■GamerGateは藪の中
ここ数年、洋ゲーマーや海外ニュースをチェックしている人にとってGamerGate(ゲーマーゲート)はお馴染みのフレーズだろう。
あるゲームメディアによれば、GamerGateは、4chanにたむろしている白人優位主義者や過激な右翼ゲーマーによるネット炎上事件、女性叩き事件として報じ、”アンチフェミニスト”運動のような認識が一般化している。
かと思えば、そのような”単なる炎上事件”にしては、いやに長く燻り続け、一見関係ないように思える話題にもGamerGateの名前が持ちだされるので、この騒動の影響の大きさを不思議に思った人も少なくないのではないだろうか。
中立的な記事では、GamerGateは「ゲームジャーナリズムを問う民主運動としての側面を持つ」と補足が付け加えられることもある。
○Access Accepted第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題-http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20141107133/
「ゲーム業界でのフェミニズム運動と,過剰な抗議」,そして「ゲームジャーナリズムとゲーム業界の癒着疑惑と,それに対する批判」である。
しかし、「女性への攻撃」と「ゲームジャーナリズムを問い直す運動」がどこでどう繋がっているのか……それとも、そもそも別々の騒動なのか、日本のニュースを見ていても、よくわからない。
その上、GamerGateの解釈を巡っては、欧米の中ですら定まっていないために、英語圏のメディアをチェックしている人でも、実態をつかみにくい。
○Wikipedia-Gamergate controversy- https://en.wikipedia.org/wiki/Gamergate_controversy
○Know your Meme-GamerGate-http://knowyourmeme.com/memes/events/gamergate
冒頭を少し読むだけで、記述がまったく異なることがわかる。Know your Memeでは、Wikipediaの創立者であるJimmy Wales が、Twitter上でGamerGateの項目で激しい編集合戦が行われた、と伝えたことを記載している。
騒動の発端や現場がネット上で起こったこともあってか、向こうでも情報が確定せず、解釈が別れてしまっている。
有名ゲームクリエイターがGamerGateについて言及することも少なくない。つい先日も、Minecraftを作ったことで知られるMarkus Persson(通称:notch)氏がGamerGateを表明したばかりだ。
https://twitter.com/notch/status/704828353627295744
訳:なぜ多くのSJWたちが私をフォローしているのかわからん。私は最初から明らかなゲーマーゲーターです。ちょっと言いにくいんだけど(SJWは)どうぞフォローをはずしてください
それぞれ別々の証言をしていて、事の真相が何なのかわからない。まるで”藪の中”だ。しかし、今やゲーム産業の中心が欧米にあるために、この事件を無視できない人も大勢いることと思われる。
ゲーム産業でビジネスをしている人、または表現の自由を考える人、洋ゲー好きなゲーマーなど、日本でも様々な立場の人々が、西洋のゲーム文化を真っ二つに隔てたと言われるGamerGateに対する正確な理解を必要としている。
そこで、このPart-2では、ここ一年半ほどGamerGate戦争に従軍(?)してきた日本人という立場から、文化戦争の難しさを理解してもらうことで、この騒乱の中心まで読者を連れていきたい、と思う。
■文化戦争の難しさ
2016年現在、欧米のゲーム文化で進行している問題を、GamerGate側から要約するとこうなる。
