2021年9月15日 プライバシー設定: 公開
【長文です】
1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件…オウム真理教が起こした未曾有のテロでした。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、今もなお、PTSDなどの後遺症で苦しむ方々の症状が少しでも改善しますようお祈り申し上げます。
なぜ、あの日、自分は自衛隊医官として派遣された聖路加国際病院で、多くの負傷者がサリンによる中毒であることを診断でき、その初期治療に硫酸アトロピンとパムを使用しないとならないと即座に聖路加の先生方に具申できたのか?
今日は、あるテレビ番組のインタビュー取材を受けました。番組制作スタッフの方が、聖路加国際病院の先生から、当日、私が配布したサリンに関しての文献資料を見せてもらえたということで持ってこられたのです。自分ももう持っていない当時の貴重な資料を再び目にして当時のことが鮮明に蘇ってきました。
備忘録的にその一部をここに書き記しておきます。
自衛隊の医官が普通の医学部を卒業した医師と違うのは、戦時(有事)の医療を学び、訓練を受けていることです。防衛医大卒後、陸上自衛隊の医官となった自分の場合、3回軍医としての教育訓練を受けました。1回目は防衛医大卒後すぐに幹部候補生学校@久留米で。2回目は、2年間の初任実務研修(研修医)を終えた3年目に初級幹部課程(BOC)を衛生学校@三宿で。最後は専門研修を終えた7年目に上級幹部課程(AOC)を同じく衛生学校で。これらの課程では、幹部自衛官としての知識・技能・素養の習得も課せられます。
AOC入校は1995年1月10日でした。3月17日の卒業までの約2ヶ月間、臨床から離れ、学校の教室での座学とまだ寒さも厳しい富士の演習場での大量傷者訓練など自衛隊医官として、みっちり鍛えられます。
幹部候補生学校、BOCでは「この平和な日本で毒ガス?無い無い」という感じがどこかにあった気がします。しかし、AOCではその半年前に松本サリン事件があり、「この日本でサリンなどという恐ろしい毒ガスが使われたんだ…」と、改めて姿勢を正して特殊武器衛生・特殊武器防護の授業を聞いていました(その授業を担当していた教官が、以前の赴任地であった旭川駐屯地は第2後方支援連隊衛生隊の元隊長で結婚式の披露宴で主賓の挨拶をいただいた上官だったため、より一層授業を真面目に聞いていたかもしれません)。
もう一つ、自衛隊には自己錬成という時間があり、AOC入校中は、16時から17時がその時間帯でした。普通の自衛官はだいたい体力錬成(ランニングや筋トレ)するのですが、教官が「医官たちは、英語が得意だろう。ここに最新版のEmergency War Surgery NATO Handbook がある。これを担当を決めて、和訳して欲しい。諸君以外の衛生職種隊員(看護官、薬剤官、臨床検査技師や放射線技師の自衛官)のために錬成時間はその作業をお願いしたい。」と僕らに投げかけたのです。たまたま僕の担当箇所が神経剤、毒ガスでした!
