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つごもり

この感情に付けし名は

この感情に付けし名は - つごもりの小説 - pixiv
この感情に付けし名は - つごもりの小説 - pixiv
22,223文字
プレイヤーさんとリオセスリさんの話
この感情に付けし名は
※今回のお話には、
・乱暴な表現
・夢主の嘔吐シーン
・リオセスリの伝説任務、キャラストーリーの内容等が含まれます。お読みの際はご注意ください。

伝説任務……すごかったですね……、本当に…………。
どうにかこうにか幸せになってほしくて、私なりに頑張って書いてみました。

今回は魔神任務第四章第三幕~四幕→リオセスリの伝説任務へと立ち会うゲームプレイヤーさんと、リオセスリさんのお話です。流石にシリアスさが目立ちますが、最後はいつものハッピーエンドです。
よろしくお願いいたします。

…あ、ちなみにおみくじ当たりました~~~~!!!!
30日目にしてようやくです!なんでや!!(^q^)
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2023年11月1日 10:02

 綺麗なものを見たら「綺麗だな」って思うだろ? ――それくらい単純で、それくらい純粋なもんだった。
 子供が海辺で滑らかな石を見つけ、そっとポケットに仕舞いこむように。大空へ自由に羽ばたく美しい蝶に、届かぬ両手を伸ばすように。――憧れに似た感情は明瞭で、それだけで目を引く美しさがそこにはあった。

 俺は、……俺は知らなかったんだよ。あんたに出会うまで、こんな―――こんなにも苦しい程の、生きた重い感情を。







「コーヒーをテイクアウトで一つ。……ああ、ミルクは入れといてくれ」
 カフェ・ルツェルンの朝は早い。アルエ店主は日が昇る前から作業を始め、人々の仕事の前の一杯にとコーヒーを間に合わせることが出来る男だ。
 しかし例え朝日が昇ったとしても、彼の店前はどこか薄暗い。それはフォンテーヌ廷の背の高い建築様式と、差し込む日光の角度のせいだろう。……だが俺にはそれぐらいが丁度良かった。なにせあまり明るくない場所には慣れているからな。
 店主がコーヒーを用意している間、俺はぐるりと辺りを見回した。…何気なく、ただの短い時間つぶしであったが――ふと、あるテーブルに目が留まる。俺はその人物に気取られぬよう何気なく視界に収めた後、背を向けていたアルエ店主にもう一度声をかけた。

「店主、すまないがテイクアウトは取りやめてくれ。やっぱり出来立てのコーヒーはここで頂くとしよう――」

 まだ水の下へと戻るには……今日はもう少し、時間の余裕があったはずだからな。



 俺はカウンターのすぐ傍のテーブルへと座り、ほどなくして運ばれてきた熱いコーヒーカップを受け取った。揺らめく漆黒に添えられたミルクを落とせば、ぽとん、と小さな冠が落ちる。そこからじわりと互いが交われば……もはや最初の黒と白には戻らない。戻れない。交わって…また、別のものに。苦みのある其れはひどく和らぎ、優しい口当たりに甘さが滲む。
 ばさり、と俺はちょうど買っていた朝刊を手元に広げた。情報源は多いに越したことはないが、今日はスチームバード新聞社のものを選んだ。慣れた視線で本日の天気予報の欄を確認した後――っと、今日は晴れか。そりゃあいい。そして一面の見出しやいくつかの記事に視線を流すが………これといって、目新しいものはなった。…残念だ。先日の記事は、とても興味深いものだったのだが。
 俺はコーヒーカップに手を伸ばし、こくりと一口、喉を潤した。視線は新聞に落としたままだったが―――耳は、音を聞き分けるように別のテーブルへと意識を研ぎ澄ませる。

「それでね。今日はまた、海の探索をしようと思うんだけど…」
「なんでだよ! オイラたち、昨日も海に潜っただろ!?」
「…一応、理由を聞いてもいい?」
「いや……まだなんか強い敵がいて……倒したらアチーブメントがもらえるって聞いて……」
「昨日あんなに苦労して一匹やっつけたのに!?」

 ワイワイと、賑やかで、色鮮やかな声が響く。俺のテーブルから少し離れたそこには、三人のお嬢さんたちが冒険の話に花を咲かせていた。

「(金髪の、異邦の旅人一行…)」
 先日のスチームバード新聞社の記事には、世間を騒がせていた「連続少女失踪事件」の解決について、棘薔薇の会の長であるナヴィアさんのインタビューが取り上げられていた。彼女の告発は見事であったが、同時にその裏ではあの旅人たちの協力が必要不可欠であったと…。ナヴィアさんは彼女たちに、深い信頼と感謝の気持ちを寄せていた。
 その前の記事でも、あの旅人たちは大きく取り上げられていた。有名な魔術師、リネくんのマジックショーの突発事件…。彼が壁炉の家の人間であると知っても、最終的に彼女たちはフリーナ様の原告に打ち勝った。――そして同時に「原始胎海の水」なんてものを暴き出し、人を溶かす水の存在を世間に知らしめてしまったのだ。
 部下にも少し調べさせたが、旅人たちは以前にも各国で、大きな功績を成し遂げていると聞く。このフォンテーヌでも嵐を巻き起こすつもりなのかは、正直現段階ではわからない。……だが用心しておくに越したことはないだろう。大きな力は、時に脅威となる。
「(…………)」
 カップを…もう一口、ゆっくりと。味わい深く傾け、その熱がほうと吐息に交じる。……何もなければそれでいい。だがせっかくの機会だ、少し探らせてもらうとしよう。


 …そう思ってしばらくの間。俺は味気のない朝刊に目を滑らせながら……甘く他愛もないような、そして時にはバブルオレンジが弾けるような。みずみずしい爽やかな期待と、冒険心溢れる甘美なる未知への探求を――ただひっそりと、耳に残していった。



「(ああ………眩しい、な)」
 そう思った時の俺の瞳は、きっと――ミルクを入れる前のブラックコーヒーのようだっただろう。


 
 金髪の旅人は…おそらく腕が立つ。聡明な判断力を持っていて、見た目よりも大人びて見えた。空飛ぶ小さなお嬢ちゃんは…ちょっと食いしん坊だな。だが発言力もあって、元気で前向きだ。彼女はこの旅のムードメーカーなんだろう。そして、もう一人のお嬢さんは―――
「それでね…ふふっ、もうパイモンちゃんったら――」

