これは、白銀御行が風邪を引いた四宮かぐやの見舞いに行った数日後の出来事である。
放課後。
彼らの居る場所は、港区の芝公園。秀知院学園からほど近く、足を伸ばすにはちょうど良い距離である。天気は晴れ、今日は湿度が低く、七月にしては過ごしやすい。
白銀を真ん中にして、三人は芝生の上に横並びで寝転がっていた。彼らの頭上では、夏らしいモクモクした雲が浮かぶ。遠くには、走っている人や小さな子供とボール遊びをする母親の姿がある。ゆったりとした平和な時間、と思いきや、石上は冷静な言葉を白銀に返した。
「つまり、恋愛相談ですか」
「恋愛相談って言うか、喧嘩した異性との仲直りの仕方について語りたいと言うか・・・・・・」
「なるほど。そういうことでしたら任せて下さい。僕、恋愛マスターなんで」
「えっ。マジで?」
「嘘です」
「嘘かよ」
「真面目な話、こう言うのは才雅先輩が得意じゃないんですか?」
時おり吹く風に頬を撫でられ、眠りに落ちそうになる才雅。突然、回って来たパスに、間の抜けた声で返事をする。
「ぇえ。俺?」
彼は、話をよく聞いていなかったが、恋愛がどうこうと言うのは耳に残っていた。ならば、自身は専門外であろう。話を聞くのは一向に構わないが、具体的な助言を期待されるのは困る。
「先輩、女子と仲良いですよね」
「まぁ、話くらいはするけど」
「そうですよね、
含みのある物言い。以前、才雅と石上。二人は、ゲームセンターで偶然会ったことがあった。才雅は、早坂に貰った弁当の礼を手に入れるべく、彼女が好きであろう作品のUFOキャッチャーと睨めっこをしていた、そんな時に声を掛けたのが石上だった。石上は、会話の中で才雅が異性に贈り物をしようとしていると知り、負の感情を漏らしたのは言うまでもないだろう。
「いや。あれはただのお礼だから」
「僕は目が合うだけで女子に逃げられるのに」
ボソッと呟く石上の自虐で、場の空気が重くなる。
白銀は苦笑いを浮かべ仕切り直しを図る。
「ま、まぁ。落ち着けって、俺が聞きたいのは、他の人の意見なんだ。三人集まれば何とやらと言うだろう」
但し、心中は穏やかではなかった。
(プレゼントって何!? その話知らないんだけど!!)
白銀の脳裏にチラつくのは、隣のクラスの早坂愛。友人の
落ち着きを取り戻した石上が口を開く。
「役に立てるか分かりませんけど、ラブコメはメッチャ読みますよ」
ゲームの他、彼は漫画やアニメの類にも精通している。
「お、おう。良いと思うぞ。そんで、話って言うのが友達の話で────」
「ははは。その入り方だと、会長の話みたいに聞こえちゃいますよ。まさか、そんなベタなことは無いでしょうけど」
まさに図星。白銀はビクつきながらも「まさかまさか」と声を震わせ誤魔化す。
(また、四宮の話か)
才雅は、特に突っ込むこと無く、またいつものやつか程度に思い、彼の話を聞く。
「その友達・・・・・・その男は風邪を引いた女友達の家に見舞いに行ったんだ。部屋に上がって、買って来た飲み物とかを渡して、話をしていたら、突然ベッドへ引きずり込まれ」
「ベッド!?」
才雅は勢い良く上半身を起こした。
友人の話と切り出された今回の相談、白銀の様子から察するに白銀御行と四宮かぐや、この二人を当事者とする話の可能性が高い。
そして今、喧嘩した異性との仲直りの仕方について語りたいと来た。彼は、両者の想いを知り、自身もまた一応は思春期の男子高校生である。これだけのピースが揃えば、刺激のある想像をしてしまうわけで。
「先輩って、ムッツリだったんすね」
「ちげーよ!!」
茶化す石上の言葉を否定する才雅。白銀は、二人のやり取りを気に留めることなく、淡々とした口調で続ける。
