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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章64 『リリアナ・マスカレードの憂鬱』



「――――」


 リュリーレの絃に指を滑らせ、すっかり馴染んだ動きで張り詰めたそれを弾きます。もう何年も何万回も、それこそ物心ついたときには始めていた指使い。

 私にとって歌にまつわる全ては、呼吸と同じぐらい自然に、始まりを思い出すことが難しすぎて鼻で笑っちゃうような自然なことなのです。


 喉を開き、腹に力を込めて、奏で始めた音楽に歌を乗せる。

 歌うのは今この瞬間に脳裏に浮かび上がった言葉、感情の全て。

 それが全部、同じように今この瞬間に引っ張り出された音楽の上に乗っかります。


「――――」


 新しい歌が出来上がったとき、私はそれを『閃いた』だなんて表現しますが、本当のことを言えば閃いただなんて言葉はおこがましいもんなんです。

 もっと平たく言えば、閃いたのではなく見つけ出したなんて言葉が近いでしょうか。その瞬間に私の頭の中に浮かぶメロディも歌詞も、全てはもともとこの世界のどっかしらに埋まっていたものなのです。


 何かの切っ掛けで、その世界に埋もれていた音楽が発掘される。

 見つけ出す切っ掛けがあって、拾い上げたのがたまたま私であって、降って湧いたような贈り物――閃きの音楽を私は、まぁそんな風に考えていますわけで。


 だから、学がなくても音楽はできると私はプリシラ様に言ったわけです。知恵や知識や小難しいこと全部うっちゃっても、できるこたぁあるでしょう。


 だって歌は人間じゃなくたって歌うのです。


 小鳥の歌を聞いたことはありませんか? 虫たちの合唱に耳を傾けたことは? 吹き抜ける風に、小川のせせらぎに安らぎを奏でられた経験は?

 彼らに人間でいう学があるでしょうか。あるのかもしれませんが、ないと考えるべきでしょう。っていうかないのです、私的には少なくともない! なくていい!


 太陽の陽射しに、月の満ち欠けに、土の香りに、焚き火に弾ける薪に、音楽を感じたことはないでしょうか。私はあります! それは音楽が世界に満ちている証。


 この世界が音楽でできていて、この世界には音楽が満ちていて、この世界は音楽で繋がっている、その証なのでしょう!


「――――」


 私たち吟遊詩人は、その音楽で満たされた世界で音を借りているだけ。もともとどこにでもあったものを、少しだけ気付きやすくして触れ回るお節介の独りよがり。

 恥ずかしげもなく、惜しむこともなく、良いものを良いと伝えて回る自分本位。

 そう思われても構わないのです。私たちがどう思われても構わないのです。


 でも、この音楽は良いものでしょう?


 面白いものを面白いと、楽しいものを楽しいと赤の他人と共有する喜びがある。

 面白いときに面白いと、楽しいときに楽しいと、声を大にする喜びがある。

 音楽にはそれがある。音楽ならばそれは許される。


 だって世界中が歌っているのですから、歌うことが誰に責められるでしょうか。


 さあ、没頭しろ、没頭しろ、没頭しろ。

 さあ、夢中になれ、夢中になれ、夢中になれ。


 楽しみに浸り尽くせ、喜びに心満たされろ、面白さの虜になるがいい!

 耳だけでなく、目も鼻も肌も心も魂も、全部使って『音』を『楽』しめ!


 熱狂が観衆を呑み込んで、『憤怒』の高まりを一気に押し流す。

 体を使って煽りを入れて、声を上げて演奏の一部になる。隣り合う人間と目と目が合えば、今や心が同じものを感じていることが分かり合える。


 当然です。音楽はあなたの隣にいて、あなたの生から死まで延々と離れない友。

 見えるでしょう、聞こえるでしょう、感じるでしょう。


 私たちはいつでもここにいると、そう呼びかける音楽の存在を――!


「ええい、チキショウ! 全然静かじゃなかったけど、ご清聴ありがとうございました――ぁッ!!」


 歌い切ったったりましたよ、オラァ!!



