第二百四十話「探し求めていた物」
ビヘイリル王国。
中央大陸北部の東端に位置するその国は、山、海、森に囲まれている。
国力はさほど大きくは無いが、3つの大きな都市を有している。
都市はそれぞれ、
中央、首都ビヘイリル。
南側、森の手前に第二都市イレル。
東側、海に面した第三都市ヘイレルル。
と、なっている。
特徴と言えるほどの特徴は無い。
いや、国力に対して、国土が広いのが特徴と言えば特徴か。
隣国と同じ程度の戦力しか持っていない割に、国土は隣国の二倍ある。
街道によって接続している国は二つ。
しかし、ビヘイリル王国が攻められる事は無い。
この北方大地の東部では、群雄割拠の時代が続いている。
国土に対して戦力の足りていないビヘイリル王国が、なぜ攻められないのか。
その理由の裏には、鬼族の存在がある。
ビヘイリル王国は、海にぽつんと浮かぶ鬼ヶ島に住む鬼族と、深い交友があるのだ。
大昔。
といっても、ラプラス戦役が終わった後、かつビヘイリル王国建国後なので、せいぜい50~100年前か。
当時、鬼ヶ島に住む鬼族と、北方大地の端に住む人族との間に交流はなかった。
あるいは、海辺に住む者との細々とした交流はあったかもしれないが、
少なくとも人族の町中を鬼族が我が物顔で闊歩できるほどではなかったという。
その頃、鬼族は問題を抱えていた。
島に住む鬼族は、海に住む海魚族からの侵略を受けていたのだ。
鬼族は戦った。戦闘民族たる彼らだが、戦力に差がありすぎた。
このままではいずれ全滅するか、海魚族の奴隷となるしかない。
そんな鬼族の元に、人族の冒険者パーティが現れる。
彼らは、鬼ヶ島には金銀財宝がある、という噂を聞いて、島へとやってきたという。
どういう面々だったのか、という詳細はわからないが、
恐らく4人パーティで、剣士、犬、猿、雉というメンツだったに違いない。
戦いと、そして財宝を夢見た冒険者達。
彼らが見たのは、困窮した鬼族だった。
戦いで数を減らし、生傷の絶えない鬼族の戦士たち。
怯えて暮らす鬼族の女たち。
笑顔の消え失せた鬼族の子供たち……。
それを見た冒険者たちは、立ち上がった。
正義感に火が着いたのだ。
その場で鬼族を助けることを誓い、当時の鬼神と交渉。
鬼族の戦士たちと共に、海魚族の拠点とする迷宮へと潜入。
激しい死闘の末、海魚族の族長を討ち取ったのだ。
しかし、その代償は大きかった。
人族の冒険者パーティは、リーダーである剣士を除いて全滅してしまったのだ。
仲間たちを失った人族の剣士は、嘆き悲しんだ。
その様子を見て、恩義を感じていた鬼神は、彼の生涯の友となり、鬼族総出で助けていくことを誓った……。
と、ここで衝撃の真実。
実はその剣士は、海の向こうにできたばかりの新興国の王子だったのだ!
