月の薬師は魔法使いの夢を見るか? 作:十六夜××
組分けを終えた私は拍手に導かれる形で四つあるテーブルの一つへと向かう。
そしてちょうど空席になっていた椅子へ腰掛けた。
「入学おめでとう。歓迎するぞ」
私が椅子に座ると同時に、横にいた上級生が声を掛けてくる。
そこにいたのはコンパートメントを見回りに来た金髪の上級生だった。
「私は七年生のルシウス・マルフォイだ。スリザリン寮の監督生をやっている」
「セレネ・アルテミス・ブラックです」
「ああ、よろしく。わからないことがあればなんでも聞きたまえ」
そう言ってルシウスは右手を差し出してくる。
本来ならば、穢れた人間の手など握りたくはない。
だが、月にいた頃ならまだしも、今は私もその穢れた人間の一人だ。
私は表情を取り繕うと、ルシウスの手を握り返した。
「スリザリン!」
私がルシウスの手を離すと同時に、組分け帽子がまたスリザリンと叫ぶ。
大広間の奥、組分け帽子がある場所へ視線を向けると、こちらのテーブルへ向けて歩いてくるバーティの姿があった。
「ほう、今年は豊作だな。クラウチ家の一人息子も獲得出来たか」
ルシウスはバーティを見ながら満足げに頷く。
バーティは私の横の席に腰掛けると、少々興奮気味に言った。
「同じ寮だなんてラッキーだな」
「ええ、そうね」
私はルシウスに向けたものと同じ表情でバーティに対しても笑いかける。
バーティは少し顔を紅くすると、それを誤魔化すように私を挟んで一つ奥にいるルシウスに挨拶し始めた。
その後も組分け帽子は四つの寮に新入生を組分けていき、ついに最後の一人の寮が決定する。
それと同時に城の中を案内した魔女が帽子を片づけ、代わりに職員テーブルの中央に腰掛けていた老人、校長のアルバス・ダンブルドアが立ち上がった。
「新入生諸君! 入学おめでとう。歓迎会を始める前に、少々話をせねばなるまいの。『少々!』以上じゃ」
ダンブルドアの話は本当にそれだけのようで、生徒たちからは拍手喝采が沸き起こる。
私も形だけの拍手をダンブルドアに送った。
ホグワーツの校長が変人だとは兄のシリウスから聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
もうすでにボケ始めているのではないだろうか。
だが、あんな変人でも世間の評価は高い。
生まれてから殆どの時間を屋敷の中で過ごした私でも、あの変人の評判を耳にする程だ。
校長の話が終わると同時に、目の前に置かれた皿が料理でいっぱいになる。
私は目の前にある金の皿を撫で、そこに掛けられている魔法を解析した。
なるほど、どうやらこの料理たちはすぐ真下にある厨房から転移させられてきたようだ。
きっとホグワーツには多くの玉兎……いや屋敷しもべ妖精が住み着いているに違いない。
「どうしたセレネ。食べないのか?」
横で早速ベーコンに齧り付いているバーティが不思議そうな顔で聞いてくる。
正直地上の食べ物を体の中に入れたくないが、食べなければ餓死が待っているだけだ。
「いえ、少し考え事をしていただけよ」
私はポテトサラダをボウルから、自分の皿に盛る。
生きるために殺し、そして死に至る。
食事とは、まさにそれの象徴とも言える行為だ。
ああ、なんと残酷で、穢らわしい。
自らが生きるために他者を殺さなければならないなんて。
私が暮らしていた月の都には、穢れが限りなく存在しない。
穢れがないからこそ、月の都は永遠であり、またそこで暮らす民も永遠なのだ。
私はポテトサラダと子豚のベーコン、リブロースステーキにキドニーパイ、ローストビーフをかぼちゃジュースで流し込む。
そしてデザートに大きなアップルパイを皿ごと確保し、切り分けることなくフォークを突き立てた。
地上は残酷だ。生きるために殺し殺される。
だが、その二択しかないのなら、私は殺す側がいい。
私はアップルパイの最後の一切れを胃袋に収めると、ナフキンで口の周りを拭いた。
新入生の歓迎会が終わると同時に、監督生のルシウスに引率されてスリザリンの寮へと案内された。