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 えー、まぁ、なんと言いますか、すいませんちょっと調子乗ってました。

 こうして大見得切っての演奏会が終わってみますと、さっきまでの自分の気分の盛り上がりっぷりが思い出されて顔がアチチチチーと申しますか。


「そのっ、お姉さんすごかったであります! 僕はとても感動したであります!」


 ぐふぅ! シュルトくんの何一つ含むところのない純粋な眼差しが痛い! 痛し痒し! 汚れを知らない澄んだ赤い瞳が、私の心にドスブッスリ!

 いーえ、全然悪気とかないのはわかってますし、皮肉でもなんでもない、実に子どもらしい感動を率直に意見してくれたものだとわかっております。わかってはいるんですが、それを気持ちよく受け取れないのは私の身勝手!

 ごめんね、シュルトくん……大人になるって汚れてしまうことなのですよ。


「――? よくわからないであります。勉強不足でごめんなさいであります」


 うひゃぁ! しゅんとうなだれた顔が反則的にかわゆい!

 ものすごいイタズラしたくなるオーラが漂う子ですよ、この子。ちょ、ちょっとだけ、ちょっぴりだけ触ってみても……うへへ……。


「リリアナよ。先ほどの演奏悪くなかった。褒めてつかわす」


「ぎょびぃっ!」


「なんじゃ、今の不細工な声は。女子の……ましてやそなたの喉から出てもよいような声ではないぞ」


 シュルトくんに悪い大人の毒牙がかかりそうになった途端、顔を出したプリシラ様が見計らったようにお邪魔虫に入りました。いえ、別に全然悪さとか企んでなかったですけど。気の迷いとかホント、全然ないッス。


 ちなみにシュルトくんはプリシラ様が顔を見せるや否や、パッと顔を明るくしてその腰のあたりにひっつきます。といっても抱き着くんではなく、プリシラ様の赤いドレスの一部をちょこんと摘まむ程度ですが……その謙虚さが逆に天使。

 さてさて、そんなシュルトくんを迎えにきて、まさに大惨事の現場となっていた集会場を宴会場へと変えてやったわけですが……。


「まさかここまで効果があるとは……私は私の知らない間に、音楽の到達点に達していたのかもしれませぬ。そう、音楽の女神の頂にっっっ」


「たわけ。凡俗と己の器の違いを理解するのは肝要じゃが、高く見積もりすぎても品がない。そなたの歌は見所があるが、至上を自称するのはまだ早かろうよ。今回の場合は彼奴らがちょうど、乗せられやすい状態だったのが幸いしただけのこと」


「乗せられやすいですかぁ?」


 つまりはどゆこと何事でしょう。

 退屈そうに扇で自分を煽ぐプリシラ様が、集会場の中をさっと見渡します。私もおずおずとその視線を追いかけますと、目に入るのは大勢の人々。


 ええ、罵り合ったり殴り合ったり、掴み合ったり相手の財産を狙ったり、そんな感じのギスギス感から解放されて、ひとまず落ち着いた方々の様子が見えます。

 今は互いに言葉少なではありますが、あの押し合いでケガをしてしまった人に手当てをしたり、謝り合ってみたり、うんうんそういうの大事。


 いやー、それにしても私の歌も大したもんですよ! あれだけいがみ合っていた人々が、なんとこれだけ穏当な状態になったのですから。まさに匠の腕!


「図に乗るでない。奴らの安定を知らぬ木偶のような心への影響は続いておる。先まで疑心や恐怖に縛られていたものを、そなたの歌が毒気を抜いたまでよ。いずれにせよ、この大元を絶たねば遅かれ早かれ逆戻りするじゃろうな」


「ぶぇッ!? あ、いや、でも、ほら、それなら心が荒れ模様になるたびに、私の激しいうんぱっぱで押し流してあげちゃいすれば……」


「理屈の上ではそれもよかろう。じゃが、対処療法としては下の下じゃな。おまけにこの乱痴気騒ぎ、起きておるのはこの集会場だけではないぞ」


「ななな、なんですとぅ?」


 やだそれ初耳なんですがー。いやでも、そもそも道中でもなんかそんな感じの争いっぽいものをプリシラ様が避けてたってお話ですし、都市全域にかかってるなんて説明もありましたし、それってわりとホンイキでマズくないです?


