秀知院学園高等部二年、
世界的ヴァイオリニスト・
転機は、小学五年生の時。才雅が作曲した曲が、同じ地元出身だと言うフィギュアスケート選手の目に止まったこと。その選手は怒涛の快進撃でオリンピック初出場を決め、世間の注目が彼に及んだのは言うまでも無い。
「お父さんとは家でどんな話をするの?」
ボイスレコーダーを持った大人に才雅は何度も聞かれた。自分を通し父親を見るメディア。その父親は、家では言葉数が少なく、何を考えているのかよく分からない。けど、外ではよく笑い、よく喋る。
ああ言う大人にはなりたくない────才雅は、自分の意志をハッキリ持つ子供だった。故に、大人たちは「可愛気がない」「生意気だ」と、口々に言葉を漏らしたが、彼の反骨心を煽るだけだった。
才雅が音楽に一番打ち込んだのは、中等部時代である。指を怪我しないよう体育は見学し、風邪を引かないようコンクール前はマスクを着用。部活には入らず、放課後や休日は友人と遊ぶこともなく、ヴァイオリンとだけ向き合った。しかし、多感な時期の中学生。同級生らは、彼は普通から外れていると後ろ指を指した。更に、父親の存在と成長の遅かった彼の小さな体は、自己認識と周囲が抱くイメージの間に大きな溝を生んだ。結果、無責任な言葉に苛立ち、他人を疎ましく思い、彼はツンケンした中学生だったと言える。もし、今の彼が当時の自分を釈明するならば、反抗期の一言で済ませてしまうだろう。
だから、初めて学園祭のステージに立った時、才雅が歌詞に乗せたのは、自分はこう言う人間だと伝える言葉。決して、理解を求めるものではなく、意訳するならば『俺は、こう言う人間で、こう考えるけど、お前はどうなの?』と、そう問い掛けた。ステージは近年最高の盛り上がりとなり、生徒が撮影し、SNSにアップしたライブ動画をきっかけに、再び世間の注目が彼に集まった。
そして、一枚のCDをリリースした。これまで仕事で携わった作品の曲とオリジナル曲を収録したアルバムである。もっとも彼は否定的であったが、音楽業界で働く伯父に背中を押された形だ。以降、話題に乗じて接点を持とうとする人間が居たりもしたが、才雅は一度も靡かなかった。
「────才雅」
「・・・・・・はい?」
名を呼ばれ、半ば無意識に反応した声は、間の抜けたもの。才雅が座る椅子は、飲食店であるバイト先のカウンター席。授業を終え、家に帰らず寄り道をしていた。彼はシフトが休みの時、小腹を埋めるため、足を向けることがある。自宅から近所なのと、社割りで良いものを安く食べられるのが主な理由。もう一言付け加えるならば、店の雰囲気が好きだから。夜になると音楽好きが集まるし、同級生らと話すより、歳上と話す方が何処か気楽だった。
「クラブサンド。食べないの?」
今一度、状況を整理しよう。才雅に声を掛けた男は、店のオーナーシェフ。色黒マッチョで、一見すると、何処かのベンチャー企業の社長にいそうな感じだ。ちなみにアラフォー独身。才雅から注文を受け、クラブサンドを乗せた皿を彼の前に置いて、早数分。食べる気配が全くない。皿の上のこんがり焼かれ三角切りのパンの間には、ベーコン、卵、レタス、トマトが挟まれ、今も香ばしい匂いを放っている。我ながら最高の出来だと、オーナーシェフは内心で自画自賛であったが、未だ手を付けられないことが気になって仕方がなかった。一般客ならいざ知らず、相手が店のバイトならば話は別である。
「ああ、食べます」
才雅は、おしぼりで手を拭くと、その手でクラブサンドを掴み、大きく開けた口へと運ぶ。
「ハーサカちゃん。もう一年くらいになるっけ?」
オーナーシェフが口にした『ハーサカ』は、店の常連客の女子高生である。才雅がバイトを始めて間もなく、彼女は店へ通うようになった。そしてある時、彼女は才雅に向かってファンだと告げたのだ。彼は、その彼女と今から会う約束をしている。
ただ、話を聞いたオーナーシェフは、「バイトの間は客に手を出すな」とか、「ファンと繋がるのは慎重にしろ」だの渋い顔をした。過去に何かあったのだろうか。無論、才雅にその気はないし、彼女は、あくまで大切なファンである。