そして、衛生学校のAOCでは卒業試験もあるのです。卒業の10日前から3日間、入校期間中に学んだ各科目の試験があり、それに合格しないと原隊復帰させてもらえません。しっかり勉強して卒業試験に備えました。特殊武器衛生・特殊武器防護で出題された問題は、「戦場で神経剤と思われるガスに晒された隊員が示す臨床徴候を5つ書け。そして、初期治療について述べよ。」というものでした。地下鉄サリン事件の丁度10日前にこの答えを無心で解答用紙に書き込んでいました。
・胸部圧迫感又は収縮感があった時
・呼吸困難を感じた時
・自分又は近くの人の瞳孔が小さく、帽針頭大になった時
・眼に引っ張られるような弱い疼痛を感ずる時
・瞳孔収縮により視野が何となく薄暗く感ずる時
初期治療:硫酸アトロピン2mgを筋肉内注射する
卒業試験にも無事全員合格し、3月17日の金曜日に晴れてAOC課程を卒業。衛生学校と同じ敷地内にある自衛隊中央病院の医官室に、入校中にもらった教本、資料など一式を自分の机の上に置いて家に戻りました。配布資料等は、中には「部内限り」や「注意文書」などもあったため、そのままゴミ箱にポイって訳にはいかなかったのです。
週が明けた3月20日の月曜日、約2ヶ月ぶりに病院に復帰しました。病棟に入院患者がいるわけでもなく、医局や外来、病棟にAOCから戻ってきたことを報告し、8時半頃に外来待合ロビーを歩いていたところ、テレビのニュースで「都心地下鉄内で爆発事故の模様」というアナウンサーの声が聞こえました。同時に、ポケベルが鳴り、医局に戻ってみると、「青木医官、警視庁から省庁間協力で自衛隊に依頼が来た。地下鉄内で起こった爆発事故で多くの負傷者が出ているので救援を求むとのことだ。その白衣のままでいいので、玄関前に待機しているアンビュ(救急車)に乗って、LO(連絡担当幹部)が行っている飯田橋の警察病院へ直行してくれ。LOは青木医官もよく知っているM医官だ。」と、上官からの指示がありました。AOCに入校していた防衛医大9期の陸上自衛隊医官を中心に、海上・航空自衛隊の医官と看護官数名もメンバーに組み込まれ、午前9時前に自衛隊中央病院を出発。その際に、なんとはなしに「何かの役に立つかもしれない」と思い、医局の机の上に放置してあった衛生学校でもらった教本や資料を一緒に持って行ったのでした。
9時半前に警察病院に着くと、先輩のM先生が情報収集した状況を説明してくれました。「午前8時頃、都心のいくつかの地下鉄路線内で大量傷者が発生。当初は爆発事故との情報であったが、どうやらそうでは無い模様。聖路加国際病院他、いくつかの病院に多くの負傷者が搬送されている。手分けしてそれらの病院に行き、初期治療の援助に当たって欲しい。おっ、青木!お前は先週までAOCだったな。大量傷者には慣れてるだろう。一番、患者数の多い聖路加に向かえ。」と。仲の良い先輩だったので、他の医官を指名するよりも頼みやすかったんだと思います。僕自身も、阪神・淡路大震災(AOC入校中の1月17日に起こった)の際の医療支援部隊としては、行くことが叶わずにいたため歯痒い思いをしていたので、「先輩、任せてください。阪神・淡路の時に力になれなかった分、一生懸命全力でやってみせます!」と応えていました。
再び、アンビュに乗り、飯田橋から築地の聖路加国際病院へ向かいました。天気の良い、朝から暖かい春の日でした。皇居あたりの外堀通りは一般車両の通行はストップされ、救急車やパトカーがサイレンを鳴らしながら、走っている光景は異様なものでした。地下鉄の地上出口付近には多くの人がうずくまり、倒れて口から泡を吹いている人もいました。「一体、何が起こったんだろうか?」
10時前に聖路加国際病院に到着。副院長先生、内科部長先生に「自衛隊中央病院から派遣された医官と看護官です。お手伝いさせて下さい。」と挨拶したところ、副院長のM先生が、「自衛隊の先生方、ありがたいです。うちでは外来診療をストップさせ、手術も緊急オペ以外は全て延期に。非番のスタッフたちにも全員招集をかけて対応しています。すでに300名以上の負傷者がいます。日野原院長が前線に立ち、軽症、中等症、重症の分類をしてします。自分で歩けるような軽症患者は2階にある礼拝堂へ、中等症はストレッチャーで9階の病棟へ、重症患者は救急外来からそのままICUへ運んで対処しています。先生方は軽症患者のいる礼拝堂へ行って診察治療にあたっていただけますか。」同時に神経内科のO先生が「実は、すでに、亡くなった方がお一人。CPA(心肺停止状態)の方がお二人、痙攣を起こして意識のない重傷者がお二人います。これまでの情報では、アセトニトリルが検出されていて、それによる中毒だと考えたのですが、過去の文献を調べてもそこまで重篤になるようなことがアセトニトリル中毒では考えられず、何がなんだがわからないのです。」と言われました。