「ぷ、ぷぷ、プリステラをどげんかせんといかん……?」


「ま、そういうことじゃな。正直なところ、妾にはこの都市を救おうなどとする義理などないんじゃが……」


「プリシラ様……」


 またしても薄情、冷血、鉄仮面! な発言をしかけたプリシラ様を、シュルトくんがものっそい震える目で見上げています。なんだろう、見ててわかるんですが、このシュルトくんはプリシラ様の傍にいるのにすごい普通。完璧に完璧な精神性。

 あーもう、仕方ないなぁこの子はもぉう、ってなる条件を完全に満たしてる。


 思わず私なら腰砕けになってデレデレで応じてしまいそうなシュルトくんのおねだりに、私と同じ気持ちで負けたかどうかはわかりませんが、プリシラ様も仕方なさそうに肩をすくめます。胸が弾みます。ジッと手を見る。


「プリシラ様っておいくつですか?」


「十九じゃ」


「おっふ、そうですか。ちなみに私は二十二ですよぅ」


「聞いておらんぞ」


 言っておきたくなっただけです。なんでしょう、食生活の差? 放浪の旅人である吟遊詩人の職人的デメリットがここで出ちゃった? ちくせう。


「シュルトにほだされたとまでは言わんがな、妾の滞在中に無礼を働くものどもの不敬を見逃すほど、寛大さと履き違えた臆病の持ち合わせなど妾にはない。関与した魔女教のことごとく、そっ首を叩き落として並べてやる必要があろうよ」


 などと、私が拳固めてプルプルしてる間に、プリシラ様の方針も固まったご様子。

 またまた色々と口では言い訳しちゃいながらも、その本心がシュルトくんのお願いを聞いてあげなきゃって思ってることぐらい、私にはお見通しですよぅ。


「まったくもぉ、プリシラ様ってば意外とか・ほ・ご♪」


「――――」


「ぎにゃーっ!? 燃えっ、燃えたっ、焦げ焦げッ!?」


 燃えた!? 燃えました!?

 プリシラ様の脇腹を肘でつんつんなんてやった瞬間、私の頭頂部を炎が! 結んでいる髪の先端が焦げて丸くなったった!? 今回は「ほう」すらなかった!

 いきなりの凶行! これホントの恐慌! 忘れがたきこの凶報!


「お、お姉さん、大丈夫でありますか……!?」


 頭焦がして転がる私に、シュルトくんが血相を変えて駆けてきます。とっさに火を消さなきゃと思ったのか、持っていた包みから瓶を取り出して、その中身を私に浴びせようと四苦八苦。その間にも私の頭は業火に包まれ――、


「やめよ、シュルト」


「で、でも、プリシラ様……っ」


「それは妾の晩酌用の酒であろう。妾の所有物である上に、浴びせれば歌い手が火だるまになるだけじゃ。面白いが、それだけの話じゃな」


「およよよよよよ――っ」


 火だるまにされる前に、私は冷たい床の上をゴロゴロゴロゴロ。シュルトくんはその小首を傾げて、「お酒って燃えるんでありますか?」なんてうっかり。

 おのれぇ、主従揃って私を炎で亡き者にしようと……だがしかし! 私が仮にここで死んでも、吟遊詩人としての魂は滅ばず、毎晩あなたの枕元で私の歌が響き渡る……だって、歌は世界中のどこにでもあるのだから!


「そなたがそれで構わぬなら構わんがな。そもそも、毛先が焼けたぐらいのことで騒がしい。早々に立つがいい」


「え、あれ? 業火の怨念は? 灼熱の炎に包まれて灰になったはずでわっ?」


 あ、ホントだ、全然燃えてない。なんだ、びっくらこいて損しました。

 私は照れ笑いしながら服を払って、なんだか周りからジロジロと見られているような気分を味わいながらプリシラ様のお傍へ。そして、直談判です。


「でわ、プリシラ様! ここは一つ、プリステラを救うためにドカンと一発、派手な一撃を大罪司教にお見舞いしたってください! 私は及ばずながら応援しています!」


「他人事のように申すな。そなたも連れてゆくに決まっておるじゃろう」


「うぇえええええ――!?」


 驚天動地! 天地逆転! 美人薄命! 何故にそこで私がご指名!?