 ―――嗚呼、ひどく「善人」に見える。

 …謙虚さと、多少の内気さ。純粋さ…。見た目がどうこうという問題ではなく、ただ美しいとそれだけで思えた。――明らかに、水の上の存在。俺とは決して交わらないような、眩しい光だ。
 女性だけの旅路は、大変なことも多かっただろう。それでもこれほどに純粋で居られるのはもはや美徳としか言いようがない。…どうかその顔が仮面ではなく、本心からの笑みだと祈るばかりに。
「(…………………)」
 コトリと、カップをソーサーに置いた。もう中身は残り少なくなっている。……ん? なんだ、随分と時間が早いじゃないか。俺はまださっき来たばかりのはずなのに。
 今日の冒険について話し合う彼女たちに向けて、一度大きく、だが素っ気なく顔ごと視線を向けてみた。―――ああ、やっぱり気が付かない。背中を向けている金髪のお嬢ちゃんたちはともかく、正面ではなくともあんたには俺が視界に入るはずだろう? …気が付く以前に、疑ってないんだよな。まさか俺が会話を盗み聞きしているだなんて――そんな初対面の見知らぬ人間から、疑惑の眼差しを向けられていただなんて。
「……」
 ふう、と溜息吐いて、俺は視線を正面に戻した。…ああいう人間に、メロピデ要塞は向かない。まあそもそも、来るはずもないんだが。
 …だが久しぶりに、眩しい太陽を拝んだ気がした。美しくて…ただ綺麗で、眩しい。俺が昔に無くしたたくさんのものを……きっと、彼女はまだ持っている。大事に抱えて、今も生きている。…そういう人間がまだ、水の上に存在している。
「(なんだか、無性に気分が良いな……)」

 ――まるで、博物館のガラスの向こうの展示物のように。手折ったら死んでしまう野に咲く花のように。

 俺はただ手を出さずに遠くから、そっとまた耳を傾けた。…相変わらず他愛のない言の葉が風に揺らめていて、甘い吐息のように暖かく流れてくる。微睡むような心地よい時は移ろいでいき……次第に高く昇り始めた太陽が、カフェの中へと光を差し込んでいった。
「(そろそろ時間だな…。どうか、あんたらが素敵な日を過ごせますように)」
 そして、その眩しい光が俺のブーツを照らしてしまう前に……ひそりと、テーブルを後にしたのだった。











 ―――――――――だが。

「公爵様! 新しい収監登録リストをお持ちしました」

 …どうして綺麗な人間が、この凍てつく要塞の門を潜らなければならない?

「(囚人ナンバー7459番…、7560番…、……――ッッ!)」
 リストの文字に目をやりながら、ギリ、と思わず奥歯を噛み締めた。どうして俺がそうしたのかは分からない…。――ただ、何かがとても耐えがたかったんだ。
「(罪状…フリーナ様宛てのケーキを食って、政の中心を凍り付かせた? …冗談はよしてくれよ、ヌヴィレットさん。これはあんたからの差し金だ)」
 食い違った諭示機の有罪。スネージナヤの執行官「公子」の失踪。スパイの侵入、――処理。後に続く壁炉の家の子供たちに―――そして、件の旅人たち。
 これだけの面子と、条件がそろっちまった。今後メロピデ要塞では近いうちに、何かしらの問題が起きるだろう。水の底の生活は決して悪いものじゃないが、水の上とは何もかもが違う。……ああいう善人は、それだけで違法行為の格好の餌食となりやすい。

「(………気を配って、やらないと)」

 ヌヴィレットさんのお客さんだから、とか。潜入の目的はなんだ、とか…。そんなことはもう二の次になっていた。
「……………」
 リストに書かれた、彼女の名を指でなぞる。ツ…、と表面をなぞったその乾いた手は、そのままゆっくりとページをめくっていった。一枚、一枚…と文字列を追ったその後に、最後の余った空白が目に留まる。

 ――それは天高く飛ぶ鳥のように。花の蜜を吸う蝶のように。…住む世界が違う、決して交わることのなかった深海の底へと。

「(まだ…足りない情報があるな)」
 俺は執務室の机の上からペンを抜き取り、サラサラとその一筆を滑らせた。…彼女の趣味なんざ書き加えて、俺はいったいどうするつもりだったんだろうな。………ほとんど、無意識だったんだ。全てが。


 ――だってあんたは綺麗なまんま……俺の手がすぐ届くところへと、自らの意思で降りてきちまったんだから。




「…ようこそ、メロピデ要塞へ」
 そこからはもう、ただ転がり落ちる石のように。…まったく哀れで滑稽なもんだったよ。笑っちまうよな、本当。



「あなたが、「公爵」リオセスリ……?」
「ああそうだ。俺の事を知っているのかい?」

 …初めて、あんたの瞳に映った。この名を呼ばれて、僅かだがドキリと息が詰まる様な感覚を覚えた。
 緊張したようなその目は俺に警戒心を抱き、それに何故か俺を安心をしていた。…そうだ、それでいい。ここではずっと警戒を解かないでくれ。

「う、わ…。ここのご飯、すごく美味しい…!」
「今日は俺のほうからウォルジーさんに、くじを引かなくてもいいよう頼んだのさ」
「そうなの…? あ、ありがとう、ございます…。美味しい…!」
「ふふっ、とっても素直で可愛い子。公爵もそう思わない?」
「はあ…、看護師長……」

 …だがそう思った矢先にこれだ。俺は内部の案内をして、良い食事を一回分手配してやっただけだぞ。
 これじゃあまるでただの餌付けだ。それだけの男に警戒を緩めるんじゃない。……だが嬉しそうに食事をする姿は、見ていてそう悪いもんじゃなかった。

「ひっ…! こ、これが三日目に起こる「よくないこと」…? う、ううう。でも、せっかくのご飯だし……食べる!」
「うわああ~! 無理するんじゃないぞ! オイラまだおまえを失いたくないぞ~!」
「…………………………あら? 公爵もあの子たちが心配? 最近とても頑張り屋さんだったから――」
「………」
「…公爵? …!」

 執務室で報告を待てばいい彼女たちの動向を、自らの目で確認していたのはなぜだろうか。
 ふとした瞬間に目線が奪われて……時が止まるような、錯覚を覚えた。呼吸も忘れるようなその一瞬に、俺は何を想っていたのだろうか。

「フリミネとリネットを見逃してほしい」
「わ…私も、フリミネくんとリネットちゃんを助けたい…! リオセスリ…!」
「……」

 震えた声で俺に歯向かうくせに、その瞳の奥はどこまでも真っ直ぐだった。そこのリネくんと同じように、憎むような目を俺に向けたらいいと思っていた。……それなのに、彼女の芯の強さは揺るがなかった。――それは看護師長がリネくんに銃口を向けた後も、変わらずに。
 絶えず俺の名前を呼び続ける声に滲んでいたのは「信頼」だ。挑発するような俺の態度に対し、疑惑の底で揺れるあんたの心情の中で……これだけが、凛として俺を放さなかった。
 …心の底では信じていたんだろう、俺が完全な悪人ではないことを。たかが数日前に出会ったばかりの、赤の他人であるはずのこの俺の事を。…侵入者と、要塞を取り締まる管理者だぞ? そこに信頼関係が置けると、本気でそう思っていたのかい…? ……だが残念ながらあんたが思うほど、俺は綺麗な人間じゃない。この両手はすでに――罪で染まり切ってしまっている。

 ……「よしてくれ」と、本気でそう思った。眩しいあんたに、これ以上耐えられなかったんだ。
 ずるずると、確実に引きずられている感覚がする。落ちる場所なんてもう何処にもないのに――ただひたすらに、その光が、あんたが。…ぬくもりが欲しいと、喉が渇きを訴えて獣のように低く唸った。