ルシウスは大広間を出ると階段で地下へと下り、地下牢を進んでいく。
そして地下牢の奥の石壁の前で立ち止まると、石壁に対して言った。
『偉大なる目的のために』
その瞬間、石壁が左右へ開き、人の通れる隙間が出来る。
ルシウスは扉の脇に退くと、新入生を寮の中へと招き入れた。
スリザリンの寮は天井の低い細長い地下室だった。
荒削りの天井からは緑がかったランプが鎖で吊るされており、壁の彫刻を怪しく照らしている。
「ここがスリザリンの談話室だ」
ルシウスはホグワーツでの生活の注意点や、寮生活の決まり事などを新入生に説明し始める。
私はそれを聞き流しながら、談話室を隅から隅まで観察し、ため息をついた。
罰として地上に堕とされはしたが、まさか地上を通り越して地下で生活することになるとは。
ここまで来ると、惨めを通り越して少し笑えてきた。
その日の夜。
私は同室の人間が全員寝静まったことを確認すると、ベッドを抜け出して靴を履きローブを羽織る。
そして部屋にある窓へと近づいた。
幸い私が寝泊まりする女子寮は地下にある談話室から螺旋階段を上ったところにある。
どうやらホグワーツ城に何本か突き出ている塔の一つがスリザリンの女子寮になっているようだ。
私は窓を開けると、宙に浮き、窓の外へと飛び立つ。
そしてそのまま塔の天辺まで飛び上がり、屋根が平たくなっている箇所へと降り立った。
「今日はまだ月は出てない……」
ローブを敷物代わりに屋根に座り、夜空を眺める。
月にいても地上にいても、夜空の景色だけは変わらない。
いや、大気の影響で月の方が綺麗に星が見えるか。
なんにしても、見える景色は同じだ。
「本当に、もう月へは帰れないのね」
千二百年前、『蓬莱の薬』を飲んだ蓬莱山輝夜は二十年間地上へと堕とされた。
そう、輝夜は本来ならば、月に帰れたのである。
だが、輝夜は月へ帰ることを拒否し、八意様と逃げた。
彼女が『蓬莱の薬』を飲まなければ、彼女が月へ帰ることを拒否しなければ、八意様が月の使者を皆殺しにしなければ……私は今も月で優雅に桃でも齧っていたかもしれない。
輝夜から地上での思い出を聞きながら、呑気に笑い合っていたかもしれない。
「どうせ作れもしないのだったら、『蓬莱の薬』なんて研究しなければよかった」
今も私の脳内には『蓬莱の薬』の事細かな調合法が記憶されている。
だが、実現不可能な調合法など、夢物語も同然だ。
「あれれ〜こんなところに生徒がいるぞ? お外はこんなに暗いのに、おっかしいなぁ!」
不意に後ろから声が聞こえ、私はゆっくり振り返る。
そこには多くの半透明のゴースト……いや、ポルターガイストと思われる男性がニタニタとした笑みを浮かべて宙に浮かんでいた。
「フィルチに言いつけてやろうか? あいつは新入生だからって容赦はしないぞぉ? 親指を縛り上げて吊し上げるんだ。さぞや痛いだろうねぇ」
「貴方、お名前は?」
私は屋根から立ち上がると、ポルターガイストの男性へ名前を聞く。
するとポルターガイストはケタケタと笑いながら言った。
「人に名前を聞くときは自分から名乗るものだってお母ちゃまから教わらなかったでちゅかー?」
「あら、ごめんなさいね。私はセレネ・アルテミス・ブラックよ」
「ブラック? それじゃあ、あのシリウスのクソガキの妹ってわけ?」
ポルターガイストは意外そうな顔をして空中で一回転する。
「ええ。シリウスは私の兄」
「へへー! 意外だなぁ。シリウスのやつにこんな妹がいたなんて。これはあの高慢チキを強請るいいネタが出来たぞ!」
どうやらこのポルターガイストは兄のシリウスと知り合いのようだ。
仲がいいのか悪いのかはわからないが。
「それじゃあお前、取り敢えずここから飛び降りろ。フィルチにチクられたくなかったらな!」
ポルターガイストは笑いを堪えるようにしながら私を指差す。
「フィルチに捕まるのと地面に激突するの、どっちがマシだろうなぁ? どうした? 恐怖で震えて声がでまちぇーんってか? ギャハハハハハ」
「ふふふ、どっちも怖いわー」
