オラつくことの気持ちよさの正体
清田:でも「こじらせマッチョ」に関して、自分も他人事ではいられないです。例えば『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)に対して「自分をあそこまでさらけ出せるなんてすごい」といった感想をいただくことが度々あって、褒められると気持ちよくなってしまう部分が正直あるんですが、一方でそれは「裸になれないやつは男じゃねえ!」的な価値観とも無関係ではないような気もしていて……調子に乗ってしまうと危ないことになりそうだなって怖さも感じています。
スー:快感と恐怖、どっちが強いですか。調子にのれば振る舞いもマッチョになるってことですよね。そこへの快感と恐怖。
清田:オラつくことの気持ちよさって全能感とも少し似ていて、思わず恐怖心を忘れてしまうという恐怖があるんですよね……。
話は少し飛びますが、以前「yomyom」という電子文芸誌でやっている連載でインタビューした男性が「集団の中で劣等感を抱かないポジションにつけた上で周りの人と余裕を持って接したい」ということを言っていて。そこにも「こじらせマッチョ」問題に連なる何かを感じました。
スー:なるほど。ボリュームゾーンにいたいってことですね。半分よりちょっと上で、悪目立ちはしないけど、やや目立ちしたいという人は女性にもたくさんいると思います。読モとかそういう立ち位置じゃないかな。そこにも性差はそうないと思うけど。私の場合は、結婚や出産を経ずに属性が変化しないままでいることで、社会からこぼれ落ちる恐怖がありました。清田さんの場合はどうでしょうか。
清田:高校生のときに「自分には個性も武器もない!」という“平凡コンプレックス”をこじらせて以来、人と違う何かを求めて生きてきた感覚があります。就活しないとか自分たちで会社をやるとかもその表れだったように思いますが、一方で多数派からリアルに離脱できるのかというと決してそうではなくて、そういう意味では「ボリュームゾーンの中での少数派ポジションでいたい」みたいな感覚があるのかもしれません。でも、そんなふうに思えるのは自分がマジョリティであるというベース感覚があるからですよね……。
スー:なるほど、確かにそうかもですね。
清田:もっとも、そういうふうに自分のことを少しずつ言語化できるようになったのって30代になってからで、それ以前はもっと漠然と、自分自身のことがよくわからない状態でふわふわ生きていたような気がします。
女性誌に占いが多いのはなぜ?
スー:唐突ですが、星占いって、ティーンになる前の女児向けの雑誌にも載っていた記憶があるんです。占いを信じる信じないの話ではなくて、あれって自分とはなんなのかを知りたい欲求の表れなんじゃないかな。「牡牛座の特徴はこう、私は5月生まれだから牡牛座。たしかにそういうところがある……」と、自分を知るきっかけのための占い。それに毎月生理があるから、自分が思い通りにならず嫌いになる期間が定期的にやって来る。自分という存在を自身に問うタイミングが早いのかもしれません。自分のことを知りたいんですね。
男性はそもそも、自分のことを考えること自体が女々しいと言われますよね。そこに男女の差が出てくるのかもしれない。
清田:確かに、「前を向け」「上を向け」って常にけしかけられているような感覚があるかもです。
スー:一歩でもいいから前に進んで行けっていうのが男の人に期待されること。女の人はそれを後ろからサポートしろというのが、ついこの間まで振り分けられていた性役割でした。男性には自分を振り返る隙が与えられなかったのだとしたら、自己認知に関して男女の間で差が出るのも当然かもしれません。