RONIN WORKS

ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今~ Part-1


※今すぐGamerGateについて知りたい方はPart-3[記事リンク]からどうぞ!



国連からの通達

 2016年2月、国連(国際連合人権高等弁務官事務所)が日本に通達してきた文章が、ネット上で物議を醸した。

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https://twitter.com/UNHumanRights/status/697456741609574400

 “Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”

 ここには、国連が、フィクション上で描かれるキャラクター表現の一部を女性差別と捉え、女性問題を議論する場で、第一に、女性に対する性的暴行を含むゲームと漫画の規制を議題に挙げる、という内容が書かれている。画像ではビデオと書かれているが、これはゲームのことを指している(英語ではゲームをVideo Gameと呼ぶ)。

 このニュースを聞いて、突然「ゲームと漫画」が規制の対象に挙げられたことに疑問を抱いた人もいたのではないだろうか。

 なぜ”今”、国連はゲームや漫画を議論の俎上に載せる必要があったのか?

 実は、この国連の動きは偶発的ではない。きちんと”点”と”線”が存在しているのだ。今回の審議を行う前、国連は、ある一人の活動家を招致し、その人物から意見を聞いている。漫画アニメゲームの表現規制という議題選定は、この会議の影響から採用されたのではないか、と考えられるのだ。

女性と少女に向けられるオンライン上の暴力との戦闘に必要とされる緊急の活動-Urgent action needed to combat online violence against women and girls, says new UN report

http://www.unwomen.org/en/news/stories/2015/9/cyber-violence-report-press-release 

  国連が呼び寄せた活動家の名は、アニタ・サキージアン(Anita Sarkeesian)

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 現在、欧米社会で巻き起こっているラディカル・フェミニズム旋風(サードウェーブ・フェミニズム)の中心人物の一人で、ゲーム批評家としても活動しているフェミニストだ。フェミニストといっても、既存のフェミニストの採用してきた融和路線と性格を異にするため、SJW(ソーシャル・ジャスティス・ウォーリア)やPC(ポリティカル・コネクトネス)と揶揄されることもある。

 彼女の名を聞いて、洋ゲープレイヤーや海外ニュースをチェックをしている人の中にはピンと来た人もいるかもしれない。――そう、アニタ・サキージアンは、欧米のゲーム文化を二分したとも言われる文化戦争・GamerGate(ゲーマーゲート)騒動において、ゲーマーとゲーム文化を侮辱したとして、ゲーマーや4chanねらーからの顰蹙を買い、激しい批判にさらされた人物でもある(ちなみに、GamerGateが女性を攻撃したとする証拠はない)。

 GamerGateについて今すぐ知りたい人は、ここを参照。中立的な立場から詳細に書かれている。

▼Access Accepted第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題

http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20141107133/

 アニタ・サキージアンは、その言説の中で、これまでの女性ゲームキャラクターが男性優位の価値観によって作られてきたと主張し、今日までのゲームの歴史とその表現を「Sexism セクシズム(女性蔑視)」と批判している。言わずもがな、その批判の矛先の半分以上は、日本のゲームやキャラクター表現に向けられることになる。

 そして、GamerGate騒動以降は、ネットハラスメントの被害者として、彼女と彼女の団体FemiFreq(feministfrequency)はMicrosoftやTwitterが主催したシンポジウムに招かれ、年々メディアへの露出を増やし、また欧米のゲーミングメディアが彼女を後押しする形で、彼女の理論――どのキャラクターが性差別で、どのキャラクターが性差別でないのかを見分けるロジック――は、「ゲームが差別の温床とならないため」という名目で西洋社会に普及しようとしている。そこでは、アダルト向けと、マリオのピーチ姫のような一般的に知られているゲームキャラクターとの区別は、基本、なされない。

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 その前提を踏まえた上で、先ほどの国連の文章を見返すと、この一文の奇妙さの謎が解けるだろう。

“Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”

 ここに書かれているのは、アダルトや18禁といった規格の話ではなく、性暴力という表現”そのもの”に対する言及なのである。そして、表現そのものを問題視し、規制を訴えているのが、今、西洋で勢力をのばしているラディカル・フェミニズムなのである。

 アニタ・サキージアンたちが国連に呼ばれたのが2015年の9月、今回の審議が2016の2月。そして、アニタ・サキージアンは、まさにキャラクターが女性差別の温床になっているとし、彼女が受けたとされるネットハラスメントがゲーマーが持っている女性蔑視の具体例だと主張してきた人物なのだ。

 少なくとも欧米のゲーマーたちにとって、今回の日本に対する通達に表現規制が盛りこまれることは必然だった。

 ――とはいえ、なぜ一介の批評家が、ここまでの厚い待遇を受けなければならないのか? ネットハラスメントの被害者という側面と、ゲームや漫画のキャラクターの問題がどのように繋がっているのか? なぜ日本にまで批判の矛先が向いてきているのか?……これだけの符号から全体像を把握することは困難だ。

 一言で言えば、西洋がおかしくなっている。 


 今回の国連の動きは、一朝一夕にしてなされたわけではなく、ある大きな流れの中の一つの兆候であり、結果でしかない。

 その背景には、欧米のGamerGate運動と、ラディカル・フェミニズム旋風がある。そして、この二つのムーブメントを知ることは、今日の欧米社会とゲーム産業との関係、思惑、そして、そこで別れ道に立たされている海外市場における日本ゲーム産業の行く末を知ることを意味してもいる。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 今、欧米社会では何が進行しようとしているのか?

