今回の「恫喝発言でっち上げ」裁判で、恫喝発言として対象になっている「本件発言」は、市長が10月1日にポストした「敵にまわすなら政策に反対するぞ」という発言のみです。



しかし、市議会の恫喝発言がマスコミを賑わした当時のキーワードは、10月3日に市長がしたポストの中にあります。



(略)なお、呼び出された上で「夜道には気をつけろよ」を気遣いと受け取るお人好しはいないという解釈です。



この「夜道には気をつけろよ」という発言に全国のマスコミは飛びつき、テレビのワイドショーでも面白おかしく紹介され、「安芸高田市議会の悪どさを象徴する発言」として全国に広まっていったのです。

当時ワイドショーを見た筆者も、「敵にまわすなら政策に反対するぞ」という発言については、山根議員を含めた多くの議員が市長を歓迎していることから、「政治の世界では往々にしてこうした事態になることがあるから、気をつけたほうがいい」という忠告が曲解されたとしても、よもや「夜道には気をつけろよ」と脅迫した議員がいたとは思いませんでした。

「夜道には気をつけろよ」は、「暗い夜道で襲われ、危害を加えられるぞ」ということであり、無法者が脅迫するときに使う台詞です。

当時の議員をよく知る筆者には、こうした発言をする議員は思い浮かばず、不可解に感じていました。



ところが、市長は10月31日に、



(略)なお、「議会の批判をするな、選挙前に騒ぐな、事情を補足してやれ、敵にまわすなら政策に反対するぞ」と言う発言は、私が9月30日に呼び出され聞きました。

一方「夜道には気をつけろよ」は、10月3日に私が使った比喩です。

実際そのようにツイートしています。

これを混ぜている時点で、議論の妥当性、認識の信憑性が疑われます。




とポストし、「夜道には気をつけろよ」という脅迫発言はなかったことにしたのです。



10月3日のポストを見る限り、「夜道には気をつけろよ」が「比喩」として使われ、「(市長が)実際そのようにツイートしている」とは全く読み取れません。

仮に、10月1日に「説得?恫喝?」された状況を示す「比喩」として使ったのであれば、「10月1日に脅迫された」と主張していることになり、余りにも捻じ曲げた、火に油を注ぐ意図的な使い方だったといわざるを得ません。



また、10月30日の当時の議長の記者会見においては、「夜道には気をつけろよ」という発言を、市長がポストした恫喝発言として、他の恫喝発言の同様に取り扱っています。

つまり、この時点では「夜道には気をつけろよ」という発言は、「市長が指摘した恫喝発言」として、議会、市民そしてマスコミまでが認識していたのです。

ところが、市長は何らかの理由で、この脅迫発言をなかったことにする必要があったのです。

そこで、例によって「これを混ぜている時点で、議論の妥当性、認識の信憑性が疑われます」と、あくまで「比喩だ」と強弁しているのです。



いずれにしても、「夜道には気をつけろよ」という発言は、10月31日以前には議員が発した脅迫発言として世間に認知されており、それ以降も、この発言で作り出された「安芸高田市議会の悪どさ」という強い印象は巷に残されてきたのです。
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リブログ(1)

  • ”消えた脅迫発言「夜道には気をつけろよ」(1)”

    細かすぎ・・・。どーでもいい。リーコルを期待しています。これで白黒つけれるのになー。ただ折角、印象操作している記事を書いてい頂きましたので反論しますね。1. **比喩の歴史的価値の強調**: ウィンストン・チャーチルが「鉄のカーテン」という比喩を用いたことは、抽象的な政治的状況を具体化し、民衆の心に残るイメージを作り出すためでした。この比喩は、冷戦の現実を視覚的に表すことで、聴衆の理解と共感を促進しました。2. **比喩の感情的影響力の例示**: マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが「私には夢がある」と言った際、彼は比喩を使って人種差別と闘うアメリカ国民の情熱を呼び覚ましました。彼の言葉は、希望と平等の実現を象徴するものとして、今もなお広く引用されています。これらの事例を参考にすると- 「夜道には気をつけろよ」という発言は、チャーチルやキングが用いた比喩と同様、現実を誇張することなく、ある状況に対する深い理解や強い感情を伝えるためのレトリックであると主張します。※レトリックとは、ですが簡単にいうと話術です。。。- 市長の比喩が政治的なメッセージを伝え、市民に議論に参加するきっかけを与えることを意図していたと強調します。この発言が、市政の挑戦に対する慎重かつ熟慮されたアプローチを促すためのものであったと説明します。- メディアや公衆がこの比喩を文字通りに受け取ったことによる誤解を指摘し、政治的なレトリックにおける比喩の長い歴史と有用性を強調することで、その文脈と意図を再評価するよう促します。最後に、市長の比喩的な発言が政治的な対話と意見交換を促したと主張します。市長は市政の透明性と市民参加を推進するために、比喩を含む多様なコミュニケーション手法を使用していると説明します。これは市政の改善と市民とのより良い関係を築くための一環であると強調し、市長の真の目的が市民の福祉と市の発展にあるとチャットGPT4はそう意見致します・・・。また、「恥を知れ恥を」と言われても・・・うんぬんですがこれもレトリックです。市政ネットさんならびに反市長はの皆さんは、完全に情報戦において負けています・・・。なので!隠密にリコールに向けて取り組んでください。・・・。それから記事の中で吐露していますが「政治の世界では往々にしてこうした事態になることがあるから、気をつけたほうがいい」という忠告↑これ要りますか?筆者はこれは普通であり、特段気にする事のない忠告だというように書かれていますが、この辺りにありますよ・・・。往々にしてこうした事態↑これがこの地方の政治と国の政治を可笑しな方向へもっていきますし私からみると筆者が考える「政治の世界」には当然のように賄賂もあるのですよね?と勘繰りたくなります。なるのはそうした事例があったからです。・・・。追伸最近つくづく私は性格がわるいなーと猛省しております。書いている時気持ちがいいのです・・・。これもそれも市長が悪いのです。男が男に惚れたら質が悪いとは私の事です。あ~~もう書かないようにしないと・・・。どんどんぬかるみに・・・。一番良いのは、市政ネットの皆さんに会いに行くという事だと思います。きっと皆さん良い人だと思うのです。いわゆる日本的な良い人です。議論が好きな私にとっては格好の材料です。そろそろ市長の発言ではなくて地方政治の雛形になると思っていますので政策論争に切り替えたいです。何卒宜しくお願い致します。市長が掲げている三つの柱「政治再建」「都市開発」「産業創出」政治再建は今まさにやっていますし全面的に支持します。都市開発も選択と集中をされているのが議会を通してもわかります。産業創出これがあまり見えて来ません。ぜひ鋭い質問をお願いしたいです。あきたか焼は素晴らしいですが、産業というレベルまでどのような工程を考えているのか?または市政ネットの皆さんが産業創出をどのように考えているのか知りたいです。難しいですよーー。資本主義経済のなかではそれこそ「比喩」が頻繁に使われます。販売意欲を掻き立てないといけない広告いま全国から注目を集めているのでチャンスではあります。あきたか焼あるいは神楽めちゃくちゃ期待しています!がんばっていきましょう!

    okinawan-guardian

    2023-11-05 23:53:55