第二百四十一話「探し求めていた者」
前回までのあらすじ。
長年探し求めてきたものをついに発見したルーデウス。
しかし、今はそんなものはどうでもいい。
ルーデウスはその場で即座に金を出して醤油の小瓶を購入し、先を急いだのである。
翌日。
第二都市イレルの郊外に行き、転移魔法陣と通信石版を設置。
その後、ルイジェルドが目撃されたという村に向かった。
ビヘイリル王国、地竜の谷の近くにあるという村には、第二都市イレルから半日の距離にあった。
『地竜谷の村』とか『帰らず森の村』と呼ばれているが、国の定めた正式名称はマーソン村だ。
とはいえ、マーソン村と言っても通じない事が多いらしいので、もう『地竜谷の村』でいいだろう。
何もない村だ。
特産品があるというわけでもなく、観光地があるというわけでもない。
森の木を切り出し、森の近くにある栄養のある土を使って野菜を作ってはいるが、フィットア領のブエナ村のように、何かを作るために人を集めて作られた村ではない。
元々、ここに住んでた人たちがいて、それがビヘイリル王国の傘下になった。
そんな感じだろう。
国ではない、人が先なのだ。
家と家の間隔も空いており、寒々しく、人気は無く、閑散として……は、いなかった。
俺たちが到着した時には、寒村とは思えないほど、人の気配があった。
村人ではない。
明らかに村の人間ではない風体をしている者達が、村の入り口にたむろしていた。
鎧姿で、腰には剣。
冒険者だろうか。
いや、冒険者にしては、剣呑な雰囲気だ。
傭兵か、あるいは賞金稼ぎか。
「シャンドル、これは、抜け駆けしようとしてる奴が多いってことか?」
昨日の酒場での出来事に加えて、移動中の手際。シャンドルは、使える男だ。
今まで、彼の有用性に関しては、半信半疑だったが、
これならオルステッドが俺に付けたのもうなずける。
こうした場面では、常に意見を聞いていきたい。
対するドーガの方は、あんまり役に立たない。
お荷物というほどではないが……。
今のところ、付いてきているだけという感じだ。
まあ、俺も人を品定めできるほど偉くはない。
どこかで何かの役に立ってくれることを祈ろう。
「いや、下見に来ただけだろう。今のうちから情報を集めておけば、開始直後に有利だからな」
「でも、抜け駆けをして、先に対象を狩ろうって奴もいるだろう?」
「いたとしても、そう多くはねえよ。国が音頭取ってる討伐依頼だ。先走って悪魔を狩れたとしても、報奨金がでねぇ可能性すらあるんだ」
討伐隊に参加し、国の騎士団か何かと一緒に森に入り、悪魔の正体を確かめ、倒し、安全を確保する。
そこまでやって、初めて報奨金が手に入るのだ。
とはいえ、横並びでは、特別報酬を得られるかどうかは運の勝負になってしまう。
運ではなく、しかるべきタイミングで一歩前に出て一位を掻っ攫う。
そのための下調べなのだ。
「俺らには、関係のない事だな」
「まったくもってその通り」
シャンドルと笑いながら、村の奥へと入っていく。
宿らしき建物に、広場。
広場には、閑散とした村とは思えないほど大勢の人間が集まっていた。
みんな必死だな。
でも人が多いのは都合がいい。
この集団に紛れつつ、情報収集をするのもいいだろう。
「出て行け!」
なんて思っていたら、いきなり退出勧告ですよ。
いや、もちろん、俺が言われたわけじゃない。
声は、広場の端から聞こえた。
下調べの連中が何人か、嫌そうな顔をして広場から離れていく。
見ると、杖をついた老婆が、大声を張り上げている所だった。
「帰れ! この森からは、悪魔など出てこん! 森の民が守ってくださっとる! 森の民を害する者は帰れ!」
老婆はヨタヨタと杖を突きながらも、たむろしている男たちに近づいていき、その体を打ち据えていた。
ビシッと、ここからでも、聞こえるほど、大きな音が響いた。
「てめっ……」
「おい、やめとけって、問題起こしたら鬼族に……」
「チッ」
叩かれた男は怒りを露わに剣を抜こうとするが、仲間と思わしき男に止められ、足早に逃げていった。
老婆はそれを無理に追いかけなかった。