ゲームは、大衆からの評価や投資の対象として注目を浴びることで、それまで”サブカルチャー”というジャンル内で許されていたような、自由奔放さ、暴力やエロスといったクリエイティビティに対する風向きが強くなってきた。
世間からの評価を受ければ、当然「なぜ暴力やエロスに価値を置くんだ?」という人々からの疑問が発生するのは当然の流れだろう。本来なら、この疑問にはゲーム業界の人間が積極的に答えていくべきだ。ゲームやゲームにおける表現が社会にとって悪影響を与えないこと、新しい価値を持っていることを言葉にし、大衆を説得すべきだが、そういった準備はできていなかった。
反対に、自分たちに世間からの疑いや批判が及ぶのを恐れてか、もしくはゲーム業界への影響力を保持したいという政治的理由からか、一部の新興ゲームメディアは、空気を読むように、自ずから批判の先方を取る形で”世間の代弁者”といった態度を気取り、批判キャンペーンを展開しはじめるようになった(ライターたちが口裏を合わせて発言しだした)。
といっても、彼らも、誰からも反論を受けない安全な立場から一方的に批判したい。そのためには、誰にでも正しいとわかる単純な言説が必要だ。そこで採用されていったのが、ラディカル・フェミニズムの主張だった。ラディカル・フェミニズムの方も、女性キャラクターという格好の批判材料を見つけ、ゲーム業界にくちばしを入れ始める。そんな中、登場したのがアニタ・サキージアンだった。彼女はゲームを批判するための言説をアカデミックな言葉で装飾し、理論を偽装してみせた。
ゲームジャーナリズムとラディカル・フェミニズムとが結託することで、ゲームニュースやレビューにはますますバイアスがかかり、このバイアス(誤った認識)に基いて、国連などの様々な意思決定や議論の場が設けられようとしている……。
これがGamerGateのメンバーや、一定の欧米のゲーマーたちの持っているゲーム業界に対する疑惑であり、解釈であり、背景である。
そして、ゲームメディアや”声の大きい少数派”による既存のゲーム表現に対する批判という風潮が看過できないほど大きくなったために勃発したのがGamerGateであり、それにより発生した、バイアスで溢れたゲーム業界を変えようとするあらゆる運動もGamerGateとして糾合され、そう呼ばれるようになった。GamerGateのメッセージは、「ゲームジャーナリズムの腐敗を批判し、政治的に公平な議論を行おう」というものとなる。
――と、このような背景を知って、第三者がまず思うことは……
「言われていることは何かわかるけど……そうは言っても、本当にそんなことあるんかい、決めつけや陰謀論なんじゃないの?」
といった類のものだろう。
GamerGate側の情報を訝しみ、信用しない……というのは当然の反応だろう。例え運動のメッセージが正しく、参加者に心意気があったとしても、未確定な情報や状況を元に運動が起こされたのなら、その意見に耳を貸すことはできない、という気がかりは、どうしても発生する。
一方で難しいのは、その不信感を覆す情報が、あなたの前に提示されることもない、ということだ。
まず日本では、GamerGateが批判している、欧米ゲーム産業の腐敗を報じたものや、ラディカル・フェミニズムが、女性やすべてのフェミニストを代表せず、別のフェミニストから批判もされている、という報道が一切存在しない。
これは、日本では、大手メディアと広告会社、海外メディアなどが一枚岩で連携しているためだろう。そのため日本の大手メディアとコネクションのある海外メディアの報道のみが、日本に伝わってくる(英語系大手メディアで中立的な報道をしているのはForbesくらいである)。
一方、欧米では、中小メディアも活発であり、中には数人で集まって運営している同人メディアまであり、各々が各々の立場から、自分たちの思ったことを報道し、その活動が支持されてもいる。しかし、そのような別系列のメディアと日本のメディアとはコネがないため、多様な情報が日本に届かない。日本では、GamerGateをアンチフェミニズム運動として書いたもので一色になっているため、女性叩き運動はあった=西洋ジャーナリズムの腐敗は存在しない、という所まで推論する人もいるかもしれない。
