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ちんちんは笑えるのにまんこは笑えないのはなぜだ。

 『ちんちん短歌』を編纂するルールの中に、「まんこ」が入っていれば、それがちんちんという言葉の代わりになり「ちんちん短歌」だ、ということにした。これは「まんこにはちんちんが入る」という説明でそうしているんだけれど、本当にそれでいいのかどうか、若干迷っている。
 やはり、「ちんちん」という単語が入っている短歌が千首詠まれている歌集、というインパクトがあると思ったし、ちんちんが枯渇したからまんこなんだなあと思われるのもしゃくだ。

 だけど、「まんこ」も歌になるのになあ、というのをすごくやりたいところでもある。まんこを歌って、ちんちんと同じくらい、笑えるもの、苦しいものを詠んでみたかった。

 そこで「まんこ短歌」をイメージする。
 「まんこ短歌」――ちんちん短歌より、切実さというか、つらさというか、笑えなさが漂うのはなぜだろう。
 いや「ちんちん短歌」の、ちんちんがむしろ、笑えるのか。

 「まんこ」が笑えないのか。だとしたらそれはなぜだ。

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 女芸人さんの悩みのそれと同じなのかなあ。
 この間ゴットタンで、蛙亭という漫才コンビの岩倉さんという女性が、「私が一番面白い」というマジ歌を歌っていた。
 女芸人は男芸人に比べて下に見られてしまうし、笑えない、そんな中で、岩倉は歌う。私は面白い、と。
 面白かった。感動もした。だけど、あんまり笑えないかもなあとも思った。なぜなのか。

 まんこは今、笑えない、と思う。まんこを見せても笑う人は少ないし、まんこの話でも引かれてしまう。
 おっぱいは笑える可能性ある。だがまんこはだめだ。なぜなのか。内蔵だからか? でもそれだったら、ちんちんだって同じだ。

 題材が社会的に「弱すぎる」と笑えないというのがある。
 身体の障碍であっても、たとえば「チビ」や「ハゲ」は笑える。「ブス」「デブ」も……まだ、笑える。身体にとって社会的に不利益を得る体の特徴でも、これらは(この記事を書いた当時は、まだ)笑いになる。ちんちんも同じカテゴリなのだろう。
 それらは「男の成人」の領域、つまり、この星の支配者の領域だからだ。だから、「強い」のカテゴリに入ってしまう。
 それから外れてしまったもの――例えば年を取り、老人になったとして、「(男の)老人のボケ」は笑えても、「痴呆」「アルツハイマー」は笑えない。それは男性の成人ではなく「病人」になってしまうのだ。この星の支配者ではない、外側の世界のものだから、共感されない、笑いも起きない、となる。
 老人の能力低下が個性ではなく、「病気」として診断が下ってしまった蛭子さんは今、笑いとして成立させることができづらい。

 じゃあ「吃音」はどうだろう。「聴覚障害」はどうか。「視覚障害」だったら、どこまで笑えるだろうか。「手足の欠損」……乙武さんは冗談にしているし、笑ってしまうときがあるけどどうなんだろう。「末期ガン」ではどうかな。闘病記とかでユーモラスなものをみたことはあるけれども。
 それらは、この星の支配者からみて、やはり「外の物」なのか。
 それらのカテゴリの中に、「まんこ」があるのではないか?

 身体の障碍は、「感動」以外で歌にならないのかもしれないなあと思った。身体の障碍を、笑いにするには、この星の支配者階級のものにしなければならない。地球人類全員、手足を欠損させれば、きっとそれを利用した笑いや、感動以外のツールにも登場するんじゃないかなあ。

 感動以外で障碍って扱えないのだろうか。 

 ちんちん短歌は、人を感動させようとか、よく思われようとか、そういう所にある短歌ではない。私が「セックスしたいなあ」と思い、これを目にした人に「セックスさせてくれたらうれしいです」というメッセージが伝わり、実際に出会ってセックスするのが目的だった。
 だから、感動させようとかではなく歌が詠める。「あ、このひととならセックスしてもいいかも」と思わせるために詠っている。だから、まんこを詠って、「なるほどこの詠み手はまんこをこう見ているのか」と伝われば、セックスさせてくれる可能性が高いとふんでいる。

 私は世界の支配者階級にない。外側の人間の予感がする。短歌、いや文芸は、やはりどこかで、この星の支配者階級に寄り添ったものになっていないか。
 そこから逃れ、まともな成人の男のカテゴリから逃れたところで、セックスするためにはどうしたらいいのか。というか、成人の男ではない者が、セックスをしてもいいのかどうか。死んだほうがいい人間が、死者が、生者に懸想を抱いていいのだろうか。そう思い込みがある時点で、私はもうこの星の支配者階級に取り込まれているのだろうか。

 そして、謙遜やら自虐している割に、けっこうがっつり自分自身も、「男性の成人」――この星の支配者側に、組していないかどうか。
 組しているからこそ、『ちんちん短歌』なんてやれてしまっているんじゃないか。
 それはものすごく、安全圏から誰か――まんこや女性たち、社会的弱者を笑い殺している事に、私は加担しているんじゃないか。だとしたら、私は生きない方がいいのか。

 それでも生きる場合、何をすれば許されるだろう。何をすれば。どう詫びて生きれば、下を向いて生きれば。

 いま、ちんちんを見るために、うずくまって生きている。

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【ちんちん短歌出版世界】藤田描

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「ちんちん短歌出版世界」の世界長をしている者です。 ちんちん短歌同人誌『ちんちん短歌』を出版しました。これが世界なのかわかりません。
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