上野 啓樹
僕は長年、講演会やセミナーの質問タイムで
以下のようなやり取りをやってきました。
「あの~手紙を書いて送るのがとても大変なんです」
「では、メールにしてみてはどうですか?
パソコンやスマホを使って送れば、
いつでも好きなときに送れますよ。」
「え、でも私のパソコンと
相手のパソコンは線がつながってないですよね?」
「そうですね。でも電波で通じているので大丈夫ですよ」
「え、でもポストに入れないのに相手に届くんですか?」
「そうなんです!そんなことしなくていいように、
メールは発明されたものなんです」
「え、でもちゃんと届くか不安です」
「大丈夫ですよ。届いたら相手から返信がくるし、
届かなかったら送信エラーって表示されますから」
「え、でもやっぱり届くとは思えないです」
「大丈夫!先ずはやってみましょうよ。
やってダメなら手紙を書けば良いですから。」
「え、でも、やっぱり直接友達に会って
気持ちを伝える方が確実だと思うんです」
「ん? 手紙を書いて送るのが大変って話でしたよね?」
「はい、何とかしたいんです!気持ちを伝えたいんです」
「じゃあこのメールというものを使ってみて」
「え、でも、そんなの使ったことないから
信じられないです」
「ということは、今のままでいいってことですよね?」
「違いますよ!
今のままが大変だから、なんとかしたいんです」
「ですよね、じゃメールを送ってみてください」
「え、でも届く気がしません」
メールの仕組みがわからなくても、
やってみれば分かるようになるように、
“やってみれば意外と簡単だった!”
ということがあるのですが、
変われない人は、「でも」という言葉で
「自分の常識」の範囲内だけで物事を判断します。
しかし、
メールもパソコンも、スマホも車も
その仕組みはよく理解できなくても、
説明書の通りにするか、
教えられたとおりやってみると
ちゃんと動くものですよね?
理解できなくても
「そうなんですね!」って素直にやってみる。
そしたら
「何か分からないけど、いつの間にか変わった」
という、
「これまで知らなかった新しい世界」
にステージアップするのです。
「自分の常識」は
「自分の数少ない経験」でしかありません。
しかもこの狭い島国、日本の僅かな範囲での経験。
だから思うような結果が出ない。
自分の常識から脱するから、
新しい自分に出会えるのですが、
先述したような人は何も変わらないのが現実です。
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