 ――それなのに。


「リオセスリ!! 怪我は…、体調は…!? 原始胎海の水、体は溶けてな………! うう…っ、」
「お……おいおい、これはどういうことだ…? シャバに出た囚人が戻って来たかと思ったら…どうして俺は泣きつかれているんだい?」 
「こいつ…ずっとおまえの事を心配してたんだぞ。あの脱出の時、原始胎海の水に少しでも濡れちゃったんじゃないかって」
「私も流石に大丈夫って言ったんだけど……。実際に人が水になるところを見たから、かなりトラウマだったみたい」

 その心配と安堵にぼろぼろと落ちる涙が、これ以上なく美しいものに見えた。俺のために流されたその想いの雫の全てが――この上なく、『愛しい』と感じた。

 そっと…俺はその雫を指ですくい、慰めるように頬を滑らせる。彼女に比べればガサツな俺の指先に感じたのは…頬の熱と、涙の体温。湿度…。―――そして感情を狂わせるほどの、熱い、何か。
「(―――まずい、)」

 ――思わず、ごくりと喉が鳴る。

 駄目だ。放せ。離れろ。と脳が警鐘を鳴らしたのに――俺の手はピクリともそこを動かなかった。罪で汚れたこの手は彼女を、その無垢な体をしっかりと掴んで放さない。…腹の底の獣は待ちに待ったように緩く口を開き、隠していた鋭い牙を見せつける。本性をあらわにさせ目の前の獲物へと――ピタリと、その狙いの先を定めた。


 ――なあ、もう少しだけ……水の下に居てくれたって構わないだろ?


「リオセスリが、無事でよかった」
 そう綺麗に笑って泣くあんたに、俺もまた公爵らしい上品な微笑みを返す。心の中ではジャラジャラとした重い鎖があんたに絡みつき、この海底から逃げられないようにと――いくつもの策を瞬時に練っていた。…ああ、その中でも一番穏便で気が付かれず…確実にあんたを留める方法をちょうど一つ思いついてしまったな。いや…本当は最初から、解っていてリストに書き加えていたのかもしれない。いつから「その熱」を宿していたかなんて、ぐちゃぐちゃでもう俺にもわからなくなっていたんだ。
 かつての寓話の人魚姫は、地上の王子に恋をし、彼のために人の足を手に入れた。――だが此度の物語はひどく残念な終わりを迎える。優しい王子は人の頼みで深海へと赴き、そこで狂暴な鮫に襲われてしまうのだ。…きっと地上に居たかもしれない未来のフィアンセとは、永遠に結ばれることはないのだろう。
「(たとえ…あんたが、本気で拒絶しない限り、俺は――……)」
 …静かに瞳を閉じたその先で、俺は言い訳じみた御託を並べる。手放す気はない、諦める気もない。ズルズルと――ただズルズルと。暗くて深い海の底へと、あんたを引きずり落とす……その方法ばかりを、考えてしまう。


 いつの間にか俺はあんたを腕の中に閉じ込めたいだけの――ただの海獣と、成り下がっていたのだ。




 そして見事、あんたは俺の元へとぐらつき――そして傾いてしまった。青空へ戻ろうとする彼女を深海から手招き、徐々に体力を蝕み、呼吸を奪った。この手に余るほどの、業の深さを重ねながら……それでいて、少しの後悔もしていない。

 目を隠してやれば罪は映らない。口を塞いでやれば水の上とそう変わらない。それでもあんたが「好きだ」と言葉にするたび……その変わらぬ眩しさと向けられた恋情に、俺はとんでもなく幸せなやつだと思った。――はっ、まるでどこかで聞いた話みたいだろ。
 俺は一般的における「恋愛感情」を軽んじたことはない。何せメロピデ要塞に収監される者のいくらかは…そういった痴情のもつれから来ている。身を滅ぼすほどの想いやら、気が狂うほどの劣情など―――頭では理解はしてやっても、本当の意味で共感することはなかった。……だが、今ならわからなくもない。「あんた以外何もいらない」、「何をしてでもあんたを守りたい」……そんな危険で迂闊な言葉が、思わず喉から滑り落ちそうになる。
 息を吸うのも苦しかった。嘘のない真っ当な幸福感が喉を焼き、満たされてもまた何度でも欲しがって確認した。…暖かくて優しい彼女の胸に頭を埋める度に、ふと、どこか泣きたい程に縋るような気持ちになる事もあった。…きっと、二度と得ることはないと諦めていたんだろう。期待することすら忘れて、ただ流れるように生きていただけなんだろう。――失った仮初の幸せ以上の、心からの穏やかなこの気持ちを。

「(俺が出来る限りの最善を尽くそう。保証はできないが、最大限の幸せを感じて未来を生きてほしい。……もちろん、俺を選んだことを後悔させないためにもな)」

 執務室でペンを滑らせていたら……ふと、脳裏にあの能天気な顔が浮かんだ。明るく俺の名を呼んで笑ったかと思えば、今度はおみくじが当たらないと頬を膨らませる。
「…ッ、くく……」
 思わず顔が緩んでしまい、クツクツと笑うような息がこぼれた。…最近、看護師長にもよく表情の指摘をされる。「とっても良い傾向だと思うのよ。ウチも嬉しいわ!」、だなんて……メロピデ要塞の管理者として、どうなんだって思わないかい?

 ……だが俺がいくらこの地に根を張ろうとも。どれだけの根回しを行い、熟考の末の運用を立てても――。十人十色の囚人たちは、時に嘲笑うように俺の平穏に爪を立てる。

「公爵様、失礼します。「制帽の会」の件でご報告が――」
「……ああ、入ってくれ」

 ひどく残念なことだ。俺はただ何の変哲もない、穏やかで笑って過ごせる……変わらない明日が欲しいだけなのにな。



◇◆◇


 私は昔から、深い感情移入――または、何かを自分に投影しやすい傾向にあった。
 例えば嬉しい話を聞いたら自分のことように心が弾むし、悲しい物語を読んだら本当に自分が経験したように泣いてしまう。…その程度。でもその中でもとりわけ負の感情には傾きやすく、時には自分の意思で抑えられないほどに涙が止まらなくなることもあった。…でももし感情が溢れてしまっても、一人で時間をかければいずれ、どれもが問題なく落ち着いていってくれた。だから旅の迷惑になることなんてなかったんだ。………そう、今までは。

 ――私はその時、リオセスリの隣に立っていたことを後悔してしまった。ああ――もちろん、「リオセスリの隣」を後悔したわけじゃない。彼と一緒に間近で見てしまった………その痛々しい、傷口のことだ。

「やはりな…どいつも頭に傷がある。中空の棘が丸ごと埋め込まれているようだ」
「ヒィッ!?」
 低く淡々と状況を確認するリオセスリの後ろで、パイモンちゃんが短く悲鳴を上げた。私も……彼女が間近で見なくて良かった思う。だって人の頭部から――、髪の隙間から――あんな金属片が何本も、何本も――――

