挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

悪役令嬢は、あの日にかえりたい

作者:百地おもち

あらすじの注意書きを確認してからお読みください。

 かつて月光花と讃えられたシルヴィアーナの美貌は、見る影もない。痩せ衰え、眼窩は落ち窪み、長い銀髪はみすぼらしく散切りにされていた。

 処刑場を埋め尽くす群衆。断頭台へ引きずり出された元侯爵令嬢へ、口々に罵倒を浴びせかけてくる。極悪人の処刑という娯楽を求める観客たちだ。


「汚れた女め! あいつで最後だぞ!」

「私腹を肥やした雌豚を殺せ!」

「すましてんじゃねえよ、この売女が!」


 圧倒的な憎悪に息をつめる。断頭台の側へ無造作に並べられた首無しの遺体。三体の亡骸に目を見張ったシルヴィアーナは、せめて泣くまいと堪え続けた矜持が折れて、溢れる涙で頬を濡らした。


「あ……ああ……お父様……」


 ────シルヴィアーナになんの咎があろう! 私の大事な妻と娘たちに触れるな、下郎ども! 我らは忠義を尽くしたではないか!


 先王の信頼厚く宰相までつとめた父。冷たい男だと思っていた。シルヴィアーナは、父にとって自分はただの政略の駒だと思い込んでいた。


「お義母さま……ごめ……ごめんなさい……」


 ────わたくしの首をさしあげます! どうか娘たちにお慈悲を! シルヴィアーナとアーシャベルは修道院へ行かせてください!


 後妻として嫁いできた義母。疎まれていると思っていた。歩みよろうとする慈愛の眼差しを、ただの媚だと撥ね付けて、幼稚な反発心をぶつけてしまった。


「ゆるして……アーシャ……かわいいアーシャ……」


 ────おねえさま。アーシャをぎゅっとして。天国でも、またおあいできるように。


 腹違いの幼い妹。愛情を一心に受けた無邪気さが羨ましくて、まぶしかった。近付けば妹を愛してしまうと知っていたから、頑なに遠ざけてきた。


「あああ……ああああっ!!」


 怒号をあげる血に飢えた群衆と、遅すぎる後悔に慟哭する愚かな娘。それを高見の席から見据える若き王。


 先王が崩御し、先日即位したばかりの新王フェリオス。


 即位後すぐにシルヴィアーナを棄てた男。今、しなだれかかっている愛らしい男爵令嬢を婚約者にすげ替えた裏切り者だ。長年抱え込んだ鬱屈と劣等感。どす黒い妄執が昇華する瞬間を前に、愉悦の笑みで口元が歪んでいる。


 こんな人ではなかった。シルヴィアーナが恋した少年は、光の中で優しく微笑んでいた。絶望の底で、シルヴィアーナは幼いフェリオスの記憶をなぞった。




 シルヴィアーナとフェリオスが出会ったのは、風光明媚な保養地だ。王家の直轄領だが、王族に連なる貴族にだけ解放されている。シルヴィアーナの祖母は、かつての第三王女だった。


 その春は王族をはじめ、公爵家や侯爵家、伯爵家のいくつかが保養地へ遊びにきていた。


 当時のシルヴィアーナは、義母に馴染めなかった。妊娠中の義母への反抗的な態度。それを父に嗜められて、すっかり拗ねた彼女は森の奥へ足を踏み入れたのだ。木漏れ日を浴びてトボトボ道を歩いていくと、ふいに視界が開けて、美しい湖が現れた。


 空を映す水面には光が踊り、周囲は色とりどりの花で彩られている。


「わあ! きれーい」


 帽子を押さえ、駆け出していた。シルヴィアーナはすっかり機嫌を治し、湖岸に腰かけて花冠を編む。


「あ……」


 誰かが呟いた声がした。振り返ったシルヴィアーナは、花畑に佇む一人の少年を見上げた。

 先客がいたとは気付かなかったのだろう。困ったように微笑んだ金髪の少年の、ひどく寂しそうな眼差しに、シルヴィアーナは胸をつかまれた。


 少年はフェリオスと名乗った。孤独を抱える幼い二人は、すぐうちとけた。あれこれ話をしながら、一緒に花冠を編んだ。フェリオスも母親を亡くしたという。シルヴィアーナと同じだった。亡くなった母を思い出し、シルヴィアーナは涙をこぼした。


 ひくひくとしゃくりあげるシルヴィアーナに、フェリオスは立ち上がるよう優しく促す。陽光に輝く水面。あの美しい湖岸で、フェリオスはシルヴィアーナに花冠を被せると、大切な約束をくれたのだ。


「もう泣かないで、シルヴィ。僕が君を守ってあげる」


 頬が熱い。運命の人だと信じた。胸を高鳴らせたシルヴィアーナは、こうして彼に恋をした。



 不遇な第二王子フェリオス。側室の母親と彼女の生家が、正妃との政争に破れて命を落とした。後ろ楯を失った邪魔者は、冷遇される。王妃の派閥から死を望まれ、護衛もろくにつけられず、暗殺目前という寄る辺ない身の上である。

