うまくいかなかったという結果を得た。
最近、ちょっと新しいことに挑戦してみたが、当たって砕けた。すぐにうまくいくわけないよ、と何度も自分に言い聞かせていたくせに、それはほんとうは期待しているということの裏返しだったみたい。その日は、あ…わたし…めげそうです…と思って、湯船に浸かってもお気に入りのタオルケットにもぐっても、心がどんよりしていた。
それなのに。翌日には、これを受け止めてまた次を考えようと切り替わった。我ながら見事なトランジション(無駄にバスケ用語を使ってみたがるワールドカップかぶれ)。
だってわたしは、挑戦して、うまくいかなかったという結果を得たんだから。これでまた次に進めばいい!と清々しかった。
ずっと白黒思考で生きてきたわたしが、こんなことを思えるようになるなんてなあ、やるじゃないかと、自分に感心する。わたしは長い間ずっと、失敗とか負けとか不合格とかそういうものは、何もないことと同じだと信じ込んでいた。だけどここ数年でそれなりに人生の激流にもまれたことで、すこしずつまあるくなり、考え方が変化してきた。
もうずいぶん昔のことだけど、わたしは大学入試センター試験であがってしまい、ことごとく模試の点数を下回ってしまった苦い経験がある。当時は、あ~もう全部水の泡だって本気で思った。志望校を変えて大学生にはなんとかなれたけれど、センター試験は長い間わたしにとって「がんばったけど結果を得られなかった試験」になっていた。でもあれは、失敗したという結果を得たんだよなと、今、三十代になったわたしが思う。
必死に勉強したけど目標の点がとれなかったこと。力いっぱい練習したけど負けたこと。体外受精をしたけど四回陰性が続いたこと。続けようともがいた末に会社を辞めたこと。どれもぜんぶ、わたしが挑戦して、がんばった先に得た結果。もっとこんなふうにやっていればという反省は挙げればキリがないけれど、それは未来へのもので、過去に置き忘れなければいいだけ。センター試験での失敗も、ちゃんと今の自分につながってる。体外受精で陰性が続いたことも、その後の治療ひいては生き方を考えるためのステップになった。どんな結果でも得ることで次に進める。ふつうはもっと早く気づくのかもしれないけど、わたしは壁にぶつかりまくって三十うん歳になってようやく、ここに来られた。遅咲きなんだきっと。
うまくいったことも、いかなかったことも、手に入ったものも、入らなかったものも、そのうち全部わたしになる。そう気づいたら、なんにもこわくないや。どんどん挑戦しちゃえばいいよねって思う。noteもどんどん書いちゃえばいいよね。あまり読まれなかったり、いまいちだったなぁとあとで思った記事があったとしても、書く前の自分よりはよっぽどいい。その結果を踏まえて、また明日次を考えればいいのだから。
おわり