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伊藤 鶯、いざ出陣

不思議と、昨晩はよく眠れました。

眠剤も飲まずにスゥーっと意識がもってかれました。

(死ぬ時もそうだといいけど。)

途中、何度か断眠はありましたが、結局起きたのは午前9時。

一度も母の顔を見ることはありませんでした。

それで、それでよかったのだと想います。



強迫観念を緩和してしまう働きのある、セレネース等のメジャーも切り、ただ上がらないようにテグレトールと抗不安薬のみを飲んでいます。

今日の気分は、イケそうです。

頭の中がごちゃごちゃしています。(霧がかかったよう)



無駄話はこれくらいにして、最後に私の身の上話を聴いてやってください。



私が辛いのは、暇なのに何もできない(しようとしないのかも知れない)ことです。

何処へも行くところがなく、何もすることがなく、ただ一日を布団の上で過ごす日々。

朝8時くらいに起き、夕方6時に母が仕事から帰ってくるまで、二階の寝室でひとりで、眠ることもなく、ただただ心の平安を願い、寝返りを打つ毎日。

「大学へ戻れ」「働け」誰からでもなく、どちらもまさに私の脳が私に命令することで、私はそれが耳元で煩くて仕方ありません。

それに順応できれば、まだ救われるのかも知れませんが、病んでしまった心ではついていけません。


心の病気をもっていても、工夫して、頑張って、勉学に励んでいたり働いている人は大勢います。

私の場合は、ただの甘えです。

人が汗水たらして働いたお金で飯を食い、服を買い、風呂に入り、パソコンを使い、音楽を聴き、友達と遊びに行っているわけです。

6年間のそんな生活から、いきなりバリバリ動く生活に戻れるわけがないことも解っています。


何もできない時間は、ただ忙しい時よりも遥かに辛く、心を蝕んでゆきます。



気付けばいつも、私は、母の帰りを待っていました。

私の両親は、私が小さい頃に離婚をして、私は母に引き取られたわけですが、当然働かなければ食べていけない母は、私が小さい頃もずっと働いていました。

小学校にあがると、私は学童保育に入れさせられました。

いわゆる「鍵っ子」が、学校が終わってからの数時間を仲間と一緒に遊んだり、創作活動をしたり、おやつを食べたりする場所です。

私は小さい頃から、常に物言えぬ寂しさをもっていました。

母は定年を過ぎても働く、と言っています。

私のこの寂寥感は、たとえ私がこの先を生きていっても、ずっと続いていくものです。



私はどうして、こんな病気になってしまったのでしょう。

常に強い不安感が私の心臓を突き刺します。

「病気にならなければ、前途洋洋な未来が待ってたのにね」

最近の母からの言葉です。


私は、病気になった中学3年時点の学力ならば、それなりに勉強すれば東大に入れることだって出来ました。

山のようにいた友達も、すべて失いました。(私の中学は中高一貫だったからです)

