(5)ペリリュー出口なし 日米ともに甚大な犠牲
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1944(昭和19)年2月、満州駐留の第14師団に転進命令が下った。関東軍の精鋭であり、初の本格的な南方転用だった。3月28日、約1万2000人を乗せたすし詰めの船団が大連港を出港。兵たちに行き先は知らされていない。制海制空権を奪われた日本軍に補給のすべはない。玉砕への旅立ちだった。
敵潜水艦の攻撃を避けながら、4月24日にパラオのコロールの港に到着。各部隊はパラオ本島(歩兵第15連隊)、南部の...
1944(昭和19)年2月、満州駐留の第14師団に転進命令が下った。関東軍の精鋭であり、初の本格的な南方転用だった。3月28日、約1万2000人を乗せたすし詰めの船団が大連港を出港。兵たちに行き先は知らされていない。制海制空権を奪われた日本軍に補給のすべはない。玉砕への旅立ちだった。
敵潜水艦の攻撃を避けながら、4月24日にパラオのコロールの港に到着。各部隊はパラオ本島(歩兵第15連隊)、南部の...
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