すぐに2階のトライスラーホール(礼拝堂)に行き、負傷者の診察を開始しました。5〜7人、時間にして10分もなかったでしょうか、皆一様に「胸が押されるようで、息が苦しいんです」、「目の前が暗くて見えにくい」、「目の奥が痛いです」という訴えを…背中に緊張が走りました。「こ、これは、10日前に答案用紙に書いた5つの臨床徴候だ!」。改めて、患者の目を見ると、見たことのないピンポイントの縮瞳を全員が呈しています。
すぐに、聖路加の先生に、「これは神経剤、いわゆる毒ガスに晒された時の症状です。サリンかどうかはわかりません。しかし、診断に間違いはないと思います。アセトニトリルは有機溶剤なので神経ガスを作るときに使われたのでしょう。初期治療は硫酸アトロピン2mgを筋注か静脈ルートから静注して下さい。そしてPAMはありますか?根本的な解毒剤です。できるだけ早期に投与しないとなりません。」と具申しました。「根拠はこちらをご覧ください。」と、持ってきていた衛生学校の特殊武器衛生・特殊武器防護の資料一式を見せたわけです。日野原院長には、「自衛隊からは毒ガス専門の医官が応援に来てくれていて、サリン中毒との診断の下、硫酸アトロピン投与とPAMの使用をアドバイスされました。」との報告がいったそうです。
後日、米軍とイスラエルの軍医が自衛隊中央病院に来て、当時の状況や診断・対処法について細かく聞かれました。「このような状況で死者が十数名というのは、ミラクルだ。」と言って帰って行きました。
自衛隊は平時にきちんと有事に備え、しっかり準備しているのです。色々な偶然が重なって、自分が600名以上の負傷者を受け入れた聖路加国際病院に派遣され、多少なりとも日本国民のお役に立てたことは僕の人生で最も大切で貴重なことでもありました。
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  • 鳥居 恭好
    素晴らしいです。ただただ称賛。
  • 吉田 小尚美
    この日私の母はかかりつけであった前田病院で受診の日でした。
    母はこの日タクシーで病院へ向かったため、犠牲者とはなりませんでしたが、前田病院にも多くの患者様が運ばれ、報道陣も来ていたそうです。
    先生の瞬時の判断と行動力が無ければ、もっともっと多くの人が犠牲になっていましたね。...
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    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 木村 天
    情報提供ありがとうございました。
    医官として、対処できるように、今一度復習しておこうと思います、普段は全然扱わない分野ではありますが。。
    結構、NBCの分野は入港教育でも重視はされてたのかなと否では思います。...
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    6
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • Keiji Kobara
    拝読いたしました。私はその日は東大病院の救命救急にて研修医として勤務しておりました。やはり第1報は「爆発事故」ということで、丸ノ内線の本郷三丁目駅で降りた人々が多数来院され、受付に入り切らず、臨時で廊下に並べられた椅子に座って待たれているところを、ひたすら採血して回ったことを覚えています。(採血した方々の衣服にサリンが付着していたのか、私もしばらく視界が暗くなって困りました)重症の方も救急車で来院され、最初は有機リン中毒ではといった情報が、そして遅れてサリンという情報があり、PAMも入手することがで...
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    Keiji Kobaraさんが返信しました
     
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  • 松山 淳
    先生の生き様を垣間見る事ができました。やはりワインを嗜んでるだけじゃあない、凄い先生なんだと改めて尊敬致しました。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 高森 きょうだい
    存じませんでした。シェアさせていただきます。
  • 小菅 竜治
    神様はチャンと必要な人材を手配しているんだと感動して(涙)
    これこそ神風!