病院に通うことも、薬を飲み続けることも、苦痛でなりません。

けれど、躁うつ病ゆえに、これらは一生続くのです。

逃亡しても、ホームレスになるだけです。



また、私の摂食障害は完治はしておらず、冗長な一日の中で唯一の愉しみである食事も、自分の好きなものを食べることができません。

本当は、ご飯もパンも食べたいです。

毎日みんなのような、普通の食事がしたいです。

けれど私は、それを始めた途端にぶくぶく醜く太っていってしまいます。

体質遺伝なのです・・・。

私が158cm-42kg(人様に言えるほど痩せてもいないし)でいられる所以は、我慢に我慢を重ね続けた経過なのです。

最後にチョコレートを食べたかったけれど、最近は食欲もないので、何も食べずに死にます。


だから、排便にも人一倍気を配っていたのです。

毎日、排便をして体重計に乗るまではなにも飲食はできず、最近は深夜に腹痛で目が覚めて、トイレに走る・・・なんてことが続いていました。

それからは一睡もできず、ただ夜が明けるのを待ちました。

そんなことも、毎日お約束のように続いては、過剰なストレスとなっていたのです。



鬱のときは、無気力で衛生面が疎かになります。

体も洗えない、髪の毛も洗えない、歯も磨けない、コンタクトも入れられない、着替えもできない。

私には、もうこの体は不要に思えました。

自分で維持もできない、ただ豚のように寝転がるだけの体・・・。



それに私には、口煩い祖母がいます。

祖母はずっと家にいて、私の一挙手一投足を見張っています。

本当です、私の指先の動きにいたるまで、すべてを凝視しているのですから。

祖母の中では、まだ、私は3~4歳のガキでしょう。

この件については、母も私も、今まで何度となく注意もしたし、こちらの気持ちも伝えてきました。

けれど、何ひとつ変わったことはありません。

今日も監視、明日も監視、です。

私は病気でも、体も心も成長してきたつもりです。

これ以上の束縛は、犯罪に値すると想うくらいです。

自分の目の届く範囲にいなくなると、酷いときは1時間に何度も確認にきます。



私は、「私ってかわいそうでしょ?だから自殺するなんて騒ぎ立ててみるのよ。」なんて魂胆は、これっぽっちもありません。

ただ、最後に、私の死ぬ意義をはっきりさせておきたかっただけです。

私は、「やると言ったらやる人」(by心友)です。

これらの辛苦が、これからもずっと続くより、一瞬の勇気を以て今日で終わりにしたいと想います。



今までご贔屓にしてくださった皆様、ありがとうございました。

そして、さようなら。

もう、彼から連絡がくることもないです。

これで、やっと楽になれます。

家族のみんな、友達のみんな、知り合いのみんな、今までよくしてくれて本当にありがとう・・・。

コッコちゃん、最後の最後まで本当にありがとう。愛しています。

080905

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あっちが呼んでる・・・

昨日は、コッコちゃんとカフェ巡りをしました。

話す内容が内容なだけに、空いてるカフェを狙い撃ちして、突撃入店しました。

でもなんか、あの向かい合った席の距離感って、ちょっと大きめの声を出さないと聴こえないんだよね。

コッコちゃんは、最後まで私の生を願ってくれていて、なのに私は死ぬ話ばかりして、ちょっと悪いことをしました。

ごめんね、コッコちゃん。

きっと助かっちゃうって。こんな悪運だけのいい女。



でもね、即死したいんだよ。(だから何の話?!)

まあ、数日経ってから力尽きるのも、アリ。

病院でまたICU入って(何度目?)、たくさんの管に繋がれて最期を迎えるの。

でもまあ、それよりは救急隊が出動してきた時点で心肺停止状態が好ましいですけどね。


ずうっと頭の中でシュミレーションをしてます。

どう逝ったらいいのか・・・

そうしたら、立派な不眠症のできあがりです。

眠れる気配がないです。

きっと明日は、もっと酷いんだろうなぁ。

最後の息ある眠りだもんなぁ。

なので、眠剤を、処方量の2倍飲んでみました。

そしてクーラーがガンガンにあたるソファーでまどろんでみました。

すると・・・2時間は眠れましたが、以後起きてしまって、こうして日記の前半部分を執筆している次第でございます。



そうだ。コッコちゃんとはカフェでお酒を飲んだんですよ。

ここだけの話、コッコちゃん一応まだ未成年(笑)

半ば私が飲ませた、とも言う。

いいじゃん、19歳11ヶ月だもん。

(私のパキシルのときと一緒だ・・・17歳11ヶ月だから、と当時パキシルを出してもらえなかったのです。)

結果、コッコちゃんの方がお酒に強い!

一杯目は、苦手なグレープフルーツをベースにしたカクテルだったので(ソルティードッグ)、ほとんど飲んでいただきました。

すみませんねぇ・・・自分で頼んでおきながら。

私はちみちみ紅茶をすすっていましたよ。

そういえば私の飲んでるテグレトールって、何故かグレープフルーツジュースと飲むと、血中濃度が上がって禁忌でしたね。

そんなことは忘れて、ゴクッといってしまいましたよ。


2杯目は、コーヒー牛乳にラム酒を加えたような、甘~いお酒。

これはゴクゴクいけました。

酒も入って饒舌になり、死へのビジョンを語りだす私。

だから迷惑だっつーの。

8Fの、窓から下の景色がよく見える喫茶店でした。

でも、楽しい酒もあれば、悲しい酒もあるもので・・・。

帰宅する頃には、猛烈な不安が私の胸を襲っていました。

歩きながら、慌てて頓服(ワイパックス)を飲む私。

もうお酒は飲めない・・・飲まない・・・。

そう心に固く誓ったのでした。



2日目である今日も、コッコちゃんと遊ばせて頂きました。

一緒に、私がこの世で一番好きな食べ物である「スパゲッティ」を食べて、プリクラを撮りました。

ピカチュウの被り物をつけてみたり、相合傘してみたり・・・。

この時代300円という機種の古さにも驚愕しましたが、なかなか盛り上がった撮影でした。


間、コッコちゃんのおうちへもお邪魔しました。

そこで色々なことを、ぽつりぽつりと語りだす二人。

話が私の自殺に及んだとき、私は溢れ出る涙を堪えることができませんでした。

どうでもいいような世間話に、淡々と耳を傾けてくれるコッコちゃん。

「うん。・・・うん。」という相槌だけで、私はすごく救われたものです。

差し出してくれたティッシュで目頭を押さえ、鼻をチーンとかみ、空気をこの上ないくらいに湿っぽくした犯人は、私です・・・。


コッコちゃんは最後、私をバス停まで送るとき、別れ際に、

「鶯ちゃん、なるべく死なないでね。」

と、声を掛けてくれました。

私の自殺企図を知っている友達は、皆そうです。

みんな希死念慮が解るから、強引には引き留めないでいてくれます。



決戦は金曜日です。(肝心なところでパクるなよ)

