屋上から見た景色は、ちっともリアルじゃない
少し前の日記に、
「25~27才の大殺界に自殺する可能性が高い」
と書きましたが、強ちそうでもなくなってきました。
やっぱり、死にたい時に死ぬのがベストなのです。
「死にたい」と想う希死念慮こそ、最大のモチベーションなのです。
わたくし、二十歳にもなって、自分の行く末を自分で決められないことが恥ずかしくてなりません。
小学生や中学生のお子さんだって、希死念慮を遂行しているというのに。
年齢が総てではありませんが、兎に角わたしは自分を恥じます。
9月5日(金)までは、予定が入っているので死ねません。
うまくいけば、私の命もあと1週間で終われます。
こうしてネット(ブログ)に自殺予告出すやつに限って、びびったり、未遂したりするんですけどね(笑)
今回は、17歳の時、5月31日に目論んだ方法でやってみます。
その時は、ただただ怯えて出来ませんでした。
今回は、薬でラリってから執行したいと想います。
失敗すれば、即閉鎖病棟行きですが、私はそれでも構わないと想う程、自殺念慮が出てきてしまいました。
主治医の先生には、「死にたい」と想っていることは、結局最後まで言いません。
先生は、「来週の診察まで生きていてよ?約束だよ?」と、診察の最後に言うからです。
自分で謂うのもおかしいですが、私は根が真面目な性格なので、約束したことは守らなくては、と想ってしまう部分があります。
私は妙に悪運が強いので、助かってしまうかもしれません。
持ち前の運動神経を、ここぞとばかりに発揮したいと想います。
でも、最近からだ鈍ってるからな。
今回は、かなり危険を孕んだ方法を執ります。
一歩間違えれば、その後の半生、棒に振ることになります。
綺麗には死ねません。
別に、そんなことは望んでいません。
ただ、死ねればいいのです。
私が望むのは、ただそれだけです。
私は最後までスパイがいると信じ込んでいたので、何度ブログを替えても、きっと家族に自殺企図を密告する者がいると想います。
でも、だからって、それがなんですか?
スパイなんかに怯えて、自殺を遂行できないのですか?
そんな部分でも、自分が恥ずかしいです。
自分が大嫌いです。
私は、生きてゆくことに疲れました。
「何もやってないニートじゃないか!」って想われるでしょうけど、毎日を生きてゆくことが、しんどいのです。
たった20年しか生きていないですけど、人生、全然楽しくありませんでした。
そりゃあ、小さい頃は楽しい瞬間もあったかもしれません。
でも、14才で病気になってからは、常に強い希死念慮が私を包囲していました。
どんな出来事も、感情も、その暗い闇に葬られ、消えてゆきました。
私が死んだら、私の関係者の人にはすべて、私が自殺したことを伝えてほしいです。
二十歳のうちに、この胡散臭い世の中から消え去りたいです。
本当は10代のうちに死にたかったけど、瀬戸際で飲んだラボナ100錠も、寸でのところで助かってしまったので、その夢は叶いませんでした。
今度は即死したいです。
私は「生きたい」だなんて、ほんの1%も想っていません。
この想いを、掬い上げて欲しいです。
私の人生も、あと僅かだと考えると、なんだか気が楽です。
こんな人生に、ようやく幕が引けます。
何も思い残すことはありません。
髪の毛を伸ばすことは、もし助かってしまったらの話でいいです。
別にロングヘアで生きていても、何も変わっちゃくれません。
兎に角、私の訃報が多くの人々に知れ渡りますように。
それだけを祈って、私は残りの人生を全うします。
今日は今まで以上に拙い文章で失礼しました。
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