私はポルターガイストに笑いかけると、ローブを羽織り、屋根の縁に立つ。
「貴方、お名前は?」
「なんだお前? ふん、俺様は最強で最恐で最凶のポルターガイスト、ピーブズ様だ! ホグワーツで最も偉大な俺様を知らないだなんて、まったく最近の監督生はどんな教育をしてるんだ?」
「そう、ピーブズというのね。落ち込んでいた私に声を掛けてくれて本当にありがとう。またどこかで会いましょう」
私は一歩後ろへと歩き、そのまま左足で宙を踏む。
重心が屋根の縁より外側に出たため、私は物理法則に従って屋根から落ちた。
「おい! ばかや──」
ピーブズが慌ててこちらに飛んでくるのが見えたが、少し遅い。
私は既に自由落下を始めている。
私は落下しながら空中で身体を捻り、そのまま宙を舞って先程の窓から女子寮へと入る。
そして窓をピシャリと閉め、ローブを脱いで欠伸を噛み殺しながらベッドへと潜り込んだ。
ピーブズ、彼は邪悪な存在だが、穢れは感じなかった。
ポルターガイストは死から生まれたゴーストとは違い、生も死もない。
生きてはおらず、死んでもいない。
彼はこの穢れた地上において、数少ない穢れを持たない存在だろう。
次の日。歓迎会から一日しか経っていないが早速授業が開始された。
新入生は大広間でガイダンスを受けた後、それぞれの寮に別れて授業の行われる教室に向かう。
ホグワーツ最初の授業はゴーストのカスバート・ビンズが教える魔法史だった。
ビンズは黒板をすり抜けるようにして教室に現れると、教科書を開き朗々と読み上げ始める。
その声は催眠効果でもあるのか、ホグワーツで始めて受ける授業にも関わらず、教室の半分以上が居眠りを始めた。
ビンズもビンズで、居眠りをする生徒を咎めるようなことはせず、淡々と授業を進めていく。
私は教科書をパラパラと捲り内容を全て暗記すると、教科書を枕にして居眠りを始めた。
魔法史の授業は、全て寝ていても問題ないだろう。
魔法史の次は闇の魔術に対する防衛術の授業だった。
闇の魔術に対する防衛術とは、その名の通り闇の魔術や魔法使いに対処する術を学ぶ授業である。
とは言うもの、一年生で習うことは殆どが座学だ。
教科書の内容を見ても魔法界に生息する危険生物や簡単な呪いの対処法ばかりが記載されている。
教師である元闇祓いの魔法使いはここから先の授業の内容を簡単に説明した後、深刻な顔で言った。
「現在、ヴォルデモート卿を名乗る闇の魔法使いが手下を集め、マグル生まれや半純血の魔法使いの粛清に乗り出し始めておる。魔法省はこの事態を重く受け止め、対抗勢力を組織し始めた。近いうちにイギリス魔法界は全面戦争へと突入するであろう。ホグワーツにいる限り安全であることには違いないが、君たちには自らや、自らが大切に思う者を守り通せる力を身につけて欲しいところである」
そう、現在魔法界ではヴォルデモート卿という闇の魔法使いが勢力を強めている。
ヴォルデモート卿の目的は純血による魔法界の支配。
実際にここ数年で多くのマグル生まれやマグル寄りの半純血の魔法使いが無惨に殺害されたり、失踪したりしていた。
「それと……」
と、担任の魔法使いは続ける。
「もしそのような勢力に勧誘されたとしても、決して近づいてはならん。闇の勢力に加担した代償は大きく、君たちの人生を大いに狂わせることになろう」
まあ、その忠告は妥当だろう。
スリザリンは純血の魔法使いが多い。
それと同時に純血こそが真の魔法使いであり、マグルやマグル生まれの魔法使いは純血によって支配されるべきだという純血思想が根付いている。
私の両親……オリオン・ブラックとヴァルブルガ・ブラックも純血主義の魔法使いだ。
ヴォルデモート卿の配下、死喰い人にこそなっていないが、二人はヴォルデモート卿の思想に賛同している。
きっと新入生の中にも、親が死喰い人であったりヴォルデモート卿が魔法界を支配することを待ち望んでいる人間がいるはずだ。
闇の魔術に対する防衛術が終わり、私は大広間へ昼食を摂りに戻る。
大広間は既に多くの生徒で賑わっており、私も群衆に混ざって昼食を摂り始める。