王子は国に帰り、国王となった後、鬼族と互いを守りあう誓約を取り交わした。
以後、人族と鬼族は手を取り合い、平和に暮らしている。
と、まぁ、これがざっくりとしたビヘイリル王国の建国記である。
どこまで本当かはわからない。
とにかく、鬼族の庇護下にあるビヘイリル王国は、戦力に対して広い国土、痩せた土地であるにも関わらず、他国からの侵略を受けることなく、国を保てている。
ビヘイリル王国とは、そんな国だ。
---
俺は、そのうちの一つ。
第二都市イレルへと向かう。
メンバーは三人。
アリエルの騎士を名乗る、黄土色の鎧の男シャンドル。
その部下らしき鈍色の鎧の男ドーガ。
そして、俺だ。
俺は二人の持ってきた魔道具を使って顔を変え、魔導鎧『二式改』を着こみ、その上からさらに甲冑を身につけていた。
さらに、二式改の背中にはロキシーの開発した魔道具が装着されている。
腰のあたりにあるボタンを押しながら魔力を流し込むと、押しているボタンに対応したスロットのスクロールが自動的に発動されるという仕組みだ。
右手と左手でそれぞれ5つ、計10個のスクロール。
いちいちスクロールを取り出さなくてもいいため、利便性は高い。
だが、分厚いスクロールを折りたたんだ状態で発動できるようにしてあるため、ランドセルのように嵩張る形になってしまった。
その形はなんだか推進剤でもふかしそうであったため、俺はそれを『スクロールバーニア』と名づけた。
ガトリングに次ぐ、ロキシーマシン二号である。
魔導鎧、スクロールバーニア、甲冑。
それらを装着した上にマントを羽織った俺の姿は、2メートルを超す大男が、鎧を着て歩いているように見えるそうだ。
変装としてはバッチリだろう。
用心棒等の仕事をしながら各地を回る北神流の武者修行者で、このあたりには、特に理由もないが、何か強い奴はいないかと流れてきた、という設定だ。
ビジュアル的には、リーダーのシャンドルに、大男が二人付き従っているように見えるはずだ。
ちなみに、俺の偽名はクレイとした。
移動方法は馬車。
現在、俺は三人の鎧騎士の一人として、荷車のような馬車にゴトゴトと揺られている。
ガッツリと鎧を着込んだ騎士が三人。
かなり目立ちそうなもんだが、この世界では、さほど珍しくもない光景だ。
魔法都市シャリーアでは甲冑姿の冒険者はあまり見ないが、ビヘイリル王国では似たようなメンツとちょくちょくすれ違う。
さて、馬車で移動する中、二人とは改めて簡単に自己紹介をしあった。
シャンドル・フォン・グランドール。
アスラ王国黄金騎士団長。
彼は元々、各地を転々とする傭兵だったという。
長らく紛争地帯にいたが、アリエルの戴冠式の際にアスラ王国へと移動。
アリエルの声と容姿が気に入り、どうにかして配下になれないかと試行錯誤しているうちに、アリエルの目に止まり、ここぞとばかりに自己アピール。今の地位まで上がったという。
そう聞くと、ごますりがうまいだけに聞こえるが、
しかし、アリエルもゴマすりだけが得意な奴に騎士団長を任せたりはしまい。
何かしら、光る所があったのだろう。
そのアリエルにも彼の情報を聞いてみた所、後ろ暗い所は無い、信頼に値する人物だという返事をもらった。
もっとも、正体については教えてもらえなかった。「えー、知らないんだー、うふふー、じゃあ内緒ー」と笑われている感じがする。
が、ひとまずアリエルの騎士の成りすましで無いのであれば、よしとしよう。
黄金騎士団。
という割には、鎧はあまり光っていない。
光の加減で見れば金色に見えなくもないし、あるいは、磨けば光るかもしれんが。
これでは金色じゃなくて黄色だ。
黄色騎士団だ。
おや、それはそれで強そうだな。黄色の14とかいそうだ。
「でも、アスラ王国に黄金騎士団なんてありましたっけか……」
白騎士とか黒騎士とかはいたと思ったが、金色はなかった気がする。
「陛下が戴冠した後に作られた騎士団です。表向きの任務はアリエル陛下の身辺警護ですが、陛下のご命令とあれば、どこへでも、いかなる事でも行います。禁忌とされる転移魔法陣を使ってね」
要するに、アリエルの
「もともと『協力者への援助』のために創設した、と聞いております」
「ほう」
俺たちのために新設したのか。
実に義理堅い。
そして怖い。
今後、アリエルに何を要求されるのか。
オルステッドが返してくれればいいんだが……。
「新設されたばかりで、まだ数は少ないですが、精鋭です。
私もこう見えて、北神流をかじっていますからね」
シャンドルはそう言って笑っていたが、剣を持っていなかった。