「まぁ、続きを聞いてくれ。二人は、そのままベッドで眠ってしまって、先に目覚めたのは女友達だった。案の定、何故、貴方が私のベッドに居るんだと激怒したんだ。風邪で意識が朦朧としていたのかもしれない。一連の流れを全く覚えていないみたいでな」
女の方に落ち度がある。そう判断した、石上のエンジンは、一発でアクセル全開となった。
「はぁ? 何すか、そのクソ女。クソオブザクソじゃないですか。完全にモラルが破綻してますよ。ちなみにラブコメでは黒髪貧乳に有りがちなタイプですね。間違いなく面倒臭い女です。いくら意識が朦朧としてたと言っても、男をベッドに引っ張り込むって、その女、絶対ド淫乱ですよ。きっと、その男が帰った後も」
「オーケー。ブレーキ、石上」
白銀がストップを掛け、自身の思いを述べる。
「だがまぁ、それでも男は流されるべきじゃなかったのも確かだろう。もっと穏便に済ませる方法はあったはずなのに、そうしなかった。いや・・・・・・そうしたくなかったんだろう」
何処か意味深なものを感じさせる最後の言葉。才雅は、その後の行方を問う。
「で、結局どうなったの?」
「一応、お互いに謝って決着はしているようなんだが、女の方は納得していないみたいでな。それで、どうしたものかと」
「うるせぇぇ!! バッーーカ!!」
再びの石上覚醒。鼻息荒く、怒りを露わにする。
「お互い謝ったんですよね!? だったら、その話はそこでおしまい。何、引きずっとんねんって話ですよ!! 聞いてるだけでムカついてきました!! 僕から言ってやりましょうか!! その馬鹿女にビシッと!!」
石上の男の立ち場としての主張、才雅は自分に置き換えて考える。意中の相手にそそのかされたら、そらまぁ流されるかもしれない。だが、そもそも論として、相手の部屋に上がること自体が良くなかったのではと思う。玄関前で用を済ませば、起こらなかった事態だ。
「んー。やっぱさぁ、そもそも部屋に上がるのが不味かったんじゃないの? どう言う経緯でそうなったかは知らないけど、玄関で済ませば良い話だった気はするけど」
「じゃあ、何すか。部屋に上がった男の方が悪いって言うんですか?」
「いや、別にそう言うことを言ってるんじゃなくて・・・・・・」
後輩のドスの利いた低音に、才雅の言葉尻が萎む。言い争いをしたくて、自分の意見を述べたのではない。
「二人とも、もう良い」
これ以上は、議論ではなく喧嘩になる。白銀は間に入った。
「石上の言うことも、汐崎の言うことも、何が言いたいかはよく分かった。男同士でも、人によってこうも受け取り方が変わるんだ。それが異性となれば、全く想像もつかん」
悟ったような白銀はただ遠くを見つめる。石上は頷く。
「男が女の全てを理解しようとするのがそもそも傲慢なのかもしれませんね。結局、ほとぼりが冷めるのを待った方が良いですよ。男側にやましいことが無いなら別に謝る必要も無いですって」
「やましいことか・・・・・・」
彼らに向かって風が吹く。白銀の言の葉は空に消えて行った。
●
三人の話し合いが終わった後、白銀は一人学校へ戻って行った。才雅は、石上と最寄りの駅で別れ、自転車を漕ぎバイト先へ向かう。
目黒駅が最寄りの個人経営の洋食レストラン。才雅の自宅からも近く、徒歩圏内である。
キッチンに立つ彼は、対面のカウンター席に座る常連客の女子高生と雑談中だった。名は、スミシー・A・ハーサカ。くすみがかったアッシュ系の金髪を持つハーフの美少女で、彼女は今、綺麗な顔に憂いの表情を浮かべている。
「え。予備校?」
才雅は反射的に聞き返した。驚きと内心では、ちょっとした焦り。彼女の来店率が
「親にそろそろ行けって言われてて」
「高二で予備校って早くない?」
彼女は才雅と同級生の高校二年生だ。
「それが、うちの学校ではちょこちょこ居るんだよね〜」
「ハーサカさんは、そのまま上には行かないんだ? フィリスって大学あったよね?」