喚きながら、広場にいる別の連中を蹴散らしている。
男たちは老婆から離れるように、散っていく。
なんだあれ。
老婆は広間から人がいなくなったのを見て……あ、こっち見た。
どんどん近づいてくる。
「帰れ!」
老婆の杖が俺の鎧にあたり、カーンと音を立てた。
ダメージはない。
突然の老婆にも安心。アスラ印のフルアーマー。
「森を荒らしちゃいかん!」
老婆は喚きながら、俺の鎧をカンカンと叩いてくる。
「おばあちゃん、落ち着いて」
「なんが悪魔じゃ! 森の民にあんな世話んなっといて! 助けを求めてきたら殺すのか! ひとでなしが!」
老婆は非常に興奮状態にあり、俺の話を聞いてくれる様子はない。
とはいえ、気になる単語が一つ。
森の民。
新たなワードだ。
その点について、詳しく聞きたい。
「森の民というのは……」
「森の民がいなくなってみぃ、悪魔が出てくるぞ!」
森の民がいなくなると、悪魔が出てくる。
となると、森の民とやらが、悪魔を封じ込めているという事だろうか。
「森の民と悪魔は、別の存在なんですか?」
「当たり前じゃ! 悪魔と森の民を一緒にするな!」
「クレイ、やめとけよ、この婆さんが正気とも限らんぞ」
シャンドルの制止が入る。
確かに、正気の人間は、見ず知らずの相手を杖で叩いたりなどしない。
しかし俺は老婆の話を聞いておきたい。
「わしは狂ってなどおらん! 森の民はおる! わしは若い頃! 迷い込んだ森の奥で助けてもらった! それよりずーっと昔、わしのひいじいさんも助けてもらった!」
若いころっていうと、少なくとも20年か、30年以上は前だよな。
少なくともこの老婆、60は軽く越えてそうだし。
で、そんなばばあのひいじいちゃんというと、軽く100年は前だろう。
でも、ルイジェルドと俺が別れたのは、せいぜい10年前。
じゃあ、もしかして、ルイジェルドと関係ない、のか?
でも……あ。
「森の民は悪魔ではない! なんでわからんで殺そうとする! アホウが! アホウは帰れ! アホウが! ハァ……アホウ……ハァ……ハァ……」
老婆は、しばらく俺の鎧を叩いていたが、やがて息切れして、へたり込んでしまった。
「おばあちゃん、詳しい話を聞かせてくれませんか」
落ち着いたのを見計らって、俺は老婆に笑いかけた。
ルイジェルドはいないかもしれない。
だが、もしかすると……。
「俺は森の民と友人かもしれない」
森には、ルイジェルドが探し求めていた、スペルド族の生き残りがいるかもしれない。
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憤懣やるかたなし。
老婆の態度はまさにそれだったが、先ほどよりも落ち着いて話をしてくれた。
結論からいうと、ルイジェルドか、スペルド族か。
それはわからなかった。
だが、現在ビヘイリル王国で起きている事件の流れのようなものは、なんとなくわかった。
森の民。
老婆が生まれる前から、帰らずの森にはそう呼ばれる種族が住みついていたそうだ。
彼らは滅多に森の外には出てこない。
しかし、稀に、ごくごく稀に、村の人間が森の中で迷子になったり、魔物に襲われて死にかけている時に出てきて、助けてくれる。
老婆も含め、村の住人は森の民が何なのかは知らない。
だが、村には、こんなお伽話が伝わっている。
大昔、まだ魔神との戦争が終わってすぐの頃。
帰らずの森には、目には見えない悪魔が生息していた。
悪魔は夕暮れになるとやってきて、家畜や子供をさらって食ってしまう。
村人は悪魔をどうにかしたいと思いつつもどうにも出来ず、怯えて暮らしていたという。
そこに現れたのが、森の民だ。
森の民は、村人に対し、こう提案した。
『悪魔をなんとかする代わりに、森に住むことを許してほしい。でも、決して我々の存在を他に知らさないように』
村人はそれに承諾し、森の民は森の奥へと入っていった。
森の民がいかにして、悪魔を退治したのかは、わからない。
以降、悪魔が森から出てくることは無くなった。今でも森を守ってくれているのだ。
それを受けて、村の子供は小さい頃から、森の民に感謝をしろ、でも誰にも言うなと教えられて育つらしい。