「…大丈夫?」

 思わず後退していた私の肩を叩いたのは、心配そうな顔をしていた蛍ちゃんだった。こんな事があってもまるで動じていない彼女は――いったいどれだけの旅を繰り広げてきたのだろうか。
「だ、…大丈夫。ありがとう、ちょっとびっくりしただけ」
 ――どくり。どくり。と心臓が嫌な音を立てる。考えるな――絶対に考えるな。頭にあの金の棘が差される瞬間を。その痛みを。「恐怖」を直接脳に注入される思いを。悲鳴を――。引きずられるな…私はまだ、自分の身にはなにもされていないのだから。
 リオセスリは事件の状況確認に手いっぱいの様子だ。囚人たち一人一人に目をやる彼は、一度もこちらを振り返ることはない。…当たり前だ、事は一刻を争う。
 次第に看守たちはリオセスリから指示をもらい、私たちも辺りの捜索を行った。……こういう時、本当に嫌になる。私だけが心の弱い人間だった。今まで人の悪意などさんざん見てきたはずなのに……まるで純情ぶるように、感情が悲鳴を上げる。ああ…慣れていないんだ、……本当に。


 次に脳が揺さぶられたのは、廃棄されたエリアで拾った、拇印が押された一枚の乱雑なメモだった。思わず……持ち上げていた手が、震えてしまった。
『私は二度と逃げません。私は許しがあった時以外喋りません。私は――』
 家畜以下の扱いを受けた、規則とは名ばかりの極悪非道に虐げられた囚人たち。これを書いた人は…確かに私と同じ、血の通った人間であるはずなのに。ぐしゃぐしゃになって押されたその指の形は、その色が赤黒く変色しても狂気をそこに残し続けていた。
「(はあっ、…はあっ…)」
 ――上ずった呼吸が、肺の中を巡る。ドクドクと心臓は早鐘を打ち、何故かメモを握っていた親指が――その指の腹が、ぷつりと切れたように熱を持った気がした。
「(あ―――)」
 …このまま痛みと共に押し込めば、きっとこんな拇印になるだろう。鉄の匂いがひどく滴る、ぼたぼたとインクが枯れる事のない、こんな――――

 ……すっ、と。突然…メモの歪んだ字の上を、大きな黒い手のひらが私の視界から隠すように覆った。…その感覚にハッと現実を思い出すほどには――この強い恐怖と狂気の塊に、飲み込まれるように没入してしまっていたらしい。

「ぁ……」
 その手に沿うように顔を持ち上げれば――私を見下ろすリオセスリと目が合った。びっくりした……こんなもすぐ傍に立っているのに、どうして私は気が付かなかったんだろう。いけない…本当に今回はまずいかもしれない。
「…あまり、あんたにはオススメしない文面だ。深入りしすぎるのはよせ、いいな?」
 …漆黒の瞳孔の感情は読めない。だが探る様に私を一点に見つめた後―――ふと、安心させるように目元を和らげて笑った。
「全て片付いたらまたお茶にしよう。暖かい紅茶に…たまにはケーキでもつけるかい?」

 その時の行動は実に滑らかで…リオセスリの方を見上げていた私は、すぐには気が付かなかったものだ。

「う、うん…そうだね。楽しみにしてる」
 リオセスリは私の手元から手早くそのメモを引き抜き、そっと裏返して近くの箱の上へと戻した。そしてそのままエスコートでもするように肩を抱いて部屋を出るものだから……私も、完全に意識からメモの事が抜け落ちてしまう。
 ああ…ずるいなあとすら思えるその見事な手腕に、逆に彼の隣を少し申し訳なく思ってしまった。…私は、そんなたいそうな人間じゃない。どれだけリオセスリが大切に想ってくれても……あなたみたいに、強くはなれないのだ。

 だけれど確実にそのひと時のおかげで、私は落ち着いて呼吸をする方法を思い出せていた。廃棄されたこのエリアの奥は深く入り組んでいたが、リオセスリが傍にいてくれたおかげもあり、複雑な装置も無事に解除が進んでいく――。そして、もうそろそろ最奥へと着いても良いだろうと…思った、その直前―――



 …私の感情の濁流は、ついに抑えきれなくなってしまった。



「やめろ! 近づくな、面倒事に巻き込むなああ!」
「助けて……、助けて……。ごめんなさい……ごめんなさい……」
「食べ物…、食べ物…、食べ物……」

「――――……ッ」
 牢屋に閉じ込められ、残された人々。そのほとんどの意識は崩壊しており、まともな会話が出来る状況にない。…そして現場に残されたいくつもの血痕。ぬぐい切れない何かの腐ったような匂い。僅かならに、人であった証の――散っていった紙きれの言葉たち。
 ここで、何かが行われていた。…ここで、何が行われていた? その一つ一つの痕跡が嫌に目につき、頭の中で存在しない記憶を塗り上げ、私の身に追体験させるように降りかかってしまう。
「ぅ――、」
 ………立ち込める悪意と、受け入れがたいほどの嫌悪感。胃の底から湧き上がった酸が、天地がひっくり返ったように喉を焼き、せり上がる、上がる―――
「…ぷ……う、ぐ…っ、うぇ、…………――――――ッッ!!」

 …私はその場の隅に、顔を下げて蹲ったのだった。

「ハァーーッ、ハァーーッ…、ハァーーッ……」
「な、…ッ! おい…、おい大丈夫か! 無理するな!」
 突然崩れ落ちた私に、真っ先に駆け寄って来てくれたのはリオセスリだった。私の名前を何度も呼びかけ、暖かくなるほどに背中を大きくさすってくれる。…幸いにも食事はとっていなかったから、口から出るものはほとんどなかった。
「安心しろ、あんたは無事だ! 何もされちゃいない…! ――ッ、すまない……巻き込むべきじゃなかった……」
 ヒュー、ヒュー、と喉の奥が焼ける。ブルブルと音を立てて震える肩に、リオセスリは少しの躊躇いもなく自分の上着を掛けてくれた。……暖かい。まだリオセスリの体温が残っていて、ひどく安心できる。………でも。
「だ、め……汚れ、ちゃ……ッ」
 今の私はとても汚い。だからやんわりと断ろうと視線を向けたのに――どうしてかリオセスリは私以上に、苦しんでいるように顔を歪ませていた。ああ……嫌だ、嫌だ。どうして、そんな…。――そんな顔は、少しも見たくない。リオセスリが苦しむ姿なんて、私はこれっぽっちも見たくなんかないのに。
 じわり…と滲んだ涙に、思わずくしゃりと、私の顔も同じように歪んでしまった。…それに気が付いたリオセスリはただ困ったように笑って、私の背をゆっくりと、自分の上着の上からまた撫でるだけだった。
「あんたが出したもんくらい少しも気にしないさ。……待ってろ、何か拭くものと、飲めるものがないか聞いてくる」
 …そうして再度にひときわ大きく背中をさすってくれた後に。続いて様子を見に来てくれた蛍ちゃんたちへと、リオセスリは事情を話してくれたのだった。