  • 下村 溶子
    いくつもの導かれたような偶然が多数の方の命を救ったのだと、感動します。
  • 杉村 幸子
    あの事故の数分前に友人が同じ電車を利用していたこともあり、ニュースを見て震えていました…。
    青木先生が的確なアドバイスをされたこと、聖路加国際病院の先生が聞く耳をもたれたこと、本当に素晴らしいですね☺
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 須川 昌平
    サリン事件の自衛隊の活躍は、麻生幾氏の本で拝見してます。PAMの接種量も、通常の倍ですが、日野原医院長と、自衛隊の資料で速やかに投与でき、多くの人が救われたと、
    治療に当たった自衛官の方が、サリンの2次被害に遭われたと、伺いました。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 高垣 有里子
    青木先生素晴らしいお話ありがとうございました。
    シェアさせてください
  • 遠藤 利三郎
    凄い。
    改めて尊敬いたします。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 佐藤 勇気
    昔プロジェクトXで地下鉄サリン事件の際の、聖路加病院の奮闘に感動しました。
    青木様がその立役者だったとのこと本当に尊敬します。
    日本のために感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。...
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  • Miyuki Saito
    以前から、青木先生がサリンだと判断されたとお聞きしてきましたが、こんなに詳しいお話は初めて知りました。
    改めて、青木先生がいなかったら被害はもっと甚大なものになっていましたね。
    素晴らしいです。心から感謝の思いでいっぱいになりました。...
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    6
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 渡辺 克己
    そうだったのですね。
    貴重なお話をありがとうございました。
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    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 伊藤慎一
    常に学習する姿勢、心構え…とても大切ですよね👍📖
  • 岩波 久威
    これは映画化すべきですね!!
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 林 真也子
    あの時、ご活躍されたのは知っていましたが、こんな具体的に当時の状況を伺ったのは初めてでした。
    たくさんの命を救った功績に感謝というか、昔から知っている晃ちゃんが💫と自分の事のように誇らしいです❗️
    TV放映日時が決まったら、教えて下さい。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • おきやま けいこ
    青木先生素晴らしいお話しを拝聴出来ました事感謝致します。
    シェアさせていただきました。
    ありがとうございました。
  • 吉永 房代
    こんな裏話があったとは。。人智を超える力も働いたのかなと思いました。。
  • 林 麻由美
    青木先生の絶え間ない努力と判断力、現場でのチームワーク、情報伝達などが見事に融合した素晴らしいお話に感動です。
    3
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 寺岡將樹
    凄いです。
  • 朱 庭蘭
    感動の涙が止まりませんでした😭😭😭
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 小和田 博
    長男の小学校の卒業式の日に起きた地下鉄サリン事件、自衛隊医官の方の活躍が凄いです。また、何かで読んだ事が有るのですが、地下鉄サリン事件は、オウムがサリンを製造していることをつき止めた自衛隊の化学部隊の幹部の方を暗殺するために起こしたとの事でした。その方がいつも使っていた地下鉄の時間だったという事です。その方は偶々その日に限ってその時間には乗っていなかったと言う事でした。いずれにしても、オウム事件に自衛隊の方が活躍されていたのは驚きです。
  • 内海 州史
    凄いですね。最近のテレビドラマみたいです。良い仕事をしたね!
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • フィアーズ 多希子
    青木先生
    ただただ感服しております。
    沢山の尊い生命を救って下さいましてありがとうございました。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • Ooya Chin
    うちの同僚がお世話になりました。ありがとうございました。
    4
    青木 晃さんが返信しました
     
    返信3件
  • 源真里
    平時において有事を忘れない!そんな心構えがいざという時に役に立ったのですね
  • 松岡 榮子
    同僚が地下鉄に乗車しておりました。
    青木 晃先生
    ありがとうございました。...
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    4
  • 南雲 宏
    素晴らしい働きをされていたのですね。やはり青木先生は見えざる手に選ばれたお医者様なのだと思います。
    これからもますますのご活躍をお願いいたします!
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 吉野 純子
    青木先生、感動しました‼️先生が神経毒について詳細に学ばれたことは正に神の采配だったのですね。ああ、神さまって本当にいるんだなって思いました‼️
    吉野 純子さんが返信しました
     
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  • 藤井 英雄
    素晴らしい働きですね!まさに運命的な天のはからい❗️
  • 荒木 惠理子
    青木先生の素晴らしい活動、Twitterでもシェアされてました!