「そんな森の民の森を荒らすなんて、とんでもねえことだ」
老婆はそう締めくくった。
「なるほど、ありがとうございました」
彼女の言ってる事が本当かどうかはわからない。
昔話なんてのは、大半が作り話だ。
だがここで、森の民をスペルド族だと仮定してみよう。
スペルド族の額には、第三の眼がある。
あらゆる生き物を感知する、一種の魔眼だ。
それを用いれば、目に見えない程度の魔物、どうとでもなる。
うまいこと姿を隠しつつ、村と共存してきたスペルド族。
しかし、半年だか一年ほど前に、悲劇が襲う。
病気か、あるいは怪我か。
見えない悪魔とやらが大量発生して、抑えきれなくなってしまった感じかもしれない。
今まで姿を見せなかったスペルド族が、村に薬を買い求めに来たのだ。
その対応をした商人が誰だったかは、もはや誰も覚えていないが、
しかし、情報は流れた。
森からあからさまに怪しい奴が出てきた、と。
村人は彼らに対し、便宜を図ったはずだ。助けを求めてきた、という言葉が本当なら、だが。
それが、どうねじ曲がったのか。
昨日、酒場で聞いた話へとつながっていく。
『悪魔が森から出てきた、退治しなければいけない』と。
どこで何がどう動いて今の状況になったのか。
一年前の事だから、ギースを疑うのは、さすがに早計だとは思うが……。
とにかく、森の奥にはスペルド族がいる。
そんな確信が、俺の中に生まれた。
しかし、さて。
同時に疑問も生まれます。
なぜ、俺はその事を知らなかったのでしょうか。
俺は、ずっとルイジェルドを探してきました。
それは、みんな知っているはずです。
みんなです。
例えばそう、オルステッドも。
……もしここに、そんな昔からスペルド族がいたというのなら、なぜ、俺はそれを、知らないんだ。
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帰らずの森は、静かな森だった。
通常、この世界の森は、大量の魔物が生息している。
森の魔力濃度にもよるが、一日いれば一回は魔物に遭遇する。
特にトゥレントだ。
トゥレントはこの世界のどこにでもいるが、特に森には多く生息している。
全ての森はトゥレントの巣だと思ってもいいぐらい、頻繁に遭遇する。
しかし、この森には、そうした気配が無い。
本当に、静かだ。
生物の気配はあるが、魔物の気配が無い。
シンと静まり返る静謐とした森。
わずかに鳥や小動物がいるのはわかるが、それだけだ。
まるで、悪夢の中みたいだ。
「不気味ですね」
「ええ」
シャンドルもまた、この森に違和感を感じているようだ。
「……」
ドーガは静かだ。
あまり不気味にも思っていないのか、周囲を見渡す事もない。
「……」
しばらく、無言で森の奥へと歩いて行く。
それに従い、次第に動物の気配も消えていった。
虫や鳥はいるが、小動物はいない。
もちろん、魔物もいない。
木々も巨大になっていき、生い茂る葉が空を塞いだ。
薄暗い中、生きているのが自分たちだけではないかという錯覚が芽生え、時折聞こえる鳥の鳴き声で、ハッと我に返る。
今にも、見えない悪魔とやらが後ろから尾行してきているのではないか、と。
そんな考えが浮かび上がり、背後を振り返る。
その度に、ドーガの朴訥とした目と合って、気のせいかと前を向き直る。
「おや」
ふと、道端の石を見ると、見覚えのある石碑があった。
七大列強の石碑だ。
昔は、この石碑のマークがどれ一つわからなかったものだが……。
最近は、大体わかるようになった。
相変わらず、順位に変動は無いらしい。
「こんな所にもあるんですね」
「珍しいことではないでしょう。七大列強の石碑は、ある程度魔力の濃い場所にしか存在しませんからね」
「ああ……魔道具ですもんね」
しかし、よく知っているな。
この手の魔道具は、魔力の濃いところにしか設置できない。
って、あんまり知られてないんだが。
でもまぁ、知る人ぞ知る情報ってわけでもないか。
「そろそろ日が暮れます。ここらで野宿をしましょうか」
「そうですね、では、ドーガ、薪を」