その上、一定の人々には日本のメディアが参照している”西洋”のジャーナリズムの権威を信頼したいという気持ちもあるだろう。実は少し前までは私もそれを持っていた(そして失望した)ので、とやかくは言いはしない。
ただその前提を覆すだけの労力を割くジャーナリストは出てこないだろう。というよりも、日本のゲームメディアはジャーナリズムではないので、それをする義務もない (別稿参照 補-日本でのGamerGate報道 )。
政治的背景を脱色したために、逆に情報が欠落したニュースもある。例えば、この記事を書いてる途中でたまたま見つけたこの記事などがそうだ。
○Xbox責任者、イベントパーティーでの制服ダンサーは「容認できない」
www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/20/news019.html
ここで抗議しているBrianna Wu氏は、インディーズ・デベロッパーである前に、ラディカル・フェミニストの活動家として名を知られている人物だ。ラディカル・フェミニズムには女性の露出表現を一切許さない、もしくは女性蔑視である、という自分たちで掲げた共通の論理がある。それを背景にしてこのような批判が展開されている。
しかし、日本の記事ではそのような説明はなされず、ある一人の女性開発者の声と聞こえるように報道している。
文化戦争は、語るのが難しい。
なぜ難しいかというと、それが事件ではなく騒動だからだ。事件とは、何らかの事が起きた結果であり、ある程度、評価が定まったものがニュースとなって私たちの耳に入る。しかし、この騒動は多くの疑惑を巡って主張が衝突しあう政治闘争という色合いが濃い。騒動そのものに、個々人の主張を引き出す力が働いており、当然、立場によって騒動の解釈は異なる(それはこの記事にもいえる)。
最もやっかいなのは、GamerGate騒動においては、ゲームジャーナリズムも客観的な立場に立っているわけではなく、むしろ利害関係の当事者だ、という点だ。GamerGateは”既存のゲームメディアの在り方を問いなおす”反ネットメディア・ミーム運動であり、ゲームメディア・ニュースサイトは、GamerGateによって味方なり敵なりに振り分けられた一つの勢力であり、この騒動の結果によっては自分たちの存続すら危ぶまれる立場にいる。観察者ではなくプレーヤーなのだ。それゆえに中立的な報道は不可能だと考えていい。
だが、中立的なメディアは存在しない、という事実・世界観が、日本の常識からすると受け入れがたく、にわかに信じられない、という気持ちもあるだろう。かくいう私がそうだった。
こういった状況の中で、何の背景もない個人が、この絡まった異文化間の糸を解きほぐし、各々の立場の勢力図を正確に伝えるだけでも至難の業だ。
私がこの1年半、日本語で何も伝えようとしなかったのは、そもそもブログ記事を書いた所で信用されるわけがない、と思ったからだ。特に日本では、少しでも政治的立場を明らかにすると、その人の提供する情報を信用しようとしなくなる傾向があるので、筆を取る気がしなかった(私はこの記事を書き出してからも「こんなこと書いても、無駄に敵を作るだけだろうなぁ…」と泣き言を言っていたりする。GamerGateの人々が頼むのと、雀の涙ほどの愛国心から、我慢して書いている)。
その上、そういった実状をすべて話し終えたとしても、あなたはさらにこう言うだろう。
「へぇ、それで欧米のゲーム業界の問題と、日本のゲームにどんな関係があるの?」
……それが、関係がありすぎるほど関係がある、と思っている。
そこで、私は、ゲームジャーナリズムがどのような記事を書いているのか、実際に一つ挙げてみたい。あなたはそこで、欧米のゲーム業界の人々が持っている、美少女キャラクターに対する無理解や憎悪と出会うだろう。
Part3以降は、GamerGateの推移を見ながら、今までの事情を直接見ていない人にも常識的に判断が下せるように、いくつかの題材を 取り上げ、実際に見せ、検証したいと思う。