「その割に、剣を持っていらっしゃらないようですが?」
「剣より、こちらの方が強いと思ったもので」
彼は金属で出来た棒をブンと回した。
棒術使いだそうだ。
棒術使い、この世界では初めて見る。
もともと、この世界ではスペルド族の影響で、長柄の武器は好まれていないせいもあるが、剣術がそれだけ発達しているというのもある。
とはいえ、北神流なら、どんな武器を使っていてもおかしくはない。
もはや剣士ではないようだが、北神流には忍者みたいなのもいたしな。
「リーチは、長い方が有利ですからね」
「そう。そうなんです。
剣神流は、ありえない距離まで斬撃を飛ばす。
水神流は、どんな距離からの攻撃も受け流す。
だから強い。なら、剣にこだわらず、最初から長い武器を使えばいいのです」
単純な理論だ。
俺の前世では、そういう理論がまかり通って、武器の射程はどんどん伸びていった。
だが、この世界では違う。
その理論が通るなら、剣士が特別扱いされたりはしない。
剣士が強いのは、治癒魔術で瞬時に傷を治せたり、やたら生命力の高い生物のいるこの世界で、敵を一撃で倒せるからだ。
だから、残念ながらシャンドルの棒術は、弱者の浅知恵だ。
人間相手には有効かもしれないが、高い治癒能力を持つ魔物なんかには、ちと分が悪かろう。
「こちらのドーガも、黄金騎士団の一員です」
「…………うす」
ドーガ。
苗字は無い。
アスラ王国ドナーティ領出身。
彼は元々、アスラ王国の兵士だった。
王都の入り口を守る門番だった。
だが、黄金騎士団長に任命されたシャンドルが、彼の優秀さを見抜き、スカウトしたという。
「スカウトもやっているんですね」
「理想の騎士団を作るのも、団長の仕事ですからね。これからも、どんどん強くて役に立つ人員を迎え入れていくつもりです!」
団長の仕事、か。
思えば、ミリスの神子の護衛部隊も、隊長であるテレーズが一番弱かった。
組織において、リーダーが一番強い必要は無いって事だろう。
大事なのは、指揮能力だ。
「しかし、黄金騎士団という名前の割に、ドーガさんの鎧は黄金っぽくないようですが?」
「ははは、そりゃあそうでしょう。式典の時以外に、目立つ鎧を着る馬鹿がどこにいるんですか」
ごもっとも。
てことは、シャンドルの鎧も、普段はもっと光り輝いているという事か。
「あ! なるほど。それで私が書状を見せた時も、胡散臭そうな顔をしていたんですね。そういう事なら、式典用の鎧を着てくればよかった」
「そういうわけじゃ、ないんですがね」
快活に笑うシャンドル。
悪い人間には見えない。
だが、ヒトガミの使徒に良いも悪いも無いのだ。
オルステッドもアリエルも大丈夫だとは言ったが、俺だけでも警戒しておこう。
「それにしても、このへんは雪が少ないのですね」
シャンドルに言われ、俺は周囲を見渡した。
平原には、うっすらと雪化粧が施されてはいる。
しかし、馬車で余裕を持った移動が出来る程度だ。
もっとも、農作が出来るほどではないらしい。
むき出しの地面は荒れており、畑と思わしき場所には、何も生えていない。
遠目からでも、この辺りの土地に栄養が無いのがわかる。
北方大地といえば、この時期は雪で埋もれている。
だが、ビヘイリル王国は、思った以上に雪が少ない。
もっとも、風は冷たく乾燥している。
ただ、雪が少ないだけだ。
「山の影響でしょうかね」
「山が関係あると?」
「西側の山が雲を押しとどめているせいで、こっちまで雪が来ないんじゃないかな、と」
「ほう……さすがルーデウス殿は博識でいらっしゃる」
「あっているとは限りませんが」
この世界の天候は、前の世界の常識に当てはまらない。
なにせ、大森林に三ヶ月も雨が降り続いたり、特に砂漠化する要素のない大陸が砂漠化したりするのだ。
山とか関係なく、ちょっと西の森の魔力が悪さしてるせいで雪が降りません、って可能性だって十分に有り得る。
「私の叔父も、そうしたことに熱心な人物でしてね」
「へぇ、何かの研究をしてらっしゃるのですか?」
「雲はどこからきて、どこへ流れていくのか、人はどこから生まれ、どこへ死んでいくのか、などと考えながら、丸一日空を見て過ごしたりしていました」
哲学者なのだろうか。
でも、そうだな。
俺も、もし老後ってヤツがあるなら、そういう毎日を過ごしたい。
60歳を超えた後、シルフィやロキシーと並んで座って、じーさんやばーさんやと言いながら、ボケて過ごすのだ。
あー……いや、シルフィは長耳族の血が混じってるし、ロキシーもミグルド族だから、若いまんまかな?
