『子どもにキレちゃう夫をなんとかしたい!』対談1

「傷つきやすさの自覚」がコミュニケーションのスタート地点【水谷さるころ・清田隆之】

「傷つきやすさの自覚」がコミュニケーションのスタート地点【水谷さるころ・清田隆之】
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36歳のときに仕事仲間である映像ディレクターの男性(通称“ノダD”)と事実婚で再婚したマンガ家の水谷さるころさん。コミックエッセイ最新刊『子どもにキレちゃう夫をなんとかしたい!』(幻冬舎)が、12月7日に発売予定です。

以前からキレやすい傾向があったノダD。夫婦で話し合いを重ねて一時は改善されたものの、コロナ禍の密室育児によって、次第に家庭内で不機嫌をまき散らし、子どもにキレてしまうコントロール不能な状態に……。今作では、そんなノダDがカウンセリングによって変わっていくプロセスが描かれます。

ウートピでは、今作の発売に先立ち、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんと、さるころさんの対談を実施。3回に渡ってお届けします。(この記事は全3回の第1回です)

不機嫌を“まき散らす”ことの有害性

——清田さん、まずは今作を読んだ感想を教えてください。

清田隆之さん(以下、清田):なんともお腹の痛くなるような読書体験でした。ノダDともちょっとだけ面識があるので語りづらい部分も正直ありますが……思い通りにならなかったり、周りが評価してくれなかったりするときに機嫌が悪くなる……というその姿は、これまで収集してきた恋バナに登場する男性像とも、そして自分自身とも通じるところがあるように感じました。

これは拙著『よかれと思ってやったのに』(晶文社)でも紹介した問題ですが、不機嫌を“まき散らす”という手段で表現する男性たちの話は“あるある”レベルで多いんです。感情がネガティブな方向に傾くのは避けがたいことだと思いますが、それを態度で表現するのは、「この場や関係性においてはそういうことをしても大丈夫だろう」という計算がどこかで働いているからですよね。それによって周囲からのケアを引き出し、ムスッとした気持ちが少しおさまる。そうやって自分だけ元のモードに戻っていくという姿が、繰り返しが描かれますよね。

家庭でも職場でも、友人間でも起こることだし、力を持っている側にとって不機嫌な態度が便利な手段になってしまっている。こういった構図に覚えのある人は、たくさんいるだろうなって思いました。

本書より

水谷さるころさん(以下、水谷):清田さんの著書には、温容そうに見えて実は厄介な男性がよく登場しますよね。そういう人の中にある有害な男らしさが、様々な問題の軸になっている。そういう人って、加害的な自分に対して自覚がないんです。「俺はやさしいし、暴力的なことはしない。不機嫌をまき散らしても、それは許容の範囲内だ」って本気で思っているんですよ。

清田:たとえガタイが突出して大きくなくても、自分より腕力のある男性が目の前で怒っていたらやっぱり怖いはずですが、そういった「与えてしまっている怖さ」に対する意識が、かなり希薄に感じますよね。「頭を叩いたり、ボコボコにしたりしない限りは、暴力を振るったとは言えない」っていう感覚がリアルなところというか……。

水谷:男社会における基準を普通だと思っている男性が多いですよね。相手がケガをするまで殴るのが、いわゆる「暴力」だと思っている。だから、怒鳴るとかちょっと小突くとか、ケガをさせない程度のものは、彼らにとって暴力ではないんですよ。でも、その基準は子どもや女性には通用しません。やっぱり、怖いし、嫌だし、ストレスなんです。

清田さんは、心理学やフェミニズムの本をたくさん読んだりして、子どもや女性のものさしを勉強しているじゃないですか。それだけ情報をインプットしないと、男性と女性の感じ方が違うという実感って持ちにくいんですよね。そういう勉強をしようともしない人に、こちら側のものさしを理解してって言うのは、ものすごい労力を必要とする作業だなと思います。

キレやすさの背景には傷つきやすい心があった

清田:ノダDのキレやすい一面は、さるころさんの前作『どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。』(幻冬舎)にも描かれていましたよね。今作では、カウンセリングによってその背景がひも解かれていく。前作も読んだ読者としては、なるほどと思いました。