私はここであなたをGamerGateの一派にさせるつもりなど毛頭ない。ここでの私の役割は、あなたがGamerGateをあなたなりに理解することを手助けすることだ。
もし、あなたがGamerGateについてコメントを求められたり、語ったりしなければならない時に、「ゲーマーによる女性叩きをどう思うか?」や「あなたは日本人だが、女性のキャラクター表現についてどう思うか?」といった、ある政治的立場から述べられる誘導尋問や誤った情報提供に惑わされず、あなたなりの意見を発信するための視座やヒントを与えたい、と思っている。
あなたはこの記事を読み終わった時、こう言えるようになっているはずだ。
「私は特定の立場に肩入れしませんが、公平な議論が行われることを望みます。」
私たちすべてに共通しているのは、”ゲーマーとして関わってきたゲーム文化”という認識であり、パブリッシャーなら”ユーザーとともに歩んできたゲーム文化”という認識である。誰もが、その認識を大切にしたい、と思っているはずだ。
その中で、私自身がGamerGateに参加した動機、テーマも織り交ぜて語っていきたい。
つまり、西洋ゲームメディアの現在の方針が、後々、ジャパン・バッシングを引き起こし、日本のゲーム企業が展開しようとしているIPビジネスやそのブランド、ゲーム文化に大打撃を与える、という未来の可能性について。
私たちは、この問題を見過ごすことが、ちょっとできそうにないのだ。
■GamerGateの批判する『ゲームジャーナリズムの腐敗』は存在するのか? -ヴァニラウェア・神谷盛治さんが受けたバッシング
Dragon’s Crown-ソーサレス(左)とアマゾン(右)
欧米では、ヴァニラウェアのDragon’s
Crownに登場するソーサレスが、女性蔑視を助長させる表現(Damsel in Distress 悲嘆の女性という理由。アマゾネスはお咎め無し)だとして批判を受けた。
以下の、米Kotakuのジャーナリスト・Jason Schreier氏の記事は、そのような背景から書かれたものである。
(短縮した意訳、全文は自動翻訳などで確認してみてください)
日本語訳:
二週間前、私(Jason Schreier)は、ドラゴンズクラウンを批判する一つの短い記事を書いた。すると、”そのキャラクターの背後に隠れたある男”が返信してきた。
その私が書いたポストのタイトルは、”ゲームデベロッパーは、10代のガキが描いたみたいなキャラクターデザインを真剣にやめる必要がある”で、10代のヘテロセクシャルのガキがイタズラ書きした落書き帳から出てきたような、超セクシャルなソーサレスキャラクターを、卑猥だと指摘した、不機嫌な、短い記事です。
私はそこでこう書きました。「ソーサレスは、14歳のガキによってデザインされた」と。そうしたらフェイスブック上で、神谷は返信してきました。
神谷氏「KotakuのJason Schreierさん、あなたはソーサレスにもアマゾンにも満足されなかったみたいですね。そこであなたの好きなアートを用意しましたよ」
えぇ? おまえの女キャラクターが好きではないと、男性を好きになる必要があるって、そりゃゲイジョークか何かですか?
アップデート:神谷は私にメッセージを送ってきたので、私と友人とでそれを翻訳しました。
神谷氏「ドワーフは軽い冗談のつもりでしたが、これほど大事になるとは思っていませんでした。私は自分の軽率さを残念に思います。すみませんでした。私はあなたの記事に対して悪い感情は持っていません」
ちょうどいい機会だし、私は自分の批評をクリアにしたいと考えます。
第一に、私は神谷を実際の14歳のガキだとは思っていません。まずそこをはっきりすべきだったことを謝りたいと思います。
また、ここ数日で、いくつかのメッセージを受け取りました。「なぜあなたはマッチョではなくボインの姉ちゃんに不満を言うの?」「あなたはこのゲームが対象としている顧客じゃないってだけなのに、どうして文句を言うの?」