エリスはばあちゃんになっても元気なイメージあるし……。
俺だけかな、ボケそうなのは。
「それはまた、哲学的な事ですね」
「哲学ですか?」
「哲学というのは――あ、魔物ですね」
「お任せください」
移動途中、何度か魔物にも襲われた。
森が多い国、という言葉通り、街道が森のすぐ脇を走っていることもあったためだ。
そのときに、彼らの力量を見させてもらったが、アスラ王国で一番、というだけあって、確かにそこそこの力量があるのは見て取れた。
俊敏で技巧に優れるシャンドルに、巨大な斧で相手を一撃で倒すドーガ。
見た目通りで、逆に言えば見た目以上ということもなかった。
とはいえ、最低でも剣士にして上級はあるだろう。
列強クラスとの戦いでは足手まといだろうが、少なくとも道中で邪魔になることはない。
それが実感できた頃、第二都市イレルへと到着した。
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第二都市イレル。
見たところ、何の変哲もない都市だ。
周囲を壁に囲まれ、入口付近には露天商が並ぶ。
この世界で最もポピュラーな構造。
魔法都市シャリーアより、木造建築が多いのが特徴と言えば特徴か。
深い傾斜の屋根を持つ木造の建物が、隣家とやや距離を開けつつ並んでいる。
森に囲まれたこの国は、当然のように木材が豊富らしい。
馬屋に馬車を預け、宿への道を歩く。
そこで気づいたが、露天商の数が少なく感じる。
やや閑散としているのだ。
客が少ないから商人も集まらない……というのならわかるが、客となりうる冒険者の数は多い。
先ほどから、鎧姿の戦士や、ローブを着込んだ魔術師とよくすれ違っている。
露天商の数に冒険者の数が吊り合っていない。
何らかの理由があっての事なのか、それともブレの範疇なのか……。
「おっと……」
周囲を見ながら歩いていると、通行人の一人にぶつかりそうになった。
「おぉ……」
そいつはデカかった。
背丈は、2メートル50センチぐらいはあるだろうか。
鎧で着膨れした俺が、見上げなければいけない。
もしハーフジャイアントって種族がいるとしたら、こんな感じなんだろうか。
肌の色は赤褐色で、髪の毛は赤黒い。
全身が筋肉で覆われており、足も腕も首も太い。
特筆すべきは、その頭部。
でっかい頭。
下顎が異常にでかく、出っ張っている。
口から覗くのは、牙だ。
二本の牙が、下顎から上に向かってはみ出ている。
さらに、モサモサとした赤黒い髪の毛からは、二本の角が飛び出ている。
鬼族だ。
「気ぃ、つけろ」
ぶつかりそうになった鬼族は、そう言って俺に一瞥をくれると、通りを歩いて行った。
背中には巨大な荷物が背負われているが、その巨体も相まって軽そうに見える。
鬼族を間近で見るのは初めてだが、威圧感があるな。
ここビヘイリル王国では、鬼族が平然と闊歩している。
国の人間もそれを受け入れ、いるのが当然であるかのように振舞っている。
特定の種族を同胞として扱うというのは、他の国ではなかなか見られない光景だ。
「クレイ、あまりキョロキョロするな、田舎者じゃねえんだからよ」
「え? あ、ああ……」
シャンドルから鋭い言葉。
旅の途中とはまるで違う口調で呼ぶのは、変装のためだ。
「どうせ、このへんには、大したヤツはいねえんだ。見回すだけ無駄無駄」
「そうだな」
そうだ、俺達は北神流の武者修行者。
もっと、強い者にしか興味ありませんって顔をしていなければ。
じゃなきゃ、せっかくの変装が台無しだ。