 今日ほど…自分が無力で、迷惑をかけてしまったと思ったことはない。

 …あの後、結果から言えば「制帽の会」の事件は解決した。あの場に居た全ての囚人たちは看守に保護され、首謀であるドゥジェーはリオセスリによって拘束された。
 あれからリオセスリは最後まで私の同行を拒否し続け、看守と共に先に戻るべきだと訴えていた。…だが私と蛍ちゃんたちは、本当の意味での別行動はできない。一緒に進む、進ませてほしいと何度もお願いすれば、長い溜息を吐いた末に最終的には同意をしてもらえた。………だが、もしあの場に私が居なければ。私が最初から気丈に振舞えていれば。私が――もっと、もっと強ければ。こんな言い合いをすることもなく、もっと簡潔に事件は解決していただろう。
 リオセスリはあれやこれやと要塞内を駆け巡り、約束していた執務室へと戻ったのはもう十分に遅い時間になってからだった。手早く私たちに挨拶を済ませた後、まだしばらく後始末があるからと……二日後に食事会の約束を取り付ける。そしてまた仕事に戻らなければと、急ぐように部屋から出ていってしまったのだった。―――私に、預けたままの上着を残して。

『リオセスリ、これ…ありがとう。多分汚してないとは、思うんだけど…』
『――ああ、返すのは二日後でいいぞ。俺もしばらく忙しくなる。………俺の代わりに、そいつを抱いて眠ってやってくれ。そしたら夜も寂しくないだろ?』
『なっ――!!』

 …と、まあこんな具合に。リオセスリ自身、今回の件は相当怒っていたし、私の件でもたくさん心配をかけてしまった。…だがあんな苦しむような顔をさせるくらいなら、これくらいの軽口を叩いている方が良い。


 そして断る時間もなく預かってしまったこの上着なのだが――――…本当に、夜も寂しくないのだから困ったものだ。


「(リオセスリの、匂いがする……)」
 塵歌壺のベッドの中でぎゅうと握れば、彼に包まれているような感覚を覚えた。……ああ、ちょっと流石に変態っぽいかもしれない。それでもこんな卑屈になりがちな夜には、彼の暖かさは涙が出るほどに身に染み渡る。私はこのまま…リオセスリが好意を持ってくれた、このありのままでも良いんじゃないかって、…そんな風に慰められてしまうのだ。
 だがそれと同時に、組み敷かれた夜の事を思い出してしまった。彼の逞しい腕は私を逃がさず、ただひたすらに愛の言葉をこの全身に囁かれる―――。嗚呼、だめだめ。考えるのはダメ。本気で思い出しちゃったら、それこそ本物の変態になってしまうじゃないか。…まかさそんな方面で服を汚したとなれば、私はもう彼に合わせる顔がなくなってしまうだろう。
 ぽふぽふと湯気のように出る熱を逃がして、私は改めて眠るように寝返りを打った。流石に……今日はもう疲れた、眠ろう。明日はどうするかはまだ決めていないけれど……二日後には、リオセスリとの食事の約束がある。
「(…おやすみ、リオセスリ…)」 
 見慣れた天井に、安心できる洞天の夜空…。今日はあれほどの強烈な思いをしたというのに、その瞼の裏には一切の悪夢は映し出されることはなかった。ああ――これもリオセスリのおまじないの効果なのだとしたら、私はもう彼には何も敵わないかもしれない。
 うとうとと微睡む意識に、優しい青と銀の深海が揺れる。私はその海で溺れ落ちる事など、少しも怖くないように飛び込んでいったのだった。



「一応。クリーニングには出したんだけど」
「そいつは残念…。少しはあんたの匂いが残っちゃいないかと、期待してたんだがな」
「へ、変な期待…勝手にしないで」
「なら夜は抱いて眠ってくれなかったのかい?」
「………う、……それ、は……」
「ほう…? どうやら詳しく聞く必要があるようだな―――っと、ああ…来たか」

 二日後。恒例のおみくじを引くために、私は少し早めに特別許可食堂へと来ていた。残念ながら、おみくじは外れだったのだけれど……どうやらリオセスリを引き当てる事には成功したらしい。ほんの一足先に合流できた私たちの、会話が先ほどのものだったのだが……まったく、油断も隙もない。蛍ちゃんたちがすぐ後に来てくれなかったと思うと、何を聞かれたものかたまったものじゃなかった。
 その後私たちは四人でテーブルを囲み、リオセスリが用意してくれたその豪勢な食事を堪能していった。リオセスリと私が隣に座り、蛍ちゃんとパイモンちゃんが、向かい側に座っている状態だ。
 奢ってもらう食事にウキウキとしていたパイモンちゃん程ではないが……確かにリオセスリが用意してくれた食事は、水の上で見られるようなたいそう豪華なお皿の数々だった。本来の「公爵」って、こういう食事を普段からとるべきなんじゃないだろうか……。と思うくらいに様になっていたことは、少しだけ黙っておこう。
 そしてそんな食事に舌つづみを打つ中、私たちはリオセスリから、その後の囚人たちについて話を聞いていった。幸いにも中空の棘の治療は難しくなく、比較的に事態はかなり良い方向へと向かっているらしい。……良かった。私もほっと胸を撫でおろしていく。
 しかし会話もある程度進み、蛍ちゃんからとある質問が投げられたとき……
「――それは、話すと長くなるんだが…」

 少しだけ、リオセスリの纏う空気が変わった気がした。

「(……?)」
 …私はその時、すぐには気が付いてあげられなかったんだ。何せリオセスリは普段から冷静さを保ち、時には役者のような立ち回りと演技力を見せる。……彼の奥底に眠る本当に大事なところを、眉一つ動かすことなく、こんなふうに話されるは――思ってもみなかったのだから。


「俺は、孤児だった」


 そしてリオセスリは、ある物語でも聞かせるように――淡々と、己の過去を話していったのだった。

 言葉一つ。瞬き一つ。ひどく落ち着いて紡がれていくその話に……私の目には色褪せた何処かの光景が浮かんだ。
 暖かな家。優しい夫婦。仲の良いたくさんの兄弟姉妹――。だがこの世の善行を全て詰め込んだような、子供たちにとっての幸せの楽園は………ある一瞬で、崩壊してしまう。

「あとになって気づいたんだ…俺ら全員、「親」に飼われてる家畜だってことをな」

 ……幸せそうに笑っていた子供の顔は、そこで写真に切り取られたように動かなくなってしまった。

「売れた子はいなくなる…どんな目に遭うのかは誰にもわからない。そして、売れ残った子は「処分」される」
「…ッ」

 色褪せた世界で子供たちは、一人消え……また、一人増えた。そして何度も何度も入れ替わりをする中で、リオセスリの声色がまた一段と下がっていく。ああ……確かに「そこ」に居たんだ。幼き頃の、リオセスリが「そこ」に。
 どれだけ平静を装っていても、…私には少しだけ「見えた」ような気がした。リオセスリから感じる怒り、憎しみ、強い衝動――そして…己の無力さ。絶望さ……。…昔の事だと話す彼の胸には、今だってその感情が回り続けているのだろう。
 そして…彼の物語は、終着点に向かって勢いを増していく。リオセスリはただ淡々と続けているように見えて、私の目には泣くように燃え盛る大きな炎のように思えた。……こんな熱じゃ、あなた自身が焼き切れてしまう。――身を滅ぼすほどに、燃え尽きてしまう…!