なぜ? 私はそれが恥だから、公衆の面前で晒されていることが我慢ならないからです。私は日本のゲームやJRPGを愛しているが、この30年間、ゲームに染みついてきた少年倶楽部の醜い考え、趣味趣向を永続させてほしくはない。
ゲーム業界に性差別があることを証明することは難しくありません。見よ、E3の入り口で、コンパニオンのベストショットを撮ろうとお互いに踏みあう汗まみれの男性カメコ連中を。これを読め、Twitterのタグ上で、ゲーム業界から疎外感を感じなかった女性デベロッパーを見つけることは難しい。
私は、ソーサレスのデザインを、それ自体が独立した表現として見たり、無害な性的表現だと笑い飛ばしたり、ヴァニラウェア独特の、個性的なスタイルだとか認めたくありません。多くの女性が、ゲームをしたり、ゲーム産業で働いたり、ゲーム・イベントに出席し、気色悪いと感じ、正常でいられなくなっています。多くのゲームは男性により男性のためだけにデザインされてきています。
(先ほどの「なぜあなたはマッチョではなくボインの姉ちゃんに不満を言うの?」という質問に応えるなら)ドワーフの特徴を言うなら、小型で、上半身裸のマッチョキャラクターは、ソーサレスの小さな服とセクシーな胸と同じように男性向きの、ファンタジーにおける力強さがストレートに反映されています。それは、ジュブナイルの漫画や古い雑誌やゴッドオブウォーなどに見られるものです。
しかし、(私がソーサレスと同じようにドワーフを批判しないのは)ドワーフは、多くの男性を不快にさせません。男性のゲームクリエイターは受付嬢に間違えられたり、男性リポーターから本当にゲームをするかどうか尋ねられないので。
ソーサレスの象徴はより大きな問題です。
見よ、私は検閲官ではありません。 私はアーティスト自身が美しいと感じるものを描くべきではないと言っているわけではありません。私はアーティストを尊敬し、彼ら自身の表現の擁護者です。私はそのために、アートについて、一般の人々に向けて批評をすることが、批評の本質だと信じています。
すべてのアートにはファンがいて、批評の対象に値します。私は特定の表現が存在してはならないとは言っていません。しかし、それがこのゲームがゲーム業界全体にとって害になると言うことをためらうことはしません。
私は、問題のある表現は人々を惹きつけるよりも、追い払うと思っています。おっぱいを描いて人を集めることは、創発的な挑戦ではありません。私はそれを美しいと思いません。
コメント(2363リプライ)
FantasticBoomさん
私にとってこれ以上ないくらい。あなたが礼儀正しく対応したことに敬意を表します。あなたは高い位置から話し、あなた自身の意見をより正統にしました。非常にいいジャーナリズム。
Aikageさん
ソーサレスは本当に問題です。12歳の顔に20歳のポルノ女優の胸。以下省略。
[翻訳終わり]
■批判の類似点
どうだろう?
私の個人的な感想を言えば、私は神谷盛治さんのアートワークやデザインはすばらしいと感嘆こそすれ、女性差別だとは思わない。それとは別の次元で、この記事は、一クリエイターに対し向けられるべき言葉でも態度でもない。批判ではなく単なる侮辱であるし、読んでいるこっちまで腹が立ってくる。これではまるで一メディアが、炎上の原因を作り出しているようなものだ。
だが、実を言うと、私はここでこの記者の言葉の悪さや論理性の稚拙さについて、ことさら言及するつもりはない。それには風土や文化の問題もあるからだ。このような罵倒も、向こうではアバウトに容認されているのかもしれない(女性キャラクターが容認されていないだけで)。
中には、このような記事は、ある特殊なケースであり、一般的ではない、と言う人もいるだろう。まさかこんな低レベルの主張が多数派なわけがない、ゴシップメディアの記事を意図的にチョイスしてきているだけだろ、と。
例えそうだったとしても、この記事を読むことで、実はいくつか判明した事柄があることに、あなたはお気づきだろうか?