「先に宿を取る。クレイ、ドーガ、いいな?」
「おう」
「……うす」
御者台のドーガはいつも通りだが、シャンドルは打ち合わせ通り、きっちりとロールプレイしている。
シャンドルがリーダーとして動く事で、俺の存在も隠れる。
俺はシャンドルの弟分クレイ。職業戦士だ。
よし。
「シャンドル。到着祝いだ。宿が決まったら、景気付けに酒場でパァっといかねえか?」
「ハッ、てめぇは普段ロクな事をしねぇが、たまにそういうイカした意見を言いやがる。ドーガも見習えよ」
「…………うす」
そんな会話の後、俺達は宿へと向かった。
---
酒場に入った瞬間、少々の違和感があった。
「……ん?」
今までの酒場とは違う。
とはいえ、見える範囲では、普通の酒場だ。
冒険者が多め。町人もそこそこいるか。
客の1~2割が鬼族だが、それが違和感の正体というわけではあるまい。
多数の種族がひしめいている酒場なんて、珍しくもない。
じゃあ、なんだろうか。
特に視線が集まっているわけでもない。
おかしな奴がいるわけでもない。
おかしな物があるわけではない。
でも違和感はある。
「どうしたクレイ?」
「何かおかしくないか? この酒場」
彼は周囲を見渡した。
だが、俺が感じたような違和感は感じなかったらしい。
「…………わかりません。やめておきますか?」
シャンドルが小声でそう提案してくる。
「いや、違和感の正体を知りたい」
「了解です」
シャンドルはそう言うと、やや無警戒とも言える足取りで酒場へと入っていき、空いているテーブルへと着席した。
ドーガに押されるように、俺もそれに続いた。
ドーガが椅子に座ると、椅子がギッと音を立てて軋んだ。
この酒場の椅子、妙にでかくて頑丈だ。
魔導鎧を着て椅子に座る時は注意しなくてはいけないが、これなら普通に座っても大丈夫そうだ。
違和感の正体はコレだろうか。
いや、まさかな。
「こいつで適当に頼むぜ、料理と、酒と、このへんの事情に通じてる奴を紹介してくれ。早くな、こっちは長旅でクタクタなんだ。あー、そっちの大男には酒とは別のを出してやってくれ。果実を絞ったやつか、家畜の乳……なけりゃ水でいい」
俺が椅子を気にかけていると、シャンドルが店員に対して銅貨を4枚ほど放っていた。
「はーい、まいどー」
む、店員も鬼族だ。鬼族の女性。
女性だからか、男の鬼族よりほっそりしてるな。
背は高めで胸がでかい……が、全体的により人間っぽい。
もしかして、ハーフだろうか。
違和感……これじゃないな。
「だーかーら、キョロキョロすんじゃねえって言ってんだろ」
「……悪い」
シャンドルに頭をこづかれた。
「でも殴るこたねえだろ」
「なんだぁ? おまえ、俺に逆らうのか?」
口調は乱暴だが、シャンドルの目は俺を威圧するものではない。
単に、今の俺の態度が怪しいから注意しろ、と言っているのだ。
「いや、そうじゃねえ……けどなんか、そわそわすんだよ」
「そわそわ? 嫌な予感か?」
「嫌……じゃ、ないな」
この違和感、嫌な感じはしない。
むしろ、俺は、これをずっと探し求めていたような気持ちすらある。
まさかとは思うが、この場にギースやルイジェルドがいるというわけでもあるまいが……。
はやくこの感じの正体を確かめたい。
そう思うと、ついついキョロキョロしてしまう。
酒場の中は、喧騒にあふれている。
どこにでもあるような酒場だ。
笑い合う者、いがみ合う者。
大体が酒を飲み、料理に舌鼓を打っている。
料理だって、さほどおかしなものではない。どこにでもある川魚の煮物だ。
