伊藤 鶯、いざ出陣
不思議と、昨晩はよく眠れました。
眠剤も飲まずにスゥーっと意識がもってかれました。
(死ぬ時もそうだといいけど。)
途中、何度か断眠はありましたが、結局起きたのは午前9時。
一度も母の顔を見ることはありませんでした。
それで、それでよかったのだと想います。
強迫観念を緩和してしまう働きのある、セレネース等のメジャーも切り、ただ上がらないようにテグレトールと抗不安薬のみを飲んでいます。
今日の気分は、イケそうです。
頭の中がごちゃごちゃしています。(霧がかかったよう)
無駄話はこれくらいにして、最後に私の身の上話を聴いてやってください。
私が辛いのは、暇なのに何もできない(しようとしないのかも知れない)ことです。
何処へも行くところがなく、何もすることがなく、ただ一日を布団の上で過ごす日々。
朝8時くらいに起き、夕方6時に母が仕事から帰ってくるまで、二階の寝室でひとりで、眠ることもなく、ただただ心の平安を願い、寝返りを打つ毎日。
「大学へ戻れ」「働け」誰からでもなく、どちらもまさに私の脳が私に命令することで、私はそれが耳元で煩くて仕方ありません。
それに順応できれば、まだ救われるのかも知れませんが、病んでしまった心ではついていけません。
心の病気をもっていても、工夫して、頑張って、勉学に励んでいたり働いている人は大勢います。
私の場合は、ただの甘えです。
人が汗水たらして働いたお金で飯を食い、服を買い、風呂に入り、パソコンを使い、音楽を聴き、友達と遊びに行っているわけです。
6年間のそんな生活から、いきなりバリバリ動く生活に戻れるわけがないことも解っています。
何もできない時間は、ただ忙しい時よりも遥かに辛く、心を蝕んでゆきます。
気付けばいつも、私は、母の帰りを待っていました。
私の両親は、私が小さい頃に離婚をして、私は母に引き取られたわけですが、当然働かなければ食べていけない母は、私が小さい頃もずっと働いていました。
小学校にあがると、私は学童保育に入れさせられました。
いわゆる「鍵っ子」が、学校が終わってからの数時間を仲間と一緒に遊んだり、創作活動をしたり、おやつを食べたりする場所です。
私は小さい頃から、常に物言えぬ寂しさをもっていました。
母は定年を過ぎても働く、と言っています。
私のこの寂寥感は、たとえ私がこの先を生きていっても、ずっと続いていくものです。
私はどうして、こんな病気になってしまったのでしょう。
常に強い不安感が私の心臓を突き刺します。
「病気にならなければ、前途洋洋な未来が待ってたのにね」
最近の母からの言葉です。
私は、病気になった中学3年時点の学力ならば、それなりに勉強すれば東大に入れることだって出来ました。
山のようにいた友達も、すべて失いました。(私の中学は中高一貫だったからです)
病院に通うことも、薬を飲み続けることも、苦痛でなりません。
けれど、躁うつ病ゆえに、これらは一生続くのです。
逃亡しても、ホームレスになるだけです。
また、私の摂食障害は完治はしておらず、冗長な一日の中で唯一の愉しみである食事も、自分の好きなものを食べることができません。
本当は、ご飯もパンも食べたいです。
毎日みんなのような、普通の食事がしたいです。
けれど私は、それを始めた途端にぶくぶく醜く太っていってしまいます。
体質遺伝なのです・・・。
私が158cm-42kg(人様に言えるほど痩せてもいないし)でいられる所以は、我慢に我慢を重ね続けた経過なのです。
最後にチョコレートを食べたかったけれど、最近は食欲もないので、何も食べずに死にます。
だから、排便にも人一倍気を配っていたのです。
毎日、排便をして体重計に乗るまではなにも飲食はできず、最近は深夜に腹痛で目が覚めて、トイレに走る・・・なんてことが続いていました。
それからは一睡もできず、ただ夜が明けるのを待ちました。
そんなことも、毎日お約束のように続いては、過剰なストレスとなっていたのです。
鬱のときは、無気力で衛生面が疎かになります。
体も洗えない、髪の毛も洗えない、歯も磨けない、コンタクトも入れられない、着替えもできない。
私には、もうこの体は不要に思えました。
自分で維持もできない、ただ豚のように寝転がるだけの体・・・。
それに私には、口煩い祖母がいます。
祖母はずっと家にいて、私の一挙手一投足を見張っています。
本当です、私の指先の動きにいたるまで、すべてを凝視しているのですから。
祖母の中では、まだ、私は3~4歳のガキでしょう。
この件については、母も私も、今まで何度となく注意もしたし、こちらの気持ちも伝えてきました。
けれど、何ひとつ変わったことはありません。
今日も監視、明日も監視、です。
私は病気でも、体も心も成長してきたつもりです。
これ以上の束縛は、犯罪に値すると想うくらいです。
自分の目の届く範囲にいなくなると、酷いときは1時間に何度も確認にきます。
私は、「私ってかわいそうでしょ?だから自殺するなんて騒ぎ立ててみるのよ。」なんて魂胆は、これっぽっちもありません。
ただ、最後に、私の死ぬ意義をはっきりさせておきたかっただけです。
私は、「やると言ったらやる人」(by心友)です。
これらの辛苦が、これからもずっと続くより、一瞬の勇気を以て今日で終わりにしたいと想います。
今までご贔屓にしてくださった皆様、ありがとうございました。
そして、さようなら。
もう、彼から連絡がくることもないです。
これで、やっと楽になれます。
家族のみんな、友達のみんな、知り合いのみんな、今までよくしてくれて本当にありがとう・・・。
コッコちゃん、最後の最後まで本当にありがとう。愛しています。
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