 おそらく、これからの日本の様々な人々が抱くであろう疑問に、私なりの回答が示せるのではないか――その意図のもとに、この記事は書かれようとしている。そして、欧米社会の現状を日本に伝えることは、私がTwitterやメール上で交流してきたGamerGateの人々の強い願いでもある。 

 もっとも、先に断っておかなければならないのは、見ての通り私はジャーナリストではない。偏見や誤りを避ける努力はするし、対立感情を煽るような表現は避けるつもりだが、特定の立場から解説することになるので、中立性を完全に順守することはできない。GamerGateに参加している日本人の立場から、日本の文化の利益を優先して書く。なので、参考程度に読んでくれてもかまわない。




すべてを狂わせたゲーミングバブル

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 ――ゲーム(Video game, Gaming)。

 それは2016年現在、欧米でもっとも加熱している…と人々から認識されている産業の一つだ。

 世界のゲーム産業の市場規模は、CAPCOMのサイトによれば、パッケージとDLCの合計で216億ドル(2014年時)[ http://www.capcom.co.jp/ir/business/market.html  ] 、ファミ通では世界市場が6兆7148億円、地域別ではアメリカ+ヨーロッパで3兆7410億円、前年よりプラス成長傾向にあることに報じている[ http://www.famitsu.com/news/201506/12080664.html  ]。

 また、スマートフォン向けゲームなどの伸びもあり、ゲーム市場が成長産業だと見られているのは確実なようだ[ http://www.gamespark.jp/article/2015/05/21/57138.html ]。


 ただ現状を示した数字だけでは語りきれない側面が、ゲーム市場にはある。

 投資家たちはより未来に目を据えている。冒頭のザッカーバーグの写真を見てもわかるように、ゲームは、これから到来するヴァーチャルアリティというSF世界や、VR産業の勃興を実現するために必須となるソフトウェアだ。今はまだ未知数だが、AI(人工知能)技術とも無縁ではない。人の意思を再現するほどの高度なAIが実現すれば、将来的には、ゲームキャラクターに人工知能を実装するような試みも行われるだろう。

 最新科学技術の唯一の難点は、それを人々の需要にあった形として商品化し、広く一般に普及させることだが、ゲームと協力することで最先端の技術をエンターテイメントとして人々に提供することができる。それは80年代から2000年代にかけて、PCや携帯機器の普及とゲームとの関係を思い起こすことで実感できる人も多いだろう。ゲームは、最新技術と相性が良い。 

 “人造生命体(ホムンクルス)”というキリスト教的なテーマとも絡んでいるためか、VRやAIの話は、西洋の一般の人々の間にも広がり、それらの技術はしだいに認知を得はじめている(同時に、その話題性の影には、新しい技術に対する恐怖も潜んでいる)。

 未来ではなく現在の話でも、ゲームは2000年代を通して技術を進化させ、映像のレベルは今や大作映画と肩を並べるほどにまで到達し、市場規模も映画産業を超える規模にまで成長している。それまでゲームに興味のなかった人々にも、”ゲームの何が凄いのか””どれだけ影響力があるのか”が伝わりやすくなっている、と言えるだろう。


 もう一つは、西洋サブカルチャーにおけるゲーム文化の存在感の大きさだ。

 日本では、漫画アニメゲームは、キャラクター文化の中で同列に扱われているジャンルで、その中でもゲームは、研究者やCoolJapanのような国策?の中では、少し低く扱われている印象すらある。しかし、欧米では、ゲームこそサブカルチャーの代名詞だ(もっとも日本においても2000年代以降はゲームの時代なのだが)。

 余談だが、しばしば「日本の漫画やアニメが西洋で大人気」といった報道がなされるが、それには多くの誇張が混ざっている。もっとも私なども漫画・アニメから強い影響を受けたクチなので、当初はそう信じこんでいたのだが、欧米においては一般的にゲーム(と4chanのChanculture)を通して漫画やアニメに出会うのであって逆からではないようだ。

 これは考えてみれば当然のことで、西洋のオタク(ゲーマー)からすれば、今の段階ではアニメや漫画はあくまで海外(日本)から受け取る文化でしかなく、一方、ゲームは自ら参加し、体験し、作り上げてきた文化でもある。どちらを”アイデンティティ”にするかといえば、後者であることは想像に易い。

 実際、コアゲーマーたちは、他のジャンルのオタクよりも能動的で、活発に活動している印象を持った。といっても、新種の、奇妙な人々ではなく、多くは常識もある普通の人々だ。