だが、何か、俺の頭が違和感を伝え続けている。
他の酒場には無いものが、ここにはある。
「お前らか、情報を聞きたいってのは」
俺が周囲を見ていると、テーブルに一人の男がついた。
人族だ。
ねずみのように小狡そうな顔をした男だ。
「あんたがこの辺の事情通かい?」
「おう、この町の事ならなんでも知ってる。冒険者パーティの数、行商人の仕入れルート、武器屋の店主の不倫相手までな」
「んじゃ、色々と教えてくれ。この町には来たばっかでな、トラブルは避けてぇんだ」
シャンドルはそう言いつつ、男に銅貨を数枚、握らせた。
「こんなんじゃ、大した事は教えられねぇな」
「今は大した事が知りたいわけじゃねえ。でもまぁ、あんたが本当に顔の広い事情通だってわかったら、仕事の仲介を頼んだりするかも……なぁ?」
シャンドルに話を振られたので、不敵に微笑んでおく。
今の俺の顔はルード傭兵団所属の強面になっているはずだから、そこそこ凄みはあるはず。
「ハッ、おっかねぇこった」
事情通の男は俺の笑みに肩をすくめ、シャンドルへと向き直った。
「で、何が知りたいんだ?」
「俺らが知りたいのは、この町の常識、縄張り、地理、敵に回しちゃいけない相手ってとこか……ああ、それから、この辺で何か仕事の種になりそうな事が起きてたら、教えてくれ」
「ああ」
いきなりギースのことは聞かない。
がっついてはいけない。
俺たちはあくまで武者修行者。傭兵まがいの荒くれ者である。魔族の小物に用はないのだ。
「常識たって、大したルールはねえ。
国の法律を守ってりゃ、それなりに生きていける都市さ。
あぁ……でも鬼族が多いからな。そのへんには注意しろ。
この国の人間は、鬼族と親密だ。あんたらが敬虔なミリス信徒でも、
鬼族への悪口は心の内に秘めておくこった」
「言ったらどうなるんだ?」
「欲しいものが売ってもらえなかったり、宿を取れなかったり。
この酒場だって、女将が鬼族だ。出禁にされたり、腐りかけの飯を食わされたりしたかねえだろ?」
鬼族は良き隣人。
ゆえに悪口を言えば、鬼族より人族が怒る、ということだろう。
シャリーアも、他種族に対してはかなり寛容な感じだが、区別はされている。
ここほど混ざり合って暮らしているわけではない。
「地理は……ざっくり説明すると、北にいけば首都、南に行けば村が一つある。
名も無き小さな村だが、木こりが数人、常駐しているから、魔物に対しては強いな。
南東には迷宮もある。詳しい位置は……別料金だ」
「教えてくれ」
シャンドルはさらに銅貨を数枚、差し出した。
迷宮の位置を聞き出した。
行くつもりはないが、知っていて損はないだろう。
迷宮の場所について知った後、話が戻る。
「敵に回しちゃいけない相手ってのは、さっきも言った通り、鬼族だ。
この国では、鬼族は人族と同じ扱いを受けてるからな。
あとは……あ、そうだ。
敵に回しちゃいけない相手じゃないが、近寄らない方がいい場所がある。
地竜の谷だ」
地竜の谷。
重要なワードが飛び出してきた。
ルイジェルドが発見されたというのも、その谷の近くの村だって話だ。
「谷は深い森の奥にあるんだが……その森は『帰らずの森』って呼ばれていてな、
大昔から、目に見えない悪魔が出没するってんで、立ち入りを禁じられている」
「目に見えない悪魔?」
「まぁ……見えない悪魔は、いわゆる子供相手の迷信みたいなもんだ。
地竜の谷には、名前通り
ヘタに冒険者があの森に入り込んで、棲家を荒らしてみろ。
怒り狂った地竜の群れに、国ごと潰されかねない……ってことで、立入禁止になったんだろう」
