第1話 レイジ・シノノメ
自分に力があると自覚したのは、八歳の頃だった。
地方の片隅にある小さな小学校。同級生言い合いになって、妖狐とのクォーターであるレイジはカッとなって言い争っていた同級生に「ぶっ飛ばしてやる」と言った。
それまで穏やかで喧嘩などしたことがないレイジは、生まれて初めてそんな暴力的な言葉を使った。言い争いの理由は今となっては曖昧だが、多分狐の尻尾を触られたのが嫌だったとか、そんなのだろう。
ぶっ飛ばす。その結果、レイジは同級生を殴り飛ばしたのだろうか。答えは否だ。
同級生は、レイジが握り拳を振り上げる前に、文字通りぶっ飛んだ。
レイジの言葉が半透明に渦巻く衝撃波となって放たれ、彼は吹っ飛んでいったのだ。
その後のことは目まぐるしく状況が変化し、訳がわからないくらい根掘り葉掘り警察から事情を聞かれ、テレビの取材が来て、レイジは両親から黙っていなさいと恐ろしい形相で言われ、その通りにしていた。
自分の言葉は恐ろしい力を宿している。人を傷つける力だ。それが、いつか自分に向くと思うと怖くて喋れなかった。自分の力が恐ろしくなったのだ。
こんなものは持っているべきではない、捨てるべきだと思った。
食事も喉を通らなくなり、エナジージェリーとサプリメントで騙し騙し過ごす日々が続いた。
二、三ヶ月かそこら、レイジは家に閉じこもっていた。するとしばらくして藍色の袴姿の女が現れた。
彼女はレイジに「力の使い方を教えてやる」と言って、家から連れ出した。
玄関から出ると報道陣があれこれ聞いてくる。カメラのフラッシュと質問攻めの声、声、声が、濁流のように押し寄せてきた。女は「静かに」とだけ言い、すると、その場は水を打ったように静まり返った。まるで魔法のように。
連れて行かれた一風変わった、やけにアットホームな神社の分社で、レイジの力が『
言霊は、遠くの島のバベルという塔が崩れた時に各地に散ったもので、稀に島の外の者がそれを発現することがあるという。
女はレイジの気持ちをよくわかっていた。彼女も同じだったからだ。言葉の力を突然覚醒させ、それゆえに苦しんだという。変化を解いた彼女もまた、化け狸という妖怪だった。
そうしてレイジは転校して、田舎の学校に通いながら言霊を学んだ。力の使い方を、それがどうあるべきかを学んだ。
けれど、嶺慈が十五歳の頃。
師匠となってくれたその巫女さんは、病気で倒れてしまった。
未だ、彼女は病床に
×
「兄さん、もうすぐだよ」
船頭がそう言って、船尾のあたりに腰掛けていた青年がこくんと頷いた。
黒髪に、黒い狐の尻尾が二本。狐耳はなく、人の耳が生えている。黒黒と来て目も黒い。身に纏うのはやはり黒い羽織に袴。口を固く閉じ、彼は必要以上に喋らない。
深い霧が立ち込めている。船頭は勘と経験でその中で小舟を漕いで、岸へ向かっていた。
大きな船は、喫水が浅く入ってこれない。音を立てるボートは危険な肉食獣を刺激する。結果的に前時代的な方法で着岸するよりほかなかった。
「ああ、見えた。あの桟橋だ。兄さん、あれだよ」
五十絡みの人間の船頭はそう言って、霧の向こうを指差した。ねじり鉢巻が様になっている。青年の鋭い目は、桟橋の影を捉えていた。
そろりと青年が立ち上がる。すっと背が高く、衣服越しにも筋肉質だとわかる。体幹がしっかりしているのか、揺れる小舟の上でも微動だにしない。背中には寝袋を括り付けた大きな
「うわっ、うわぁあ!」
船頭が悲鳴を上げた。見れば、
青年はバランスを崩して海に落ちかけた船頭の腕を掴み、引っ張り上げた。
集ってきたシーウルフが回遊し、青年は遠くを睨んだ。
「ま、まずいぞ兄さん! 俺たち喰われっちまう!」
「問題ない」
初めて、青年が口を聞いた。落ち着いた低い声である。
「ぶっ飛べ」
直後、小舟を中心に衝撃波が発生し、シーウルフの群れが四散。海中に血を撒き散らす。さらにもう一度「ぶっ飛べ」というと、血が溢れ出た海水が遠くへ押し飛ばされた。
凹んだ海面に水が吸い戻され、青年は櫂を掴んで乱暴に漕ぐ。
「しばらく宿で海の様子を見た方がいい。あるいは、撒き餌を持って奴らを誘導して離れればいい。悪い、大変なことに巻き込んでしまった」
「あ、ああ……いや、初めてじゃねえから平気だ」
青年はそう言って、桟橋にたどり着いた。荒っぽい着岸だが、命の危険から助けてくれた恩人のすることだ。船頭も小舟が多少乱暴に扱われても文句は言わない。
「おいおい、今海が爆発しなかったか⁉︎」
「おい、あの辺跳ねてんのシーウルフじゃねえか?」
「あんたらよく無事だったな!」
伸びをする青年と、
「それがこの兄さんがぶっ飛べって言った瞬間、海が爆発したんだよ!」
「そりゃあ……言霊じゃねえか?」
海辺の男たちはそう言って、青年の肩を叩いた。さすがは海の男というか力が強い。
人間だけでなく、妖怪や亜人が当たり前のように馴染んでいるのが、青年には新鮮だった。故郷は人間天下の社会だったので、尚更である。
「外から
「シノノメレ——」
青年は答える。
「レイジ・シノノメだ」
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