「――だが、俺はそれが癇に障った。だから最終的に俺は」
「…ッ!」


 ――ギュ、と思わず。私は膝の上に置かれていたリオセスリの手に、自分の手のひらを重ね、強く、強く、その手を握った。…………何かを、引き留めたかったのかもしれない。この先に起きる――リオセスリの身に起きた、何かを。


「…………、」
「あ…ごっ、ごめん…! 何でもないの、続けて…!」
 蛍ちゃんたちの方を向いて話していたリオセスリの顔が、すい、とこちらに驚いたように向けられた。…先ほどまでの、鋭く尖った刃物のような瞳とは違う―――私が今までによく見知って来た、優しくて静かな青の深海だ。
 だが不自然に止めてしまった話に恥ずかしくなってしまい、私は慌てて手を引っ込めようとした。――でも手を離した瞬間にリオセスリは後を追うように掴み取り、引き戻して自分の膝の上へと戻す。…今度は、リオセスリの手の方が上になってしまった。
 そしてそのまま軽く押さえつけられながら、リオセスリはぽんぽんとあやす様に指を軽く上下させる。それは心音よりも少し早い速度ではあったが、お互いのぬくもりにいくらかの息つくような安心感を覚えた。……そうしてリオセスリはもう一度正面に顔を戻し、彼の物語の行き付く先を語る。


「――俺は、あいつらの息の根を止め、すべての子供を解放したんだ」


「(―――嗚呼、)」
 ……当たり前の事だが、これはもう既に起こってしまったことだ。今更私がどんな思いを抱こうとも、それは何ひとつだって変わることはない。
 手を掴んだのは殆ど衝動的だった。これで何かが変わると、変えられると、本気そう思ったわけじゃない……。…でも、どうしようにもなかったその事の顛末に……私は、じくじくと胸が苦しくなるのを感じずにはいられなかった。

 …けれどリオセスリがその後の言葉を紡ぐたび、私を握る手には僅かだが確かに力が込められていた。その彼の奥底の想いに対し、少しでも心の支えになれたのであれば―――手を伸ばしたことに、やはり意味はあったんじゃないかと私は思った。


 それからはそのまま食堂で解散となり、私たちはいつもの日常に戻った。私と蛍ちゃんたちは、水の上の冒険へ。そしてリオセスリは水の下に残り、今日もアフタヌーンティーと共に緩やかに執務を続ける。……だが、私はとても冒険など出来る気分にはなれなかった。
 蛍ちゃんに断って、その後は洞天の空ばかりを見つめていた。頭の中をぐるぐると渦巻いたのは、リオセスリが話してくれたあの幼少期の話だ。…やるせないような気持ちが何度も何度も往復して、空は晴れているのに心は曇り続けていく――。…ふと、どうしてこんなにも苦しいのかと思えば…そういえば今日はあの上着を返しに行ったんだと思い出してしまった。

 …もう彼からのお守りはない。そう思うと自嘲じみた笑みが零れて落ちた。私は…いったいどれだけ弱い人間なのだろうか。

「(……リオセスリに、会おう)」
 そう思った私がようやっと重たい腰を起こしたのは、もう十分に空の海に、星々が輝く時間となってしまったのだった。



「――ひとつ。今日、あんたがここに戻ってくるか……賭けをしてたんだ」


 執務室を訪れた際、開口一番にリオセスリは―――私に向かってこう告げた。

「……賭け?」
「ああ。自分の中での賭けだ。…他の誰かと何か賭けたわけじゃない」
 日付けは超えていなかったとは言え、かなりの遅い時間。しかも突発的に尋ねに来たというのに、リオセスリはいつものバッチリとした着こなしで、平然と執務を執り行っていた。……もしかして、本当に私を待っていたのだろうか? その己との賭け事のために。
 彼はそのまま手に持っていたやりかけの書類をトントンと整理し、椅子を立ってぐるりと机を回ってくる。…道中でいつものレコードを止めてしまうものだから、穏やかだった部屋の空気は一変し、しんと静まり返ってしまった。……思わぬ静寂に、重く息が詰まる。リオセスリはきっと、大事な話をするつもりなのだろう。
「あんたがもし俺に会いに来たら……これを、見せてやるつもりだった」
 そして彼の歩幅で一歩分離れた場所に立つリオセスリは、私に向かって一束の書類を差し出してきた。私は流れるままに差し出されたそれを両手で受け取り、表紙に書かれた文字を目で追っていく。
「…? これ、は……―――ッッ!!」


 一瞬、本気で心臓が止まってしまったかと思った。


「(収監…、登録…リスト……)」
 私が手に掴んでいた物は、囚人の情報を管理する「収監登録リスト」だった。…だがこれを見るのは初めてではない。私はつい先日、ちょうど自分のリストを見たことがあったのだから。
 …だけれどこれは私のリストではない。ひどく年期が入ったように用紙は黄ばみ、もともとの管理がずさんだったのか、紙の端にはほつれや粉っぽさが残っている。だが……文字は、まだはっきりと読める。
「(こ…の、…顔……………)」


 ―――そこには「リオセスリ」という名の囚人と、その年齢からは考えられないほどの――暗い目をした少年の写真が残されていた。


「…………………………」
 …思わず、指先から血の気が引くように力が抜けた。――だが私はすぐに意識を込め直し、なるべく力いっぱいにその書類を握り直す。
「あんたなら気になると思ってな。…好きに見ていいぞ。そこに書かれているものは全てが真実だ」
 リオセスリはそう言って数歩下がり、机に腰かけるように体重を乗せる。ふう……と吐き出す息が、やけに重かったのは気のせいではないだろう。
「俺は裁判で一部始終を詳細に語ってやった。やり方も、…手口も、どんな最後だったかまで――全て明瞭にな。観衆は議論を交わす余地すらなかったさ」
 すい、と彼は天を仰ぐように顔を上に向けた。そしてプロペラが回る鉄製の空を見上げて……ストンと、また肩ごと視線が落ちる。 
「…読めよ。あまりに過激でびっくりするぞ。……ああでも、引き際だけは自分で見極めてくれ。無理をしてまで読む必要はない。――だが、あんたには解っておいてもらいたい」
 リオセスリはいっこうに私を見ない。いつもは反らしたくなるほどに絡み合うはずの視線が……ひと時も、交わることはない。



「……俺は、あんたみたいに綺麗な人間じゃないんだ」



 …ぼそり、と紡がれた言葉は弱弱しく……彼はもうそれ以降、何も言うことはなかった。

「(………………)」

 立ち尽くしたままの私と、机に腰かけた状態のリオセスリ。そのどちらもが重い沈黙を紡ぎ……時が止まったように、世界から音は消えていった。

「(…………………………)」

 私はもう一度…その収監登録リストに目をやった。私のリストよりもずっと分厚くて、重さもある。彼の言う「裁判」があった分、より詳細に事件について書かれているのだろう。