「……うす」
その日は、石碑の近くで野営をする事にした。
念のため、
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翌日。
静かな森を歩く。
そこで、ふとシャンドルが思いついたかのように言った。
「この感覚、赤竜山脈に似ていますね」
「というと?」
「竜を恐れて、他の動物が近寄らないのです」
強い動物の縄張りに近づかない。
この森の奥には、地竜の谷がある。
野生の生き物がそんな危ないところには近づかないってのは、自然の摂理である。
「シャンドルさんは、赤竜山脈に立ち入った事があるんですね」
「麓までですがね。あそこもこんな感じで、近づくにつれて動物の気配が減っていきました」
地竜は、谷の岩壁に棲家を作る。
基本的に谷からは出てこない。空を飛ぶこともないが、土魔術を使って穴を掘る。
性格もドラゴンにしては温厚で、縄張りを荒らさない限りは人間に襲いかかることもない。
また、不思議な性質を持っており、上から来る相手に対しては無防備だが、下からくる相手には過剰に襲いかかる。
ちなみにオルステッド曰く、地竜は赤竜の天敵だという話だ。
もっとも、生息域の違いすぎるこの二種が出会う事は、ほとんど無いそうだが。
そんな相手にこれから近づいていくわけだが、危険は少ない。
とりあえず、谷底に落ちなければ大丈夫だ。
「お」
なんて話をしていたからだろうか。
ふと、目の前が開けた。
森の中に、切り立った崖が唐突に現れたのだ。
底が見えないほどに深い崖。
向こう岸までは、4、500メートルといった所だろうか。
山の頂上にでも立ったかのような感覚に陥る。
俺も、あまり谷というものに詳しいわけじゃないが、この大きさはグランドキャニオンを思わせる。
「これが、地竜の谷かな?」
「でしょうね。どうします? 何事もなく、たどり着いてしまいましたが……」
「うーん」
俺は悩みながら、左目に魔力を込めた。
視界が開けているのなら、千里眼が使える。
ひとまず、谷底を覗きこむ。
まだ魔眼の使い方には慣れていないため、谷底まで何メートルかはわからない。
だが、すぐに底が見えた。
谷底では、青白く光る苔やキノコが生えていて、その近くを岩のような甲羅を持つトカゲのような生物が、ゆっくりと動いていた。
あれが、地竜か。
ドラゴンより、大王陸亀に似ている気がする。
あの甲羅があるから、赤竜に勝てるとか、上からの存在に無防備なのかもしれない。
ていうか、よく見ると、谷底より岩壁にたくさん張り付いているな、ちょっと気持ち悪い。
魔眼を戻し、次は谷の周囲を見回してみる。
右手側、見える範囲には、何もない。
やがて、崖と森で視界が遮られた。
地図によると、地竜の谷は直線ということだが、湾曲しているようだ。
地図に間違いがあるな。
左手側。
こちらも見える範囲には何も……あ、いやまて。
「吊り橋だ」
谷の幅が狭くなっている所に、橋が掛かっていた。
「なるほど、
「行ってみましょう」
情報屋から情報を得るまで、あとまだ7日ある。
帰りの日数を計算しても、あと1日か2日は奥に移動しても大丈夫だろう。
そう決めて、谷に沿って歩き出した。
吊り橋までは、さほど遠くはなかった。
徒歩で一時間程度だ。
運良く、吊り橋の見える位置に出ることが出来てよかったな。
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吊り橋は、ボロかった。
谷の幅が狭くなっている所に、太い蔓を二本渡し、それに木板を載せただけ、という感じか。
手作り感のあふれる橋で、強度に不安が残る。
不安といっても、大人一人が荷物を持って渡るぐらいなら、どうにかなりそうではある。
「渡りますか?」
だが、魔導鎧を着用した俺が乗ったら、まず落ちるだろう。
谷底に落ちなければ大丈夫、と言われている段階で、落ちるような愚を冒すわけにはいかない。
「いや、この橋を渡るのは、やめておきましょう」
「では、戻ると?」
「いえ、別の橋を渡しましょう」
俺は、そう言いつつ、崖の端に立つ。
