ペットショップで購入して捨てる?

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美談の人の正体は詐話師であるが、お金のために欺いているとは限らないし、ただひたすら感動を求め、嘘の泥土に塗れていることもある。本当の話はおもしろくないので、おもしろさを求めた結果かもしれない。真実は素っ気なく淡白だが、嘘は華やかで感動できる。野良犬や野良猫の大半はどう見ても雑種であり、ペットショップで売られている純血種とは対極である。それでも、なぜか、ペットショップで買った犬猫が捨てられるというストーリーを言い立てる詐話師がいるようだ。野良猫というのを、「昔からの野生の猫」と捉えるのではなく、「捨てられた」と捉えたいらしいのである。野良猫が野外で繁殖を続けてきたという明々白々たる事実を認めたくないらしいのである。とにもかくにも、「捨てられた」というのが詐話師の語り口のトリガーとして極めて重要であるらしい。「捨てられた」という嘘をどうしても物語の根幹にしたいので、嘘まみれになる。なぜ「捨てられた」だと感動の強度が上がるのか、それは知らない、もしくは捨てられたからこそ「助ける」という展開につながるので当然の話かもしれないが、なんにせよ「捨てられた」が必須らしい。なんとなく野良猫を拾って飼いましたというだけだと、命を助けるという要素がないので、感動の強度が弱いらしいのである。ペットを飼うのは救助活動とは別だと思うのだが、どうしても等号で結びたいらしい。ペットショップで買う人は、見た目が可愛いから犬猫を購入するというエゴを隠さないし、愛玩のために買うだけだから、「捨てられた命を助ける」という感動物語を求めない人もたくさんいるのだが、逆に言えば、これが詐話師たちの仮想敵になりやすい。トイプードルが可愛いからお金で買った、スコティッシュフォールドが可愛いからお金で買った、それで愛玩目的としては用が足りているし、犬猫を可愛がるのに救助活動である必要はまったくないのである。なぜインチキな詐話師に限って「命を助ける」のが好きなのか、嘘つきが嘘を好む、それだけかもしれないが、もしかすると、愛玩目的とわりきっている人も、どこかしら後ろめたさがあるのかもしれないし、その心の隙に「犬猫の命を助ける」らしい詐話師が悪魔的に付け込むのかもしれない。
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