 西洋におけるゲームの歴史は古く、トールキンなどを始祖とする近代ファンタジー(アーツ・アンド・クラフツ運動)から始まっているとも定義できるし、TRPGやゲームブック、ボードゲームの延長線上として、それは位置づけられている。技術は新しくなっても、ジャンルとしてはしっかりとした地盤があるのだ。

 もちろん、ゲームは若者にとって最先端の流行でもある。近年では、e-sportsなど、ゲームプレイを競技としてとらえプロスポーツ化する風潮が生まれ、その破格の賞金額やイベントの規模の大きさが注目を集めている。YoutubeやTwichなどを通し、ゲームだけでなくゲームのプレイ自体をコンテンツとして捉える認識も、ここ数年ですっかり定着したと言えるだろう。

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 そのゲーム文化の中で、日本のゲームの評価は未だに高い。日本のゲームは、欧米のゲーマーにとって、彼らの子供時代を形作った大切な思い出の一つであり、出発点として親しまれている。

 特に任天堂と小島秀夫は、ゲーム史におけるレジェンドであり中興の祖、または最前線を走るアーティストとして尊敬と憧れをもって語られている。海外において宮本茂や小島秀夫は、総理大臣以上に有名な日本人であることは間違いない。ゲームクリエイターという職業は今や花型であり、かつての映画監督やロックスターのような、文化英雄的としての側面としても見られ始めているのだ。

 当然、そのような若者たちからの圧倒的な支持は、浮世の反応に敏感な様々なジャンルのアーティスト、ハリウッドの監督や俳優や制作スタジオからの注目を集めることをも意味している。むしろ彼らの方から、ゲームクリエイターに対し、礼を尽くして接しようとする。

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小島監督と ギレルモ・デル・トロ監督- D.I.C.E.サミット2016にて


 このように、テクノロジー、ビジネス、文化の三つの領域の目的が重なることにより、欧米のゲーム産業は稀に見る過熱さを見せ、世間(政府、企業、人々)の期待と評価を得ようとし、今や繁栄を極めようとしている。日本にだけ目を向けていると、ゲームはもうダ……ゲフンゲフン! 失礼…日本との温度の差に驚かされる。

 だが、その繁栄は、様々な局面で新たな対立をも生じさせ、各々の立場や意識の差を明確にしていった。ゲーム産業をメインカルチャーの中に編入しようとする風潮と、コアな、エッジの効いた、フリーダムなカルチャーであり続けようとする風潮との衝突である。

 ゲーム産業が成熟し、社会的な注目を集めれば、様々な目的を持った人々がゲーム業界に参入しようとしてくるし、政治的な言説も介入してくる。既得権益も生まれる。今まで自由に話していた、ただのゲーム好きのお兄ちゃんに、ジャーナリストとしての責任が発生してくる。自説を曲げるライターも出てくる。派閥もできる。目の前に利益や権威をちらつかされ、企業も人も誤りを犯す。


 そういった各々の思惑と欲望が入り乱れている中で、既得権益に組み込まれる(と思っている)一部の業界人とそうでない大多数のユーザーたちとの対立が起こったらどうなるのか?

 その最悪の事態が、ある一つの輪郭をとって表面化してきたのが、キャラクターの表現に人権や女性の権利を関係づけさせる、キャラクター批判・表現規制問題であり、ゲーム文化に吹き込んだラディカル・フェミニズム旋風なのである。

 後述するGamerGate騒動・運動が、単純な政治的対立として収束しなかったのは、このような背景があるからであり、GamerGateやラディカル・フェミニズムに関する報道が一貫せず、どの情報が事実で、または歪曲されているのかの判別が難しくなっているのは、ゲームジャーナリズムもゲーマーも、利害関係と政治的対立の渦中に投げ込まれているからにほかならない。

 当然、彼らは自分の立っている立場に有利な報道をするし、酷い場合は噓すら平然とつく。日本のメディアとて例外ではない(海外メディアの記事を転載することで、気づかないうちに騒動に巻き込まれている例もある)。


 この英語圏のゲーム文化に走った深刻な亀裂は、「ゲームは蔑視を助長する!」の一言から始まることになる。それは世間の歓心を買いつつ、同時にゲーマーたちの感情を煽り、逆撫でするには絶好の売り文句だった。

 このような図式は、日本でも過去に起こった「ゲーム脳」や「非実在青少年」騒動、または「カオスラウンジ」騒動などにも類似していると言えるだろう。ただGamerGateが私たちが過去の騒動の時と異なるのは、事件の現場が欧米社会だということである。

 西洋での政治的言説の扱われ方の大きさと、政治に対する人々の関心の高さは日本の比ではなかった。しかも、彼らは自分の考えや本音を隠したりせず、良くも悪くもすべてオープンにする。対立は表面化し、表面化しているだけに、メインメディアや一般社会にまでGamerGate騒動の影響が波及していった(その影響の余波、外縁が今回の国連からの通達だったというわけだ)。


 そういう前提の上で読んでもらうと、これから追っていく内容をより把握しやすくなると思う。





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ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今

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