橋が脆弱で渡れないなら、自分で作ってしまえばいい。
手から地面へ。魔術で土を起こす。
使う魔術は
強度は俺が乗っても問題ないほど。
それを骨子として、向こう岸まで届くでっかい槍。
「……ほっ」
魔力を放出すると土槍が出現。
土槍は音もなく伸び、谷の向こう側に突き刺さった。
音は聞こえてこない。
それを、三本ほど繰り返す。
念のため、人がすれ違えるぐらいの幅にしておこう。
その上に、板を渡す。
これまた土の板。
頑丈な奴を向こう岸まで。
最後に、橋の根本や裏側を土魔術で補強して、石橋の完成だ。
手すりは……まあいいかな。
「見事ですね……話には聞いていましたが、ここまでとは……」
シャンドルの賛辞を浴びつつも、しかし油断は出来ない。
俺は橋の建築知識なんて無いからな。
叩いて渡るまではしなくてもいいだろうが、魔導鎧着用で乗って壊れるようなら、作りなおさなきゃいけない。
「とりあえず、ロープを」
俺は近くの木にロープを括りつけて、そろそろと渡り始めてみた。
数歩歩いてから、トントンと橋を踏みつける。
石橋はガッチリと俺の重量を受け止めていた。
これで落ちたら間抜けにもほどがあったが、これなら大丈夫そうだ。
一応、強度的に脆そうな所に補強を加えつつ、ゆっくりと渡っていく。
途中でロープが足りなくなったため、シャンドルの持っていたものを継ぎ足して渡りきった。
ロープが一つ50m程度で、かつ2つでギリギリ足りた所を見ると、長さは、100メートル弱という所か。
「よし」
俺は木にロープを結びつけ、谷の向こう側へと合図を送った。
シャンドルたちは、ロープを掴みながら、悠々と渡ってきた。
二人同時に。
崩れるかも、とか思わないのだろうか。
それとも俺が信用されているのかな。
落ちたらすぐ助けないとな……。
「さて、参りましょうか」
なんて不安に思っていたが、シャンドルたちはあっさりと渡り終えた。
「しかし、ここからは、警戒しなければいけないようですね」
シャンドルは森の奥を見て、そう言った。
暗い森の奥。
そこからは、今まで歩いてきた森とは、一つ、違いのようなものを感じた。
魔物の気配だ。
---
100メートルも進まないうちに襲撃を受けた。
最初は音だった。
ガサガサと、葉っぱのこすれあうような音。
しかし、同時に風も吹いていたため、近くに魔物がいるとは思わなかった。
どこか遠くの方にいる奴が近づいてきている。
そんな感じだ。
まだ遠い。
まだ大丈夫。
そう思った次の瞬間、耳元で音が聞こえた。
「ウォフ……ウォフ……」
その音が聞こえた時、俺の鼻のあたりに、生臭く生温かい何かがむわりと掛かった。
すぐ真横の木の幹に、何かが、へばりついている。
と、思った瞬間、木が一瞬しなり、枝葉がガサリと音を立てた。
一瞬遅れて、何か、質量のあるものが、俺の後ろに落ちてきた。
「……!」
とっさに振り返ると、そこには仰向けに倒れたドーガが見えた。
ドーガだけが見えた。
だが、ドーガの頭は彼の意思とは無関係であるかのように小刻みに震え、
ドーガの手は己の頭を操る何かを塞ぐように、中空を掴んでいた。
そこに何かがいる。
そう思った瞬間、俺は魔術を使わず、ドーガの上にいる相手を、力の限り、ぶん殴った。
魔力で強化された魔導鎧の拳が、ドーガの上にいる相手を弾き飛ばした。
肉と、骨の砕ける感触が残る。
ドーガの上に乗っていた何かは、木の幹にたたきつけられ、赤い血を飛び散ちらせた。
血の色で何かの姿が露わになる。
四足獣だ。
詳細はわからないが、確かに足が4つある。
俺は反射的に、そいつに岩砲弾をぶち込んで、止めをさした。
ほぼ同時に、ドンと俺の背中に何かがあたる。
とっさに振り返りつつ、その何かに対して魔術を放とうとするが……。
「ドーガ! 立て!」
シャンドルだった。
彼が、俺の背中を守るように立っていた。
「……うす!」
ドーガが立ち上がり、背中から斧を抜きつつ、俺の真正面についた。
おい、前が見えねえよ。
「見えない相手だ! 数不明! ドーガ、目に頼るな、音を聞け! 目の前の相手だけ対処しろ!