「私なんて、ただ可愛いことと歌えることと可愛いことだけが取り柄のしがない吟遊詩人……連れていっても目と耳を楽しませるぐらいしかお役に立ちませんよぅ?」


「その率直さは嫌いではないぞ。それに言ったはずじゃ。妾はそなたに目をかけておると。その歌声、失われるのは惜しい。ましてやここで衆愚と一緒くたに居残し、何かあれば事じゃ。妾の『日輪』に届く範囲におるがいい」


「つまり……守ってあげたいぐらい可愛いからと?」


「――ほう」


「うひゃぁ! 怒るのに一拍入れてくれるプリシラ様ったらお優しいんですからぁ!」


 警告なしで髪の毛を焼かれた衝撃があるので、警告してもらえるだけでプリシラ様がなんだか優しいように見えてきました。あれ、なんだか胸が高鳴る。なんだろうこの気持ち……鼓動が速くなって、手汗が止まらなくて、息苦しくなって、顔から血の気が失せてきて……。


「そなたを連れてゆく理由はまだ他にもある。――先の煩わしい凡愚の声明、あれを行った魔法器は都市庁舎にあるという話じゃな?」


「え? ああはい、都市庁舎にあります。毎朝、早起きして眠い目を擦りながらお役目を果たして……あ! だからって、手抜きで歌ったりなんかしちゃいませんよぅ? 確かに直前までは眠いっていうか半分寝てるっていうか半分以上寝てたりもしますが、いざ歌うとなればばっちり開眼! ばっちり開眼してますので!」


「場所がわかればよい。必要なのはその魔法器と、そなたじゃ」


「私が欲しい……」


「そなたの喉じゃ」


 言い直されてしまいました。てへりこ。

 でもでも、そのおかげでプリシラ様が何がおっしゃりたいのかようやく私にもわかってきました。つまり、プリシラ様はこうおっしゃりたいわけです。


「この集会場と同じことを、魔法器でプリステラ全体にしろと……!」


「――――」


「え、あれ、プリシラ様? どうされました?」


「妾の目の前で狼藉を働きよるものじゃな。貴様、本物のリリアナをどこへやった。本物がこうも物わかりが良いはずがあるまい」


「賢くて可愛い私は幻想扱い!!」


 どんなイメージが染み付いてしまったのか、正直がっくりんこです。

 ですが、プリシラ様のお考えはわかりました。確かにこの集会場のような暴動が都市の各地で起きているのであれば、それは私の歌の出番でしょう。

 各地を巡って演奏会を開くのも乙なものではありますが、そうしてあちこちで巡業していては今回の場合は間に合わない! ならば手っ取り早いのは決め打ち!


「いぃえぇ、わかりました! なるほど確かに納得です。それならば、私を連れてゆかんとするプリシラ様のお考えも当然といえましょう! それにそれに、都市庁舎となれば都市の頭脳の集まる場所! きっとキリタカさんも出向いておられるでしょうし、まぁこういう非常時でなかなか頼りになる方なのではないかと!」


「もっとも、都市庁舎には確実に大罪司教がいるはずじゃからな。害虫駆除は避けられまいよ。せいぜい、巻き添えだけは避けるんじゃな」


「忘れてましたぁ!」


 そうでした。今、ちょうど都市庁舎には『色欲』がいるはずなんでした。っていうか、そのまま庁舎が拠点にされてたらこの作戦って出足で躓いてますよぅ。


「いやいやいやいや、でもでもでもでも! 今頃はその大罪司教も、庁舎なんかポイッと投げてどっかいってるやもしれません! あそこ、機密がどーとかで入っちゃいけない部屋とか多くて案外暇潰しに使えないんですよぅ。たぶん、時間潰すのに飽きて『色欲』とかも出てっちゃってんじゃないでしょーか」


 ふふん、名推理の炸裂です。毎朝、お勤めで足を運ぶ私ならではの発想。

 実際、あそこってみんながせかせかと働いてて相手してくれないですし、数字のわからない子はちょっとって追い出されますし、なんかそんな感じですし!