一生の苦しみより、一瞬の苦しみです。

今のうちから読者の方に申しておきますと、きっと弱虫の伊藤 鶯は、結局死ねずに、明後日も明々後日も、こうして日記を綴るでしょう。

希望は「逝くこと」なのです。

でも正直に、正直に吐露すると、こんな者でも自ら自殺行為を執るのは怖いのです。


当日、私は10数錠の抗不安薬と、1錠のメジャーと、1錠の眠剤を服用して、作業に取り掛かります。

明日も直前に、日記を遺します。


最初にお詫びしておきます。

もし死ねなかったら、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

私には、コッコちゃんという大切な大切な友達がいます。

他にも、「死なないで」と言ってくれる友達が、少しではありますが、います。

きっと自殺を目論む前に、その人たちの顔が走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え、するでしょう。

私は、その人たちを裏切られるか分かりません。



すべては、明日です。

何とでも仰ってください。

「死にたい」という気持ちは変わっていません。

周囲の「死なないでほしい」という気持ちも変わっていません。

けれど私は、明日死ななくてはいけないのです。

すべての星が、明日を中心に集まっているのです。

私は弱虫ではない・・・証明したいです。


明日の自分に、幸あれ。

勇者となれ。

最後に信じられるのは、自分自身。


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世知辛い・・・

今日も早朝覚醒です。

なんだかんだやっていて、時間は遅くなってしまいましたけど、今日もナメられたもので悪夢です。

毎朝の不安感は、企図を決める以前から続いていました。

しかし、企図を決意してからの、朝起きたときの不安感というものは、どうしたものでしょう。

レキソタン2mgですっかりよくなります。(おい)

というか、最近先生が頓服にワイパックスを出したがる理由がわかってきました。

ワイパックス、下手したらレキソタンより効くかもしれません。

というより、まどろみたい気分になってくるんですね。

レキソタンは眠気が殆ど来ない分(それが特長のひとつでもあるのですが)、がっしり起きて、不安が消え去るのを「今か今か」と待つわけですが、ワイパックスで私は昼寝ができます。


それに、

「まだ私は生きていたのか・・・」というような落胆の気持ちにもさせられます。

こんな遠くに設定するんじゃなかったです。

でもチャンスはこの日しかなかったんです。

・・・明後日ですよ。

遂にこんな人間が潰える日がきます。

嬉しくて妙に血が騒ぎます。

最後の朝だけは、母に執着しません。

今までは、企図しようがしまいが、母が仕事に出掛けてしまうことに甚大なる不安を憶えて、縋っていましたが、最終日だけはレキソタンだけ飲んで、フツーに送り出します。

グッバイ、母様。



という母様は、旅行へ行くのを取り止めました。

理由は言わずもがな、鶯の不調です。

母の母、つまり母方の祖母から電話があって旅行へ行くことを伝えたところ、

「鶯の体調は?」と訊かれ、

「それがあまり良くないんだよね~」と話すと、

「じゃあ止めな。心配しながら行っても楽しくないでしょ。旅行は逃げないから。」

と、母自身も想っていたことズバリを言われ、また私も、「解約金が今なら1割で済む」と聞き、どうせ出発前に死ぬなら中止してもらおう、というわけで、旅行は延期となったのです。

私も流石に、「前日のキャンセルは、解約金が高くつくだろうな~」と心配していたのです。

これで私も安心して逝けます。

一緒に行く予定だった元同僚の方には、申し訳ないことをしてしまったけれど。

心置きなく、あっさりと、躊躇わず逝きますので。

もう覚悟は出来てます。

あとは実行に移すだけです。



そんな鶯も、昨日は最後の診察日でした。

・・・が。

身も心も凍りつきました。

「伊藤 鶯さ~ん」と名前を呼ばれると、何故か同伴していた祖父が診察室の中に入ってきて、

「今日は(孫は)何も喋れませんので。昨日までは元気だったんですけどね。」

なんて、目くるめく速さで喋りだすわ喋りだすわ。

・・・は?私が喋れない?どーゆーこと?

しかも昨日までは元気?私が母以外の人の前で、どれだけ空元気演じてるか解って言ってんのか!

こっちはれっきとした鬱だぞ、鬱!

数日後には死にゆく人間だぞ!


そんなわけで、一言ならぬ、一字も喋らせて貰えませんでした。

私自身、話したいことがあったから病院へ行ったわけです。

腹が立って仕方ありません。

「途中で割って話に入れば良いじゃん!」と想った方・・・、私はすべてを諦めてしまったのです。

「ああ、もうこの場へ来ることもないんだし、何も処方に反映されなくてもいいや・・・」と。

しかし、悔しくて、祖父に対しても先生に対しても、はたまた祖父に代言を頼んだ母に対しても、噴火寸前の心を抑えて、私は虚しく帰宅したのでした。

それからは、ただひたすらに部屋に引き篭もり。

誰も私が怒っているだなんて、気付きもしません。

へっ、私なんて結局そんな程度なんだい。



そんな荒んだ私を癒してくれたもの。

それは、アロマミストと「SEED」です。

黒田倫弘さんの「SEED」というアルバムを聴くと、何でもないことがどーでもよく思えてきます。(結局何でもないんだろうが)

