ゼレンスキーのこの失敗から、ロシア・ウクライナ紛争とイスラエル・ハマス衝突に対する世界の見方の落差について、改めて考えさせられる契機も得られた。

 一言で言えば、停戦に対する国際社会の視点の違いである。

 攻撃に対する反撃の立場を強調して、ゼレンスキーは領土奪還までの停戦を拒否し、イスラエル首相・B.ネタニヤフも同じくハマス殲滅まではこれを受け入れないと断言している。

 前者では、人命より正義が優先するかのごとき主張が世の大勢となり、即時停戦という選択肢にはいまだ支持が集まってきていない。

 しかし、後者では人命第一の見方が強まり、その即時停戦を求める声が国際社会に響き渡る。

ロシアとハマスが悪という見方に変化

 この点をもう少し詳しく見てみよう。

 ロシア・ウクライナ紛争で米国は、少なくとも表向きはウクライナに停戦を要求していない。

 その理由は、もし今の状態で停戦に踏み込めば、結果的にロシアは占領地から撤退せず、侵略者=悪のロシアが利益を得ることを許容してしまうから、とされている。

 同じ論理を米国はイスラエル・ハマス紛争にも適用し、停戦はハマスを利するだけで、かつ停戦後のイスラエルの安全が保障されないままの状態になりかねない、と主張する。

 この点だけを取り上げて単純化すれば、米国はロシア=ハマス、ウクライナ=イスラエル、と見ていることになる。

 これは、どちらが先に手を出したのか、すなわち侵略がいずれの側によって始まったのか、の判断に依拠している。

 この判断については、以前このコラムで以下のように書いた。

「・・・(現在の国境が)どう不合理であれ、当該国の政府や国民が自発的に同意しない限り、その変更は許容されない――これが基本となる大原則である」

「各事例の歴史的由来をほじくり返し始めたなら、対立する双方の議論で事の収拾が付かなくなり、世界各地が紛争だらけになってしまう」

「そして、その争いでは先に手を出した方が悪、としておかねば、犠牲者が出ることを防げなくなる。・・・・」

(「米国の罠に嵌った”ロシアが今後背負う十字架 」)

 過去は引っ繰り返すことができないし、その解釈を巡って争いを始めたなら際限なき議論に陥ってしまう。

 だから国際政治の交通整理では、歴史的背景を無視してでも、ある一時点でどちらが先に手を出したのか、を正邪の判断基準に持って来ることになる。

 いわば、正義の定義と、一種の合議主義的、あるいは功利主義的な立場から引き出された「便宜」という側面を併せ持った考え方だ。