 保養地にいたのも、虐げてなどいないというポーズでしかない。事故死でもしてくれないかと、彼は厄介がられていた。


 恋をしたシルヴィアーナはフェリオスと婚約した。シルヴィアーナの父が後ろ楯となり、王妃派閥と調整を重ねた。フェリオスはシルヴィアーナの婿として侯爵家へ臣籍降下させ、継承権を放棄させると確約し、足元をかためたのである。


 ろくな教育を受けずに放置されてきたフェリオスは、侯爵になるための勉強に苦労しているようだった。励ますシルヴィアーナに、複雑な顔で口をつぐむことがあったが、まだ二人は仲が良かった。


 フェリオスとの関係に影がさしたのは、第一王子が事故死してからだ。落馬して強く頭を打ち付けた第一王子は助からなかった。


 フェリオスには弟がいる。王妃と良好な関係を築いていた側室の子、第三王子だ。第三王子は、母親に似て聡明であったが、側室の生家の身分が低すぎた。


 結果、侯爵家の後ろ楯を持つフェリオスが、王太子となる。


 侯爵家は妹のアーシャベルが婿をとることになり、シルヴィアーナの王妃教育が始まった。王太子となったフェリオスも勉強が大変だったのだろう、暗い表情で口数が減った。

 王妃教育は過酷だったが、シルヴィアーナは歯を食いしばり、けして弱音を吐かなかった。フェリオスの負担になりたくなかったのだ。何年も血の滲むような努力を重ねる。苦悩も涙も、けして人に見せはしない。


 優雅に微笑む淑女のかがみ、シルヴィアーナ。その麗しい容姿と見事な銀髪から、王国の月光花と讃えられるまでになっていた。


 けれど、周囲の賛辞とは裏腹に、フェリオスとの関係へ決定的な亀裂が入る。多忙な時間を調整し、婚約者へ会いにいったとき、彼はボソリと呟いた。


「お前は、俺の助力などなくても、なに不自由なく悠々と生きてゆくのだろうな」

「フェリオス様……?」

「いいや。ただの戯れ言だよ、シルヴィアーナ嬢」


 シルヴィアーナは愕然とした。冷たい憎しみがこもったフェリオスの眼差し。フェリオスの妻となるため完璧を目指し続けた彼女は、いつの間にか婚約者の愛情を失っていた。


 それ以来、婚約者の同伴が必要な公務を除き、フェリオスはシルヴィアーナを遠ざけた。もうシルヴィとは呼んでくれない。

 気遣いや努力は全て裏目に出て、いよいよ婚約者の心が離れていく。


 ある日、シルヴィアーナの元へ、ある男爵令嬢の噂が聞こえてきた。実家が大きな負債を抱え、爵位を売ったとしても返済に足りず、娼館へ売り飛ばされそうなところをフェリオスが助けたらしい。どこへ行くにも男爵令嬢を侍らせて、睦まじく寄り添う姿が評判になっているという。

 分不相応な宝石とドレスで身を飾り、フェリオスにしなだれかかる彼女を、ある夜会でシルヴィアーナも目撃した。


 シルヴィアーナは苦悩した。王妃は勿論、側室でさえ、伯爵令嬢以上でなければ認められない。結婚前から妾を容認せざるを得ないなど、屈辱でしかなかった。だが、それが愛するフェリオスの望みなら、耐えるしかない。