 だからきっと、今頃は都市庁舎は空っぽになってるなーんて――。


『やっほ。やっほー。やっほっほー』


 二回目の放送が聞こえてきたのは、ちょうどそんなタイミングでした。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 二回目の放送を聞いてから、私たちは意気消沈(プリシラ様とシュルトくんは見た目変わらない)して集会場を出ました。

 集会場を出るのに少し時間がかかったのは、二回目の放送を聞いて集会場の人たちがまたしても不安定になり、それを私の歌で相殺していたからです。

 正直、不本意な演奏会としか言いようがありません。


 もちもち、どんな歌であろうとも手を抜き喉を抜くような不義理はしませんが、本来、歌には余計な不純物なんて入ったらいかんのです。

 歌を魅せてやろう、歌に巻き込んでやろう――そんな気持ちで歌うのが、少なくとも私の考え方です。不安を呼び起こすなんか精神的な攻撃に対抗する手段、そんな風に歌を考えたくありません。結果的にそうなってしまったとしても、歌う私はそんな風に歌を考えていたら、歌に真摯になれなくなったら、そんな歌で誰かの心を巻き込むことができるとは思えなくなってしまうのですから。


「制御搭の占拠と、大水門。そして次の放送での要求か……」


 集会場を出て、相変わらず迷いない足取りでずんずん進むプリシラ様に私はふらふらとついていくばかり。なんだか自信喪失、というよりは本分喪失?

 私自身は歌を歌う存在であることに疑いはありませんが、この状況に求められているのははたして私でしょうか、歌でしょうか、結果でしょうか。


 三つとも私発信なのは確かなのに、その三つが噛み合っていない。

 そんな気がしてなりません。


「都市庁舎の魔法器に手が届くのは、そうなると三度目の要求のあとになるな」


「それは、どうしてでありますか?」


「魔女教が魔法器を使う必要があるのは、要求を告げるあと一度。以降は奴らは占拠した四ヶ所の制御搭を死守すればよい。要所として戦力を置く意味のなくなる庁舎からは離れよう。もっとも、悪趣味な遊びのために魔法器を確保しておく可能性は考えられるが……」


「それはしないのでありますか?」


「仕切っておるのが魔法器を使用しておる『色欲』であればしないじゃろうな。あれは悪辣の皮を被っておるが、その下は相応にしたたかで狡猾よ。賢しい痴れ者が機会を得るとああなる、その見本じゃな」


 私が抱くのと似たような疑問を、シュルトくんが先んじてプリシラ様に質問してくれています。シュルトくんはプリシラ様を怒らせない絶妙な間を理解(たぶん本人的には無意識!)していて、プリシラ様もシュルトくんには甘いので聞かれたことには丁寧に応じてあげています。

 子どもにもわかる説明なので、私にも理解しやすいのでした。

 つまり、状況はものすごい魔女教の予定通りに進んでるってことでせうか。


「故に三度目の放送、要求の提示のあとじゃ。魔法器が自由になれば、そなたの歌が役立ちもしよう。都市を不穏が満たしている間はおちおち手勢も集められぬ。獅子身中の虫がどこに湧くか知れたものではない」


「そんなややこしいことになる前に、プリシラ様があの輝かしい剣で魔女教をずんばらりーの制御搭取り返しーのってわけにはダメでしょうか?」


「四ヶ所の制御搭、一つでも大水門が開かれれば都市は水没する。いかに妾とて身は一つなのでな。反攻に出るのは手が足りぬ。手足になりそうなものが都市に何人かいたのはわかっているが……それを集めるにも、魔法器じゃ」


 プリシラ様のおっしゃる、手足というのは魔女教に対抗できるだけの戦力。

 そして私の知る限り、魔女教に対して並々ならぬ成果を持つ方が都市には滞在しておられるのです。そう、『幼女使い』ナツキ・スバル様と、そのスバル様を従える『銀髪の魔女』エミリア様が!


「わ、わかりました! 三度目の放送、庁舎にいくのはそのあとですねっ」


 拳を握りしめると、思わず鼻息が荒くなります。

 本音では、ちょっと及び腰な部分があるのは否めません。でもでも、庁舎にいってみないとキリタカさんの安否もわかりませんし、いえ別にキリタカさんの安否がわかったところで、戦力的な意味であの人が役立つことなんてありませんが。

 でも、あの人でもいてくれた方が、胸につかえなく歌える気がするのです。


「では、それまでは……!」


「リリアナ様を連れて、避難所を回るのでありますね!」


「ええはい、私を連れて避難所をってうええええ!?」


 意気揚々とシュルトくんがお答えになりましたが、どういうこと!?