と、そこで男は思い出したように眉をひそめた。
「でもな。最近……っても一年ぐらい前なんだが、帰らずの森から悪魔が出てきた、なんて噂が広がってな」
「ほう」
「この町の領主が、調査団を組織して、森の中を調査させたんだ。
でも、調査隊は予定の日数を過ぎても、帰ってこなかった。
見えない悪魔にやられたのか、いいや、地竜の巣に飛び込んでしまったんだ、まさか、単に魔物にやられただけだ……と、色んな噂が流れた。
でも、全滅したわけじゃあ、なかった。
第一次調査隊の生存を諦め、領主が次の調査隊を送り込もうとした時だ。
一人、ひょこっと帰ってきたんだよ」
そこで男は、やや前傾姿勢になりつつ、真顔で俺の方を見てきた。
なんか、雰囲気がホラーっぽいぞ。
俺じゃなくてシャンドルを見ろよ。
「でも、その男は正気を失っていた。
よほど怖い目にあったのだろう。
何があったと聞く領主に対して、うつろな目で「悪魔がいた、悪魔が……」と呟くだけ。
その様子を見て、領主もなんだか怖くなってしまったらしくてな、それ以降、調査団を送り込むことはやめにした。
調査団は地竜に食い殺された事にして、緘口令を敷いて、この事件のことを他言することを禁じた……。
真実は闇の中、未解決事件の一つとして、処理された。
これが……半年前の事だな」
「……」
「で、それで終わればよかったんだが。
最近になって、その話が王様に届いちまったんだ。
王様は言った。「近くに村もあるというのに、何もわからぬまま放っておいていいものか!」ってな。
王様は討伐隊を組織することを決定した。
で、現在、首都の方で腕に憶えのある奴らが集められている」
そこで、男は顔を上げた。
「ってわけだ。悪魔の正体を突き止め、討ち取ったものには特別報酬としてビヘイリル金貨10枚も出るって話だ。あんたらの仕事の種になりそうな話だろ?」
なるほどね。
目に見えない悪魔、か。
俺の聞いたルイジェルドの目撃情報と少し違うが……。
こういうことかな?
まず、ルイジェルドが何らかの目的で村に行った所、悪魔と指をさされた。
『帰らずの森の近くで悪魔が出た』。
それが『帰らずの森には見えない悪魔がいる』という情報と混じり、
『見えない悪魔が森から出てきた』という情報となった。
噂には尾ひれと背びれがつく、情報がネジ曲がったのだ。
傭兵団の情報網は、混ざる前の情報を運良く手に入れられた。元々ピンポイントでそういう相手を探そうとしていたってのもあるだろう。
もっとも、逆もありうる。
『本当に見えない悪魔が出てきた』→『悪魔と言えばスペルド族』→『そういえば、出てきた奴は緑色の髪だったような気がする』という流れで……。
いやまて、でも、それだと薬を買っていた、なんて情報はどこからも出ないな。
まぁ、噂にどんな尾ひれが何がついてもおかしくないが。
しかし、ルイジェルドなら、相手に気取られず、調査隊を全滅させることも出来るだろう。
なぜ、そんな事をする?
見られては困るもの、知られては困るものが、森の中にあるってことか?
うーん……?
「ああ、助かったよ。なるほどな……そりゃ面白そうな話だ。なぁクレイ? お前もそう思うだろう?」
「そうだな、悪魔か……確かに面白い。報奨金の金貨10枚ってのもいい」
適当に答えるが、俺の頭は別の事で一杯だ。
何にせよ、森には行ってみなければいけない。
これだけ情報が出ていて、ルイジェルドと無関係とは思えない。
「でも、討ち取った者に、ってんなら早い者勝ちだろう?
