これ、「同じ風呂に入りましょう」という話に捉えて更に差別的な言葉を書き込んでいる方がいるのですが、主題は同じ風呂に入るかどうかではないです。そこについては議論が必要で、「はい、そうですね。とはならない」と書いています。
私が話しているのは、差別や攻撃の話です。
本当に体と心の性別が乖離している女性が存在する中で、この議論をする際に責められるべきはその方達ではない、その方達に対する差別的な発言や攻撃は分断を産むだけだから辞めて、冷静に議論しろ、と話しています。
「トランス女性に女性を性的対象にする変態はいないのか」。
いるかもしれないですね。「女性に女性を性的対象にする変態がいる」ように。
そういう変態が存在した際、後者より前者に危険を感じる気持ちは分かります。身体的な違いによって力に差がありますから。
ただしその前提があるとしても、責められるべきはやっぱりその一部の「変態」であり、「トランス女性」、もっといえばトランスジェンダー全体ではありません。
お風呂は分けたい、身体的特徴の違いが危険を生む、見分け方が分からない。
分かります。
ただしだからといって、差別的な言葉でトランス女性全体に対して酷い言葉を投げかける理由にはなりません。
その言葉は、この議論に参加していない、ただ黙って粛々と生きておられる方々の心も傷つけますよ。
ようやく世界が受け入れ始めたと希望を感じていた方々の心を、私は折りたくない。
議論は必要です。
現状戸籍だけで判断して女風呂を使用するのは、申し訳ないけれど、変態が紛れ込む限りは難しいかもしれない。
そこで差別的な言葉を投げるのではなく、じゃあ、どうしたら良いかな、と考えるのが議論だと思います。
体を変えられない理由はどこか。金銭面?そこのサポートができないか。
それとも精神面?そこにはどんな気持ちがある?
それでも「やっぱり厳しいね」という結論に落ち着くかもしれない。
だけどそこに至るまでの過程が「議論」であったか、「攻撃や差別」であったかは、大きく違うと思いませんか。
何度も言いますがこの分断を産んでいるのも、責めるべきも「変態」。
女性も男性も、敵は互いではなく「変態」です。
そこを分ければ、口から酷い言葉は出てこないと思います。
と、書いていて思いましたが、私も自分の立場で何かできることを探し、動いたほうが良さそうですね。
取り敢えずこの件についてもう少し勉強しながら、取材して記事にします。
私は差別主義者と人に危害を与える変態、同じくらい嫌いです。
引用
yuzuka@新刊発売中
@yuzuka_tecpizza
トランス女性が女風呂に入れるようになる女性側にとっての一番の弊害は、それに紛れて「トランス女性のふりをした変態男」が女風呂に入ってくることであり、「本来のトランス女性が女風呂に入ってくること」ではない。問題は身体的な特徴を変えていない限りは外見上から見分けが付きづらく、紛れる変態…
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