きっと最後の日まで聴き続けることでしょう。

入手困難ですけどね、普通のCDショップには売っていません。

聴けば聴くほどに味の出る、するめの様なアルバムです。(例えがおかしい)

ありがとう、黒倫。

やっぱり想ってたんだ、最後に助けてくれるのは、accessでもT.M.Revolutionでもなく、マイナーな黒倫だとね。



さーて、今日も一日、予定はすっからかん。

また一日、布団の上でごろんごろんしてるのは真っ平ごめんです。

コッコちゃん、昨日誘ってくれたのに断っちゃったからなぁ・・・。

もう一度誘ってみようかなぁ・・・。

(という前に、数日風呂に入ってない鬱人間がここに。)

とりあえずメールで連絡をとってみよう。



それでは~。

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母親の勘というもの

突然ですが、私の母は、元同僚の方と、タイランドへ行く計画があります。

それも差し迫っていて、9月6日(土曜)から8日間の日程で旅行へ出掛けます。

しかし、私の調子が芳しくないので、母は旅行へ行くのを躊躇っています。

今日、旅行会社へ代金を支払いに寄る、とのことで、「本当に自分が出かけて大丈夫か?」と、昼休みにメールが届きました。



何回か確認があったのですが、私はもちろんのロン、自殺企図のことは隠して、

「私の親離れにもいい機会だし、行っておいで。」

と平静を装いました。

しかし、母は引き下がりません。

「何度も聞いてしつこいようだけど、本当に代金を支払ってきていいの?」

今日、3回目くらいの確認メールが届きました。



私は返しました。

「どういう意味?何を心配してるの?」

すると、なんと母・・・

「鶯が死んじゃいそうで・・・胸が潰れそうなんだよう」

え?えええ?

もしかして、企図がバレてる?

水面下で進めてた自殺企図が?

このブログでしか話してないのに?

やっぱりスパイがいるーーー?!!



でも私、ニヤニヤしてしまいました。

唯一の家族(戸籍上)である母が、こんな事を謂うなんて珍事です。

「虫の知らせ」ではありませんが、身内の勘ほど当たるものはない、と云います。

私は、

「よぉーっし!!これで私の自殺企図は完遂じゃあ!!!

死ねるんじゃあー!!!」

と、意気揚揚としてしまいました。

本当に鬱だったの?くらいのテンションに陥りました。


そのメールに対する、私の返信です。

「私は絶対死ぬからね、って言ってあるじゃん。」

・・・冷たい娘です。

すると母、たった一言、

「イヤだよ。」

そりゃあそうだ。・・・特に一人っ子だし。

でも私、言い切るところまで言い切ります。

「そういう病気なんだよ。

今まで何度も未遂してきたけど、私だって死ねるんだから。」

こっちも、半ば意地です。


やっと母が折れた(?)のが、このメール。

「わかってるよ・・・だから心配してるし、イヤなんだ。

少なくとも祖父母が生きてる間は悲しませないでね。」

やーなこった!パンナコッタ!(意気揚揚とし過ぎ)

なので私、

「そんなに長く、こんな辛い生活を続けていないと想うよ。」

何せ、あと1週間ですから。



大丈夫。

母が旅行に行っている最中に、日本で自殺してたりしませんから。

するなら、行く直前か、帰ってきた後。

行く直前が濃厚ですね。


昨日の私の格言、

「一生苦しむのと、一瞬苦しむのと、どちらを選びますか?」

我ながら、胸に刻んでおきます。

胸中まっさらで逝けたらいいです。



ところでこのブログ、私が死んだら誰が訃報を載せるのだろう・・・?

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先祖の皆様方

今日から、9月になってしまいました。

もう秋です。外はピーカンですけど。

今日は、ヘルメットを被ってランドセルを背負い、元気良く登校する子供たちを見て、

「ああ、そういえば今日から新学期なんだ・・・。」

と、ふと感慨に耽りました。

あの頃は、すべてがラクだったよね・・・。

小学校3年生くらいまでは、抑うつになることもなかったです。

そう考えると、もう人生半分うつなんですね。

そりゃあ死にたくなる私は、正解だ・・・。


躁うつ病って、遺伝性とまでは謂えないですが、かなり遺伝率の高い病気です。

この間、母と話していたのですが、父方の祖母が「躁鬱病」と「正常」のボーダーラインに立っているそうです。

やっぱり私は死ぬべきですね。

子孫を残す前に、さっさと自分を始末します。



「近々死のう」と決めてから、まるで景色が変わってみえます。

何でも物悲しく映ります。

一日に何度、涙を堪えているでしょう。

(ぼろぼろ泣いている時も多いですけど)