 プリシラ様は満足げに頷いていらっしゃるし、それを見てシュルトくんは頬を染めながら嬉しそうだし、私のことなのに私だけが置いてけぼり。

 こんなに近くにいるのに、独りぼっちなんですよぅ。


「そなたの歌がこの不快な波に効果があるとわかった以上、そなたの心向きはひとまず置いておいても歌ってもらう必要があるぞ。先ほどから何やら思い惑っている様子じゃが、今のそなたにそのように煩う暇などない」


「そ、そのことと避難所巡りに何の関係がおありでっ!?」


「魔法器で一斉に呪を払うのもそなたの役目ではあるが、実行するまでに時が空く。となればそれまでの間、不穏に揺れる凡俗どもの心は放置されたままじゃ」


「あ……」


「魔法器の前にそなたが立つ前に、聴衆ことごとく果ててていないとも限らぬ。そうならぬためにも、予防して回るのはそなたの望みにも則していよう」


 プリシラ様の提案の意味が、やっとすんなりとわかりました。

 私の歌が届く前に、あの集会場の争いのように傷付け合う人たちが出てくる。そうなったとき、肝心の救いの歌を届けてももう遅いかもしれない。

 きっと全部は救えない。でも、救える場所に手を伸ばすのは無駄じゃない。


「妾の見たところ、そなたの舞台度胸はなかなかのものよ。じゃが、今の揺れ方は少々危うい。肝心の場面でへまをしかねん。故に、場数を踏んでおけ」


「場数……ですか?」


 歌うことの場数なら、数え切れないほどやってきました。舞台度胸なんて言葉を使った記憶はありませんが、舞台に立つことを恥じたことはありません。

 いったい、プリシラ様がおっしゃるのは――。


「そなたの悩みは知らぬ。が、必要なのは自分のために歌う歌ではない。他人のために歌う歌じゃ。他人のための歌を歌う自分に納得せよ。その場数を踏め」


「――――」


「妾を歩かせることの不遜は、その結果を以て贖われると思うがいい」


 そう言ってまた、プリシラ様がお決まりのように腕を組みます。弾む胸。ぺたりと自分の胸。ジッと手を見て、グッと握る。


 歌に、己以外の存在を。その歌い方は――。


「やっぱりプリシラ様はお優しいであります。僕はちゃんとわかっているであります!」


「うるさいぞ、シュルト」


 なんとなしに微笑ましいやり取りをされている気がしますが、私は私の方で新たな決意をみなぎらせて、その避難所巡りに挑むこととさせていただきましょう。

 プリシラ様のお言葉の意味、正しい側面と首をひねりたくなる側面と一緒くたに抱え込んで、歌って奏でて踊れる吟遊詩人、リリアナちゃんの未来のために!



 ――。

 ――――。

 ――――――。



 まぁ、そんな風に意気込んで避難所巡りをして、暴れたり落ち込んだりしている人たちを慰問している間に、あの三回目の放送があって――。


「――ふん。先を越されたな。忌々しい」


 プリシラ様が暗くなった空を見上げて、そんな風に呟かれました。

 その感慨が何に対してなのか、同じことに耳を傾けていた私にもわかります。


 ナツキ・スバル様の、魔法器を利用した放送がありました。

 その言葉は拙く、決して力強いとはいえませんでしたが、おそらくは都市中にいる人々の心に、不安と恐怖以外の何かを刻むことができたのではないでしょうか。


 同じことを、歌でしようとしていた私たちの狙いと同じように。

 でしたらそれは、誰がやってもよいことのはずですから。


「先を越されてはしまいましたが、読み通りに都市庁舎は空いたご様子。ここはひとまず皆さんに合流し、都市奪還の戦いをいざ始めるといたしましょう! 私! ちゃんと歌わせていただきます!」


「目に見えて安堵した顔をするでないわ」


「いぃえぇ、そんなそんな、安心なんて」


 安堵感は少しと、残念に思う気持ちが大部分ですよぅ。

 私のお株を奪われて、『歌姫』になる機会を逃したような場面でもあるのです。


 代わりに『英雄』の生まれる場に立ち会った、そんな満足感もあるのですが。



 ――その満足感も、英雄の無茶ぶりでプリシラ様と特攻が決まった時点でそれどころじゃーなくなりましたけどね!


 やったね! 歌の出番、まだありましたよ! チクショウ!










――次回、話の通じない女たちの衝突――

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