この記事の善悪は置いておいても、Kotakuはゲームメディアの大手ではあるものの、ジャーナリズム性を期待されたメディアではなく、これがライターが自由に書いたコラムであることは、誰にも予想がつく(ただJason Schreier氏自身は「Kotakuのスタッフはブロガーではなくジャーナリストだ」と証言している。https://twitter.com/jasonschreier/status/504450320920240128 これはKotaku自身の願望を意味してもいると解釈してもいいだろう)。
だが、ここで、Part-1で紹介した国連からの通達文
“Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”
や、ここで紹介した
○Xbox責任者、イベントパーティーでの制服ダンサーは「容認できない」
www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/20/news019.html
を読みなおしてもらいたい。この無作為に選んだ記事とKotakuのゴシップ記事との間に、共通点を見いだせはしないだろうか。
どれも、女性の社会進出の問題とは別のところで、
という特徴が見い出せるのだ。
つまり、これらの記事の批判者は、各々の印象を述べているのではなく、その背景には、共通の批判点や論点がある、ということだ。
その共通の批判点や論点を踏まえた上で、過去のニュースを読んでみよう。裏舞台でどういった意見の対立があるのか明白になるのではないか。
記事と記事の”点”と”点”を繋げることで、一つの”線”が浮かび上がってくる。そして、その”線”こそが西洋が今抱えている問題であり、政治なのである。もっとも、それを”点”のまま報じ、一つの背景が見えることを避けるように日本のメディアは報道してしまっているのだが。
Kotakuの記事などに見られる共通の特徴は、他の欧米の女性問題を報じたニュースをあなた自身で確認することで、より確信できるものになるだろう。また、この特徴を持たないニュースを知ることで、フェミニズムの多様性を測れたりもするだろう(例えば、自ら裸になって抗議を行うフェミニストの方々もいるが、その場合は上の特徴は含まれない)。
具体的にも、ここでライターであるJason Schreier氏がソーサレスの象徴を問題視しているのは、国連が呼び寄せたアニタ・サキージアンが用意したTropes(象徴)批評を参考にしていることは容易に想像できるし、Brianna Wu氏はTwitter上でアニタ・サキージアンと連なって名前が挙げられる活動家なのだ。
そういった背景を知っているか or いないかで、ニュースへの理解度は大きく変わる。
一応、補足しておくと、私はここでフェミニズムや女性の社会進出を陰謀論めいて否定したいわけではない。
私は女性の社会進出に賛成だが、その議論と女性の肌の露出や表現の規制とは関係ない。いやむしろ男女平等社会を困難にするとさえ考える立場にいる。
Brianna Wu氏はなぜ「男性のダンサーも呼んでほしい」と要求しなかったのだろうか。そういう議論も可能なはずである。またダンサーやコンパニオン自身にも誇りや主張もあるだろう。なぜ彼らの職業が活躍する場所を奪おうとするのだろうか。それと同じようにヴァニラウェアのデザインを「かわいい」「すばらしい」と感じる女性もいるだろう。しかし、この議論においてそのような感性は排除されている。
そこにあるのは、女性差別や女性蔑視というより、性露出や性表現への嫌悪感情だと言えるだろう。ただそれはフェミニズムが扱ってきたテーマとは言いがたい(もしかしたら、マルクス主義や、ピューリタン的なキリスト教的倫理観などが間接的に関係しているかもしれない)。
ここに至って、Part-1でも述べた西洋におけるラディカル・フェミニズム旋風を理解する必要性ということについて、ようやく理解してもらえると思う。単純な女性問題や欧米の慣習的な問題としてではなく、ゲーム業界に影響を強めている特定の政治的言説や影響力、社会への受容の度合いをリサーチしておく必要性がある、と言えるのだ(別にGamerGate側の主張に寄る必要はない)。
欧米のゲームキャラクターに対する批判は、ユーザーの感情や欧米の慣習から発せられている、とは言いがたい。批判者にはある具体的な論点と、思想的背景があり、その影響力は、大衆向けゲームメディアのライターが力説し、そこに二千のコメントがつくほどには強くなっている。
■キャラクターデザインを巡る日本と西洋との溝