何でもないことが虚しく想えて、何故だかとても哀しくて、儚い気分で覆い尽くされます。

死にゆく自分に陶酔しているのでしょうか。

これで未遂してしまったら、世界一のアホだ・・・。

頭の中では、常時シュミレーションが続いています。



そういえば昨日は、最後の墓参に行きました。

普段はよほど無理矢理誘われないかぎりは、お墓参りになんて出向かないのですが、やはり心理的に行かざるを得ませんでした。

いつもより念入りに墓石の手入れをして、榊を挿して、母と1分間くらい手を合わせてきました。

な、長過ぎる・・・。

私はひたすらに、同じことをお祈りしていました。


「もうすぐそちらへ行きますから。

絶対に殺してください。

また変に助けないでください。

もう死にたいんです。

お願いします、お願いします。」

何度も反芻するように、ナムナムしました。

先祖の方々は、どう感じたか分かりません。

墓石の前でそんな不謹慎なことをお祈りする方も、馬鹿ですが。

でも、私が死んで、入るお墓は、そこですから。

ちょっとした予告です。

どうか私の願いを叶えてください、お願いします。


「願い」といえば、半月ほど前、左手首につけていたリリアンが切れました。

リリアンが切れると願いが叶う、というジンクスがありますよね。

そのリリアンは、2年程前に、旧友のMちゃんが作ってくれたもので、糸が頑丈に何本も縒ってあるリリアンでした。

それが切れたということは・・・?

イコール、「死にたい」という唯一無二の願いも叶うのか?

ついつい、そんな独善的なことを考えてしまいます。

まだ、運(ジンクス)は使い果たしていない筈ですから、私は今度の自殺行為にすべてを賭けます。



誰しも、自殺するには理由があります。

でも、素面では死ぬことは怖いです。

死んでしまうことは、すべての終焉を意味するのですから。

もう愛しい人にも会えないし、美味しい物も食べられないし、友達とも遊べないし、旅行へも出掛けられないし、大勢の人にショックを与えます。

それでも、あなたは死にたいですか?

自らその命を絶とうと想いますか?

私は、自身に問います。


別に、自殺企図を取り止めるわけではありません。

こんな私でも、死にゆくことを恐ろしく想います。

それほど、周囲がよくしてくれるから。

私は紛れもなく、愛されているから。



でも、決めるトコ決めないと、格好悪いし、私も救われません。

数少ないチャンスなんです。

一生苦しむのと、一瞬苦しむのと、どちらを選びますか。

すべてはこれに尽きます。



心配しなくても、一瞬の出来事です。

決断力を拾って、恐怖心を捨てて。

見事にあの世に逝ってみせます。


080901

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屋上から見た景色は、ちっともリアルじゃない

少し前の日記に、

「25~27才の大殺界に自殺する可能性が高い」

と書きましたが、強ちそうでもなくなってきました。


やっぱり、死にたい時に死ぬのがベストなのです。

「死にたい」と想う希死念慮こそ、最大のモチベーションなのです。

わたくし、二十歳にもなって、自分の行く末を自分で決められないことが恥ずかしくてなりません。

小学生や中学生のお子さんだって、希死念慮を遂行しているというのに。

年齢が総てではありませんが、兎に角わたしは自分を恥じます。


9月5日(金)までは、予定が入っているので死ねません。

うまくいけば、私の命もあと1週間で終われます。

こうしてネット(ブログ)に自殺予告出すやつに限って、びびったり、未遂したりするんですけどね(笑)


今回は、17歳の時、5月31日に目論んだ方法でやってみます。

その時は、ただただ怯えて出来ませんでした。

今回は、薬でラリってから執行したいと想います。


失敗すれば、即閉鎖病棟行きですが、私はそれでも構わないと想う程、自殺念慮が出てきてしまいました。

主治医の先生には、「死にたい」と想っていることは、結局最後まで言いません。

先生は、「来週の診察まで生きていてよ?約束だよ?」と、診察の最後に言うからです。

自分で謂うのもおかしいですが、私は根が真面目な性格なので、約束したことは守らなくては、と想ってしまう部分があります。


私は妙に悪運が強いので、助かってしまうかもしれません。

持ち前の運動神経を、ここぞとばかりに発揮したいと想います。

でも、最近からだ鈍ってるからな。

今回は、かなり危険を孕んだ方法を執ります。

一歩間違えれば、その後の半生、棒に振ることになります。

綺麗には死ねません。

別に、そんなことは望んでいません。

ただ、死ねればいいのです。

私が望むのは、ただそれだけです。


私は最後までスパイがいると信じ込んでいたので、何度ブログを替えても、きっと家族に自殺企図を密告する者がいると想います。

でも、だからって、それがなんですか?

スパイなんかに怯えて、自殺を遂行できないのですか?

