マスクをしない人は、
「公衆衛生の敵であることを自ら選んだ人」
「自身の将来を投げ捨てる賭けを選んだ人」
「将来の自身のQOL低下の可能性より、今の快適性を選んだキリギリス」
だとは思うけど、そういう人であっても今後も「元気に労働し、納税し続ける存在」で居続けてほしいとは思う。
賭に負けて公的扶助による後半生を生きることになる人々(罹患した人が死んでしまうならそれは不要だが、致死率は下がってもそれを桁違いに上回る後遺症率は健在なので)の暮らしを支えるのに掛かる、医療コスト、後遺症による身体障害者支援のための社会福祉コスト、後遺症による労働不能者が経済困窮に陥った場合の生活保護や各種補助金などなど、【元気な健常者】が分かち合って財源を負担していかなければならないものは多々予測できる。
これらは「十分な防護対策をして就労を維持して納税する人」も、「防護対策を疎かにして罹患するが、運良く軽症回復し、多少グレードダウンした仕事に職替えすることにはなるものの納税は続けられる人」も、等しく負担していかないとならない。
そんなわけで、「俺は何の備えもしなくても大丈夫だ」と胸を張る人に病気になってほしいとは露ほども考えてませんよ。「そんな装備で大丈夫か?」という心配はしてるけど。
今後、「何も備えていなくて大変なことになった」という人々を支えていく仲間は、一人でも減らないほうがいいんだから。
引用
nyohhiroki
@nyohhiroki
とうとう明示的に自分が批難されてると思い始めた。
マスクしてるしてない、協力的かどうかで敵味方を分けなきゃいけない人生から降りれることを心からお祈り申し上げます。 twitter.com/azukiglg/statu…
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