図だ。このコンパスが方向を示してくれる」
地図を覗き込んだティナは驚いた表情になり、耳をビクッと立てた。
「こ、これって──【聖域】じゃないですか」
「知っているのか?」
問いかけると、ティナは言い難そうに告げてくる。
「私の故郷の近くにある島です。ですが、その──古の魔神が封印されていると言われる【大墳墓】がある島で、私の故郷の人たちは誰も近づきません。それだけではなく、余所者が入ることも決して許しません。上陸して、あまつさえ大墳墓に侵入などすれば魔神の怒りに触れて殺される──そう言い伝えられています。だから誰も立ち入れない【聖域】になっているんです」
「魔神?それってただの迷信じゃないのか?実際はダンジョン──古代遺跡の類だろ?」
俺の反論にティナはかぶりを振る。
「私の故郷の人たちはそうは思っていません。これまでにも何人か聖域の墳墓に入っていった冒険者や貴族の方がいたそうですが──誰も帰ってきませんでした。そのせいで私の故郷の人たちが殺したと疑われ、報復として街を焼かれたこともあったそうです」
ティナはそこで言葉を区切り、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「ですから──この島の、この場所に行くことは考え直して頂けませんか?」
ティナの表情は今まで見たことがないようなものだった。
今にも泣き出しそうなのを必死で堪えているかのような──。
「お前の故郷のことなら心配ない。俺がそこに行くと知っているのはお前だけだ。トラブルにはならない」
そう言うとティナはまたかぶりを振った。
「そういうことじゃありません。故郷のことは──私にとっては正直どうでもいいことです。私はお嬢様に聖域に行って欲しくないんです。お嬢様に危ない目に遭って欲しくないんです」
ティナの表情は本気で俺を心配しているように見えた。
専属使用人なんて所詮雇われの存在、金のために愛想良い顔して言うこと聞いてるだけで、心の繋がりなんて期待できないと思っていたが、もしかしたらティナは違うのかもしれない。
考えてみれば、こうして俺の家出に付き合っている時点で金払いが途絶えることを気にしていないようにも思える。
「お前──俺のこと、心配してくれてるのか?」
その問い掛けにティナは頷く。
「──もう七年もお仕えしているんですよ。失礼ながら、お嬢様は私にとって雇い主というより──その、妹みたいなものです」
恥ずかしげに言うティナ。
「え──?妹?俺が?なんでさ?」
予想外の単語が出てきて戸惑いを隠せない。
妹って──毎日毎日扱き使って、しょっちゅう性欲をぶつけているのに?
するとティナは自分の身の上を語り出した。
「──私には帰る家はないんです。故郷でも親なしって言われて浮いていて、それで故郷を出たんです。でも──知識も、技も、財産も、何もなくて、他者に媚びることさえ下手な私が故郷を出たところで行く所はありませんでした。結局奴隷商館に自分で身売りしましたけど、買ってくれる人は現れませんでした。買い手が付かない奴隷は商館にとってはただの穀潰しです。店の人に疎まれて、他の奴隷たちからも笑われて──肩身の狭い日々を過ごしてきました。でも、お嬢様に買われて、変わったんです。お嬢様は私をティナと呼んでくださいました。私を求めてくださいました。私に甘えてくださいました。私にお礼を言ってくださいました。私を──必要としてくださいました。それが私にはとても──言葉にできないほど嬉しかったんです。お嬢様が剣の修行を始めなさった時はただの気まぐれだろうと思っていました。ですがお嬢様は七年間も挫けることなく一所懸命に剣に向き合い続けられて、そんなお嬢様の姿を見ているうちにいつの間にか私も負けていられないって、そう思うようになったんです。お嬢様にご満足頂けるように努力して、お陰でこの仕事に誇りが持てるようになりました。お嬢様が『俺』という一人称を使うのを最初は直そうとしました。でもお嬢様はそんな畏れ多いことをした私を罰するでもなく、解雇するでもなく、これは俺のアイデンティティだと、そうはっきり仰いました。お嬢様が人前でその一人称をお使いにならなくなった後も、私の前でだけは続けられました。それはつまり、私に心を許している、ということだと思った時──失礼ながら、たまらなく愛おしくなったんです。だから──私にとってお嬢様は、主従関係とは別の意味で大事な方なんです。我儘で、突拍子もなくて、手のかかる、でもとても愛おしい──妹みたいに思えるんです」