そんな部分でも、自分が恥ずかしいです。

自分が大嫌いです。



私は、生きてゆくことに疲れました。

「何もやってないニートじゃないか!」って想われるでしょうけど、毎日を生きてゆくことが、しんどいのです。

たった20年しか生きていないですけど、人生、全然楽しくありませんでした。

そりゃあ、小さい頃は楽しい瞬間もあったかもしれません。

でも、14才で病気になってからは、常に強い希死念慮が私を包囲していました。

どんな出来事も、感情も、その暗い闇に葬られ、消えてゆきました。


私が死んだら、私の関係者の人にはすべて、私が自殺したことを伝えてほしいです。

二十歳のうちに、この胡散臭い世の中から消え去りたいです。

本当は10代のうちに死にたかったけど、瀬戸際で飲んだラボナ100錠も、寸でのところで助かってしまったので、その夢は叶いませんでした。

今度は即死したいです。

私は「生きたい」だなんて、ほんの1%も想っていません。

この想いを、掬い上げて欲しいです。


私の人生も、あと僅かだと考えると、なんだか気が楽です。

こんな人生に、ようやく幕が引けます。

何も思い残すことはありません。

髪の毛を伸ばすことは、もし助かってしまったらの話でいいです。

別にロングヘアで生きていても、何も変わっちゃくれません。

兎に角、私の訃報が多くの人々に知れ渡りますように。


それだけを祈って、私は残りの人生を全うします。

今日は今まで以上に拙い文章で失礼しました。


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無謀な外出は禁物ですね

今、ショッピングモールから帰ってきました。

重度のうつです。

(今日のうつは珍しく、無気力の方ではなく気分低下の方なので、日記は書けます。)

朝のうちは、ジェイゾロフトも飲み、調子がよかったのでお出掛けしました。

しかし、そのショッピングモールが混雑しすぎていた・・・。

入店5分でノックアウト。

でも、車でも片道30分かかるところを折角来たので、「何か買って帰りたい・・・」と物色するも、なんだか徐々に気分が重くなって負荷がかかってくる。

「もう帰りたい。」

ものの10分くらいで、同行の母親に謂いたかったけれど、謂えなかった。

なので、レキソタンを飲みました。

しかし、一向に人酔いよくならず。

寧ろ、鬱へ鬱へと傾いていきます。


幸運にも母が、私が頓服を飲んだことに気付いてくれて、帰ることになりました・・・。

ごめんなさい・・・お母さま・・・。

しかしその筈が、根っからのショッピング好きの母は、まだあちこち寄って見てる。

う、鬱が・・・。

駐車場に着いた頃には、胸に爆弾でも抱えてるんじゃないかと想いました。

今日のお昼は、家族で外食の予定だったのに、それも私のせいで丸潰れ。

あー死にたい。

なんでこんな人間が未だにこの世に蔓延っていることが、赦されるのだろう?



帰りの車内では、死にたいの一点しか考えていませんでした。

なんでこんな早い時間に鬱になるわけ?

私の鬱って、午後3時からじゃなかったっけ?

しかも今日、休日だよ?

吐くのは溜息だけ。

こんなに沈んだの、今回の鬱の中で初めてかもしれません。

BGMも、「風のゆくえ」を聴いています。

バラード聴いてるってことは、相当鬱やね(苦笑)

朝ごはんも食べてないけど、昼ごはんも食べる気しないし・・・。

私の家は、なるべく食事は家族で摂るのが決まり事なので、

「一緒に食べよう。」

と誘われたのですが、そんな気にもなれず、無視して日記を更新しています。

わたしの馬鹿野郎。



近々、献血に行ってこようと想います。

瀉血したくて仕方ないけど、大量の血液は困っている人のために使って欲しい。

そう想っただけです。

カーディガンでも着ていって、着太りして、体重偽って、400ml献血してもらうつもりです。

丸顔って得だわ。初めて実感したお得感。

その前に、初めての献血だ。

比重は通るだろうか?ヘモグロビンは?

そんなに健康な血液じゃないからなぁ。自信まるでなし。

成分献血でもしてもらうか。

とりあえず何か採ってって、状態。

そうでもしなきゃ自傷しちゃうから、状態。

早く私を献血センターに連れてって、状態。

今日はあまりに鬱すぎて、献血センターまで行く活力がないですけど。

来週あたり、行ってきます。

検査パスできますように。


080830 ダイエットは順調です。

あと1.5kg減らそかなー。


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今夏も日焼け女。

今日も、カンカン照りの一日だった。

そんな中、初めて「合コン」というものを経験した。

相手の男性の中に、ひとりだけ合コン経験者がいたのだが、正直、

「え?合コンってこんな薄っぺらいもんなの?」

と、想ってしまった。

完全に、男女に別れてしまっている。

まぁ、予約を入れておいてくれたランチで、自己紹介をしてから少しお互いに興味をもつようになったけど。

合コンってこんなものなのかしら~。

ずっと割り勘だったのに、最後の喫茶で私の分を奢ってくれたのには、「よっ!男らしい!」と想ったけどね。



でも、違う男の人を知る度、「やっぱり彼がいい」と想ってしまう気持ちは捨てられなかった。

彼は、私のことを本当に思い遣ってくれたし、ほんの少しのものでも奢ってくれたし、私は彼の一挙手一投足が好きだった。

今日会った男性陣より、あらゆる意味でずっと男らしかった。

・・・未だに、返信は来ない。

捨てるのか、キープするのか、答えを出してほしい。

私を何だと想っているのか。

ただの田舎から来たガキ?甘美な言葉に騙された軽い女?

