山谷地区というのは、神田から、三ノ輪を過ぎて、南千住という駅の周辺に集まっている宿で、なんか色々あるわけですが、そこのフロントもやはり教頭ですね
私がその山谷にいたのは平成30年2月12日~25日の間だと思いますが、 13日あるので、この13日にですね、2回くらいしか止まらなかったが
宿の名前は憶えていない。何でその頃に金があったかと思うと不思議ですね。宮崎市のゆうちょで通帳が来ますと言われてから、いつ頃来たかも分からないし、
その教頭ですが、平成30年の2月になんか、フロントのドアをうるさく閉めたら、静かに占めてくださいよとかいったり、部屋に案内するときに、せっかくきてもらったんだから
といった狂った言動があったですね。地下に風呂場があってジジイが入っていたのを思い出した。もう1つの旅館もあったんだけど、まあそれもあって、自演ではないかと。
平成29年7月19日に手術が終わって、20日に延岡に帰ってまた長い事干されていたので、その通帳を奪還して山谷に泊まりながらポパイに何度も止まって、板橋ハウスに入った
のはそれからということになる。それだけ干されている期間が長すぎる。出所後もそうですが、平成27年は特に酷かったし、平成28年も同じ。事態が好転してきたのは
平成29年からでそこから色々あったんですよね。それで散々干されてから、平成30年2月12日以降に山谷を回ってそれから4月6日に志村福祉事務所で保護開始になった
わけですが感想としてその時は保護自体は消えていて板橋ハウスに入ったというだけで、しかし入った直後に横の部屋のガキがうるさくて、4月24日に、207号室から206号室に
移って、5月になってから墨田区のオヤジと喧嘩したことがあってそれからも色々あったんですが、209号室に昔から篠原っていうのがいて、そいつが何かをしているときに、
4月12日に警官殺しがあって、5月に佳代子のオヤジが電話で切れてから、6月26日に更に警官殺しがあったんですよね。杉浦真理子の診察は、 平成30年7月4日か7月18日
に開催されたんだけども、8月は特に何もなくて、9月5日に田舎に帰って、10月10日に戻ったとありますが、中島康弘が平成31年3月8日に決定文を書いたときには書類はあったけど
消えていたんですよね、その書類が。で、 平成31年の2月にも帰っていて、令和元年の4月22日頃にまた戻ってるんですが何かあったかというと特に記憶になく、
日付だったり部屋番号だったり、数字に対する記憶力すごいなあんた。 さすが東大卒。
日記見ながら書いてる
いちいちそんな細かいところまで記録してるのもスゴイ 学者肌やね