愚痴は駄目だな

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昨日のブログを読み返して

愚痴にしかなっていないことに気づいた。

 

全てのことは

自分に原因がある。

 

そう思って

あとは神さまの思いに沿って

自分の道を進むしかないよね。

 

楽しいなあと思うことを

どんどんやって行こうと思う。

 

仮に

その時は楽しくないと感じても

きっと何かの役に立つんだと信じれば

楽しく感じられるようになるかもしれない。

 

24日に

大腸ポリープを取る。

おそらく癌にはなっていないだろうから

取れば終わりなんだけどね。

 

こうやって

神様に救われている訳だ。

生きているだけでまるもうけ。

 

どんどん

人生を楽しもう。

来年から年金か。

まだまだこれからだな。

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男はつらいよ

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妻には

帰って来るなと言われている。

単身赴任3年の結果がこれだ。

そばに居られると困る、居ない方が楽だとのこと。

みな楽しく過ごせると。

 

私が留守の所に

三男が帰って屋内の改装をしている。

私の部屋も片付けられ

もはや居場所はない。

 

私には

このまま単身生活を続け

稼ぎ続けては欲しいとのこと。

 

次女の受験が近づいているが

志望校などの情報も入れてくれない。

父親は居なくても大丈夫と。

なんか孤独だな。寂しく感じる。

 

住民票も本籍もある家なので

私はいつでも帰れる訳だが

先だっても冷たい態度で居場所が無いのが実情。

 

妻も三男も

私の稼ぎで暮らしている訳だから

多少の敬意は払って欲しいとは思うが

それは昭和の感覚

金を稼いで来るから偉いと言うのは

パワハラだとのこと。

 

私の子育てや

生き方には共感できないとのことだが

今さら、昔のことを言われてもなあ。

 

たしかに声を荒げたことはあるけど

妻を叩いたことなど一度もない。

でも怖いと感じた時点で暴力なのだそうで。

 

でも逆に

話しかけても無視したり

子供の情報も全く入れてくれないのは

暴力じゃないのか、

少なくとも親権の侵害じゃなかろうか。

 

居場所がない。

まあ上等ではある。

人間は裸で生まれ、裸で死んでいくのだから。

 

30年間以上

家族のために働いて来た。

自分の楽しみなんて無かったに等しい。

 

酒もタバコもギャンブルもやらぬ。

旅行は行ったことがない。

着た切り雀で外食だって殆どしない。

 

家族を何処にも連れて行かなかったと

今さら糾弾されるわけだが

事実上休みなく働いていたんだ。

土日だって休んだことがないのは分かっているだろうに。

徹夜続きの時だって妻子は高いびきだったじゃないか。

 

もう止めよう。

愚痴をこぼしても仕方ない。

これからは

私は私のために生きる。

 

お金だけは稼いでやらざるを得ないだろうが。

これも運命だ。

正直いって私一人だけなら

十分に食って行けるだけの年金はある。

懸命に働いたからな。

 

考えてみると

いま月に4~5万の生活費以外は

自分のために使ってない訳で

あとの100万近くは全部妻や子供に回っているんだ。

 

それで食って飲んで遊んで過ごしているのは

まるで王侯貴族の暮らしだな。

私は奴隷みたいなものかも。

 

これからは

少しは自分にも使おう。

有給休暇をとって一人旅でもしてみようか。

 

自分の人生を楽しむために

私は生まれて来たんだ、と

最近になって気付き始めた。

 

多くの苦悩も

楽しみだと捉えて

笑って過ごせるだけの度量を

神様、私に与えてください。

 

 

 

 

 

離れると言うこと

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家を離れて

とても清々しい気持ちになり

嬉しかった。

希望が沢山あった。

しっかり楽しめた。

 

でも

やはり

それで失われたものも大きかった。

 

神様が

私に何かを教えてくれている。

 

一生懸命に学び取りたい。

未来に向けて必要な何かが

いま示されている。

 

人のつながりってのも

なかなか難しい。

距離感を如何に保って行くか。

 

近すぎても息が詰まる。

遠すぎるのは寂しい。

その感覚が皆違うから混乱する。

 

仕事を切り上げて

帰ることになるかも知れない。

そのあたりはどうにでもなる。

 

大事なのは

神様の教えてくれていることだ。

何を求められているのか。

 

この世に生を受け、

いま生きていると言う奇跡を

どうやって満喫して行くか。

 