私にだって、自尊心というものくらいあるのよ。

もう、どうしたらいいのか分からない。



話は変わって、隣県の愛知が、大雨による水害に遭っているという。

浸水してお年寄りがひとり亡くなったようだ。

なぜそれが私ではない!!!?

生きたい人間が事故に巻き込まれて、死にたい人間がのうのうと合コンなぞ繰り広げているなんて・・・なんという非情。

命を譲ることはできないのでしょうか?

運命を定める神様みなさまー、ここにこんなに死にたい人間がいますよー!

どうぞご自由にお持ちください。



そうそう、死にたいといえば。

昨日、私は自殺企図をした。

家に家族がみんないたこともあり、失敗に終わったが。

ちょうどその手の話になったから、母に堂々と吐露した。

「さっきみんなが“うたばん”観てる間に、わたし死のうかと想ってた。」

そして序に、最近、主治医の処方や診察に不満をもっていることも伝えた。

診察は、おそらく朝一番の診察だから先生の気が急いていることもあると想うが、先生が聞きたいことだけ聞いて、もう1ヵ月くらい希死念慮の話もできていないこと。

処方は、先生は最新の治療方針を取り入れているつもりでも、一番新しい方法が必ずその患者に合うとも限らないし、コロコロ変えられて困惑していること。


母は、「次回の診察に付いていこうか?」と謂った。

私は、今週の診察の時、先生が「来週はジタバタしていると想いますから」と謂ったゆえ、保護者までがのんびり話している暇はないと想ったし、母はいつも余計な口を挟むので、今は母がしゃしゃり出てくるタイミングではない、と判断して断った。

私個人の考えとしては、やはり、躁うつ病のうつ状態には抗うつ剤を使ってほしい。

時間はかかるが、効くからである。

三環系の抗うつ剤を処方できないというのは、躁転しやすいから、という確固たる理由があるから、まだ納得できる。

しかし、四環系やSNRI、デジレル(レスリン)あたりをも否定されるのは、頭にくる。

躁うつ病とはいえ、躁のときはほんの僅かで、大部分を、うつ病患者と同じくして過ごすのだ。

それに私はⅡ型だし、母に訊いても、「(躁でも)そんなに困り果てるようなことはしない」と謂うし、治療の重点を、躁ではなく鬱に置いてほしいのだ。

自殺や自傷など、むしろ危険な行為に手を出すのは、鬱のときではないだろうか。



・・・こういう事、実際に主治医の面前で言えたら、すごーくスーッとするんだろうけどな。

一度母(※フォローしてもらうため)を連れてったときに、話してみよう。


080829 さて、ひとっ風呂浴びてくるか。

大々的にダイエット中の伊藤 鶯でしたー。


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真昼の緩慢といったら。

私は一人っ子なので、ある意味幸運です。

少なくともこの家族は、私を中心に廻ってますから。

よく「世界はお前中心に廻ってると思うなよ!」なんて台詞がありますが、私にはそんな世界があります。

でも、粋がっているつもりはありません。

一歩蚊帳の外へ出たら、そこは真逆の世界ですから。

誰も私を必要としないし、信頼もしないし、世間知らずの私には怖いところです。

皆の視線が刺さります。

「あの子、脚太いのに露出しちゃって。」

(半ズボンです)

「あいつ、見たか?マジ、ダセーェ。」

幻聴と謂うべきか、妄想と謂うべきか、若年層が私のことを、頭のてっぺんから爪先まで嘗め回して、蔑んでいる感があります。

談笑していれば、「きっと私のことを笑っているんだ」と、羞恥心が私の脳髄を駆け巡り、気分がどーんと落ちます。

目が合えば、「絡まれるかもしれない」と、危機感を憶えます。

フルメジンで視線恐怖はだいぶ改善されたのですが、やはり若年層が怖いです。

自分がどう評価されているのか、凄く気になります。

もう、私のことは「ただのガキ」と想って、見逃してほしいです。



さて、明日は合コンです。

人生初の合コンで、2対2で会ってきます。

昨日、結局彼からメールはきませんでした。

どこかの雑誌で、「その日のうちにメールの返信がこなければ脈なし」と読んだことがあります。

もう、私じゃダメなのかな。

たった1ヵ月前、あんなに良くしてくれたのに。

そんな短い期間で、男性の気持ちって変わっちゃうの?

私だって、浮気されたにも関わらず、寛容な態度で接してるじゃない。

別れたいにしても、メールくらいくれてもいいんじゃないの?