「……………………………ねえ、」


 ――だけれどそこには、きっと……彼の『感情』については記されていない。


 ごくり。と私は意を決して、大きく唾を喉奥に流し込んだ。
「ねえ、リオセスリ。……………っ、こっち向いてよ。もう、」
 少し震える声音を叱咤して、なるべく明るく彼に声をかける。…いつものように。何気ないように。
「……………」
 リオセスリはチラリと視線だけを私に投げかける。ああ…髪の分け目がこっち側で良かった。もし反対側だったとしたら、その黒に隠れて探しきれなかったかもしれない。
 瞳に浮かぶ青い深海には、いつにも増して光が差し込んでいなかった。まるで……閉ざされたこのメロピデ要塞のようだ。…でも私は、ちゃんと知ってる。ちゃんと解ってる。リオセスリが……どんな人かってことを。

「せっかくだけど……これ、返すね。私にはきっと…必要ないから」

 そう言って書類の向きを彼に直し、私はリオセスリへとそのリストを返した。リオセスリは少しだけ目を開き――そして、「…そうだな」とだけ呟いて、重たげな片手で反対側を握る。「……………そうだよな」、と小さく諦めたように付け足された言の葉に―――――私は、強い憤りを覚えた。

「――ッ、勘違い…! しないで、欲しいんだけど……ッ!」

 リオセスリが重力に沿うようにだらりと書類を受け取ろうとする半面――。私はぐっと両手に力を込めなおし、それを引き留めるようにリストを握り締めていった。ピン、と思わぬように張ったその紙束が、彼の重かった動きに緩い刺激を与える。

「私が聞きたかったのは、知りたかったのは―――誰かが書いたっ、…誰かから見た、リオセスリの情報なんかじゃない!!」

 …思わず声に揺らぎが生じ、張り詰めたように震えてしまう。
 そしてようやっと私の方をちゃんと見たリオセスリは、その目を見開かせて驚いたような顔をした。ああ――なによ。なによ…! 全然私の事をわかっていないのは…リオセスリの方じゃない、――馬鹿!!


「あなたが感じたこと!! あなたが、苦しいと思ったこと…っ! どれだけ辛くて、どれだけ悲しくて……っ、どれだけ…っ! …うっ、…全部、全部…! 一人で…抱えて……。……ッ!!」


 ぼろ、ぼろ、と涙が零れ落ちる。ああ……だから、だから…! 泣きたくなんかなかったのに。困らせたくなんかなかったのに…。涙で訴えかけるような、そんな卑怯なやり方をしたかったわけじゃないのに…!

「信じた人に、裏切られて…っ。でも『家族』を、――ッ、助けたくて…! 守りたくて…!!」
 息を吸うたびに、詰まったように鼻が鳴る。ツンと眉間の辺りが痛くなって、頭はもう熱湯のように熱い。
 リストの写真に映った少年は、そんな思いを一人で抱えたのだ。今の私でさえ上手く息が吸えないほどの、この熱量を――たった一人で。その小さな背中で。全てを自分で背負って………そして、今も生きている。
「全然わかんないよ!! リオセスリの、言葉じゃないと…ッ。誰も…っ! だれも……! だって……っ、こんなの……。こんなのっ! あんまりで……」
 …次第に弱くなってしまう語尾に、私はリストを握っていた手から力が抜けていってしまった。そしてそのままずるずるとリオセスリの手元へと書類が戻れば、私はべしょべしょになった自分の顔へと、両手を擦りつけたのだった。
「う……っ、ひっく……。ごめんなさい……。いまさら、泣いたって…っ、しかたないのに……」
「…………」
 感情にまかせてすぐ泣いてしまう自分が嫌だった。一人の時はいいけれど……誰かと一緒だと相手を困らせてしまう。心配をかけてしまう。だから抑えていたかったのに……あまりにも、あまりにも、リオセスリに私の気持ちが伝わらないものだから。
 でも勝手に人のせいにして、勝手にわんわん泣くのもたいそう失礼で理不尽な話だ。リオセスリもきっと呆れてしまっていることだろう。…もっと、ちゃんと謝らなくちゃ。そう思った私は…滲んだ世界から目を開き、なんとか視線を前に向ける。

 …パサリ、と紙が置かれる音がした。その音の方に目を向ければ、リオセスリが自分の机の上に、リストを放る様に置いた様子が見えた。

 フー……、と深く息を吐く声が聞こえる。リオセスリは瞳を閉じて顔に手を当て、長く長くゆっくりとした息を吐いた。……そうしてぐしゃぐしゃと何かを思うように前髪を乱暴に乱した後、私の方へとしっかりと両目を向けた。―――ああ、いつもの自信に満ちた、青と銀の深海が広がる。

 そしてそのままスッ、と立ち上がって…私の方へと歩みを進めた。彼の長い足が大きく伸びて、一気に私との距離をゼロにしていく。



「……すまない。やっぱり、俺は―――あんたじゃないと駄目みたいだ」



 そう言ってリオセスリはその大きな両腕で、きつく、きつく―――私のことを抱き締めたのだった。


◇◆◇


 綺麗なものは綺麗だったさ。ずっと……ずっと、この水の下でも……何も変わらずに。――あんたは…ずっと綺麗なまんまだった。


「…は、………ぇ………?」
 驚いたように固まる彼女を、苦しいほどにこの両腕に閉じ込めた。ああ――こんなにしたら、柔らかい体の彼女には少々痛みが出てしまうだろう。それでも……どうしてもやめられなかった。止まらなかった。上手な加減なんて、そんな余裕は少しもなかった。
「リオ…セ、スリ……?」
 か細く鳴くような声で呼ぶ彼女を、ぴたりと体が全て重なるように――何度も、何度も、深く抱き締め直した。
「リオセスリ…、濡れちゃ…」
「構わないさ」
 俺の胸元に顔を埋めることを、彼女は最後まで躊躇っていた。…おそらく、涙で俺の服を汚してしまうんじゃないかと心配していたのだろう。そんなの……いっこうに構わないのにな。気にしたりなんかしないのにな。むしろあんたにはもっと大事なところを―――もうずっと、無茶苦茶にかき乱されてしまっているのに。

 レインボーローズは深海で咲かない。
 探測ユニットは水中で藻掻けない。

「俺は―――」

 水の上で生きるものは、水の下では呼吸が出来ない。―――あの時。囚人たちの惨状に苦しむ彼女に、俺は痛いほどにそれを思い知らされた。彼女と俺は同じものを見ていたはずなのに、その先に見ていた感情はまるで違う。人のために涙を流せる彼女こそ……本当の意味で、被害者たちに寄り添うことのできる人間なのだろう。

「……俺は…、あんたが………」

 ――それでも手放せなかった。どれだけ頭でわかっていても…あんたをこの海に―――俺の傍に、引き留めておきたかった。

 

「…あんたが、好きだ」



 守れる保証なんかない。また同じ苦痛を与えるかもしれない。俺の傍に居るということは、ああいった危険が付きまとう可能性が高くなるということだ。―――それでも。

「なあ…、好きなんだ」

 離れ難かった。傍に居てほしかった。
 俺の過去を話した時……彼女は、俺の手を握って引き止めてくれた。あの時誰にも止められず、止める人もいなかったこの腕を…。…少しも遅くなんかないさ。今の俺には、あんたが居るという証になる。