だが、私はこれを政治的対立としてではなく、あくまで日本と西洋との間に出来た大きな誤解(もしくは貿易摩擦)としてとらえたい。
そう、それは誤解である。例えば、神谷盛治さんのデザインにしても、それにかぎらず瞳の大きなセクシーな美少女は、もともとは少女漫画の記号から取ってきたものであり、少女漫画をさらに遡ればそれは宝塚のように、女性が男性を演じるような性差に囚われない芸術表現に行き着く。そのような歴史を知らなくとも、目の大きな少女キャラクターは女性も見慣れている一般的な美術形式だ。ただし、日本の中では。
一方、海外の人々はどうだろう? 誰も少女漫画を読んだことがない、のだ。知らないのだ、何も。しかも女性キャラクターを目の前に出されるだけで、それが何なのか誰も説明もしてくれないのである。
それは寿司を初めて見て、それが不潔なナマモノだと勘違いする外国人に似ている。寿司がきちんと調理された伝統的ファーストフードだと知らされなければ、彼らはそれを自分たちの文化的背景に照らして「料理ではない」「気持ち悪い」と判断するのも当然かと思われる。
この誤解は、それが誤解だと知らされ、誤解を解く正しい説明をなされなければ、そのすれ違いの溝はどんどん大きく深くなっていく。
すでにその誤解は、政治的な団体がバックにつき、理論によって強化され、批判にまで昇華され、そのロビイングは国際政治に取り上げられるほどにまで影響力を増しているのだ(ただ、ラディカル・フェミニズムも、企業がゲームを社会に迎え入れさせるための方便として利用されているのかもしれない)。
その意味で、漫画やアニメの素晴らしさを海外に発信するだけでなく、情報の受け取り手の文化……西洋のゲーム文化の大きさを考慮し、ゲーム表現と繋がるようなキャラクター理論や歴史観・価値観を提出することが求められている、と言えるだろう。
私自身は、GamerGateやラディカル・フェミニズムの問題を語りこそするが、それらの勢力や問題の排除を念頭にするのではなく、最終的には、日本の企業なり機関なりアカデミシャンなり個人なりが、”西洋社会全体に説明責任を果たす”ということをゴールにしたいと考え、この記事を書いている。そこには、ビジネス的な利潤をも視野に入れていい。
Kotakuの記事自体、もう三年も前に書かれている。その間、日本人は誰も(事件を知らなかったこともあり)神谷さんを擁護できなかった。正直、私は海外の人々だけでなく、このような問題を放置し続けている日本の責任ある立場にいる人々に対しても複雑な気持ちを抱いている。
現状では、何の対抗策も打たれておらず、日本のゲームクリエイターは、このようなリスクを抱えたまま、海外に飛び出さなければならない。個々で対処することになるだろう。
弊害もすでに出始めている。
ストリートファイターⅤの表現の一部が自主規制に追い込まれたり、DEAD OR ALIVE Xtreme 3が海外での販売の中止を決定したりしている。今後、この圧力がより強まってくれば、日本のゲームコンテンツ全体に対する集団的な低評価やバッシングが行われる可能性もある。
これは”おま国”のようなローカライズの問題だけでない、と言えるだろう。このような海外市場への意欲が萎縮していけば、それは当然、日本のゲーム産業の縮小を意味するだろう。その未来は、国内ゲーム市場でのパッケージの売り上げの苦戦を嘆いているゲーマーにとっては、肝の冷える想いをさせるものなのではないだろうか。
話を最初に戻したい。GamerGateについて。
GamerGateを知る前に、この状況を知る必要性があったことを、今のあなたなら理解してくれるだろう。
実際、女性キャラクターを批判する声に不当な想いを真っ先に抱いたのは、日本の漫画やアニメに理解を示していたゲーマーたちだった。彼らの怒りがGamerGateの動力源となり、初めてこういったジャーナリズムを腐敗と断じ、一般人をも巻き込む議論になっていったのである(米Kotakuを運営しているGawkerメディアは、GamerGateが敵視し、もっとも批判を浴びせているメディアである)。
このような背景を知らなければ、自然、たいていの人の目には、ネットのミーム運動など女性蔑視運動だとしか映らないだろう。しかし、GamerGateが起こる以前の西洋もゲーム業界も、そんな”キレイ”だったわけではない。問題はあった。
どのような事象を見るにしても、一面的な見方こそが誤解の種を作る、と自戒を込めて述べておきたい。
ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今