無視が一番よくないよ。

ああ、このまま自然消滅かな・・・。

あまり恋愛に執着するのも、私らしくないしな・・・。

合コンで、いい人めっけてきます。

もう1人の女の子に、全部視線持ってかれそうですけど。

かわいーんだ、その子が。

オシャレだしね。

私は明日も完敗です。

キャラクターで勝負するしかないみたいです。



私的恋愛論なのですが、やっぱり内面がよいのが一番です。

外見も多少は大切ですが、やはり決め手は内面です。

あとは、フィーリングですね。

「なんかこの人とタイミング合わないな・・・」と想ったら、長続きしません。

その人の前では、在りのままの自分を曝け出せることが大切だと想います。

あとは、私たちの年齢であれば、遠距離恋愛は向いてません。

よほど強い絆があって、お互いを信じられなければ、遠距離恋愛と、年齢差の開いた恋愛と、ネットで出会った恋愛はオススメできません。

(あんた何様)

私も今回の恋愛で、成長させてもらったわー。

それと、私には「追いかける恋」より「追われる恋」の方が、向いているみたいです。

私の祖母みたく、内面も外見も揃った男性(=祖父)と知り合えたら、最高なんだけどな。

隔世遺伝を信じよう!(笑)

でも母は、浮気されて子供作られて離婚してるからな・・・。

その「男を見る目のなさ」は遺伝したくない。

私も二十歳だし、そろそろ結婚を前提とした男性と巡り会いたいものです。

何年か付き合ってみて、それが成功して初めて、結婚を考えるものでしょ?(出会って数ヶ月で結婚しちゃう人もいるけど)



まずは、明日の合コンでメルアド交換だ。

すっぴん+ラフな格好でいきます。

とか言って、明日はおめかししてたりしてね。

ありえるー。


080828 頑張ってきまーす!

目指せ、彼氏ゲット。


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生きてる意味って

外に出掛けたいです。

私の家からは市街地が徒歩圏内なので、ふらっとしてきたいです。

しかし、そんな気持ちとは裏腹に、体がめっちゃダルイです。

今日のBGMは、「PARADISE/access」。

トロピカルな夏ソングです。

マイレージで恋人と海外旅行に行く歌です。

あー鬱だ(なら聴くな)

私の彼氏は、どうなっちゃったんでしょう?

このまま自然消滅でしょうか?

鬱が真っ当になったら、またちょっとメールしてみます。

モテそうだからな、新しい彼女なんてのも想定内だな。



私なんてね、誰からも頼りにされてないんですよ。

本当の友達なんて一人もいないし。

こういう事謂ってるから友達できないんや!とか言われそうですけど、みんなに蔑ろにされて、存在消されて、イヤでも僻みたくなりますやん。

私の場合、死んだときに哀しんでくれる(もしくは驚いてくれる)友達が欲しいです。

普段遊んだり、メールしたりする友達じゃなくて、私が消えたときに衝撃を受けてくれる友達。

根性ひん曲がってますかね。

一人でいるのは、元来一人っ子ですから、慣れてます。

この世でも一人、あの世でもきっと一人。

あ、でもあの世には、私が見送ったたくさんの仲間達がいます。



昨日、母親と今後の話になったとき、

「私は絶対に死ぬから。だから、将来のことなんて考えるだけ無駄なのよ。」

と謂いました。

別に、母親は今更、怒りも悲しみもしません。

なので更に、

「ママは心の何処かで、どうせ私は死ねやしないと想ってるでしょ?!」

と送りました。

すると返信が来て、

「なぜ?そんなこと思ってないよ。現に実行に移したでしょう。」

ですって。

なぜかますます「死んでやろう」という気分にされました。

そうそう、うちの母親は、「死なないで」と直球では謂いません。

なぜなのかは、私も知りません。

その言葉を避けるように、「ずっと側にいて」とか、「いつか○○(国名)へ行こう」などと云います。

昨日は、「死のうと思い立つときはどんなときか」聴かれたので、妨げられちゃ困る。と嘘をつきました。

けっ、こちとらもう子供じゃないんだぜ。

本当のことなんて口が裂けても謂うかよ。



なんとなく、死へのプランが出来上がってきました。

まずは、貞子のように髪の毛を伸ばさねばなりません。

完成形、推定23才。

「髪伸びたね~」と褒められる度に、「けけけ・・・また一歩死へ近付いた・・・」と、ほくそ笑むのです。

そして更に、通行人が引くほどに髪を伸ばして、推定25才。

25才といえば、私が大殺界に入る年。

ご存じの方もいるかも知れないかもしれませんが、大殺界というのは3年間続きます。

25~27歳の間に自殺する可能性が、最も高くなります。

きちんと「20代のうちに死ぬ」というマニフェスト(?)も果たし、年齢的にもある程度自由になった私は、死にゆくのです。



ああ、鬱だなぁ、今日の日記はよ。

何かあれば一言目に「死」だろ。

これだから抗うつ薬は定時に飲め、って謂うんだよ。

やっぱり落ち着かないので、レキソタン投入して、出掛けてきます。

トラックでも私を撥ねてくれないかなー。

ふふふ。髪が少しだけ伸びました。後ろから見ると、だけど。


さて。

「PARADISE」気分で出掛けてきまーす。

レキソタン忘れずにー、今日2錠目です。


080827

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