時間はある。

じっくり考えてみよう。

 

 

 

 

お葬式

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良かった。

百合子おばさんのお葬式。

 

久しぶりだったいとこ達に会えて、

旧交を温めることが出来たのは

とても嬉しい事でした。

 

親戚一同で写した

昔の写真を見ながら

いろんなことを思い出した。

 

家を離れたことは

大きな間違いだったかも知れない。

私は、あの家に縛られる運命にあるのかと

ふと感じた

 

そう考えると

施設に入って貰った母親にも

とても悪いことをした。

今さらながら後悔している。

 

まだ

間に合うかも知れない。

帰ろうかと考える。

 

このお葬式は

大きなエポックになった。

神様が与えてくれた大きな転機か。

 

独り

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一睡もできないで朝を迎えた。

辛いな。

 

今日を乗り切れるだろうか不安ではあるが、

まあこう言うことは

ちょくちょくあるので。

何とか気力で夕方まで乗り切ろう。

 

いずれ

倒れるかも知れない。

メンタルが何処まで持つのか

とても心配である。

 

 

孤独だ。

私の過去の行動の悪い面が

こうやって形になって現れているのだな。

どうしようもない。

甘んじて受け取るしかない。

 

こうなってしまうと

私なりに自己犠牲で頑張ったつもりの行動が

全否定されてしまった感で

とても空しく感じるものだね。

 

決して

パワハラ、モラハラじゃないんだ

小さな言動の一つ一つが気に入らなかったと

いまになって言われても

もう後戻りも出来ないし。

 

家族のために

苦しんで稼いで来た。

自分のためにしたことは

決して多くない筈なのだが。

 

父親、

夫なんてのは

そんなものなのかも知れないな。

私から得たものなんか目に入らなくなっている。

 

 

ともかく

これからは独りだ。

独りで老いて行くことになる。

 

なんとか次男と長女が

少しだけ話を聞いてくれるのが

救いなのかも知れない。

 

ありがとう。

それで何とか僅かの望みを得ている。

 

 

私が生まれ育った実家なのに

出入りも出来なくなるなんて

涙が出て来るよ。

 

私の人生って

なんだったのだろう。

大きなミスだったのかも知れないな。

 

 

神様は

私に何を教えようとしているのか

一生懸命に考える時が来ている。

 

祈る。

祈る。

神様にすがる。

内視鏡検査受けたよ

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胃の内視鏡は問題なし。

軽度の萎縮性胃炎。

 

大腸には多数のポリープあり。

一部は大きめなので

入院して内視鏡治療になりそう。

 

おそらく

癌ではないし

もしも生検で癌が出ても

治療可能だろうと。

 

ともかく

これで死んでしまうようなものは

いまのところはなさそうだ。

 

いずれ

短期入院(1泊2日)は有るだろうが

その後も、毎年内視鏡を受ける。

 

検査は

寝ているうちに終わる感じで

そんなに苦しくなかったよ。

 

ともかく

結果オーライだ。

受けて良かった。

 

下血が有って

お腹の具合が悪くて

神様が教えてくれたんだ。

 

ありがとうございます。

悩んじゃってる

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おそらく

完璧な人は居ない。

人はみな過ちを犯す。

 

子育てだって

人間関係だって

完全に間違いのないようになんか出来ないだろう。

 

ああすれば良かった、

あれは間違いだった、

失敗した、

と後悔ばかりが目立つ。

 

やってしまったことは

どうしようもないのだから

次から気をつける。

 

もう手遅れで

気をつけられないことは

忘れてしまうしかないんだね。

 

イエス様にお返しするしかない。

 

厄介なことに

人は他人の良いところより

悪いところに目を向けてしまいがち。

 

これは

人間の生存本能、

ヤバい外敵を避ける方が

無防備に優しくするより生き残る確率が高かったのだろう。

 

これも

イエス様にお返しする。

 

出来るだけ

他人の良いところを探して行く。

その方が楽しい。

進歩的だと思う。

 

それでも面倒くさいときは

他人の理解など求めないで

自分は自分と開き直ることも必要だろう。

 

眠れなくて

頭の中身が堂々巡り。

最近は苦しんでいるよ。

 

修行が足りんな

まだ。

 

 

奇跡が起きる

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いやあ

毎日毎日

色んなことが起きて楽しいなあ。

 

一日として

同じような日が無い。

毎日が応用問題で

楽しいったらないよ。

 