長い長いティナの話が終わった時、俺はちょっとした罪悪感に襲われていた。
ティナは容姿と雰囲気と気が利くところと触っても嫌な顔ひとつしない従順さが気に入って、特に深い考えもなく買っただけである。
主人としての接し方にしたって特に慕われるようなことをしたり、心に響くような良いこと言ったりした覚えはない。
なのにいつの間にかラノベの主人公よろしくティナの心を救い、抱え込んだコンプレックスを乗り越えるきっかけまで与えていた。
それを言葉で伝えられた上でこうも真っ直ぐに慕われると、どうにもこそばゆい。
だが──それでも、これはせっかく案内人がくれたチャンスなのだ。
地図に記された場所に行けば、したくもない結婚を回避できて、悪徳領主になる夢に大きく近づけるのだ。
絶対にふいにするわけにはいかない。
「お前が俺のことを大事に思ってくれているのは分かった。正直、その気持ちは嬉しいが──でも俺は行くのをやめる気はない。さっきの戦いで分かったんだ。親父は俺が嫁がなければ、俺を殺す気だ。だから、俺は戦う。この島のお宝を手に入れて、結婚の話を取り消させる。その方針は変わらない」
ティナは表情を歪め──涙を拭って泣き笑いのような表情になる。
「本当に──お嬢様はこうと決めたら誰が何と言おうと突き進む方ですね」
そして覚悟を決めたような表情になり、力強く宣言した。
「分かりました。私もお供します」
◇◇◇
戻ってきた鎧の搭乗員──騎士たちの報告にテレンスは目眩がした。
エステルが追跡に当たった鎧六機を全て返り討ちにして逃走。エステルの鎧にも幾らかダメージを与えはしたが、飛行は継続可能──つまりもう追いつけない。
エステルの家出と彼女を連れ戻す見込みがないことが知られれば、テレンスは終わりである。
面子を潰された相手の家は当然報復措置を取る──下手をすれば戦争を仕掛けてきかねない──だろうし、領民たちはただでさえ無いに等しい領主への信頼をかなぐり捨てる。
「まさかあいつがここまで──」
今までエステルの我儘を叶え続けて、それでいて彼女のことを見ようとはせず、無視し続けていたテレンスはエステルの実力を把握していなかった。
その結果、貴重な最新型の鎧を六機も壊され、指揮官の飛槍使い──エステルがパイルバンカー持ちと呼んでいた鎧に乗っていた騎士である──が愛用の発射砲を破壊された上に全治二ヶ月の重傷という甚大な被害を出してしまった。
騎士が駆る鎧六機を返り討ちにしたエステルの力に恐怖し、自身の失策を嘆くテレンスだが、起こってしまったことはどうしようもない。
「エステルの家出は可能な限り隠し通せ。部下たちには緘口令を。もしエステルが一ヶ月以内に戻ってこなければ死んだということにする。それ以降に戻ってきた場合は──消えてもらう」
冷酷な命令に眉をひそめる騎士たちだが、テレンスは必死である。
カタリナが死んでようやく手に入れた平穏な生活をエステルによってぶち壊されるわけにはいかないのだ。
一ヶ月以内に戻ってきたなら有無を言わさず嫁がせ、戻ってこなければ病死したと発表し、それ以降にひょっこり戻ってきた場合は辻褄を合わせるため死んでもらう。これがファイアブランド家の方針となった。
パイルバンカー
魔法で誘導飛行させるスピアに任意のタイミングで起爆可能な炸裂弾頭を搭載したものを発射するって設定。
パイルバンカーから発射する理由は