「あんたが好きだ。……好きで、……好きで……」

 それでも俺の犯した罪に変わりはない。ならいっそ――恐怖し、罵しられ、怯えられても構わないと思った。…「そういう男なんだ」って思われて、見切りを付けられても仕方ないと思っていた。いや――むしろ心のどこかでは、あんたが俺を嫌ってくれることを切望していたんだ。そうすればやっと俺は鎖を断ち、……明るい水の上へとあんたを帰してやることが出来る。


 ―――だが、見ただろう? 大博打の結果がこのザマだ。


「待っ…! なん、で……いま、そんなこと…」
 涙で濡れたままの彼女は、慌てるような声で俺に問いかける。重なったままの体の間では、彼女の細い指先が行き場なくさ迷うように…俺の胸元を緩く、いじらしくなぞった。嗚呼――そういうところさ、お嬢さん。
「今だから言うんだ。なあ……狂っちまいそうなこの感情はなんだ? 重たくて…苦しくて…どうしようにもなく辛いのに、……暖かいんだ」
「…ッ」
 彼女の頭を抱えるように、その髪の間に指を滑らせていく。…さらさらと落ちる感覚は心地よく、ふわりと俺の好きな香りが広がった。
「胸が張り裂けそうになる。あんたを見てると全部が駄目になって……たまらないような気持ちになるんだ。わかるか…?」
 それを胸いっぱいに吸い込めば、とてつもない安心感と幸福感を得られた。…ははっ、ヤバい薬みたいだな。俺はもう十分にあんたに依存しているらしい。 
 少しばかり体を離してやれば、すっと彼女は顔を上げて俺のほうを見上げた。砂糖菓子みたいな二つの大きな瞳が、涙でキラキラと濡れて光に反射する。……美しいな、なんて思っていた。自分の愛しい恋人が、己のせいで泣いているというのに。
「…ひどい男だろ。あんたの涙をぬぐってもやらない。………ただ、嬉しかったんだ。俺はもう、あの事で泣けなくなっちまったからな」
「リオセスリ…」
 ほろり、とまた一筋こぼれた。泉のように湧き上がるそれは、俺が昔に手放したかけがえのないものの一つだった。
「あんたは俺の代わりに泣いて、怒って、俺を――「俺自身」を、気にかけてくれた。……好きなだけ泣いてくれよ。俺はその全部を受け止めたい」
 彼女からぶつけられる感情全てが、俺の中で色あせていたものに…ひとつ、ふたつ、と色を付ける。それは直ぐに変化は出ないものだったが……確実に、俺の中に光を灯していった。暖かで、優しい――その柔らかい色の、灯を。
「…っ、ひどい、よ……。そんな優しい顔、で…言わないで…ッ」
 ――嗚呼、俺がどんな顔をしてたって言うんだ。
 俺が静かに彼女を見下ろせば、何故かぐにゃりとまた悲しそうな顔をした。そしてぽろぽろとまた雫をこぼすものだから―――ああ。もう、こりゃたまらないな。
「わかったわかった、それ以上はまともに息も吸えなくなっちまうな。………ほら、顔を上げてくれ。お気に召すまでお相手しよう」
 濡れた頬に指を滑らせ、そしてそのまま顎の下に手を添える。くい…、と浮かせれば簡単に持ち上がり、絡むように熱い視線が交わった。
 
 ―スン、と鼻をすする様な音が小さく聞こえてくる。…なんだ、鼻も詰まっちまったのか。だったらあんまり深いのはダメだな、本当に息が吸えなくなってしまう。


 そう思って短いバードキスでも贈ってやろうかと思ったのに―――……あんたは、やっぱり俺を惑わすのが上手らしい。


「(―――ッ!)」

 ―俺が予想していたよりも、ずっと早くに重なる唇。

「ん……」
 ぬる、と控えめに唇をなぞったのは………なんと彼女の方からだった。
「(ああ――駄目だ、また――)」

 ―――ズル、ズル、と沼に嵌るように。俺はまた確実に、あんたへと深く落ちていく。

 流石の俺でも予想できなかったさ。普段は恥ずかしがり屋の彼女が、震えるように背伸びをして、自ら唇を先に寄せたこと。俺の首に両腕を回したこと。そして驚きに少し固まった俺に対して―――わずかに、幸せそうに微笑んでいること。
「…ずいぶん遠慮がちだな? もっとしてくれたっていいんだぜ」
 その小さな甘い悪戯の成功に、俺は再度おかわりを要求した。…だが今度こそ本当に恥ずかしいようで、涙で腫れた以外の頬の熱が、じわりとそこに浮かび上がってしまっている。

「つ…ぎは、リオセスリの、番でしょ……」

 だからと言って、嫌がるわけでもない。何より首に回された腕は、力が弱くとも確実に俺を捕まえに来ている。…いいさ、いくらでも捕まえてくれよ。あんたになら手錠をかけられるのも悪くない。
 す…と親指を、その小さな唇に滑らせる。確かに一度触れ合ったそこは、すでに熱を待ちわびるように薄く開かれ…中からは欲が隠しきれない赤が、ちらり、ちらりと俺を誘うように揺れていた。

「あんた…俺のファム・ファタールだろ」
「…え…? …ファ…、何…?」
「まあなんでもいいさ、俺の相手があんたならな」

 …そしてあんたの相手が、俺であるのなら、な。

 濡れた甘美なこそに唇を重ねれば、俺は欲深い熱を奥から引きずり出そうとした。いまさら恥ずかしがるように逃げたって遅い――俺に火をつけたのは、あんたの方なんだ。
 腹の底にぐるぐると渦巻く熱は、いずれまたどこかの夜と同じように、結局あんたを食いつぶしてしまうことだろう。それはズルズルと今まで引きずられたように、俺もあんたを地の底まで誘おう。
 病のようなこの心情は、飼い馴らすことはひどく難しい。…あんたは自覚ないんだろうけれど、俺にとっちゃ『幸せ』という名の毒のぶつけ合いみたいなもんだ。俺はあんたの毒に侵されているし、あんたもきっと――俺の毒に侵されてしまっている。だが…それでいい。それで構わない。そのまま見知らぬうちに…どうか侵され続けていてくれ。その相手が俺じゃないと、どうしようにもないくらいには―――馬鹿になってくれたって構わないさ。


「(なあ…あんた、知らないだろ――)」


 ――俺がどれほど重たいくらいに、あんたへの想いを抱えているかなんて。

この感情に付けし名は
※今回のお話には、
・乱暴な表現
・夢主の嘔吐シーン
・リオセスリの伝説任務、キャラストーリーの内容等が含まれます。お読みの際はご注意ください。

伝説任務……すごかったですね……、本当に…………。
どうにかこうにか幸せになってほしくて、私なりに頑張って書いてみました。

今回は魔神任務第四章第三幕~四幕→リオセスリの伝説任務へと立ち会うゲームプレイヤーさんと、リオセスリさんのお話です。流石にシリアスさが目立ちますが、最後はいつものハッピーエンドです。
よろしくお願いいたします。

…あ、ちなみにおみくじ当たりました~~~~!!!!
30日目にしてようやくです!なんでや!!(^q^)
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2023年11月1日 10:02
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