育ての親と子という関係…羽生結弦がANAと歩んだ10年の歴史「子はまた親となり、その子に利害をこえた愛をそそぐ」

日野百草
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日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

ANAと歩んだ10年の歴史

 2023年9月末、全日本空輸(ANA)が羽生結弦との契約満了を発表した。

「2023年9月末の契約期間満了に伴い、羽生結弦選手との契約は終了いたしました。

(羽生選手事務所との取り決めにより、一部コンテンツについては、2023年12月末まで掲載し、グッズも一部は継続販売いたします)10年の歴史に感謝の意を表するとともに、益々のご活躍を心よりお祈りしております。」(ANA「スポンサーシップ競技・選手紹介」欄より)

「10年の歴史」

 そう、羽生結弦とANAには10年の「歴史」があった。ただのスポンサー契約ではない「歴史」である。

「育ての親と子」という関係

 羽生結弦という存在はフィギュアスケートの世界に限らない「歴史上の人物」であることは疑うまでもない。だからこそ、見識高くそれをよく知る組織であるANAは「歴史」とした。

 この最大限のリスペクトと、ANAの羽生結弦に対するスポンサーという関係にとどまらない「育ての親と子」という関係は、先に拙筆『ANA「機内や空港で会うあなたは、いつも前を向いていた」羽生結弦との契約終了、全日空の涙…いつまでもスポンサーであったほうが企業としては得だが』に書いた。

 現在の羽生結弦に比べれば、あまりにも「何者になるかわからない青年」だった2013年の時点でスポンサードを決意したANAは間違いなく「彗眼」だった。

次々と成功させる「超優良コンテンツ」を手放した

 その「歴史」は近代舞踏すべての歴史を変えた天才バレエダンサー、ヴァツラーフ・ニジンスキーと実業家、セルゲイ・ディアギレフのように名を残すだろう。ましてやディアギレフのように最後までニジンスキーを興行師として、自身の顕示欲のために利用したりせず、「どうぞ羽ばたきなさい」と、冬季五輪二大会の連続金メダリストでスーパースラム達成者、かつ公演をプロとして次々と成功させる「超優良コンテンツ」を手放した。

 羽生結弦のために、羽生結弦をよく知る「育ての親」だからこそ。

 羽生結弦は『PROLOGUE』『GIFT』『notte stellata』と立て続けに成功をおさめた。さいたまスーパーアリーナ、SAGAアリーナ、ぴあアリーナMMの単独公演『RE_PRAY』チケットも一瞬にして売りきった。どのアリーナの席も一瞬で埋める、これはフィギュアスケートである。まして羽生結弦の単独公演である。まさに、羽生結弦という存在はこれまでの歴史上「ありえない存在」という他ない。

 それでも、ANAは、快く羽生結弦を送り出した。

 日本人男子選手として初めてATPツアー優勝、ウィンブルドン通算7勝の松岡修造はじめ、多くのアスリートにエ影響を与えた山本鈴美香の名作『エースをねらえ!』には主人公のテニスプレーヤー、岡ひろみを巡るこうした下りがある。

「親は子をそだてる。利害をこえて。子は成長し、そだてられたその愛を、その恩をかえそうとする。けれど、そだてられた愛は、恩はあまりに大きすぎて、生涯かけても直接、親にかえすことはできない。だから、子はまた親となり、その子に利害をこえた愛をそそぐ。それが恩をかえす、ただひとつの道」(※1)

羽生結弦と共に歩む、たくさんの人々が「線」ということになるだろう

 本編中でこの「親」は恩師である宗方仁コーチで、「子」は岡ひろみ、そしてその子はたくさんの後輩、という下りだが、育ての親のひとりがANAとするなら羽生結弦は子、そして羽生結弦の子は「この子たち」と彼の言う通り、たくさんの彼の「プログラム」ということになる。ANAが育てた羽生結弦という子が、たくさんの珠玉のプログラムという子を生んだ。

 またこの下りには続きもある。

「きみがだれかとつながれば、線はまたのびる。時の流れの中で、ひとりの人間は点のようなものだけど、点もつながれば線になる」(※2)

 羽生結弦と共に歩む、たくさんの人々が「線」ということになるだろう。ANA、羽生結弦、プログラム、そして共に歩むたくさんの人々、歴史とはこうして創られる。故に私たち「羽生結弦と共に歩む、たくさんの人々」もまた歴史を創る一員である。これほどまでにANAと羽生結弦の10年の歴史とは尊い「時の流れ」だったのだ。

ANAが「世界で活躍する羽生に共感」として名乗り出た

 少し長めの前置きとなったが、繰り返してこれを踏まえなければ、ANAと羽生結弦の「歴史」は語れない。

 私はまだ、この「歴史」を語り尽くせていない。

 故にいま一度、羽生結弦とANAの「歴史」を振り返ってみようと思う。

 2013年、早稲田大学の1年生だった羽生結弦はANAと所属契約を結んだ。東北高校を卒業後は所属先未定の状態だったが、ANAは「世界で活躍する羽生に共感」としてスポンサーに名乗り出た。

 全日本選手権王者、世界選手権銅メダリストとしてこれからという時にもかかわらず、2011年の震災を経て、練習リンクの費用負担や遠征費、練習拠点のカナダとの往復など金銭面で厳しい状況は続いていた。

道は遠くて険しいが、支援を受けながら羽ばたいていきたい

 しかし羽生結弦の真摯な姿勢と大望、そして人々に寄り添い続ける活動という社会性が、ANAの共感を生んだ。

 羽生結弦は当時の会見で「ジャンプを跳ぶことは『翼』や『羽』というイメージがあり、ANAと共通点があってうれしい」「道は遠くて険しいが、支援を受けながら羽ばたいていきたい」と語っている。(※3)(※4)

 まさに羽生結弦という不世出の『羽』がANAと共にはばたく「歴史」の10年、その始まりであった。

(続)

※出典
1.山本鈴美香・著『エースをねらえ!』第6巻、ホーム社漫画文庫、発行:ホーム社、発売:集英社、2002年8月14日初版、264頁。
2.前掲書・山本、265頁。
3.『羽生結弦、全日空と所属契約「支援受けて羽ばたいていきたい」』スポーツニッポン、2013年7月1日。
4.『羽生 ANAと所属契約 ソチ五輪メダルへ超強力サポート』スポーツニッポン、2013年7月2日。

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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