「清田隆之シ×ジェーン・スー」第3回・止

“男が知らない男のあだ名”を作るのが無駄にうまい私たち【清田隆之×ジェーン・スー】

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「ジェーン・スー対談」
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「自分には性的な魅力がない」コンプレックス

スー:個人的な話で恐縮ですが、清田さんの本を読んで、私はある意味では運が良かったとも思いました。性的に消費されづらい存在だったこともあって、「好きだから性的関係を持ったのにお付き合いに発展しない」という悩みを持ったことがないんです。若い頃には、それをコンプレックスに思った時期もありました。私には魅力がないのかと。

清田:消費される/されないという論点からはズレますが、「自分には性的な魅力がない」というコンプレックスは僕にもありました。おそらく見た目やキャラクター的に「安心」や「安全」といった感覚を抱かれやすいからだと思うのですが、女性と仲良くはなりやすい。

でもそこには「友達として」「性とか恋は抜きで」という暗黙の前提があって、それを破ると途端に暗雲が立ちこめてしまう。例えば昔、とても仲良しで互いの家をしょっちゅう行き来していた女友達に恋愛感情を抱いてしまい、酔った勢いを借りて「キスしていい?」と聞いたらドン引きされるということもありました。

スー:それは傷つきますね。

清田:「清田は女友達だと思っていたのに」と落ち込まれ、言いようのない罪悪感に苛まれました……。そういう経験が積み重なる内に、自分は“オスみ”がないから仲良くしてもらえるのだ、性的なものを向けることは裏切り行為なのだという感覚が根付いていったように思います。特に20代の頃などは、かわいくて中性的な男子になりたいと思っていた一方、性欲的なものにもめちゃめちゃ振り回されていて、内面がぐちゃぐちゃでした。目指す自己像と勃起してる自分がまるで結びつかない、みたいな。

スー:かわいいムードをまとっているからって、性的欲求がないわけじゃないですもんね。一方で、性的欲求にドライブされているのか元々そういう考え方なのか、女を自分と同じ人間として考えられない人もいます。これいろんなとこで話してるんですけど、30歳くらいの時、恋人の愛情に胡坐(あぐら)をかいて振られてしまい、げっそり痩せたことがあるんですよ。そうしたら父が「おまえ痩せたな、モテるぞ多分。でも死ぬほどつまらないぞ」って。言われた時は全然意味がわからなかったけど、現実は本当にそうでした。

今までだったら絶対に声をかけてこないようなタイプの男性が、グイグイくるようになったんですよ。ああ、私はこれまでこの人たちのメガネに映ってなかったんだな。痩せたことによって、性的に消費される「押せばやれるボックス」に入ったんだなと腑(ふ)に落ちました。

そこで気付いたんです。小さい頃から「かわいい女の子」という記号で見られ続けてきた女たちの心の荒みを。なんでそんなに男を目の敵にするんだろうと思ったこともありましたが、記号としてのみ扱われ、個人として見てもらえずなめた扱いばかりされてきたら、防衛のために男性を記号として見るようになってしまうこともあるだろうし、男という存在を恨む人もいるだろうなと。

そういう女性たちと、私は経てきた体験が圧倒的に違うんです。わかったフリはしちゃいけないですよね。私には、生まれながらの体格や性格で押し切ってきたこと、無自覚に回避できてきたことがある。ある意味では下駄を履いていたんでしょう。

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