「そうっすね。最初はビビりましたけど」
「レアなCD持ってたしな」
「レアとか言わないで下さいよ・・・・・・」
才雅の音楽人生において、唯一リリースしたCD。あのアルバムを彼女に見せられた時は、喜びや感動よりも驚きが大きかった。経緯を聞くと、ネットであのライブ動画を見てファンになったそうだ。そして、オーナーシェフが更新する店のブログに、ヴァイオリンを弾く才雅の写真がアップされたのを見つけ、店に来たらしい。彼女には、ストーカーみたいな真似をしたと謝られたが、店に来る分には問題ないと彼は言葉を返したのだった。もし、彼女の年齢が離れていたり、常識に欠けた人物だったなら、ここまで関係は続かなかっただろう。
「あの曲入れときゃ、もっと女の子が来たんじゃないか?」
「あの曲は、そう言うんじゃないんで」
『あの曲』とは、才雅が中等部一年の時に、初めて立った学園祭のステージで、披露した曲だ。オリジナル曲のインストルメンタルをアレンジし歌詞を付け、演奏した曲のこと。だが、CDの収録曲には含めなかった。
会話の最中、鈴の音が響く。店の入口ドアに付けられた鈴で、開閉すると音が鳴る。才雅は、現れたセーラー服の金髪美少女に向かって手を振った。名は、スミシー・A・ハーサカ。約束の相手だ。
「ハーサカさん」
「ごめんね、才雅くん。遅くなっちゃって」
「いや。俺が早く来過ぎただけだから」
才雅は、彼女を隣へ招くと、座りやすいように椅子を下げた。
「ありがとー」
「荷物置き下にあるから」
オーナーシェフは、才雅に耳打ちをする。
「手、出すなよ」
「分かってますって」
一方。平然を装っているが、ハーサカ────いや。
(へぇ、ハーサカには優しいんですね。それは、店の客だから? それともファンだから?)
今の早坂は、髪を下ろし、カラーコンタクトを付け、胸を盛り、声色を変えた変装中の状態。更には、髪に軽くスプレーをして、美しい金髪をくすみがかったように見せ、どちらかと言えば猫顔、吊り目寄りの目にメイクを施し、印象を変える。そうやって、一年以上バレずにやって来た。罪悪感はあるかと聞かれれば、あると彼女は答えるだろう。だが、後には引けない状態なのだ。
才雅は、二つ折りのメニューを早坂との間で広げた。
「好きなの頼んでよ」
「そんな悪いよ、チケット貰う上にそんな」
「いやいや、遠慮しないでよ。俺は社割りあるし」
彼の言葉に、早坂は少し考える素振りを見せた後、いたずらっぽく微笑む。ちなみに、男を漁り手玉に取る清純派ビッチと言うのが、
「じゃあ、お言葉に甘えてアイスコーヒーにしようかな」
「食べ物は?」
「飲み物で充分だよ。家に帰れば夕食あるし」
傍から見れば、高校生カップルの放課後デートと言って差し支えないだろう。だが、二人はそのような仲ではない。ハーサカもとい、早坂が口にした『チケット貰う』と言うのが答えだ。今週末にある、秀知院学園高等部演劇部主催の舞台。そのチケットを引き渡すのが今日の目的だ。舞台の劇伴を担当した才雅は、チケットの招待枠を持っていた。
アイスコーヒーを頼み、才雅はスクールバッグのチャックを開ける。取り出したクリアファイルの中から、一枚のチケットを出す。
「これがチケットね」
「うわ〜、ありがとう!!」
「無くしたら受け付け出来ないから、気を付けて」
「分かってる。私、そんなドジじゃないよ?」
オーナーシェフが「はい、お待たせー」と、カウンターにグラスを置いた。頼んだアイスコーヒーだ。
「ちょっと面倒くさいけど、席は当日引き換えになるから。あ、飲んでね」
「うん、ありがとう。座席が書いてないのは、そう言うことなんだ?」
「一応、招待枠で前の区間ではあるけどね。受け付けで、このチケットを渡して、顔付きの身分証を見せて、座席が書いたチケットと引き換えって感じかな。前に席の場所でトラブルがあったとかで、当日ランダムなんだって」
「そうなんだー。前に行けると良いな」