水谷:彼はこれまで、子どもから拒絶されたり試し行動をされたりして、傷ついているっていう自覚がなかったんですよね。カウンセリングに行って、ようやく傷ついているんだと認められるようになった。

清田:「なぜキレてしまうのか」を考えていくと、その奥底には傷つきやすい自分がいた。今作はそれに対する自覚の芽生えが描かれていく話なんですね。

水谷:そう。やっと自覚が芽生えて対処できるようになったね、っていう話なんです。

——清田さんは、著書『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)で、10人の一般男性から話を聞いていますよね。彼らが原稿になった自分の話を読んだときに「俺、ヤバいっすね」と感想を漏らすことが多かったとか。今回、ノダDは漫画を読んで何かおっしゃっていましたか?

水谷:うちの場合は、そもそもネームや漫画になる前に、夫婦で話をしているんですよね。問題が発生してから解決した後までものすごく密にコミュニケーションをとって、結論が出た時点で「じゃあ漫画にしようか」という流れがほとんど。だから、漫画に描かれている私の視点や感情を、彼は既に知っているんですよ。

なので、彼にネームを見せたときに返ってくるのは、9割方「ここはわかりにくい」とか、構成がイマイチとか、誤字が多いとか、ディレクター目線の返答なんです(笑)。もう一つのチェックポイントは、事実に沿っているかどうか。彼が認識している事実とブレていたら「ここはブレているよ」って教えてくれます。本人が本音で嫌だな〜って思っても事実であれば「事実だからしょうがない」みたいな感じですね。

清田:それはすごい! もっとも、書く(描く)という行為にはどうしても暴力性がつきまとってしまうわけで、取材対象者が納得するまでコミュニケーションを重ねていくことは不可欠なプロセスだと思います。僕も妻や友人の話を書くことが多いので、日常生活の会話について「あのときのエピソードを書いてもいいかな?」とうかがいを立て、原稿確認をしてもらった上で違和感のない地点まで話し合うことを心がけています。

水谷:ノダDは、基本的には私の作家性を優先してくれますが「これは俺から見た解釈とは違う」っていうときは、めちゃくちゃ抵抗するんですよ。そうやってお互いの視点が食い違っているときって、大抵、何か解決されていない問題が残っている。そこから、ものすごい夫婦ゲンカが始まるんです。ケンカしてもう一度問題と向き合って、じゃあどうしようか、ってネームを描き直す。これの繰り返しです。

清田:原稿確認が、ある種の着火点になることってありますよね(笑)。「あんなに話したのに、あなたはこういうふうに思っていたんだ」って言われて、そこから話し合いがスタートすることもあります。

結婚して間もない頃、妻に「あなたは書く場を持っていて、私の印象はどうとでも作れる。私がそこに違和感を持ったとしても訂正する術がない。そのことをまず自覚して欲しい」ということを言われました。私たちの立場は非対称なんだよ、ということですよね……書くという行為に付随する暴力性を改めて意識させられました。これは妻や友人に限った話ではなく、人から聞いた恋バナを紹介する活動をしている桃山商事としても、そのリスクや加害性については折に触れて話し合っています。

——先ほど、さるころさんがおっしゃっていた、暴力の話ともつながりますね。相手の意思を無視したり、無理やり何かを推し進めたりすることも暴力のひとつのカタチだと男性にわかってもらうには、どうすればいいんでしょうか?

清田:それを女性に指摘されると、驚いたり反発したりする男性が多いってことですよね……。もしかしたらその感覚は、男同士だとシェアしやすいかもしれないと思いました。殴る蹴る以外にも様々なカタチの暴力があり、無自覚にそれをやってしまっている可能性が残念ながらあるかもね。そんな話をしながら、具体的に何が暴力に当たるのか、じゃあどうしていけばいいか、語り合いが開ける可能性もある。お悩み相談会じゃないけど、男性同士でそういうことができたらいいなって思いました。

第2回は12月5日(月)公開予定です。
(構成:東谷好依、撮影:西田優太、編集:安次富陽子)

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