パスタの大皿を手元に引き寄せ、フォークで巻く。
パスタだけだとバランスが悪いのでソーセージが山のように盛られた皿も手元に引き寄せた。
「セレネ、隣いいかい? って、もしかしてそれ全部食べるつもり?」
私の返事を待たずにバーティが隣の椅子に座る。
「そうだけど?」
「あ、いや……なんでもない」
バーティは軽く首を振ると、自分の皿に料理を盛り始めた。
「午後は変身術と魔法薬学だっけ。大鍋の準備をしておかないとな」
「それじゃあ、一度寮へ戻らないとね」
私はパスタの大皿を平らげると、ソーセージの大皿に取り掛かる。
バーティは私が抱え込んでいる皿にフォークを伸ばすと、ソーセージを一本突き刺した。
「それに魔法薬学はスリザリンの寮監のスラグホーン先生の担当だ。昨日マルフォイ監督生に聞いた話だと寮監はお気に入りの生徒を抱え込むお人らしい。定期的にお気に入りを集めてパーティーを開いているって話だ」
「お気に入りの生徒をねぇ」
私はバーティがフォークでソーセージを持ち上げると同時に、そのソーセージを手でフォークから外し、自分の口の中に入れる。
「なんにしても、寮監がどんな人物かは興味があるわね。何せ七年間私の世話をする人物ですもの」
「……セレネ、お前意外と食いしん坊なのな。言い方は気になるけど、まあ七年間世話になる人だ。気に入られるに越したことはないと思うよ」
バーティは私の皿からソーセージを取ることを諦めたのか、素直に別の皿のソーセージを食べ始めた。
当たり前の話だが、月の都にソーセージなんて食べ物はなかった。
殺した動物のはらわたを抉り、その中にグチャグチャに潰した肉を詰め込むなど、狂気の沙汰だ。
私はパリッとした皮の食感と濃厚な肉汁を口の中いっぱいに感じながら人間の罪深さを嘆いた。
プチコラム
ホグワーツの寮
ホグワーツにはグリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリンの四つの寮があり、生徒の性格や思想により組分けが行われる。グリフィンドールは勇敢で気高い生徒が集まりやすい。レイブンクローは賢く、知性的な生徒が集まりやすい。ハッフルパフは優しく、思いやりのある生徒が集まりやすい。スリザリンは野心的で、仲間意識の強い生徒が集まりやすい。
また、伝統的にグリフィンドールとスリザリンは仲が悪く、毎年何かしらのいざこざを起こしている。
監督生
ホグワーツの寮には監督生という制度が存在している。監督生は五年生の時に男女一名ずつ選出され、大きな問題がなければ卒業まで監督生を務めることになる。よって、各寮には計六名の監督生がいる。ルシウス・マルフォイはスリザリンの七年生の監督生。
穢れ
セレネの言う穢れとは、生きること、そして死ぬことという生命の営みのことを指す。なぜセレネ、月の民が穢れを嫌うのか。それは、本来生命とは穢れがなければ寿命など存在せず、永遠の存在だからだ。穢れが限りなく少ない月の都で暮らしている月の民たちは、何万、何億という時間が経っても殆ど老いることがない。
ポルターガイスト
ハリー・ポッター世界のポルターガイストは不死不変の存在であり、生きても死んでもいない。よって、セレネの言う穢れを持たない。多くの生徒から忌み嫌われるピーブズだが、セレネからしたらホグワーツで一番好感が持てる相手である。
飛行能力
魔力を使い箒で空を飛ぶのとは違う理屈で飛んでいる。セレネからしたら何万年も前から当たり前のようにできることなので、どうして飛べているかなど考えたこともない。
まだ『名前を言ってはいけないあの人』ではない時代
セレネ入学の時点で一九七二年。ちょうどヴォルデモート卿が猛威を振い出し始めた頃。恐れられてはいるが、タブーというほどではない。なお、後数年もしないうちに名前を呼ぶことすら憚られるほど恐れられることになる。
ヴォルデモート卿とブラック家
ブラック家はヴォルデモート卿の思想に賛同してはいるものの、死喰い人として配下についているものはいない。
ソーセージ
罪深い食べ物。