素知らぬ顔で早坂は彼の話に頷き、グラスのストローに口を付ける。かぐやから事前に話を聞いていたため、そこら辺のシステムは熟知している。
正直、今の早坂にとっては、助かるものだ。確定した席を渡されてしまっては、早坂愛として座ることは出来ない。逆も然りで、校内にハーサカとして入り込むなど身バレ確定は避けられない。彼女は、当日引き換えに感謝をし、早坂愛として赴くことを決めていた。当の主人は、生徒会メンバーの白銀と石上へ渡すと言っていた。白銀一人に渡してしまうと、意味が生まれてしまうからである。なので、ちょうど良かったと言えば、良かったのだが。
「後で、詳細はDMで送るから」
「うん」
二人の連絡手段は、ツイッター。一般利用者を始め、芸能人や企業、今や公的機関までが情報発信ツールとして利用をしている。特定の人だけと繋がるラインと比べて、見知らぬ人とも繋がることが出来るツイッターの方が関係を築くに当たり健全だと、才雅が判断した結果だ。
雑談を挟み、話すこと小一時間。週末を迎えることを楽しみに、二人は店を後にした。
●
秀知院学園高等部・演劇部主催『愛憎の女達』。
ついに、舞台本番を迎えた。
「すげぇ、人」
才雅は、会場である体育館の舞台袖に居た。目一杯に並べられたパイプ椅子には、空き無く人が座っている。見慣れた高等部の制服を始め、中等部の制服もチラホラと見える。他には、保護者であろう大人の姿や秀知院大生なのか他校生なのか分からないが、私服姿の若者も確認出来る。
(これじゃ、ハーサカさんが何処に居るのか分からん。私服となれば余計分からないよな。制服姿しか見たことないし)
ちなみに、裏方の才雅は制服姿である。シーンに応じて曲を流すのは、音響監督を務める演劇部の生徒の役目。彼は本番でやる仕事は特になく、何なら客席から観ていても良かったのだ。とは言え、こんな機会はそうない。せっかくだから、舞台袖で見物でもしようと言ったところだ。
後方では、役者陣が緊張を口々にし、ストレッチをしたり、台本を見直したりしている。
「うわわ。もう直ぐですよ!! かぐやさん!!」
藤原は緊張を口にし、かぐやの腕に引っ付いている。
「そうですね。沢山練習しましたから、きっと上手く行きますよ」
「ですよね!! きっと大丈夫ですよね!!」
才雅は、二人に声を掛ける。
「そう言う四宮は余裕そうだな?」
「そんなことありませんよ。これでも一応、緊張はしてますから」
「へー。流石はポーカーフェイス。ん、何?」
ジッと、才雅に視線を送るのは藤原。
「黒野くん、何か面白いこと言って下さい」
「急に無茶振り過ぎ」
「だって、ズルいじゃないですか!! 私たちは緊張して、黒野くんは緊張しないなんて!!」
「いや、俺だって、これから自分の作った曲を聞かれるんだけど・・・・・・。ま、観に来てくれた人が楽しめるように頑張ろうぜ」
「そうですよ。みんなで作るのが舞台ですよ。藤原さん、深呼吸をしましょう」
かぐやの言葉に、藤原は素直に深呼吸を始めた。
「黒野くんは、どなたを招待したんですか?」
かぐやは微笑み問い掛ける。彼は、
「バイト関係の人とうちの母親」
「そう」
彼の言葉通りならば、秀知院生には声を掛けていないと言うことだ。意外だと、かぐや思う。学校ではいつも誰かと居るし、友人は多そうなイメージがあったから。軽音部のバンドメンバーは、一緒にレコーディングしたとかで、招待しなくても公演を観ることが出来るとは言っていたが。
「白銀と優はそっちで誘ってくれたんだろ?」
「ええ。一部は私のチケットで、二部は藤原さんので」
「アイツら二回も観んのか」
才雅は「マジかよー」と苦笑いを浮かべる。
「まぁ、藤原さんのやることですから」
「断らなかったあの二人が偉いよ・・・・・・」
間もなくして、出演者は配置に付くようにと声が掛かり、かぐやは動く。才雅は、離れて行く背中に向かって声を掛けた。
「頑張れよ」
「ええ。言われなくても」
体育館の照明は落とされ、ステージのみに照明が当てられる。そして────幕が上がった。