 国王陛下が、例の男爵令嬢について息子フェリオスに苦言をていした。しかし、ほどなくして陛下は病床に臥し、呆気なく崩御された。


 王太子フェリオスが即位し、新王誕生の盛大な宴が開かれる。華やかな祝宴で、それは起こった。


「シルヴィアーナ侯爵令嬢、貴様との婚約を破棄する!」


 シルヴィアーナは耳を疑った。まったく意味がわからなかった。


「侯爵が先王陛下を弑逆し奉ったのだ! 謀反人の娘を国母になどできん。どうせ貴様が父親を唆したのだろう。逆賊どもを捕らえよ!」

「お待ちください! 何かの間違いです、陛下!」


 シルヴィアーナは家族共々捕縛された。先王陛下の遺体から、毒が検出されたという。身におぼえのない横領の疑いまでかけられて、侯爵家の罪はみるみる増えていった。


 父がやったとされる国庫の横領は、男爵令嬢の莫大な債務が、どこかへ消えた時期から始まっていた。

 侯爵家が持っていた爵位のひとつ、手頃な伯爵位あたりを、新しい婚約者の家族にやるという。


 長く後ろ楯として国王フェリオスを支え続けた侯爵家へ、一欠片の慈悲すら与えられなかった。




 断頭台へ引きずりだされた元侯爵令嬢シルヴィアーナ。愚かな彼女は、目を背けてきた救いようのない事実を受け入れた。

 フェリオスが愛してくれたのは、母親が恋しいと泣く可哀相なシルヴィだった。

 誇り高く咲き誇る月光花、侯爵令嬢シルヴィアーナではなかったのだ。


「なんてこと……なんてひどい……」


 新王フェリオスは、可哀相にマナーさえ知らない娘の肩を抱き、暗い喜びに頬を上気させている。劣等感を煽り続けた女の首が、胴から離れる瞬間を待ちわびているのがわかる。


 シルヴィアーナの頬を涙が濡らす。幼い日、花冠と大切な約束をくれた少年の面影が瞼をよぎった。


 あの日にかえりたい。

 あの日にかえりたい。

 あの日にかえりたいの。


 婚約する前の、王太子ではなかった、無力で悲しい、花冠を被せて微笑んでくれた、あの人の元へかえらせて。


 断頭台へ押さえつけられたシルヴィアーナへ、斧が一閃した。


 ぶつり。


 シルヴィアーナの意識は、そこで途絶えた。


 □


 陽光の明るさに、シルヴィアーナは目を瞬いた。ぽろぽろと涙がこぼれている。心の中へ大切にしまってあった、思い出の湖が目の前に広がっていた。


「ああ、可哀相に」


 変声期前の、澄んだ少年の声がした。振り向いて、目を見張る。幼い頃のフェリオスがそこにいた。

 そうっと自分の両手を見ると、紛れもなく子供の手だ。


 かえってこれた。

 理屈はわからない。死に際の夢かもしれない。

 それでも、かえってこれたのだと、シルヴィアーナは新たな涙を溢れさせた。


「ねえ、ちょっと立ってくれる?」


 気恥ずかしそうに、フェリオスが告げた。シルヴィアーナは知っている。これから、美しい湖を背景に、あの約束をフェリオスがくれるのだ。

 待っていた。このために戻ってきた。シルヴィアーナは胸を高鳴らせ、慎重に立ち上がる。

 向かい合うシルヴィアーナとフェリオス。捧げられた花冠が、豪奢な銀髪を可憐に彩る。


 フェリオスの幼い唇が、約束の言葉を刻む。


「もう泣かないで、シルヴィ。僕が君を守ってあげる」


「────ええ、お願い致しますわ」


 ドンと、少女の両手がフェリオスの胸を突き飛ばした。


「え……?」


 何事が起きているのか理解していない、キョトンとした表情で、フェリオスは湖岸から水の中へ落ちていった。

 溺れ、もがき、沈んでいくフェリオス。シルヴィアーナは真剣な表情で水面を見つめた。ゴボリと一際大きな気泡を最後に、湖は元通りの静けさに包まれた。


 シルヴィアーナは、ほうっと安堵の息をつく。


 この日でなければならなかった。この日だけが、最初で最後のチャンスだった。第一王子の存命中、ひとけの無い場所で、護衛さえつけられない厄介者のフェリオスでなければならなかった。


 第一王子が亡くなれば、血統の良いフェリオスが王太子に選ばれる。新しい王太子の後ろ楯になれるのは、シルヴィアーナの父しかいない。国王陛下に望まれて、再びフェリオスの婚約者になれば、同じ悲劇を辿るだろう。


 可能な限り寄り添い、支え、慈しんだ結果があれだ。二人が共存できる未来は存在しないと考えるべきだ。半端なやり方で手心を加え、ひとつでも失敗すれば、家族の死に直結する。シルヴィアーナに、これ以上の良策は思い付かなかった。


 怒りも、憎しみも、愉悦もなく、そして悔恨すら感じない。凪いだ心境で、シルヴィアーナは目を閉じ、神に祈るように手を組んだ。


「ありがとう存じます、フェリオス陛下。わたくし、あなたの献身を無駄にせぬよう、必ずや幸せになってみせますね」


 水底の彼へ謝意を捧げる。


 再び目を開けた彼女は、国母になるべく研鑽した思考を巡らせた。

 不幸な事故の目撃者として、悲鳴をあげて戻るべきか。

 知らん顔で立ち去ったほうが後腐れがないか。


 蘇生できなくなる時間を冷静にはかり、シルヴィアーナは事後処理を考えた。


 計画をたてた彼女は、湖畔の風景に目を細め、葬り去った悲しい未来へ背を向けた。これから家族の元に戻るのだと思うと、大きな喜びで胸が踊る。


「お父様とお義母様に、まず謝るのよ、シルヴィアーナ。きっとゆるしてくださるわ。それから、お義母様といっしょに小さな靴下を編んで、アーシャを待つの。会いたいわ、みんなに会いたい。なんて素敵なのかしら」


 シルヴィアーナはスカートの裾を片手で摘まんで、咲き乱れる花の中、軽快にステップを踏む。まるで、月光花の妖精が春を祝福するような、神々しい光景だ。


 これほど見事な舞だというのに、観客は誰一人いなかった。

  • ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねで応援
受付停止中
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想は受け付けておりません。
イチオシレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。