    映画化希望です!!
    青木 晃さんが返信しました
     
    返信1件
  • 水谷 美紀
    あの時、現場の最前線に青木先生がいらして、多くの患者さんを救ったということ、全く知りませんでした。平時にこそ有事に備える。大きな学びをありがとうございます。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 脇田 久伸
    青木様
    突然のメールです。先生の投稿を拝読しました。素晴らしいことです。私のFB仲間にも読んでもらいたいのでシェアさせてください。
  • Noriko Ito
    じっくり読ませて頂きました。
    ただただ感謝いたします。
    多くの方々をお救い頂き、ありがとうございました。
  • 田中 徹
    Akira Aoki先生 3月20日朝、丸の内線大手町駅で下車すると日比谷線が止まっているとの案内が構内に出ていました。幸いにも私は被害に遭いませんでしたが、忘れられない忘れてはいけない事件です。三菱重工爆破事件以上に社会へ影響を与えた事件ですね。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 小野 文明
    大医は国を医すと言いますが、若き日にあの非人道的な大事件に立ち向かい多くの人を救う崇高な任務にあたられたことを戦慄と共に読ませていただきました。
    青木先生の学生時代からの真剣な学びと訓練が、心技体をここまで高められたのだと思い、改めて敬服いたします。また自衛隊、防衛医科大学の果たした任務についても、一国民として感謝し切れるものではありません。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 坂田 智康
    青木様、橋本琴絵さんのツイートで知り読ませて頂きました。只々感謝です。
  • Noriko Ito
    青木先生。
    私の歯科大学の同級生は8人自衛隊の歯科医官となり、そのうち3人は定年まで勤務しておりました。
    さらにそのうちの一人から、演習の話も聞いておりました。多分最後は自衛隊中央病院だったと思います。...
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  • 今村明子
    必然だったのですねー。助かる方が増えたこと、医療従事者として、嬉しく思います。😃
  • 寺脇博之
    青木晃先生:はじめまして。サリン事件当時、聖路加国際病院内科に所属していた寺脇と申します。事件の一週間前まで内科チーフレジデント(内科病棟の取りまとめ役)だった関係で、かの「700人外来」の最前線で取りまとめをしておりました。
    あの時、昼過ぎに『原因物質はアセトアニリドではなくサリンである』ことが院内全体に周知されたときにはそれ自体驚きだったのですが、
    『いったい誰が(原因物質が)サリンであることを突き止めたのか?』...
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    青木 晃さんが返信しました
     
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  • Nishiyama Junichiro
    ご無沙汰しております。
    あの頃は、まだ自衛隊はどちらかというと日陰者扱いで、そのせいか信州大の医師にもってかれましたね。悔しかったのを覚えております。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 渡邊 昌
    私の娘も聖路加看護大学に通っていて東銀座で暴露し、数日しゅくどうがありました。
    青木 晃さんが返信しました
     
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  • 岩井 信也
    すごい、読んでいて鳥肌が立ちました!!
    関係者でもなんでもありませんがありがとうございました!!
  • Tarou Yoshida
    よろしくおねがいします
  • 藤本晴枝
    一見、無駄に思えることに、神様の配慮が隠されている、
    そんな風におもいました。
    シェアさせていただきます。
  • 安田 倫子
    此の時の様子は、後に日野原先生から直接伺いました。
    聖路加病院を建てる時に、先生は、廊下を広くして、廊下でも手当てが出来るように、必要なコンセントを備え、戦時に大量の負傷者、患者を収容手当て出来るように作っておいたのが役に立ったと仰っていました。
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  • 岡村 榮
    素晴らしい、タイムリーな、適切な診断治療方針の決定で多くの患者さんが救われたことでしょう 当時のAOCを思い出しました。
  • 宍戸 真次
    初めまして、貴重な経験のお話ありがとうございます。