軍人勅諭と動物愛護法

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キチガイに刃物という言葉があるが、刃物があるから人間はキチガイになる。軍人勅諭というものがあるが、天皇を崇拝しているから軍人勅諭を作ったわけではなく、明治初期の頃は誰も天皇など崇拝してないから崇拝させようとしたわけである。江戸時代までは兵農分離だったのが、明治になって農民を兵隊にしようとして、その徴兵制のスローガンのための軍人勅諭である。そして天皇崇拝は日本国民に浸透し、80年くらいで日本列島は焦土になった。動物愛護法という毒薬もわれわれの体内を回り始めているが、人間はいつもこうやって内面からなにかに噛みつかれて、道徳教育されている。吸血鬼に噛まれて吸血鬼になるのと似ていて、いつのまにか他人を噛んだりもする。私人逮捕という言葉が流行っているが、私人逮捕する輩は稀であるとしても、法律を武器にした抗議活動はたくさんあるわけだ。動物愛護であれば、役所にしつこく電話したり、警察に繰り返し訪問して被害届を受理させたり、行政への働きかけがしぶとい。警察に通報する人こそが権力を成り立たせているから、下っ端の窓口担当者が迷惑とはいえ、願ったり叶ったりなのだろう。早朝に玄関を叩く警察とか、抗議活動に奔走する特殊市民がわれわれの内面を作り出している。自分で自分の内面を決めるなどなく、その時代の法や国家権力とか、その法を武器にする民間勢力によって、見えない檻に入れられて蹂躙されるのである。あとから見れば、醜悪な地層としてまがまがしい色合いを放つのだが、われわれは限られた生命を持ち、ひとつの時代を生きているので、離脱する自由はないし、同時代人とお互いに監視したり監視されたり、いつも他人を内面化しながら生きるのである。動物愛護法という刃物は、これからたくさんのキチガイを作り出すし、これによって繁殖した動物が人間に襲いかかることになる。愛護団体は「犬と猫だけ特別扱いか」と揶揄されるので、意地になって、他の動物も守ろうとするらしい。これにより日本列島が野生動物で埋め尽くされ、人間の死体が転がるのである。
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