ルーデウス殿は魔術を! 範囲魔術で焼き払って!」
シャンドルから鋭い指示が飛ぶ。
さすが騎士団長と言うべきか、判断が早い。
お飾りではないらしい。
言われるまま、俺は両手に魔術を込める。
使う魔術は火がいいか。
いや、森で火はまずいだろう。
消火は二度手間だ。
水魔術で行く、フロストノヴァ。
「…………う!」
俺が魔術を発動する寸前。
ほんの一瞬である。
ドーガが目の前で動いた。
巨大な斧が振り切られる。
深い森で振り回された巨大な戦斧は、木の幹を砕きながら振りぬかれる。
だが、手応えは無い。
木片が飛び散る中、ドーガの脇をすり抜けて、何かが俺に接近するのを感じ取る。
魔導鎧は重く、固い。
恐らく魔物の突進や爪、牙を受けても、傷ひとつつくまい。
瞬時にそう判断し、そのまま魔術を発動しようとして……。
「ルーデウス殿!」
俺はシャンドルに突き飛ばされた。
何だ、と思う間もない。
気づけば、俺の脇に、槍が突き立っていた。
槍は中空に突き立っているように見えたが……違う、透明な何かを地面に縫い付けていたのだ。
白い槍だ。
とても白い、白亜の槍。
何かの生物の骨のように白い槍。
ああ、なんと懐かしい槍だろう。
そして、槍を回収するかのように、一人の男が地面に降り立った。
緑色の髪。
病気のように白い肌。
ポンチョのような民族衣装。
ああ、間違いない。
背を見ればわかる、俺が彼を間違えるはずがない!
「ルイジェルド!」
俺は身を起こし、手を大きく広げながら、そう呼んだ。
彼は槍を手に、俺へと振り返る。
「ん?」
「…………あれ?」
知らない顔だった。
美形で、ルイジェルドっぽい感じではあるのだけど、しかし違う。
俺のルイジェルドはもっとこう……あごのあたりがこう……。
「すいません、間違えました」
なんか。
すごいガッカリ感。
別のスペルド族がいる。
というのは、ある程度予想していたことではあったが……コレジャナイスペルド族。
やばい、おもいっきりルイジェルドとか叫んじゃったせいか、顔が熱い。
「……ルイジェルドを知っているのか?」
俺の知らないスペルド族の男は、不思議そうな顔でそう言った。
あ、でもそうか。
彼もスペルド族なら、ルイジェルドの事は知っている。
そして、仮にルイジェルドじゃなかったとしても、問題は無いのだ。
うん。
今、ビヘイリル王国で起きている問題的にはね、何もね。うん。
「え? あ、はい。仲間……いえ、友人……恩人かな?」
「客人なら、付いてくるがいい。会わせてやる」
男はそう言って、踵を返した。
「えっ……ちょっとまってください、
「いる」
呆然とする俺に、そのスペルド族は当然のように頷いた。