「うん。私は一応、外部受験希望だからね。流石に女子校は中高の六年間で充分って感じ? 実際、共学に行きたいって理由で外部を受ける子も居るし」
「そ、そうなんだ」
ハーサカは、クスクスと笑う。才雅は、彼女に特別な関係の人間が居るかどうかを問うたことはない。が、ずっと気になってはいた。知ったところで何かが変わるわけではないし、彼自身、新たに関係を築きたいと思っているわけでもない。ただ、今の関係がずっと続けば良いのにとだけ。もちろん、期限付きの関係なのは分かっている。
そして、ハーサカの口から予期したことが紡がれる。
「だからね。これからは、今までみたいに来れなくなると思う」
彼女から向けられる真っ直ぐな瞳、才雅は反らすことなく受け止める。想定より、その時が少し早かっただけだ。
「・・・・・・仕方ないよ。勉強は学生の本分だし」
「そう、だよね。でね、才雅くんに一つお願いがあるの」
「俺のヴァイオリンが欲しいとかは無理だからね」
「そんなことは言わないよ!! 帰りに、一緒に写真を撮って欲しい。ここでの思い出があれば、きっと勉強も頑張れるから」
才雅は一瞬、迷う。彼女の願いを受け入れたら、もう二度と会えないような、そんな気がした。だが、答えは初めから決まっている。早く回答しなければならない。目の前では、ハーサカが返事を待っている。
「・・・・・・良いよ」
すっかり暗くなった店の外に二人は居た。店の看板が入るように並び、ハーサカが手に持つスマホの画面を見ながら画角を見定めて行く。いわゆる自撮りだ。
「ワガママ言っちゃって、ごめんね」
「別に良いよ。息抜きならいつでも待ってるし」
「うん、また来るね」
スマホのシャッター音が切られた。
ハーサカは、ツイッターのダイレクトメッセージで、今日の写真を送ると才雅に言い残し、店を後にした。
彼女の後ろ姿を見送った才雅は、少しだけ肩を落とし、店内へ戻る。戻るやいなや、キッチンに立つオーナーシェフから指示が下った。
「皿洗い、宜しく」
「は、い」
残りの時間は洗い物を中心に行い、高校生である才雅は、閉店時間まで働くことが出来ないので、他の同僚より一足先に上がりとなる。パソコンに退勤を打ち込み、着替えるため、従業員用の休憩室へ向かった。
「あれ、どうしたんすか?」
才雅は、後を追うように休憩室へ入って来たオーナーシェフに声を掛けた。これからの時間は締め作業の時間。休憩室に用は無いはずだ。
「タバコ休憩」
「いや、タバコ吸わないじゃないですか・・・・・・」
「まぁ、何て言うか────ハーサカちゃんのこと、好きなのか?」
着替えの入ったロッカーを開けようとした才雅の手が止まる。そう言う予感は彼の中にあったが、単刀直入も良いところだ。何でもかんでも恋愛に結び付けるのは止めて頂きたい。
「別に。そう言うんじゃないです」
素っ気ない才雅の態度に、オーナーシェフは顎髭を撫で、首を傾げた。自分の見当違いだったのか、照れ隠しなのか。何れにしろ、自身の発言が彼の足枷になっているのであれば、ちゃんとクリアにしなければならない。何せ、高校時代の青春なんてあっという間なのだ。
オーナーシェフは、側にあったパイプ椅子を手繰り寄せ、才雅に背を向ける形でドカンと腰掛けた。長テーブルの上にあった雑誌を開き、口を開く。
「ここから先は俺の独り言。前に話した、客とファンに手を出すなってのは、プロ意識を持てってことだ。人は、この店に何を期待して来るのか。当然、そこから外れればリピーターにはならないだろうし、最近じゃ、何でもSNSに書かれる時代だからな。けど、プライベートは知らねぇよ。店の外では好きにしろ」
それだけ言うと、扉の閉まる音が鳴る。ささっと店内へ出て行ってしまったようだ。
「・・・・・・・・・・・・」
才雅は、今しがたまでオーナーシェフが座っていたパイプ椅子を見つめる。そして、溜め息をついた。