今日の最高の出来事は

私が「おはようございます」と

部屋に入って行ったら

先にいた3人が急に口をつぐんだこと。

 

何やら

不平不満を述べあっていた様だ。

関係ない私の前では話せないようなことを。

 

何かあったのか

急に静まって

「ま、ともかく後から・・・」

と一人が話を切って出て行った。

 

なんか

可哀そうだな。

そんなことばかりしてるから

楽しくないんだろうに。

 

私はお気楽だよ。

出来ればニコニコしていたい。

不平不満、陰口悪口からは

距離を置くんだ。

 

まあ

やっちゃったこともあるけど、

もう絶対に仲間に入らないって決めてる。

それで浮いたって関係ないよね。

余計な癖がつくよりマシだ。

 

それより

なにより

大事な自分の人生を

汚したくないしね。

 

さあ、

明日もまた楽しくやるぞ。

また面白い奇跡が必ずやって来る。

自分を愛する?

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先だってもブログで書いたことを

少し見直している。

「自分を愛するって難しい」と言うことを。

 

さてここで

「自分を愛する」

って何なのかが

分かってないのかも知れないと気付いた。

どうすれば自分を愛しているってことになるのか。

 

と言うか

そもそも自分とは何なのか

そのあたりからして

私には謎である。

 

こうなって来ると哲学か?

「われ思うゆえにわれ有り。」

そんな感じで。

 

自分とは

少なくとも

この身体とは違うみたいだ。

 

もしかして脳?

その電気的活動?

たぶん違う。

 

意識?

はたして意識ってなんだ?

何処に有るんだ?

 

分からないなあ。

 

まあ、

仕方ないから

ともかく「自分は自分だ」ってあたり

きわめてファジーな感覚をもって

今日も生きて行く。

 

自分らしく自分を生きる

それが自分を愛するってことだと

適当に定義しておく。

 

理屈もなにもない。馬鹿だ。

昆虫と一緒。

つうか昆虫とか、

あれ?バクテリアにも意識ってあるのか?

 

いずれ

なぜか分からないけど

こうやって生きている。

 

なぜか分からないけど

その生きてることを

とても有難いと感じる訳で、

馬鹿な感覚にすがってフラフラ過ごしている。

 

今日は、夕方に叔母の家に行くから

原付バイクで出勤しよう。

ちと疲れ気味なので

徒歩通勤は休み。

 

きっと

今日もまた

何回も奇跡が起きるだろう。

それがヤバイことなのか、素敵なことなのか

いずれ楽しみではある。

 

馬鹿なりに感謝して。

神様、ありがとうございます。

アーメン。

優れた人

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今さらなんだが

優れた人ってのは

優しい人のことだと思う。

 

基本的に

人間は優しく生まれついているだろうが

世にもまれて損得勘定をするうちに

優しさだけでは生きていけないと言う考えに捉われる。

 

学校教育なんてのは

まさに競争第一主義の

社会迷惑にならぬための価値観押しつけシステムで

人の心を狂わせるのに大きな役割を担っている。

 

それでも他人に優しくすることは

一種の社会貢献でもあるので学校でも勧めるし

そもそも人の本能的行為なので

そう簡単に廃ることもない。

世の中には親切な人は多いし、

それが社会の潤滑油になっている。

 

問題は

自分に優しく出来るか、だよね。

学校では努力すること、自分に厳しくすることで

社会的成功を得られるし

それで人は幸福になるんだと言う価値観を植え付ける。

 

苦しい努力は必ず報われるし

それは社会のためになる自己犠牲の価値を推奨する。

 

たしかに

甘やかしてばかりは良くないかも知れぬが

やはり自分に対する優しさは必要だよな。

そこを誤るから

仕事も楽しくないし、家庭も社会も殺伐とする。

妬み、嫉み、憎しみ、怒りも生まれて来る。

 

聖書では

「自分を愛する様に他人を愛せよ」と

教えているが

ここで大事なのは

「自分を愛する」ってことなんだろう。

 

自分を愛せない人が

真に他人を愛することも出来まい。

人は必ずしも強くない。

 

自分を愛する。

実は、

これがまた大変。

そう簡単じゃない。

私たちの心の傷は重すぎる。

 

まあ、

とっても難しいテーマなんだが。

今日も歩いて通勤しながら

自分の頑張りを誇らしく思う事としよう。

このあたりは学校では教えないな。

社会でもあまり言われることは多くない。