恐らく、パーティ毎の参加って形になるはずだ。
俺らは冒険者じゃねえからな、もし参加するんなら、サポートが欲しい所だな」
シャンドルが目配せしてきた。
わかってますって。
「そうだな。探してもらうか」
「よし。情報屋。追加料金だ」
シャンドルは、さらに銅貨を数枚、男の前に積んだ。
「シーフを一人、探してくれ。
条件としては、冒険者として出来ることの多い奴で、情報収集が得意であればあるほどいい。
戦闘能力は低くていいな。俺らが戦うからな。
報酬は……どうするか。めんどうだな、見つけたら俺らの方から出向いて交渉しよう」
「期限は?」
「討伐隊ってのの締め切りに間に合えばいいが……まだ先の話なんだろう?」
「一ヶ月は先だな」
「じゃあ、ひとまず10日後、またこの酒場でってことで、どうだ?」
「よし、任せときな」
男は銅貨を受け取ると、そそくさと懐に入れた。
そして立ち上がると、酒場の喧騒へと紛れ、あっという間に消えていった。
見事だ。シャンドル。
森の情報を得て、ギース捜索の手を伸ばした。
北神の情報は聞けなかったが、話の流れ上、仕方ない所だろう。
俺も、もうちょっとこういう手腕を見習いたい所だ。
「やりますね」
「妻が、こういう交渉が得意でしてね。近くで見ているうちに、自然と出来るようになりました」
結婚してたのか。
じゃあ、なおさら、家に帰してやらないといかんな。
っと、いかん、口調が。
「こほん。で、この後どうする?」
「情報待ちだが、10日も何もしねえのは暇だな……どっか、足でも伸ばしてみるか。ドーガ、お前、どっか行きたい所ないか?」
「…………木こり、見たい」
「じゃあ、ちょっと偵察がてら、南の村にも行ってみるか」
と、話し合いで決めたように見せかけているが、もちろん南の村に行くことは最初からきめていたことである。
10日。
先ほど聞いた感じだと、村まではせいぜい1日やそこらといった所か。
明日は午前中に魔法陣や通信石版を設置して、村に移動。
明日か明後日には森に入り、5~6日ほど掛けて森の中を捜索。
その後、戻ってきて、情報屋からギースの情報を聞き、調査内容を石版を使って連絡。
という形でいくか。
「はい、お待ちどう様です!」
なんて考えていたら、料理がきた。
魚の煮物に、酒も一緒だ。
ドーガの前には、何やら黒っぽい液体が置かれた。
何のジュースだろう。あとで飲ませてもらうか。
さて、この切羽詰まった状況で呑んだくれるつもりはないが、
酒場にきて飲まないというのも、また目立つ行動だ。
一杯だけ。
「それじゃ、俺達の成功を祈って」
「乾杯!」
「……乾杯」
杯をあわせ、グイっと一口。
辛めの液体が口の中に広がり、喉がカッと熱くなる。
だが、後味はまろや――。
「――ブゥッ!」
ドーガが黒い液体を吹き出した。
「ゲホっ……ゲホッ……」
「えっ!?」
周囲が何事かとこちらを見てくる中、ドーガは咳き込みながら俯いた。
俺は慌てて彼の背中に手を当てて、解毒を詠唱する。
しかし、ドーガは地面に向かって口を開け、ダラダラとよだれを垂らしている。
「おい、しっかりしろ!」
くそ、なんだ、何を飲まされた!?
毒か!?
やっぱり、さっきの違和感!
何かおかしいと思ったんだ!
未だ何がおかしいかわからないけど……!
解毒は効くのか?
落ち着け、こういう時こそ落ち着け。
まず、この飲み物の毒がわかれば……。
「てめぇ、何を出しやがった!」
「あっ、すいません!」
シャンドルが詰め寄る中、俺は努めて冷静になろうと、ドーガの飲みかけの杯に手を伸ばす。
そして、まずは手で仰いで、匂いを確かめる。
…………あれ?
この匂い、もしかして……。
「人族の方だったんですね……体が大きいから、てっきり鬼族の方だと思って、間違えちゃいました」
「だから、何を飲ませたか聞いている!」
俺は指に液体を付けて、ナメてみる。
この味、やっぱりだ。
「えっと、豆から作る飲み物で鬼族の好物なんですけど、人族の方には刺激が強すぎるので、いつもは薄めて出すんです……大変申し訳ありません!」
「毒じゃないんだな!?」
「えっと、人族の方があんまり飲み過ぎると毒にもなりますけど……でも、一口ぐらいなら」
「くそっ! おい、ドーガ、大丈夫か! おい!」
シャンドルが慌てる中、俺は平静を取り戻していた。
思えば、俺はこの酒場に入った時から、ずっとこの匂いを嗅いでいた。
恐らく魚の煮物にも使われているのだろう。
違和感の正体だ。
同時に、この飲み物の正体もわかった。
確かに、飲み過ぎると毒だが、ドーガはほとんど吐き出した。
まぁ、少し気分は悪くなるだろうが、大したことはなかろう。
「……」
俺はもう一度、黒い液体を指につけて、ナメた。
うん。
そう、これだ。
間違いない。
俺が間違えるはずもない。
これ、醤油だ。