あとがき
この作品は二〇一九年に『吸血の勇者ユーリル』として「なろう」に発表したもののエタってしまい、第三部で強制終了したものを二〇二二年に再執筆し、真の意味で完成させたものである。さらに二〇二三年に季節描写や年月の移り変りなどを加筆し七万八千文字作品から十万字を突破させた作品へとブラッシュアップさせた。
エタった作品って再出発できるんだね。しかも冒険世界は近隣諸国はおろか隣の星にまで広げる形となりました。登場する魔族も随分と増えております。
また、『暗黒竜の渇望』にて(執筆期間二〇〇八年~二〇一二年)原子力災害の悲惨さを書いたが、今度は『吸血の勇者ユーリル』にて原子力災害復旧をもテーマとしたファンタジー作品として表現することにまで成功しました。自分でもここまで福島第一原発事故の復興がここまで進むとは思っても居ませんでした。だからもうこういう表現は二〇二二年において許されるだろうと決断しました。
もちろん復興などしておりません。二〇二二年において帰宅困難地域は依然としてまだあります。それでも十一年でここまで復旧したのならいいだろうと。福島の復興はまた道半ばですけど。
また二〇一九年版『吸血の勇者ユーリル』とは大きく異なる部分があり、二倍三点リーダー、二倍ダッシュ線、会話文の最後に句読点をつけないように気をを付ける、アラビア数字は極力避ける、場面転換記号を新たに付与しています。つまりやっと文芸の出発点に自分は到達したといううれしいのか悲しいのか分かりませんがご報告いたします。
二〇一九年版と違う事はまだあります。それは学園パートとお茶会シーンと料理シーンです。これは悪役令嬢ブームを鑑て追加したものです。二〇一九年版はそこまで悪役令嬢・聖女ブームは無かったのでたった三年でここまで作風を変えないといけないのだなと改めて実感しております。
この一度エタった作品を復活させただけでも本当にいろんなものを学びました。
本当に読者の皆様には感謝の念でいっぱいです。
それでは次の作品でお会いしましょう!
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ここからはなろうオリジナルのあとがきです。吸血鬼って人間の血が無いと死ぬじゃん。なのに何で人間の血を求めて全滅に持ち込むのだろうって。そんなわけないじゃんっていう疑問からこの作品は始まった。つまり実は人間は吸血鬼に守られていたってオチだし吸血鬼が編み出した医療で活かされていたってオチだし吸血鬼の先祖は人間、つまり似た者同士って意味を込めたかった。そして石棺などの儀式を見ればわかるけど奪った命に対する敬意を彼らは忘れていない。それが命を奪う者の責務なのだとも伝えたかった。この命の重さを忘れた者の暴走の怖さを含めて伝えたかった。主に中学生向けに。だからこの物語は大人が読んでもつまらないかな。最後は実はバッドエンドだしね。なろう系が求めている作品って要は「俺ツエー・チート・ハーレム・婚約破棄・ざまぁ」でしょ? でもそれって自分の恨みやコンプレックスを解消したいだけじゃん。ラノベって本当にそれでいいのかな? もっと中学生が読みたい作品に戻すべきなんじゃないのかなって思って書いた。本当に僕は十万字を超える作品に四年もかけて到達できるだなんて思わなかったよ。たとえ読者は書き手である僕一人だとしても作品に意味のあるメッセージを込めて文庫本一冊分の分量にまで到達できるだなんて思わなかった。
仮に最後まで読んでくれた人ならこのあとがきの意味も伝わると思う。ちなみに冒頭から三話でクライマックス・ネタバレのようなみっともない作品にするつもりも無かったし真相も世界設定も第四章から分かるようにこの作品は出来ている。だからこの作品はWEB投稿作品としては埋もれるだろう。いいのだ。いつかこの作品を読んでくれる人が居たら。
それが、生きるってことだろう?
いずれ「なろうテンプレ」の時代は終わる。その時に注目されるのは児童文学のような作品だと僕は思う。だからこの作品を完成させた意義は大きいと思ってる。この作品の脚光が浴びるのが五十年後、百年後、千年後だとしてもだよ? 物書きってそういうあり方で書くべきなんじゃないかって思ってるの。
じゃ、また次の作品で会おうな!
山田健一は35歳のサラリーマンだ。やり込み好きで普段からゲームに熱中していたが、昨今のヌルゲー仕様の時代の流れに嘆いた。 そんな中、『やり込み好きのあなたへ』と//